1話
満月が夜空に浮かんでいた。
古来より月の満ち欠けは妖怪、化け物、怪物といった化生の類の力に影響を及ぼすと云われている。
欠けることのない月は奴らの力を最大限に高めるだろう。
その点、吸血種の『ハイヴァンパイア』である我にとっては最高の夜と云えるだろう。
だが、群れ、闇夜を恐れる脆弱なる人間にとってはどうだろうか。
ましてや、この私の館に突如単騎現れたこの人間にとっては・・・
▽
あれっ、ここどこだ?
俺、桜井鋼はいつのまにかよくわからない所にいた。
・・・
ってこれじゃ何の理解にもなってねえええええええ。
・・・
少し錯乱していたようだ。
いや一応さっきまで何をしていたかは覚えているんだけどね。
確か苦節二年目にして合格したそこそこ有名な大学に入学した四月のある日、新歓だから、もう二十歳だからって調子に乗って一気飲みをした結果その場でリバースアンドダウンしてしまい、意識が戻ったときはもう終わってて周りに誰もいなくて、意気消沈しながら家に帰ろうとしてたその途中。
気づいたら、こんな所にいた。
俺の貧相な語彙では説明しづらいのだが、中世ヨーロッパの貴族の屋敷の玄関ホールといったところか。
写真でしか見たことがないので自信がないが。
辺りを見渡していた俺は、ホールのど真ん中に位置する階段の先にある扉を見た瞬間ひどい悪寒に襲われた。
向こうは・・・や、やばい。絶対やばい。
何の根拠も無いが俺の有るかも分からない第6感にびんびんくるぜい。
そして俺は恐る恐る階段に一歩足を踏み・・・
「だすわけねえ」
すぐに踵を返し、玄関に向かった。
・・・いや、行く訳ないでしょ。
確かに現状が把握出来ていない今、この屋敷の住人に尋ねるのが効率的かもしれない。
だからってあんな禍々しい気配放ってるのが一般人の俺でも分かるぐらいなのに行く訳無いじゃん。
と言う訳で、すみませんお邪魔しましたーと、心の中で言いながら玄関のドアノブに手をかけようとした。
「あら、もうお帰りになるの」
耳元で呟かれた妖艶な囁きに飛び上がり振り向く。
「あらあら、見た目だけでなく挙動まで粗野なこと」
そう言って、フフフと笑う女性。しかし彼女は急に表情を消しこちらを見下した目つきで言い放った。
「下等な人間風情が土足でこの館に踏み入れ、おめおめ生きて帰れると思うな!」
その余りの剣幕、威圧感に抗える人間など存在するのだろうか。
当然俺も頭を垂れ、震える声音で言った。
「ちびっこ?」
「誰が子供だあああああああああ」
どう見ても子供です。ありがとうございます。
真紅のドレスをベースとして、黒のフリルがアクセントを利かしていて、彼女の肩までかかるフワっとした金髪に良く映える。
だが、子供だ。
そう確かにものすごく将来性を感じさせる美貌であるが、子供だった。たぶん5,6歳ごろの。
「えっと、お嬢ちゃん。家の人いる?突然で悪いんだけど、お父さんかお母さんとお話したいことがあるんだけど」
俺の横隔膜ぐらいしかない身の丈で、必死にこちらを見下ろそうとしていた彼女の姿に微笑ましいものを感じながら尋ねると、急に彼女は俯き、肩を震わせだした。
あ、あれ・・どうしたのかな?
「ク、ククク。初めてだぞ、人間。ここまで私をコケにしてくれたのはお前が初めてだ。生かして帰そうと思っていたが気が変わった。その無礼を代償に、永遠の夜の帳に抱かれ眠れ!」
お、驚いた。この娘、この年齢で厨二病を発症してる・・
きめ台詞と共に飛び掛ってくる幼女。い、意外と早い。
ただ遊んでほしいのかなと思って、ぼーっと待ち構えていると、幼女はその振りかざした右手を俺に・・・
うん?何がしたいんだこの幼女。
必死にぺしぺし叩いてくる幼女を見下ろし、首を傾げる。
が、疑問を感じているのは幼女も一緒のようで、
「な、なぜだ!?なぜ裂けぬ!?」
裂ける?あ、この幼女爪長すぎだろ。ってか引っ掻いて服を破ろうとしてくるなんて、意外とえげつないなあ。
まあ気が済むまで遊んでやるかと思い手を伸ばすと、幼女はばっと身を翻し言った。
ってか、身体能力すごいなあ、この幼女。
「ク、クク。やるではないか人間よ。だがこれで終わりではない。取って置きを見せてやる。私の眼を見よ!」
幼女に言われて眼を見る。って、赤い?
「フフフ。人間、これでもうお前は動けまい」
カラーコンタクトかな?あれあんまり眼に良くないのになあ。こんな小さい娘に付けさせておくなんて、親は何考えてるんだろうか。
おっと、なんか幼女が高笑いしながら近づいてきたぞ。
そして俺の前まで来ると、そのまま俺の首筋に噛み付こうと・・・
「って、ちょっと待てえええええええい」
慌てて飛びのく。何だこの娘、さっきから。サイコ過ぎだろ。
「な、なぜ動ける?」
いやー、本気で言ってそうな辺り重度な厨二病であることが伺いしれますね。
それより、初対面の俺に引っ掻こうとしたり、噛み付こうとしたり、ちょっと子供にしてもおイタが過ぎるんじゃないだろうか。
普通は親が教育するんだろうけど、たぶんこの娘の親甘やかしていそうだしなあ。
よし、部外者だけど、この娘のこれからのためにも心を鬼にして叱ってやろう。
「ありえない」とか「なぜ」とかぶつぶつ呟いている幼女に近づき、
ゴチン。
拳骨を落とした。
「こら!さっきから人様に向かって手を上げたり噛み付こうとしたりして、駄目じゃないか。ほら、もし自分がそんな事されたら嫌だろう。そういう自分がされて嫌な事は、他人にもしてはいけないんだ。分かったね」
お、結構上手く言えたんじゃないか俺、と思いながら幼女を見る。
幼女は両手で頭を押さえ呆然としていたが、その両目を涙でいっぱいにすると!?
「うわあああああああああん。パパああああああああああああ」
と言って、階段の先の扉を開けて逃げ去って行った。
・・・やり過ぎた!?
でも今のは暴力じゃなくて、躾だし。ぼ、暴力じゃないし。
と自分に言い聞かせながら、さっきの幼女の言葉を思い出す。
パパ。あ、やっぱお父さんいるんだー。
って娘さん泣かせてもうた!
どうしよう。ま、まあちゃんと事情を話して、謝罪すれば、大丈夫だよね。うん、きっとそうだ。
というわけで謝りに行こう。
・・・まあ、一発ぐらいは覚悟しとくかぁ。
だが俺は思い出すべきだった。
あの扉を見てなにを感じたのかを。
そして、俺は扉を開いた。
扉を開けると、さらに広い部屋だった。いや、部屋なのか?
見た目は王のへの謁見場みたいな感じだ。たぶん。
というのは、あまりに奥行きがありすぎ、また灯りがないため、所々にある小さな窓からもれる月明かりのみが部屋をぼんやりと照らし、自分の周辺ぐらいしか視認できないためだ。
「奥まで・・・続いているな」
ぶっちゃけ帰りたいです。
入って思い出したんだけど、ここってなんかヤバイ感じがするところだった。
回れ右したい気持ちは山々だけど、さっき幼女泣かしちゃったからなあ。
・・・
い、行くか。
というわけで、奥に向かって歩き出したわけだが、
「つか幼女どこ行ったし」
周りに部屋とか見当たらないし、たぶん奥なんだろうけど。
ってことは、親父さんもいるってことで。
や、やっぱ行きたくねえ・・・
「ま、まあ、謝るだけだし。す、すぐ帰るし」
びくびく。
びくびく。
▽
我は、微睡んでいた。
意識はある。ただ半覚醒ともいえるような、朦朧とした意識の中にあった。
一体、どれぐらいの月日が流れただろう。ニンゲンの物差しで測るわけではないが、数え切れない夜は迎えた。
最後に覚醒していたのは、吸血鬼の少女を迎え入れた時か。
吸血鬼自体はそう珍しいものではないが、あの娘を迎え、我が姓を名乗ることを許したのにはそれなりに理由はある。
まあ、それはいいだろう。
「助けて、パパああああああああ」
たたたっと、走ってきた娘が胸に飛び込んでくる。
・・・
問題はそう、そこらの魔物、魔族に遅れは取らないであろう娘が、無様に助けを乞うてきたことだ。
・・・
まったく。淑女の心得はどこに行ったのだ。
また躾が必要なようだ。
「ひっ」
娘がハッと飛びのく。
おっと、無意識に身の危険を感じたか。
そういう感覚の鋭さは、相変わらず素晴らしい。
だが、娘の躾の前に尋ねることがある。
「マリア、誰にやられたのかな」
娘、マリアの姿に負傷の形跡は見当たらない。
だからこその興味。
マリアは、びくびくしながら上目遣いで
「お、お父様。怒らないで欲しいのだけど、ニンゲン・・・お、おかしなニンゲンがいるの」
ニンゲン。
ニンゲンだと。
「クク、ククク」
「お父様?」
ニンゲン。
あの脆弱なニンゲン。
魔族でも、竜人族でも、妖精族でもなく、ニンゲン、人間。
「フハハハハハハハハハハ。面白い。久しぶりに、非常に愉快だ。・・・マリア」
「は、はい」
マリアは初めて見るだろう父の豹変に、目を丸くしている。普段は、物静かな紳士だからな。
まあ、そんなことはどうでもいい。
「マリア、そのニンゲンは、この、我を、楽しませてくれるのだろうな」
「は・・・は・・・い」
「そうか!それは楽しみだ。して、その輩はどこにいる」
と言った瞬間、大広間の扉を開けて、そのニンゲンが入ってきた。
この薄暗さ、広さではニンゲンからはこちらの姿は確認できないだろう。
逆は違うが。
「ほう」
その者の姿に一時的に目を奪われる。正確には、その髪に。
「永き我が生涯の中でも、黒髪は始めて見るな」
黒髪の人間。そんなものがいるとは初耳だが、今は関係ない。
「ククク、では、楽しませてもらおうか」
▽
「グッドモーニング、ニンゲン。いや、君にとっては、今晩は、かな。どちらでもいい。ひとまず、我が吸血鬼の館へようこそ!」
・・・
「ふむ。返事はなしか。まあ下等なニンゲンに品性を求めるだけ無駄か」
・・・
「では改めまして、ようこそ吸血鬼の館へ。折角ここまで来たんだ。・・・我を楽しませてくれ、ニンゲン!」
・・・
・・・
はっ、いかん思考停止してた。
改めて、目の前にいる初老の男性をちらっと確認する。
見た目は紳士。すごい紳士。
燕尾服に身を包み、その上に裏地が赤の黒コートを羽織り、シルクハットまでかぶっている。はじめて見た。
さらに、すげえイケメン。
や、年はそこそこだから、ダンディーなおじさん。
そんなtheヨーロッパ貴族な格好の初老の男性。
そんな・・・そんな人が・・・
吸血鬼だと・・・
うけるー。
超うけるんですけど。
え、なにこれ。逆にこっちが居たたまれなくなる程恥ずかしいんですけどー。
うん。いい年した大人がってよく言うけど、こんな見た目紳士が厨二病だと、すみません止めてくださいこっちが恥死しますって、土下座して頼みたくなるレベルだわー。
「…よく分からない言葉があったが、我を愚弄しているのは理解できる」
いやー!我とか使わないでー!
これ以上、喋らないでーーー!
って、あ、あれ。
「も・・もしかして、声に出てました」
さらに表情が厳しくなり、怒り心頭の吸血鬼(笑)のおっさん。
「娘を可愛がってくれたようだから、どんなニンゲンか興味があったが・・・」
おっさんはマントをばさっと翻すと、表情を消し言い放った。
「貴様の命を代償に、永遠の夜の帳に抱かれ眠れ!」
え、えええええええ。
幼女の台詞パクってるぅ。
中途半端な厨二病とか、誰も得しないよ!
その瞬間、おっさんが消えた。
「え・・・」
「ふむ、娘をあしらったと言うからどんな猛者かと思えば・・・所詮はゴミだったか」
背後から声がする。
まさかと、急いで振りむこうと
「ふむ。男の血など吸いたくはないが・・・まあ、久しぶりの食事だ・・・眠れ」
背筋が凍る。
圧倒的な死の気配が迫ってくる。
そして、振り向く。
そこには、首筋に噛み付こうとするおっさんの姿が。
「うわあああああああああああああああああああああああああ」
「ぐはっ」
思い切り殴り飛ばしました。
当たり前です。
そしてハッと我に返る俺。
目の前で倒れる初老の紳士。
振りぬいた俺の右腕。
・・・
ま、まあ仕方ないよねっ
だっていきなり見知らぬおっさんが首に噛み付こうとしたら、反射的にぶん殴ってしまっても不可抗力だよねっ
と、心の中で言い訳をしていると、いつの間にか紳士さんが立ち上がってこちらを睨みつけていた。
暴力に対する謝罪か、噛み付こうとした事に対する糾弾か、どちらが先だろうなどと考えていると、無言を決め込んでいた紳士さんが口を開いた。
「貴様、本当にニンゲンか?」
・・・
はっ?
質問の意図が読めず、ちょっと混乱しつつも、「はあ」と生返事を返すと、紳士さんはさらに表情を厳しくし
「では・・・『加護持ち』か?」
カゴモチ?
なんぞそれ?
その疑問が顔に出ていたのか、紳士さんは「そうか・・違うのか・・」と呟き・・・
「では貴様の正体、暴かせてもらおうか」
紳士さんの右腕が黒いナニカに分裂した。
「・・え?」
今目の前で起こったことに頭が付いていかない。
そして、現状を把握する暇もなく、さらに事態は動く。
バサバサバサ。
その黒いナニカは蝙蝠に化け、一斉にこちらに向かって飛翔してくる!
「うわあああああああああああああああああ」
ここに来て始めて認識する現状の異常さ。
圧倒的な死の予感。
しかし時は既に遅し。
逃げることも出来ず、体を屈めただ両腕を持ち上げ顔をカバーしたところで、俺は蝙蝠に群がられた。
・・・
・・・?
予想していた痛みが・・ない。
いやただ今体中にぶつかってはいるのだが、なんかペシペシって感じ。
全然痛くない。
確かにただの蝙蝠だったら、まず死を覚悟するような危険性は感じないだろう。
しかし根拠は無いがあの蝙蝠を見たとき、自分が散りぢりに引き裂かれるヴィジョンが見えた。それはあまりにリアルで、死をを予感させた。
実際はこうだが。
なんか大丈夫そうなので、立ち上がり蝙蝠をしっしと払う。
だが問題は解決していない。
この蝙蝠の発生源。
俺が殴りとばしてしまった紳士さん。
離れていく蝙蝠の動きにつられて、そちらを見ると紳士さんの右腕に集まり再生していく。
ははっ、本当に信じられねえ。
オカルトのような現象を眼にしつつも、それを笑うことも出来ない。
ただ非科学的な現象が信じられないからではなく、そのオカルトが俺の生死に関ってくるのが分かっているからだ。
逃げよう。
紳士さん・・化け物から眼を逸らさず、後ろの扉に向かって後退する。
しかし数歩踏み出したところで、化け物が動く。
左腕が再び黒く染まり、肩口から切り離される。
当人は些かの痛痒も感じていないようだ。本当に化け物だな。
暗い靄がぐねぐねと形を変えるのを見て、また蝙蝠かと身構える。
途中三つに分裂し、出来上がった型は獣、狼だった。
いやこの大きさならそんなに脅威でも・・っ
くそっ。
俺の内心を嘲笑うかのように、大きくなる狼。
それの背丈は成人男性の身長ぐらいもある。それが三匹。
すぐにでも走って逃げ出したかったが、狼に背を向けるのはさすがに軽率すぎる。
俺は狼どもを睨み付けながらも必死にすり足で後退する。
それが良いか悪いかの前に、俺は狼どものに気をとられすぎていた。
はっと気づいた時には化け物紳士の姿が、ない。
そして更なる異常に気づく。
辺りに漂う白い霧に。
よく分からないけど、これは絶対まずいっ・・
そして霧に注意を向けたその瞬間、三匹の狼も動く。
更に背後からの声。
「今度こそ・・・死ね」
首筋からのプレッシャー。
目前に迫る獣。
この日、吸血鬼という種族から進化を遂げた唯一の『ハイヴァンパイア』の館に現れた不幸な少年、桜井鋼は異世界トリップ30分でRPGでいう裏ボス戦に突入していた。
・・・しかし本当に不幸だったのはどちらなのか、それは今夜が桜井鋼少年の物語のプロローグに過ぎないため、一概には言えない・・・
勢いで書いた。
プロットぐらいはあるから、需要があったら続けます。