プロローグ
この世界には、精霊と呼ばれる生き物がいる。
大きさは小指ほどから、像を超えるものまでそれぞれで、また姿形もそれぞれである。
それらはすべて、水、木、炎、風、雷のうちのどれか一つに属し、その五種類の自然のどれかの守護神となって、それらに仕える。あるときは自分が仕える自然の力を借りて、精霊同士で競い合い、その場を戦場へと変貌させる。
ましてや人間の争いなど、彼らの意思で簡単にかたがついてしまうほど、精霊の力は膨大なものであった。
だからこそ、どこの国も精霊を欲しがった。
しかし精霊は自然を守る生き物であって、戦闘兵器になりたいわけではない。精霊は人間との干渉をできる限りさけ、密かにその身を隠して過ごしていた。
そうして、何百年という時が流れた。その長い年月はまた一種、新しい生き物を生み出した。
精霊使い《ノーヴァ》だ。
これらは世界に大きな変化をもたらした。もともと人間であったはずの彼らは、不思議なことに精霊を使令にするという力を得たのだ。
そうして戦闘を拒む精霊たちを精霊使い《ノーヴァ》は、有無を言わさず自らの欲望のための武器にした。それまでの世界は、戦争は少なからずあったが、精霊使い《ノーヴァ》が生まれ、比べならないほど荒れに荒れた。
いくつの町が焼き払われ、廃墟と化したことか。
そんな戦火が四方八方を飛び交う中、精霊使い《ノーヴァ》である一人の少年と一匹の精霊が愛を交えた。
ほかから見れば、人間と精霊が互いを許しあうということだけでもありえないことであったし、愛し合うなどもってのほかだった。しかし彼らは確かな愛で結ばれ、とうとう子供を授かった。
「メルセデス、見てくれ。俺たちの子供だ」
精霊使い《ノーヴァ》の血を持つ少年、ノエル=コメットは腕に赤子を抱いて言う。
赤子の髪はその言葉にふさわしい赤色で、幼く、そして生命力のある瞳を持っていた。一見ほかの人間の子供と大差ない。しかし、その赤子の頭には、しっかりと精霊の証でもある、これまた赤い角が2本生えていた。
赤子は父であるノエルの微笑む顔をみて、微笑み返した。
母親である精霊メルセデスは、疲れているのだろう。大きな羽をたたんで、横になりながらその光景を眺めていた。
「うぇへ」
腕の中の居心地がいいのか、嬉しそうにしている。
ノエルしばらく我が子を眺めた末、メルセデスのほうを向いた。
「この子の名前、考えてたんだ。正義だとか、宝石だとかいう名前をたくさん。だけど、この子の顔を見たら、気が変わった」
メルセデスは優しく微笑んで、問う。
「それで、どんな素敵な名前を思いついたの? あなたの好きな花の名前かしら? それとも、春を意味する名前とか?」
「まぁ、そう焦らないで。そうだね、いつか……、この子はおそらく精霊使い《ノーヴァ》と精霊の間に生まれた子として、追われることとなるだろう。だけど、それでもずっと自由にいてもらいたい。だからリテラル=リバティ、この名はどうだい? 文字通りの自由、という意味だ」
ノエルは片手でそばに置いてあったメモ帳に、『Literal= Liberty』と書いて、メルセデスの方に向けた。
「あら、いい名じゃない。でも意外。ノエル=コメットのコメットをうしろにつけるものだと思ってた」
もっともなメルセデスの質問に、ノエルはメモ帳を赤子の手に掴ませて、答えた。
「うん、普通子供は名の一部を親から授かるものなんだ。だけどそんなことをすれば、僕らの子供だってすぐわかってしまうから。それにコメットより、リバティのほうがずっといい響きだ。そう思うよ。なぁ? リバティ……」
赤子―リバティはそれが自分の名前だとわかったのかどうかは不明だったが、リバティと呼ばれてなんだか嬉しそうだった。
「リテラル=リバティ。私のところにもおいで」
メルセデスも負けじと呼ぶ。ノイルはメルセデスの背中にゆっくりとリバティを下ろした。メルセデスは翼で優しくリバティを撫でる。
そんな時、ノエルは後ろで地を踏む音がしたことに気づいた。
「…………!!」
なんで今まで気づかなかったのだ。相手はこんなに近くにいるなんて。
ノエルとメルセデスのすぐそばの林から、きらりと光沢がみえる。太陽の光を反射させたそれは、槍と鉾が交差し、その背景に龍のシルエットが施された紋章だった。
メルセデスがそれを目に捉えたときだった。その紋章は一つから二つ、二つから四つ、おびただしい速度で数を増やしながら、二人のまわりを一瞬にして囲みこんだ。
紋章が刺繍された衣服を纏うその身体は、やがて腰にささった鞘から、血に汚れた刀身をむき出しにした。
「聖ノーヴァ騎士団……」
つぶやくと、ノエルは腰に装備していた短剣を取り出し、林のほうに刃を向ける。そうしてほかの人間には聞こえないくらいの小さな声で言った。
「メルセデス、リバティをつれて逃げてくれ……!」
それをすかさず受け取ったメルセデスだったが、首を横に振って嫌だという。
メルセデスは気づいていた。追手の数はこちらの何十倍。ノイルだけの力では奴らにかなわないということに。
たとえ自分が加勢したとして、出産後すぐの自分の身体は戦力にもなりはしない。
ただ我が子の誕生日に、その父親を失いたくはなかった。
メルセデスはただ考えた。今ある体力で自分にできること―それは囮になってノイルとリバティを逃がすこと。
メルセデスの顔が曇る。
死に対する恐怖がメルセデスの気持ちを揺さぶる。だか三秒とも立たぬ間に、メルセデスは覚悟を決めた。
鋭い瞳孔でノイルをみる。
しかしノイルはその様子をみて、もう一度言った。メルセデスからは彼の顔は隠れて見えなかった。
「……精霊よ。精霊使い《ノーヴァ》として命ずる。リバティを連れてここから逃げろ!」
ノイルのその言葉に、縛られるような感触がメルセデスの蝕んだ。まるで目に見えなぬ鎖がそこにあるかのような、頭痛が走り、メルセデスの意とは逆に、体がリバティを連れて飛び立とうとしていた。
(なぜ、こんな時に、あなたは……初めて、命令を下すの!!)
メルセデスはふらつきながらも、その場をあとにした。そうせざる負えなかった。飛行しながら後ろを振り返ると、そこには短剣一本で自分の数倍の的と戦う夫の姿があった。
その勇ましい姿をメルセデスは目に焼き付けた。そうして今ある力の全てを出して、できるかぎり遠くへ飛ぶ。
数時間飛んだだろうか。
リバティを落とさぬようバランスを取りながら、ただ飛び続けた。翼の感覚は曖昧で、時々飛んでいることを忘れてしまうほど、メルセデスの身体も衰弱しきっていた。
(もうダメかもしれない)
メルセデスはそう悟った。力が一瞬抜けたかと思うと、その場を急降下する。それは落下と意味等しかった。
(せめて、この子だけは)
地面に衝突する直前、最後の力を振り絞って精一杯に羽ばたく。
そうしてゆっくりと着陸した。メルセデスは我が子がのった背中を振りかえる。リバティはすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
(どうか……、のびのびと、自由な子に育って。そして私のように、素晴らしい相手を見つけなさい)
メルセデスは幸せそうに息を引き取った。
安らかに。眠るように。
リバティの幸せを願って。