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軍事・歴史

勅使河原中尉

作者: 沼津幸茸

 今日は「楽しいクリスマス」である。しかし、五島雄一にとっては単なる平日でしかない。既に実家を出た彼は独り暮らしであり、妻子はおろか恋人の一人もいない。幸いにも友人達には恵まれたが、家族なり恋人なりとの時間を邪魔して彼らを呼び立てるのは気が引けた。

 五島は昨夜炊いて冷凍しておいた米を電子レンジで解凍して茶碗に盛り、塩鮭を焼いて皿に載せた。畳敷きの居間の中央に据えた卓袱台に、料理と呼ぶのもおこがましい昼食を運ぶ。

「ホワイトクリスマスか……」

 カーテンの隙間から覗く昼にさらさらと白い花弁めいたものが舞い散るのを目にし、五島は思わず呟いた。人生設計上の問題から道を違えることとなったかつての恋人との思い出が脳裡をよぎり、我知らずのうちに溜息をつく。

 侘しい昼食を黙々と摂っていると、ふと視線めいたものを感じた。時折餌をせびりにくる野良猫がまた来たのかと思って窓に視線を転じ、彼は身を強張らせた。

 血と汗と泥に汚れ、あちらこちらが擦り切れたカーキ色の軍服を着た青年が、浅黒く日焼けした顔に物欲しそうな表情を浮かべて五島――の昼食――を眺めていた。五島は悲鳴を上げそうになったが、青年の腰に軍刀と拳銃があることに気づき、口を押さえた。青年の服装は南洋で作戦した陸軍将校の装束を極めて忠実に再現しているように見えた。かなり知識の深い軍事オタク――五島と同類――であろうと思われた。精神を病んだ軍装オタクだか何だか知らないが、下手に刺激して暴れ出されたら堪ったものではない。たとえ軍刀が本物ではなくコスプレ用の模造刀に過ぎないのであろうと、窓ガラスを割り、人を傷つけるのに十分な威力を持つことに変わりはない。

 幸い青年が五島の視線に気づいた気配はなかった。五島はさりげなく席を外して廊下に出て、携帯電話で警察に連絡することにした。しかし、立ち上がろうとしたとき、驚愕のあまり動きを止めた。

 舞い踊る雪片が青年の日焼けした頬に触れたかと思うと、まるで青年がホログラムか何かであって実体を持たないかのように、そのまま擦り抜けてしまったのである。五島は混乱して幻覚を見ているのだと思い込もうとしたが、頬だけでなく肩や胸でも何度も同じ現象が起こるのを目にするに至って、その試みも潰えた。もし幻覚を見ているのだとすれば、そもそも青年自体が幻覚であるのに違いなかった。

 昼食に羨望のまなざしを注いでいた青年が、ふと視線を五島に転じた。訝しむように眉根を寄せて小首を傾げた。

「失礼、私が見えるのでありますか」

 その明朗な声は窓ガラス越しでもはっきりと聞こえた。

「え、あ、はい……」

 堂々とした問いかけに、五島は反射的に頷き返してしまった。青年の顔に喜色が浮かんだ。

「見えるのでありますか」それから申し訳なさそうに、更には恥ずかしそうに目を伏せる。「実は、その……恥を忍んでお願い申し上げたいことがあります」

「……なんでしょうか」

 五島は恐る恐る聞き返した。

「もう、何十年も飲まず食わずなのであります。どうか、水を一杯いただけないものでありましょうか」

 五島は是とも否とも答えず、聞き返した。

「……君は一体誰だ」

 青年ははっとしたように目を剥き、背筋を伸ばして敬礼した。

「私は陸軍某部隊所属の勅使河原中尉であります」

「某部隊?」

 手を下ろした勅使河原中尉とやらは難しい顔で首を振った。

「申し訳なくあります。所属はお話しできないのであります」

「……君は何なんだ。雪が擦り抜けるのを見たぞ」

「私自身正確なところはよく把握しておりませんが、おそらく幽霊の類ではないかと思われます」

「じゃ、じゃあ、君は死人なのか……」

 五島は目を瞬かせた。自分の頭がおかしくなったのか、本当に怪異に遭遇しているのか、彼には判然としなかった。彼は、日本兵の幽霊なら夏に出るべきだ、と心のどこかでピントのずれた悪態をついた。あまりにもおかしな事態を前に頭がまともに働かなかった。

「はい。私は……南洋の戦闘に参加し、武運及ばず落命に至ったものであります」

「……わかりました」相手を日本兵の霊――英霊――と仮に認めることにし、五島は口調を丁寧なものに替えた。「とりあえず上がってください」

「ありがとうございます、失礼します!」

 中尉は破顔し、長靴を脱いで縁側に上り、そのまま窓を擦り抜けて居間に入ってきた。悪夢のような光景に五島は呻いた。

 中尉は背筋を伸ばして五島の前に立った。

 五島は対面に座布団を敷き、腰を下ろすよう勧めた。

「ええと、どうぞ、お掛けください」

「失礼します」

 中尉は音もなく正座し、五島と正対した。

「空腹なんですよね」

「はい。でありますから、厚かましいお願いではありますが、水の一杯もいただければ、と……」

 五島は多少冷静さを回復していた。彼はとにかく落ち着くための時間が必要であることを理解していたため、それをなんとか稼ぎ出そうと試みる。

「冷凍のご飯でよければ今から温めますよ。よかったら、塩鮭も焼きますが」

「よろしいのでありますか!」

 中尉が目を見開いた。

 食いつきように驚いて少し身を引き気味にしつつ、五島は勉めて平静な態度で応じる。

「ええ、少し待っていてもらえるんでしたら」

「待ちます。いくらでも待ちます!」声を弾ませてから、恥ずかしげに苦笑した。「失礼しました」

「いえいえ」と答え、五島は台所に向かった。


 五島が食事と茶を持って居間に戻ると、中尉は正座したまま興味深そうに本棚を眺めていたが、五島が戻ったことに気づくとさっと姿勢を正した。

 中尉の前に湯気の立つ食事を置いてやりながら、五島は問いかけた。

「本棚を見ていたようですが、何か興味のある本でも?」

 五島は大分落ち着きを取り戻しており、ほとんど普段通りにふるまえるようにさえなっていた。彼は物書きが旧軍の「生存者」に抱く好奇心に従っているのであった。

 涎を垂らさんばかりの熱い視線を食卓に注いでいた中尉が慌てて顔を上げた。

「あ、いえ、兵学の専門的な本が多いようにお見受けしたもので、もしや予備役の方なのではないかと」

 現役と言わなかった理由は察しがついた。五島がまるで軍人らしく見えないからであろう。

「生憎と違いますよ。私は……」戦地で命を落とした軍人に告げるのが躊躇われ、一拍、言い淀んだ。「私は、まあ、物書きでして、戦記小説を書いているんです……主に、第二次世界大戦――大東亜戦争やヨーロッパ戦線のことを今は総称してそう呼びます――を題材にして」

「作家先生でいらっしゃいましたか!」

 中尉の眼差しに深い敬意の光が点るのを見て、五島は慌てて手を振って否定した。

「そんな、先生なんて大したもんじゃありません。娯楽小説ばかり書いている三文文士ですよ」

「それでも、私はあなたを先生と呼びたくあります。その、私は学生時代、鴎外や漱石のような大文豪になりたいと志していたものでありまして……近所に住んでおられた先生の御宅に押しかけて弟子入りを願い、断られてしまったこともありました」

 恥ずかしげに目を逸らす中尉を眺め、戦争をおもしろおかしく描き、食い物としてきた五島は胸中に鋭い痛みを覚えた。時代と年齢を考えるに、勅使河原中尉は学徒出陣組なのであろう。気の遠くなるほど多くの血肉の通った人間が夢や人生を断たれた戦いをメシの種にすることの罪深さ、そしてその夢も人生も失った人間に純粋な敬意を向けられる居心地の悪さに五島は目を伏せた。

「そ、そうだったんですか……」

 ようやく、絞り出した言葉に中身などなかった。

 中尉は五島の懊悩も何もかも見透かした上でそれを赦すかのように、穏やかな微笑を浮かべた。

「はい。先生のお名前は何と仰るのでありますか」

 僅かな躊躇いののち、彼は筆名だけでなく本名も答えようと決めた。

「五島雄一と言います。五島一雄の筆名を使っています」気まずさから、五島は露骨に話題を替えた。「……あまり話してばかりいても、ご飯が冷めてしまいますね。話は食事の後にしませんか」

「これは気づかず、失礼致しました。ご相伴に与らせていただきます、五島先生」

 中尉は会釈し、食事に手をつけた。物を擦り抜ける体で一体どうやって食事をするのか、と五島は今更ながらに気になった。本人が望むので出したが、少し考えたほうがよかったかもしれない、と彼は思った。

 だが心配は杞憂だった。中尉の手が箸を擦り抜けたかと思うと、食卓に置かれた箸はそのままに、手の中にも寸分違わぬ同じものが取り上げられていた。死者は供物の中身だけを持っていくと言われるが、それはこういった形で為されるようであった。五島は目を疑うような光景をまじまじと見つめた。

 中尉は同じようにして茶碗を手に取ると、実に美味そうに冷凍と解凍を経て味の落ちた飯を掻き込み始める。鮭をほぐして口に放り込んだ時など、とんでもない贅沢をしているかのように頬を綻ばせた。

 今の日本であればむしろ侘しいとすら思われるこの程度の食事を嬉しそうに頬張る青年将校を眺め、五島はいたたまれなくなった。或いは中尉はガダルカナルにでもいたのかもしれない。そうした人々の苦闘を切り売りすることがどれほど恥ずべきことなのか、中尉の一挙一動を見るたびに、五島は痛感させられた。

 不意に中尉が手を止め、恥ずかしそうに苦笑した。五島が眺めていることに気づいたらしい。

「先生、先生もどうぞ私のことは気になさらず召し上がってください」

「あ、いや、これは不躾な真似を……」

 もごもごと謝罪の言葉を口にし、五島も食事に戻った。


 無言の食事が終わった。

「ごちそうさまでした」中尉は静かに手を合わせた。「私のような無礼者をこのように歓待していただいたこと、誠に感謝に堪えません。しかしながら、恐縮でありますが、私の如き無学者にはふさわしい感謝の言葉をお返しすることすら叶いません。どうかお赦しください」

 そして後ろに下がると、畳に額がつきそうなほど深々と頭を垂れた。それは半ば土下座のようですらあった。

「そんな……大したことじゃありません。頭を上げてください」

 五島は悲鳴にも似た声を上げた。再度声をかけてようやく中尉に顔を上げさせることに成功すると、彼は二人分の食器を下げるため、逃げるようにそそくさと台所に引っ込んだ。自身の分は流しに、中尉の分はラップをかけて「お下がり」として冷蔵庫に、それぞれ片付けた。

 居間に戻ると、中尉は正座したまま律儀に待っていた。

 五島は無言で対面に正座し、ずっと心の中に抱え込んでいた疑問を口に出すべきかどうか思案した。

 中尉が沈黙を破った。

「先生。先生は何か私にご質問がおありなのではありませんか」

 虚を衝かれた五島は口籠もった。歴史の証人に対し、訊きたいことはいくらでもあった。だが、そうすることはどうしてもためらわれた。

 彼は書物で戦争を調べた作家である。戦争経験者に聞き取り取材をしたことなど一度もない。

 今ならば、自分がそうした取材をしなかった理由がわかる。無自覚な罪悪感を直視するのを避けるため、慈悲深く、それでいて残酷な無意識が彼の意識をそこから逸らしていたのである。

 中尉が再度促す。

「私は何か先生のお役に立ちたいのであります。物を書くなど叶わぬ身でありますから、せめてどなたかの著作をお手伝いしたく思うのであります。どうぞ、いかなるものであろうと、ご遠慮なく」

 五島はじっと中尉を見つめた。中尉は目を逸らさず、知性と勇気に溢れた涼やかなまなざしを返した。五島は難しい顔で唸り、意を決した。

「では、一つだけ……」

「一つでよろしいのでありますか」中尉は拍子抜けしたようであった。「戦記を書いておられるのでありましたら――どうか自惚れとお笑いにならないでください――私の見聞きしたことはきっと先生のお役に立つと思われますよ。これでも大層な修羅場を潜っております」

「……それはその通りです。ですが……」五島は俯いた。「私にはそれをお聞きする資格がありません」

「資格、でありますか」

「資格です。もう言いましたが、私は娯楽作家です。あなた達が命を賭けた戦い、あなた達の苦しみや悲しみをおもしろおかしく書き立てて、それを商業主義の出版社に切り売りして小遣い稼ぎをしている人間です。もし何かお知らせ願えるのでしたら、私の知人で、もっとましなものを書いている者を紹介しますので……」

「五島先生」

 中尉が力強さと鋭さに満ちたまなざしを五島に向けた。若者とはいえ実際に部下を率いて戦った将校の眼力に気圧され、五島は知らず知らず、丸まりかけていた背筋を伸ばしていた。

「は、はい」

「先生は、我々を辱めるために物を書いておられるのでありますか」

「そ、そんなつもりはありません!」五島は顔を真っ赤にして声を高めた。「それだけは、それだけは、たとえ誰に何を言われようとできません! 本当です!」

 そこは五島としても譲れないところだった。彼はあらゆる軍人――日本兵のみならず、ドイツ兵は勿論のこと、イタリア兵、アメリカ兵、イギリス兵、赤軍兵、更には中国兵までも――に敬意を抱いている。主義主張や目的はどうあれ、彼らは何事かのために命を賭けて戦ったのである。そのこと自体に対し、まず等しく敬意を払うべきであろうと彼は思っている。樋口季一郎や山崎保代、フォン・マンシュタインやグデーリアン、ジューコフ、パットンやアイゼンハワーのような名将や舩坂弘やヘイヘ、ザイチェフ、サダオ・ムネモリのような英雄的兵士、更に彼らの陰で戦った有名無名の英雄達だけではない。牟田口廉也の如き愚将や辻政信の如き三ボウも、ディルレヴァンガーの如きごろつきも、何事かのためにそれぞれの戦場を戦った点だけは認めて評価してやりたかった。東條英機やヒトラー、ムッソリーニ、アントネスクといった指導者達も、それぞれの思想信条や戦略環境に縛られながら指導者としての責任に耐えて精一杯の決断を下したのであろうこと自体は、その是非以前の問題として認めてやりたかった。五島にとって称讃と非難は全てその後の問題であった。

 中尉は五島の答えに微笑んだ。

「それでありましたら、何を恥じることがありましょうか。講談も小説も、つまるところはそういうものではありませんか。辱めず、しかし面白く。そういうものでありましょう」

「それは、そうですが……」

「胸をお張りなさい、先生」中尉は優しく言った。「あなたは立派な作家であります。私が請け合って差し上げます。ですから、どうぞ、胸を張って我々のことを文章にして残してください。我々は……」中尉の声が悲痛な響きを帯びた。「我々は、忘れられたくないのであります。どうか、我々のことを忘れないでください。最早人々に語ることのできない我々に代わって、我々のことを先生の筆で書き残してください。我々が――たとえ個人のきちんとした記録ではないのだとしても――確かに我々のような者がいたのであると、我々の戦いはこれこれのものであったのだと、千年ののちまで伝えてください。そのために必要とあらば、胸にしまっておくべき秘密以外は、何事であれお伝えしましょう」

 中尉の懇願が鉄塊のように五島の全身にのしかかった。眩暈すら伴う息苦しさに彼は喘いだ。

「む、無理です……私には……そこまでのことは……」

「後生であります、先生。男子たる者がこうもお願い申し上げているのであります。男子が面目を捨ててお願い申し上げているのであります。気持ち良く聞き届けてやるのが日本男児の心意気というものではありませんか。五島先生、何とぞ、何とぞ、お慈悲を!」

 跪かんばかりの勢いで詰め寄る中尉に、五島は屈した。自分の今後の人生を決定づけかねない重大な言葉を口にしようとしていることに気づきながら、彼は中尉に答えた。

「……努力はします。千年残る名作を書き上げるべく、努力します」悔恨の滲む声で続ける。「今はこれで赦してください」

「ありがとうございます。ありがとうございます、先生!」

 中尉の涼やかな眼に涙が滲んだ。五島は深呼吸の後、更に言葉を継いだ。

「……ですから、戦争のお話は、私がふさわしい作家となったときに聞かせてください」

「わかりました。そのときは是非私をお呼びつけください。勅使河原中尉、出頭せよ、とお命じくだされば、どこにいようとも駆けつけましょう」

「……ありがとうございます。その折には頼らせてもらいます」

 五島は深く頭を下げた。

「頭をお上げください、先生。ご無理を申し上げているのは私なのでありますから」

 再三の求めに五島が顔を上げると、中尉は静かに訊ねた。

「ところで先生、先生は何かご質問がおありのことと記憶しておりますが」

「あ、はい……いいでしょうか」

「どうぞ」

「その、勅使河原中尉。あなたは……今の日本をどう思いますか」

 意味を量りかねた様子で中尉が眉を顰めた。

「どう、とは?」

「ええと……素晴らしいとか、くだらないとか……なんでもいいんです」

 中尉は顎に手を当てて首を傾げた。目を固く瞑り、深く考え込んでいる様子である。

 五島は返答を急かさなかった。じっと青年将校が口を開くのを待った。

 たっぷり五分ほども沈黙が流れた後、中尉はようやく口を開いた。

「いろいろと見聞きした上で、思うところがないではありませんが」と前置きしてから、しみじみとした声音で答える。「良い時代であると思いました。焼夷弾の焼け跡など見当たらない、一億の民が暮らす立派な街並み。友人と笑い合う学生。英米人と酒を酌み交わす若者。睦まじく共に過ごす家族。本人の意思で歩む道や連れ合いを選べる自由な在り方。皆、とてもすばらしい。誰も戦地に行かなくてよいのであります。殺す必要も、殺される必要もないのであります。戦火に怯えることなく……攻めることも守ることもなく、安楽に過ごせるのであります。実にすばらしいことではありませんか。我々は残念ながらこの通りの身となりましたが、我々が守ろうとした御国がかくも立派な姿を見せるに至ったことは、喜ばしい限りであります。我々の戦いがこの発展に何某か資するところがあったならば、男子として望外の幸福、至上の応報であります」

 中尉の答え、その着眼点に、五島は目頭が熱くなるのを覚えた。それは五島のような現代人からすれば、厳密な意味では理解不能であり、しかも憐憫の情を誘われる視点であった。どれも当たり前のことなのである。

「与太者じみた若者や不真面目でだらしのない人々を見かけることは残念ではあります。しかしながら、それは時代の常というものであります。私が生きた時代にも、与太者や不良学生はたくさんおりました。不況も同じであります。景気というものは絶えず巡るものであります。人と人の繋がりが薄くなったことも時代の趨勢でありましょうし、それでも、どれほど薄く細くなったとしても、決して途絶えたわけではないことを私は信じるものであります」表情が曇った。「ただ……」

「……ただ?」

「我々が不甲斐無いばかりに、後輩達につらい思いをさせていることが、情けなく……申し訳なく……」

「後輩というと……自衛隊、ですか」

 中尉は頷き、毅然たる態度で思いの丈を告げた。

「我々はよいのであります。我々は敗軍であります。責めは負わねばなりますまい。憶えのない罪を責められては困りますが、贖わねばならぬ罪は、いかほどに責められようと当然のことであります。それほどまでに敗戦の罪は重くあります。我々は信じて応援してくださった銃後の皆様に顔向けできぬ身であります。しかしながら、できれば責めるのは我々士官のみとし、下士官兵はただ、お前達はよく頑張ってくれたな、と労ってやっていただきたくあります。我々の後輩を責め立て、詰り、蔑むが如きは到底承服しかねるものであります。彼らは御国のために志願し、有事のために紀律正しく猛訓練に励んでいるのであります。その彼らを、立派な彼らを、情けない我々のために不当に貶めるが如きは、どうかおやめいただきたく思う次第であります。彼らには何の責任もないのであります。先生ならばおわかりでしょう」

 五島は絶句した。言葉を返すことができず、ただ視界が滲む中で何度も頷くばかりだった。

 勅使河原中尉は温かみのある笑顔でその様子を眺めていた。

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[一言] 泣けてきました。 ありがとうございました。
2014/02/06 19:11 退会済み
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