第一話 「暫」
「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」
夜の山道を一人の女が、よたよたと力無く歩いている。女は白く立派な羽織を身に纏っているが、背中には矢が二本刺さっており、白い羽織を真っ赤に染めている。
「きゃは」
女の手には幼い男の子が抱かれており、そんな状況とはつゆ知らず、無邪気に笑っている。女は我が子に微笑みかけ、ゆっくりと歩を進めていく。
すると、女は険しい山道に足を取られ、前方に倒れる。女は、子を庇って横向きに倒れた為、背中の矢が地面に押され、痛みで顔を歪める。
「かあか?」
男の子が心配そうに女の顔を見つめる。
すると女が、自分たちの前方からする足音に気がつく。女は着物の裾に我が子を隠し、じっと息を殺す。しかしその足音は、どんどんとこちらに近づいて来る。女は逃げるどころか、顔を上げる体力も残っておらず、ただ強く我が子を抱きしめている。やがて足音は、女達の前で立ち止まる。
「・・・あんた、この辺の人じゃねぇな」
足音の主の声を聞き、女の全身の力が一気に抜ける。女の前にいるのは一人の少年で、上背もあり大人びてはいるが、敵意が全く無いことを女は感じ取り、安堵の表情を浮かべている。
「・・・ええ。・・・ここから遥か西より参りました」
女が答える。少年は眉を顰める。
「・・・私はこのように、もう助かりません。・・・どなたか存じませんが、どうかこの子をお助けてください・・・」
女が裾を捲り、我が子を少年に見せる。少年は驚き、目を見開く。女の裾から顔を出した幼い男の子は、不思議そうに少年を見つめている。
すると、山の下の方から男達の喧騒と、刀同士がぶつかり合う甲高い音が聞こえてくる。
「さあ早く!」
女が、我が子を少年に差し出す。少年は戸惑うも、段々と大きくなってくる喧騒を聞き、幼い男の子を母親から受け取り、慣れた手つきで抱きかかえる。それを見た母親は安心し、緊張の糸が切れたようにボロボロと涙を流して、我が子を見つめる。
「・・・最後まで守ってあげられなくて、・・・ごめんね。・・・強く、生きてね。・・・かあかはいつまでも、そばにいます・・・」
母親は我が子の頬を撫で、涙を浮かべたまま微笑む。男の子は不思議そうに母親を見ている。
「・・・もう行く」
少年は、母親にそう言って立ち上がる。
「・・・ありがとう。・・・お願いします」
母親の言葉を聞くと、少年は男の子を抱え、足早にその場を去る。
「かあか! かあか!」
幼い男の子が少年の肩越しに、遠くなっていく母親に手を伸ばす。気丈に微笑む母親の姿は、次第に夜の闇の中へ消えていく。
*
明る朝、山奥にある古寺の縁側で、すやすやと眠る幼い男の子を、寺の和尚が見つける。しかしこの和尚、和尚と呼ぶにはあまりに荒々しく、酒瓢箪を片手に、常に顔を真っ赤にしている。また口元まで垂れる程の長い鼻で、その風貌から、「天狗ジジイ」の愛称で町人から親しまれている。
「おいガキ! 起きねェか! 人の家で勝手に寝よって、どこの誰だてめェは!」
天狗ジジイの大声で、男の子が飛び上がる。顔を上げるとそこには、ただでさえ恐ろしい風貌のジジイが、更に顰めっ面をして立っている。
「ぎゃあああああ!!!!」
当然、男の子は大泣きしてしまう。しかし、当然でないのがその声量である。幼い子どものそれではなく、まるで獣の咆哮のような声量に、天狗ジジイはおろか森の動物達も飛び上がっている。両手で耳を塞ぐ天狗ジジイが、子どもの様子を見て再び驚く。なんと子どもの口からは牙が生え、手足の爪が伸び、体中の筋肉が盛り上がっている。そして顔には、隈取のような赤い模様が浮かび上がっている。
「こいつは・・・!」
異形の姿になった子どもは完全に自我を失っており、白目を剥いたままジジイに飛び掛かる。天狗ジジイは両手で止めるも、牙を剥き出しに物凄い力で向かって来る為、すかさず子どもの後ろ首に手刀を入れ、気絶させる。
「・・・このガキ、“神通力“を・・・」
しばらく思案したジジイは、気を失い元の姿に戻った子どもを抱え、寺の中へ入る。
*
幼い男子が目を覚まし起き上がると、つぎはぎだらけのボロ布団を掛けられており、側では天狗ジジイが胡座をかいて居眠りしている。男の子は驚くも、いびきをかいて眠っているジジイを観察する。しばらくすると、好奇心から布団を這い出て、ジジイに近づき長い鼻を指でつつく。中々起きる様子がないので、今度は鼻を握りグイッと引っ張る。
「いだアァ!!」
天狗ジジイが飛び上がる。
「ン何しやがんだァ! このくそガキィ!」
ジジイに怒鳴られ、男の子は今にも泣きそうになる。
「ま、待てェ! 泣くなァ! くそっ、こうなったら・・・」
「きゃははは」
男の子がジジイの膝の上で寝転がり、髭や鼻を引っ張って遊んでいる。幼い男の子は楽しそうだが、今度はジジイが泣きそうになっている。
「子守なんて何十年ぶりだ。・・・だからガキは嫌いなんだ。いだだァァァ!」
されるがままの天狗ジジイの悲鳴を聞き、森中の動物達が集まって、寺の中を覗いている。森の動物達は、普段からこの古寺を出入りしており、ここを寝床にしている動物までいる。この天狗ジジイ、何故か動物達に好かれるようである。
「・・・ったく、よりによって訳ありのガキとは。いだだ! ・・・全く面倒だぜ。いで! ・・・お前、名はあるのか?」
天狗ジジイの問いかけを無視して、男の子はジジイの長い髭を引っ張って遊んでいる。
「いでで! ・・・ではわしが名付けよう。・・・今日からお前の名は、“しゃらく“だ!」
*
それから十数年後、世は戦国の時代となり、各地で戦が巻き起こっていた。それは古寺のある山の麓でも然り、麓のとある農村は、戦火で何もかも焼かれ、荒れ果てている。
「待てぇ!」
焼け焦げた家屋の間を、幼い兄妹が手を繋いで駆けていく。その後ろから、侍三人が声を荒げ、甲冑をガチャガチャと鳴らしながら、追いかけている。
すると幼い妹が躓き、バタリと転んでしまう。幼い兄は妹起こそうとするも、その間に侍達に追いつかれてしまう。
「こらガキぃ! 侍様の食いもんを盗むとは、いい度胸だなぁ!?」
侍の一人が、幼い兄の髪を掴んで引き上げる。幼い兄妹は身なりもボロボロで、体も痩せこけてしまっている。
「おにいちゃん!」
幼い妹が兄を助けようと、兄の髪を掴む侍の手に、掴み掛かる。すると侍が、幼い妹を容赦なく蹴り飛ばし、幼い妹は地面に蹲る。
「やめろぉ!」
それを見た幼い兄が、自分の髪を掴む侍の手に、爪を立てて引っ掻く。
「いでぇ! こんのくそガキぃ!!」
バキィッ!! 手を引っ掻かれた侍が、幼い兄を殴り飛ばす。兄は吹き飛ばされる。するとお兄の懐から、笹の葉に包まれた握り飯二つが転がり出る。
「けっ! やっぱりこいつら盗んでやがった!」
すると幼い兄は、そのまま幼い妹の元へ這っていき、妹を庇うように、蹲る妹の上に乗る。
「このガキ・・・! よっぽど死にてぇらしいなぁ!」
手を引っ掻かれた侍が激昂し、腰の刀を抜く。すると、ぎゅるるると兄妹の腹が鳴る。
「ぎゃははは! 腹の虫が、はいって返事してるぜ!」
他の二人の侍達が、その様子を見て笑う。
「じゃあ望み通り殺してやるよ!」
刀を抜いた侍が、幼い兄妹に刀を振り上げる。兄妹が思わず目を瞑る。
「しィばァらァくゥゥァ!!!」
ドオォォン!!! 突如、何処からともなく一人の男が現れ、刀を振り上げた侍の脇腹に、飛び蹴りを入れる。あまりの事に、残りの侍二人と幼い兄妹が、目をまん丸くしている。蹴り飛ばされた侍は、綺麗な弧を描き、地面に叩きつけられる。侍の脇腹の甲冑には穴が開き、侍自身も白目を剥いてのびている。
「・・・だ、誰だてめぇはァ!?」
残りの侍二人が、刀を抜いて構える。幼い兄妹も、突如として現れた男の方を見上げる。男は、真っ赤な羽織を身に纏い、羽織に見劣りせぬ派手な髪型をしている。
「おれは“しゃらく“! なんだか知らねェが、こいつらを助けるぜ!」
男はそう言うと、幼い兄妹の前に立ち、刀を構える侍二人と相対する。
「・・・けっ! 英雄気取りか! ならてめぇから殺してやるよ!」
侍二人が向かってくる。
すると、男の様子が変わる。男の顔に、隈取のような赤い模様が浮かび上がり、身体中の筋肉が盛り上がり、爪や牙が伸びている。
「・・・貴様は一体・・・!?」
男の異様な姿に、侍達が怯む。
「さァ、かかって来いよ」
男がニヤリと笑い、指を動かして侍達を挑発する。
「こ、この野郎ォォ!!」
挑発に乗った侍達が、再び男に斬りかかる。すると、男は腰を落とし、両の腕を後ろに引く。
「“虎猫鼓“ォォ!!」
ドオォォォン!!! 男が、後ろに引いた両腕で掌底を繰り出し、二人の侍は後方へ吹き飛ばされる。強烈な一撃により、侍の威厳とも言える甲冑、刀は見事砕け散り、その破片がキラキラと空を舞う。
「・・・すげぇ・・・!」
それを見た幼い兄妹が、口をあんぐりと開けている。遠くの地面に叩きつけられた侍達は白目を剥いている。
ぎゅるるる! すると、幼い兄妹の前に立つ男の腹が鳴る。
「わっはっは! 運動したら腹減ったぜ」
男はそう言うと、後ろを振り返り、幼い兄妹の前にしゃがみ込む。
「なァお前ら、飯屋に連れてってくんねェか?」
男がニコリと笑う。それを見た幼い兄妹は顔を見合わせ、満面の笑みで首を縦に振る。
男は妹を肩に乗せ、兄に手を取られながら、荒れ果てた村を行く。この男が、後に戦国の世を揺るがす、“天下の傾奇者“として後世に語り継がれるのは、まだ先の物語。
完




