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第6回:逆転の「虚偽告訴」への対抗策



 月曜日の朝。オフィスに出勤した瞬間に感じたのは、刺すような「視線」の雨だった。


 これまで僕に向けられていたのは、同僚たちの「羨望」や「揶揄」だった。だが今日、そこに混じっているのは、明確な「嫌悪」と「侮蔑」だ。


 自分のデスクに座る前に、内線が鳴った。


「佐竹くん。……至急、第2応接室へ来てくれ。大山部長からだ」


 佐藤先輩の声は低く、どこか突き放すような冷たさがあった。


 応接室に入ると、そこには人事部長の大山と、会社の顧問弁護士だという厳しい表情の男性が座っていた。机の上には、一通の封筒と、プリントアウトされた数枚の画像が置かれている。


「佐竹くん、これについて説明してもらおうか」


 大山が突き出した画像を見て、僕は思わず失笑しそうになった。


 そこには、薄暗いホテルの廊下のような場所で、僕が「謎の美女」――昨日メッセージを寄越してきたあの女――の腕を強引に掴み、無理やり部屋に連れ込もうとしているように見える姿が映っていた。


「……本日未明、全社員宛ての匿名メールでこれが一斉送信された。それだけじゃない。この女性……自称、ユナさんは、君から継続的な性的暴行と脅迫を受けているとして、会社に被害届を出すと連絡してきている」


「性的暴行、ですか。随分と古典的な『プランB』ですね」


 僕が冷静に言い放つと、顧問弁護士が鋭い視線を向けた。


「佐竹くん、これは冗談では済まない。もしこれが事実なら、懲戒解雇はもちろん、刑事事件だ。君に反論の余地はあるのか?」


「反論、というよりは『検証』ですね。大山部長、その写真、僕の利き手を確認してください」


 僕は自分の右手を掲げた。


「写真の僕は、左手で彼女の腕を掴んでいます。ですが、僕は極度の右利きです。強引に人を引きずるような動作を、不得手な左手で行うのは不自然です。さらに、この写真の僕が着ているジャケット。……それ、先週クリーニングに出していて、手元になかったはずなんです。こちらに預かり証があります」


 僕は財布からクリーニング店のレシートを取り出した。


「そして何より、この画像、影の落ち方がおかしい。ホテルの廊下ならダウンライトのはずですが、僕の影だけが横に伸びている。典型的な『ディープフェイク』、あるいは精巧な合成写真です」


 大山と弁護士が顔を見合わせる。僕は間髪入れずに、鞄からノートパソコンを取り出した。


「僕が『ハーレム属性』とかいうふざけた現象に巻き込まれてから、自分の身を守るために二十四時間体制で『ライフログ』を取っています。Googleタイムラインによる位置情報履歴、Apple Watchによる心拍数と活動記録、そして――」


 僕はパソコンの画面を彼らに向けた。


「僕のスマホのインカメラで一分おきに自動撮影される『周囲の状況ログ』です。この写真の撮影時刻とされる昨夜の午後十一時、僕は自宅で木島弁護士とウェブ会議をしていました。その録画データも、木島の事務所のサーバーにタイムスタンプ付きで保存されています」


 沈黙が応接室を支配した。


 物語の世界なら、捏造された写真一枚で「お前のような男はクビだ!」と叫ばれ、雨の中で途方に暮れるのがテンプレートだろう。だが、デジタルフォレンジックが発達した現代日本において、杜撰な捏造は「虚偽」を証明するための最高の材料にしかならない。


「佐竹くん……君は、ここまで準備していたのか?」


「備えなければ、今頃僕は社会的に死んでいたでしょう。大山部長、これでも僕が『加害者』に見えますか? むしろ、この画像を全社員に送信した行為こそが、刑法第二百三十条『名誉毀損罪』、および刑法第二百三十三条『業務妨害罪』に該当します。会社としても、送信元のIPアドレスを特定し、法的措置を取るべきではありませんか?」


 僕が問い詰めると、大山は力なく頷いた。


「……わかった。この件は一旦、我々で預かる。君に対する疑いは晴れた。だが、社員の動揺を抑えるために、今日は早退してくれないか」


「承知しました。ただし、リカさんのICカードとPCのログも洗ってください。彼女、昨夜のメール送信の直前に、不自然な残業をしていたはずですから」


 僕は一礼して応接室を出た。


 廊下を歩いていると、スマホが震えた。

 見知らぬ番号からの着信。僕は迷わず、録音ボタンを押してから通話に出た。


『――もしもし、佐竹さん? 私、ユナです』


 謎の美女の声。だが、そのトーンは昨日までの余裕を失い、どこか切羽詰まった響きがあった。


「ユナさん。虚偽告訴罪の法定刑はご存知ですか? 三ヶ月以上十年以下の懲役ですよ」


『……なんのこと? 私はただ、あなたに振り向いてほしかっただけ。ねえ、今すぐあの写真の内容を「真実だ」って認めて? そうすれば、私は被害届を取り下げてあげる。会社にも「あれは痴話喧嘩だった」って言ってあげるから』


「それは『強要罪』ですね。僕を脅して、真実でないことを認めさせようとしている」


『違う! これは愛なの! あなたを私のものにするための、唯一の方法なの! 周りの女たちも、みんなあなたのことを狙ってる。でも、私があなたを「犯罪者」にしてしまえば、誰もあなたに近づかなくなるでしょ? そうすれば、あなたには私しかいなくなる……ねえ、素敵だと思わない?』


「……狂っていますね。その思考回路自体が、裁判所から見れば『再犯の恐れあり』と判断される材料になります。今の会話、すべて録音しました。木島に提出します」


『あはは……。録音? そんなの、私が「脅されて言わされた」って言えばいいだけだよ。法なんて、いくらでもひっくり返せる。……ねえ、流星さん。今、どこにいるの? 会社、早退したんでしょ?』


 背筋に冷たいものが走った。


「どうしてそれを」


『見てるもん。ずっと見てる。……警察も、弁護士も、あなたの隣にはいてくれない。でも、私はあなたの影の中にだっているんだから』


 電話が切れた。


 僕は周囲を見回したが、そこには忙しなく動く社員たちの姿しかない。

 だが、その中の誰かが、僕の情報を「管理者」に流している。


 僕は逃げるように会社を後にした。

 タクシーを拾い、あえて自宅とは逆方向へ向かわせる。

 途中の大型ショッピングモールで降り、複雑な経路を通って地下鉄に乗り換えた。

 「尾行」を撒くための、古典的ながらも有効な手段だ。


 夕暮れ時。

 ようやくたどり着いたアパートの前で、僕は息を整えた。

 禁止命令が出ているはずの星野麻耶の姿はない。結城花はまだ拘留されているはずだ。


 だが、部屋の前に立った瞬間、僕は異変に気づいた。


 ――ドアの鍵穴の周りに、細かい「金属の屑」が落ちている。


 誰かが、鍵をこじ開けようとした形跡。

 あるいは、もう開けられた後か。


 僕はドアノブに触れるのをやめ、一歩下がった。

 その時。


 カチャリ、という小さな音が、内側から聞こえた。


 ゆっくりと、ドアが開いていく。

 そこには、誰もいないはずの僕の部屋の暗がりに、ぼんやりと光るスマホの画面を見つめる影があった。


「おかえりなさい。流星先輩」


 聞き慣れた、甘ったるい声。

 会社にいるはずのリカが、僕のベッドの上に座って微笑んでいた。

 彼女の手には、僕が隠しておいたはずの「予備の合鍵」が握られていた。


「リカさん……。君は今、住居侵入罪を犯している自覚があるか?」


「ええ。でも、いいんです。先輩が会社でひどい目に遭ってるって聞いたから、私、心配で……。ここで、先輩と一緒に『証拠』を消してあげようと思って。木島さんのサーバーとかいうやつ、私のハッキングでなんとかなるかもしれませんし」


 彼女はスマホを操作し、僕に画面を見せた。

 そこには、木島の事務所のサーバーへアクセスを試みる、不正なログイン画面が表示されていた。


「君……本当に、何をしてるんだ」


「愛ですよ。法よりも、正義よりも、ずっと強い愛。……さあ、先輩。鍵を閉めて? 今夜は、誰も邪魔させませんから」


 背後で、廊下の照明が消えた。

 暗闇の中、彼女の瞳だけが、獲物を狙う獣のようにギラリと光った。


 僕は震える指で、ポシェットの中に隠し持っていた「スタンガン」ではなく、防犯ブザーと直通通報アプリを起動した。


 現代の騎士は、剣を持たない。

 代わりに、リアルタイムで警察へ送信される「ライブ映像」を武器にする。


「……リカさん。君のその言葉、世界中に生配信されてるよ」


 僕がスマホを掲げた瞬間、リカの顔から色が消えた。


 

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