27話
白い。
目を開けた瞬間、
俺はそう思った。
天井も、壁も、床も。
無駄な装飾のない、徹底的に管理された白。
【位置:国家管理区画・観測室】
……表示は出ない。
だが、なぜか“分かる”。
ここは、
人が人を「数」で扱う場所だ。
「起きたか」
声は、背後からだった。
振り返らなくても分かる。
足音がない。
気配が薄すぎる。
「……あんたか」
黒い外套の男。
顔は、やはり曖昧だ。
だが、
もう“敵”だとは思わなかった。
「観測者、でいいか?」
男は、わずかに首を傾けた。
「名前は意味を持たない」
「だが……そう呼ぶのは構わない」
椅子が、音もなく引かれる。
男は、俺の正面に座った。
向かい合う。
テーブルはない。
――闇カジノの“対面”と同じ構図だ。
「君は、勝った」
観測者が言う。
「因果補正を失い、感情を削り、それでも生き残った」
「上出来だ」
……褒めてるのか?
「それで?」
俺は聞く。
「次は何を賭けさせる?」
観測者は、
初めてはっきり笑った。
「その言い方」
「実にいい」
「君はもう、“客”じゃない」
「同じ卓に座る側だ」
……なるほど。
「じゃあ聞く」
俺は、感情のない声で言う。
「何がしたい?」
観測者は、少し考える素振りを見せてから答えた。
「観たい」
「世界が、どこまで壊れるかを」
……正直だな。
「前の世界で、俺は確率を扱っていた」
「期待値、統計、再現性」
「だがこの世界は違う」
「人が“選ぶ”限り、誤差が生まれる」
観測者の指が、
宙をなぞる。
見えない盤面。
「君はその誤差だ」
「しかも、悪質なタイプの」
「勝率が見えなくなっても進む」
「負け方を知っている」
闇カジノの匂い。
「……同業者か」
俺が言うと、
観測者は頷いた。
「そうだ」
「だから君を殺さなかった」
「殺すには、まだ“面白い”」
……最悪の理由だ。
「忠告しておこう」
観測者が、声を低くする。
「君はもう、戻れない」
「感情が戻ることも、能力が復活することもない」
「だが――」
一拍。
「君は、俺になれる」
その言葉は、
本来なら“恐怖”を呼ぶはずだった。
だが、
胸は動かない。
「興味ない」
俺は即答した。
「俺は胴元になりたいわけじゃない」
観測者の眉が、
初めて僅かに動いた。
「……なら、何だ?」
その問いに、
答えが出るまで、少し時間がかかった。
感情がないと、
“欲”を言語化するのが難しい。
「……取り戻す」
それだけ言った。
観測者は、
静かに笑った。
「誰を?」
俺は答えない。
答えなくても、
向こうは分かっている。
「いい」
観測者は立ち上がる。
「なら、次の卓は国家だ」
「君が奪い、俺が観る」
「生き残れたら――」
男は、
背中越しに言った。
「また会おう」
「賭けを知る者同士として」
白い部屋が、
ゆっくり歪む。
意識が、
現実へ引き戻される。
――その途中で。
俺は、気づいてしまった。
観測者との会話で、
一度も“エル”を思い出していなかったことに。
その事実が、
奇妙に引っかかった。
⸻
目を開けると、
医療区画だった。
金属音。
消毒の匂い。
【位置:国家管理区画・医療層】
ベッドの横に、
リィナが立っている。
顔が、
ひどく疲れている。
「……起きた?」
「ああ」
声は出る。
問題ない。
「エルは?」
……自然に出た言葉。
だが、胸は動かない。
リィナは、
一瞬だけ目を伏せた。
「……会える」
「でも……」
言葉が続かない。
それで十分だった。
俺は起き上がる。
身体は重い。
だが、支障はない。
隔壁が開く。
ガラス越しに、
一つのベッドが見えた。
そこに――
エルがいた。
拘束具。
紅晶固定器。
だが、
呼吸は安定している。
生きている。
「……エル」
呼びかける。
彼女の目が、
ゆっくりとこちらを向いた。
赤い。
だが、
そこに“揺れ”がない。
「……来たのね」
声は平坦。
「結果は?」
……結果。
俺は答えられなかった。
勝った。
生き残った。
情報を得た。
だが――
それを“結果”と呼んでいいのか。
「……勝ったよ」
そう言うと、
エルは、ほんの少しだけ頷いた。
「そう……なら、いい」
それだけ。
喜びも、
安堵も、
感謝もない。
ただの、
事実確認。
「……痛くないか?」
俺は聞いた。
聞く意味があるかも分からずに。
エルは、
首を横に振る。
「痛みは……ある」
「でも、意味はない」
……ああ。
これが、
代償の“完成形”か。
「……あなた」
エルが、俺を見る。
「次の卓、行くのよね」
「ああ」
即答だった。
彼女は、
それを聞いて、
少しだけ口角を上げた。
――でも、
それは笑顔じゃない。
「なら……」
エルは、
静かに言った。
「負けないで」
それだけ。
感情のない声。
それでも――
その言葉だけが、
俺の奥で引っかかった。
怒れない。
悲しめない。
でも、
“引っかかる”感覚だけが残っている。
リィナが、
震える声で言う。
「……助ける」
「今度は、絶対」
俺は、
エルから視線を外し、
白い天井を見上げた。
……分かった。
俺はもう、
戻らない。
戻れない。
でも――
賭けは、続けられる。
感情がなくても、
理由が薄れても。
引っかかりがある限り、
俺は卓を降りない。




