帰還
アッキム王国がリファロに降伏した三日後の昼下がり、ホーエイト山脈からの使者の訪問を受けたリンダホン山脈の竜たちは使者から伝えられたブノワームの死に衝撃を受け、同時にグチャルーツが死んだ事で両山脈間で進んでいた結婚話も無かった事にすると伝えられた。
グチャルーツとリンダホン山脈の若い竜、エプランテの結婚にリンダホン山脈の竜たちはあまり乗り気ではなく、ブノワームを始めとするホーエイト山脈の竜の強さに逆らえずに今回の結婚話も含めて様々な我慢を強いられていた。
このためリンダホン山脈の長でエプランテの父でもあるウィルバフはブノワームとグチャルーツが人間に殺された事に驚きこそしていたが悲しんではおらず、特に自分の父親を含む竜数体を百年程前に殺したブノワームの死は喜んですらいた。
もちろんウィルバフはこうした自分の感情は隠して使者を前に残念そうな表情を浮かべ、いくら強くても所詮は人間なのでリファロと名乗った人間が死ぬまでの数十年間は大人しくするというホーエイト山脈からの決定を伝えてから使者は帰っていった。
「……まさかあのじじいが殺されるとはな」
使者を見送った後ウィルバフは一族の竜全員にブノワームとグチャルーツが人間に殺された事を知らせ、その後一族の竜数体と今後について話し合っていた。
「わざわざここまで嘘をつきには来ないでしょうから本当なんでしょうけど信じられませんね」
「竜の尾を体で受け止めてその上転移魔法を連続で使用か。……これに加えてブノワーム様を殺せる魔法まで持っているとなると放っておくと人間たちを束ねて私たちに本格的に攻撃を仕掛けてくるのでは?」
ブノワームたちを殺した敵の放置が危険である事ぐらいはホーエイト山脈の竜たちも分かっているはずだとウィルバフは考えていた。
しかしホーエイト山脈の竜たちが報復ではなく放置を選んだという事は彼らが敵の強さを策などの小細工によるものではなく純粋なものだと認めている事で、無難な道を選ぶなら使者に伝えられた通り人間が寿命を迎えるまで放置するべきだとウィルバフは考えていた。
しかしこの百年余りの間、ホーエイト山脈の竜たちに見下されてきた事を考えると人間とは比べ物にならない行動範囲と知識を持つ竜の誰も聞いた事が無い魔法を使える人間の登場は好機になり得るかも知れないともウィルバフは考えていた。
街を襲った竜は殺すと宣言している。
何らかの手段で竜の行動を把握している。
性格・能力のどちらが原因かは分からないが竜に積極的に攻撃を仕掛けるわけではない。
使者から聞いた人間についての情報を思い出しながらウィルバフは今後自分たちがどう動くべきか考えながら他の竜たちとの話し合いを続け、しばらく話し合った後で危険を覚悟で正体不明の人間と接触を試みるべきという自分の考えを他の竜たちに伝えた。
「その人間と一度会ってみたいな」
「……ホーエイトの竜たちに逆らうという事ですか?」
竜は気位が高い種族なので事ある毎にホーエイト山脈の竜たちから見下されてきたリンダホンの竜たちは機会さえあればホーエイト山脈の竜たちに反撃したいと考えていた。
このためブノワームを殺した人間に会いたいとウィルバフが口にしただけで他の竜から過激な発言が飛び出し、そんな竜の気持ちを理解してウィルバフは苦笑した。
「滅多な事を言うな。聞いた事も無い魔法を使える相手に会って見識を深めたいと思っただけだ」
ウィルバフの含みのある笑みを前にして他の竜たちは全員がウィルバフの発言を言葉通りには受け取らず、そんな竜たちを前にウィルバフは建前を話し続けた。
「先程話に出たようにその人間が他の人間たちをまとめ上げて我々に本格的に攻撃を仕掛けてくる可能性もある。ホーエイトの竜たちが殺されるだけなら知った事ではないが何もしないで私たちまで巻き添えを受けてはたまったものではないからな。相手より先に行動に出なくては手遅れになる可能性がある」
「……場合によってはその人間と手を組むのですか?」
ホーエイト山脈の竜たちに一矢報いたいという気持ちはリンダホン山脈の竜全員が持っていたがそのために人間ごときと手を組むのでは本末転倒だと会議に参加していた全ての竜が考えた。
そして他の竜同様人間ごときと手を組むつもりなど全く無かったウィルバフは一族の竜の質問に苦笑しながら口を開いた。
「馬鹿を言え。どうして私たちが人間ごときと手を組まないといけない。それぐらいならホーエイトの連中に馬鹿にされていた方がましだ」
先程の報告の際、自分たちの意見を一切聞いてこなかった使者の態度を思い出してウィルバフは再び怒りを覚えながら話を続けた。
「話によるとその人間は妙な道具を持っているらしい。その人間の強さが道具によるものならその道具を奪い、それが無理でも由来ぐらいは知っておきたい。まあ、あまり欲張って犠牲を出しても馬鹿らしいからホーエイトの巻き添えを食らわない。これを最低限の目標にして先手は打っておきたいと思う。どうだろうか?」
ウィルバフの提案を受けて竜たちはホーエイト山脈の竜たちを出し抜く事と敵を数十年放置する事両方の危険性などについてしばらく考え、やがて話し合いに参加していた竜のほぼ全員がウィルバフの意見に賛成した。
「ありがとう。人間との接触はエプランテに任せるつもりだ」
いくら重要な案件とはいえ人間ごときを相手に竜の一族の長が直々に出る事は竜の常識上あり得なかったが、一般の竜が相手では敵を不快にさせる可能性があったので一族の長の末の子どもを接触役に選んだウィルバフの考えに異論は出なかった。
しかし仮にも竜のグチャルーツ相手の結婚すら嫌がっていたエプランテは人間相手に自分が動く事を嫌がるだろうなと会議に参加していたほとんどの竜が考え、同時に人間ごときと接触するために山の外での仕事をしないといけないエプランテに同情した。
「しかしどうやってその人間を探すのですか?」
「その人間はギルドの命であの馬鹿を殺したのだ。だったらエプランテにギルドまで行かせればあっちから顔を出すだろう」
敵が竜の動向をどこまで把握しているか分からず、敵の出方次第ではエプランテが殺される可能性があるなどこのウィルバフの計画にはいくつも不確定要素がありこの事はウィルバフも自覚していた。
しかし敵の居場所を知る手段が無い以上他に方法も無く、他に適任がいないとはいえ実の娘を死地に送る計画を立てたウィルバフは表情を硬くしながらやや強引に話し合いを終わらせた。
リファロに敗れた五日後、ベイガンが率いていたアッキム王国軍の兵士たちは途中で補給部隊とも合流してアルベール魔王国の首都、リキュアナを目視できる場所まで北上していた。
三日前に補給部隊と合流していたのでベイガンの部下だった兵士たちは体調こそ問題無かったが、補給部隊の持っていた魔導通信機で自国の敗北を知らされていたので一様に暗い表情をしていた。
リファロと最後に交渉した大臣たちからアッキム王国軍の全部隊に現在捕らえている魔族はそのまま住んでいた街に送るように指示が出され、魔族を殺す事はもちろん手を出す事も禁止されてこの指示に逆らった場合は命の保証はできないとまで言われていた。
魔族に手を出すなという命令に従わなかった兵士も初日にはいたのだが十分も経たない内に現れたリファロに殺されてしまい、次からは連帯責任にするとリファロに告げられた兵士たちは魔族に手を出すどころか食事を与える時以外は近づかないようになった。
そして出発時は大量に掲げられていたアッキム王国軍の国旗が一切掲げられていないリキュアナを見て兵士たちは辛うじて残っていた希望も捨て、そんな兵士たちの視界に魔族二百人程を従えたリファロの姿が入った。
「お疲れ様です。魔族のみなさんは今すぐこっちに引き渡して下さい。……一応言っておきますけど盗んだ宝石とかも全部引き渡して下さいね。ごまかそうとしても無駄なのでお互い不快な思いしたくなかったら妙な真似しないで下さい」
敵意こそ見せていなかったとはいえ十万人近い兵士たちを前にしてリファロの後ろにいた魔族の中には怯えた様な表情を浮かべている者もいたが、そんな魔族を見て勢いづける程の士気がアッキム王国軍の兵士たちには残っていなかったので魔族や盗難品の引き渡しは滞り無く進められた。
「街には入れませんけど外で休む分には構いません。でもその場合、二日以内に出発して下さいね?魔族のみなさんが怖がるので」
「ああ、……分かった」
自分を恐れている兵士たちが更に三時間程移動してから休むつもりである事をリファロは知っていたが一応兵士たちに休憩の許可を出し、足早にリキュアナを離れようとする兵士たちを見送った後、リファロは捕らわれていた魔族たちの受け入れの指揮を執っていたルドディスたちに視線を向けた。
現在リキュアナは戦闘の傷跡こそ残っていたが人間はリファロ以外誰もおらず、人間と共に自分たちを受け入れたルドディスにエルフの一人、ミルンが戸惑いながら声をかけた。
「あの、……私たちの国が人間に勝ったって本当なんですか?少し前から人間たちの態度が変わったので変だなとは思ってたんですけど……」
アッキム王国軍が負けた数時間後には捕らわれていた魔族たちの扱いが良くなり、食事も良質な物が一日に三回提供されて水浴びも好きな時間にできるようになった。
檻の鍵も外されてそのまま入っていてもリキュアナまで届けるが自分で移動したいなら好きにしろとまで兵士たちに言われて捕らわれていた魔族たちの困惑は深まり、ハーピィですら全員が状況を理解できずに兵士たちに運ばれる事を選んだ。
そして二日目以降は魔族に乱暴な言動を取った兵士が他の兵士数人に殴られる場面すら目撃して捕らわれていた魔族たちの中には自国が勝利した可能性に思い至った者もいたが、自分たちの街や村を襲ったアッキム王国軍の強さを思い出してすぐにこの妄想じみた考えを捨てた。
しかし襲撃される前と比べると数こそ少ないがリキュアナには大勢の魔族がおり、建物の復旧や物資の運搬を行っている魔族たちを見て再び希望を抱き始めていたミルンの質問にルドディスは答えた。
「ああ、数日前に人間たちが降伏してきた。……と言ってもほとんど彼一人のおかげだがな」
こう言ってルドディスが視線を向けた先にはリファロとディルシュナの姿があり、表情こそ硬かったが魔族数人から何やら相談を受けていたリファロを見てミルンは次に何を尋ねればいいのか悩んだ。
どうして人間が今のリキュアナで受け入れられているのか。
自分たちが人間に勝ったと言うならどうして魔王の一族であるディルシュナが人間の後ろに付き従う様に立っているのか。
他の街も同様に解放されているのか。
様々な疑問がミルンの脳裏に一気に浮かんだが状況の急激な変化に混乱していた頭がある程度落ち着き、最初に気になった事は家族の安否だった。
ミルンは両親と弟の四人家族でリキュアナから少し離れた場所にある数十人程の集落に住んでいた。
ミルンたちの住む集落は魔導装甲二機を含むアッキム王国軍の兵士二百人程に蹂躙され、父親を目の前で殺されたミルンは弟の生存も諦めていたが母親だけでも生きていてくれればと願っていた。
ミルンの母親は捕らわれていた魔族たちの中にはおらず、アッキム王国軍の兵士たちは攻撃の際に女の魔族に気を遣ったりはしなかったのでミルンは母親の死も覚悟していた。
しかしこれだけの魔族が生き残っているなら自分の母親も生きているかも知れないと考えたミルンはルドディスへのあいさつもそこそこに母親を探そうと動き始め、行き交う魔族の中を進む事十分程、ミルンは視界に飛び込んできた光景が信じられず足を止めてしまった。
ミルンの視線の先にはミルンの両親がおり、母親はともかく確かに鋼の巨人に踏み潰されたはずの父親が目の前にいる事がミルンには信じられなかった。
そして驚きから動けずにいたミルンに両親が近づき、涙を浮かべた両親に左右から抱きかかえられてミルンはようやく我に返った。
「お父様、……どうして?だってあの時、」
死んだはずという言葉を飲み込んだミルンを見てミルンの父親は乾いた笑みを浮かべながら数日前に自分たちの身に起きた事を説明し始めた。




