交渉
「僕がこの国からアッキム王国の兵士を全て追い払ったらニードベルを僕に下さい」
ニードベルというのはアッキム王国とアルベール魔王国の国境沿いにある三つの街の一つで、開戦後一週間足らずでアッキム王国に攻め落とされた街の名前をリファロが口にした瞬間、魔族たちはどう反応していいか分からなかった。
戦火に晒されたとはいえ街一つというのは個人が要求する対象としては大き過ぎ、何より目の前の人間がニードベルを受け取る代わりに果たすと言っている仕事の内容が実現不可能だったからだ。
そしてリファロの妄想としか思えない発言の意味が魔族たちに浸透して数秒後、ルドディスの怒号が周囲に響いた。
「ふざけるなよ、人間!我々がこれまでどれだけの犠牲を払って侵略者共と戦ってきたと思っている!貴様一人でどうにかなる様な状況じゃない!」
ルドディスはアッキム王国の侵略が始まる前からアルベール魔王国の軍事や防衛を担当しており、国王のディルグリオンが戦死して以降は日に日に劣勢に追い込まれていく自国の状況に歯噛みする日々を送っていた。
そんな状況を、よりによって人間が自分一人で何とかできると言い放ったのだからルドディスは激高し、他の魔族が止めるひまも無くリファロに殴り掛かった。
オーガは屈強な兵士十人と力比べをしても余裕で勝てる怪力と巨体を持ち、ルドディスはそんなオーガの中でも更に力が強かった。
そのためルドディスが人間に殴り掛かったと気づいた瞬間、他の魔族たちはリファロの死を確信したが、当のリファロは死ぬどころか微動だにせずルドディスの拳を顔で受け止めていた。
「どうしました?僕の力を試したいならもっと攻撃してくれていいですよ?」
「……なっ、」
リファロが『無敵化』を発動してルドディスの拳を受けた結果、ルドディスはリファロの頭を吹き飛ばすどころか自分の拳を痛めてしまい、予想外の結果に驚愕とわずかの恐怖が入り混じった感情を抱きながらリファロを両手で挟み込んだ。
どうやったのかは分からないが打撃が効かないなら握り潰してやろう。
こう考えてルドディスはリファロを握る両手に力を込めたのだがリファロは涼しい顔でルドディスに視線を向け続け、その後ルドディスが二十秒程リファロを握り潰そうと力を入れ続けた直後、リファロはルドディスの背後に転移してルドディスの腰に剣を突きつけた。
「どうしますか?アッキム王国と実際に戦うのは明日なんで僕の力を試したいって言うならまだつき合いますけど」
このリファロの発言を聞いて初めてルドディスは自分が捕えていたはずの人間が一瞬で消えた上にいつの間にか背後から自分に武器を突きつけているという事実にようやく気づき、声を震わせながら敗北を認めた。
「……お前が妙な力を使える事は分かった。しかし相手は数十万の大軍だぞ?本当にお前一人で勝てるのか?」
『無敵化』と『転移』を使いルドディス相手の腕試しを行った後、リファロが四属性全ての魔法まで使って見せると魔族たちのリファロへの評価が多少上がり、魔族たちの幹部が会議などに使っていた天幕でリファロを加えて話し合いの続きが行われた。
ルドディスの言う通り、現在アッキム王国はアルベール魔王国との国境沿いの中央から十万人、更にその西と東からそれぞれ五万程の兵を送り込んでおり、更にアルベール魔王国の南にある港街にも船で一万人程の兵を送り込んでいた。
そして国境沿い中央から送られてきた本隊と南から今リファロたちがいる場所に向かっている部隊は先程リファロが言った通り四日後に合流予定で、今ルドディスたちが率いている魔族たちだけでは南のアッキム王国軍を倒すのがやっとだった。
「もちろんまともに戦ったらまず無理です」
手段を選ばなければアッキム王国の軍隊の近くに怪我を負う前のグチャルーツを創り出して兵士たちを蹂躙させる事は可能だった。
しかし無関係の事柄で竜の評判を下げる事も無益な殺生も極力避けたかったので、リファロは今回アッキム王国軍を撤退させる際に可能な限り死者を出さない手段を選ぶつもりだった。
「でも追い払うだけなら何とかなると思います。アッキムの人たちは色々便利な物も持ってるみたいなんで遅くても三日以内には撤退してくれると思います。……こう言い方もあれですけどもし失敗しても僕が死ぬだけで状況が悪化する事は無いので気楽にしてて下さい」
統率の取れた軍勢に加えて装着者の魔法の威力を増幅させるオーガと同等の大きさの鉄の鎧、家畜と魔獣を掛け合わせて作った強力な騎乗用の動物。
これらアッキム王国が今回投入してきた数々の装備の恐ろしさをこの二年でアルベール魔王国の魔族たちは何度も思い知らされており、このためアッキム王国軍の装備を便利な物と簡単に片づけたリファロを前にしてルドディスは不安と少しの怒りを覚えながら口を開いた。
「……何か私たちにできる事は無いか?」
アッキム王国軍の撤退をあまりに安請け合いするリファロへの怒りを押し殺しながらルドディスが最初に提案した事が魔族数人のリファロへの同行だった。
この提案はリファロの見張りという目的もあったがリファロの行動の成功率を上げたいという意味もあり、リファロもハーピィの協力を受ける事ができれば『転移』の使用回数を減らす事ができるとは思った。
しかしリファロは自分以外を転移させる事ができなかったので『転移』前提のリファロの行動には誰もついてくる事ができず、魔族たちの不安をリファロは十分理解していたがアッキム王国軍の撤退は遅くても数日で始まるのだから魔族たちにはもう少し我慢してもらおうと考えていた。
そしてそろそろ報酬の前に後一つ魔族たちに許可を取らないといけないなと考えていたリファロにルドディスはある提案をしてきた。
「さすがにお前に全て任せるというのは心苦しいし何より不安だ。同行者が不要というならせめてさっき言っていた『奉身者』とやらのために協力する者を用意させてくれ。千人ぐらいなら今すぐにでも集められる。お前さえよければ今からでも……」
神の使いによって強化された『奉身者』はリファロ以外の千人が代償を払う事で本来とは別の強力な能力が使えるようになっており、現時点ではリファロ本人にすら内容が分からないこれらの能力を使えば明日以降の作戦の幅も広がるはずだとリファロもルドディスたちも考えていた。
しかし強化された『奉身者』の能力を発動するためには代償を払う千人が自分の意志で代償を払う必要があり、今ルドディスが指示を出せる魔族は非戦闘員も含めて一万五千人程いたが彼らの内、心からリファロに力を貸したいと思っている魔族は百人もおらず当のルドディスすら含まれていなかった。
そしてそうした状況を『回答者』を使うまでもなく感覚で理解していたリファロの説明を受けてルドディスはリファロに謝罪したが、直接話した魔族の幹部たちですら半数以上が自分を信用していない事を『回答者』で知っていたリファロは現状を大して気にしていなかった。
「ルドディスさんたちががんばってくれてるのは分かってますから気にしないで下さい。まあ、『奉身者』についてはその時その時で対応するとして魔族を助けた後の報酬について話す前に一つ頼み、というか許可が欲しいんですけど」
「許可?何のだ?」
他に有効な手段が無いという消極的な理由が大きかったがルドディスはリファロの事を今では多少は信用しており大抵の頼みなら無理を通してでも叶えようと考えていた。
しかしリファロの頼みはルドディスの想定を大きく外れたもので、ルドディスたちの視線が集まる中、リファロは『回答者』でミルヒガナを創り出した。
「なっ……」
「自分以外は転移できないじゃなかったのか?」
「許可も無くお妃様を……」
『回答者』の存在も能力も知らなかった魔族の幹部たちは口々に怒りや驚きを口にし、そんな魔族の幹部たちの反応を予想していたリファロは騒ぎが大きくなる前に口を開いた。
「落ち着いて下さい。このお妃様は本物じゃありません。大雑把に言うと転移魔法の応用で本人を一時的に再現しています。確認してもらえばお妃様本人はちゃんと向こうにいるはずです」
「いや、……分からないわよ。私も転移魔法については昔話で聞いただけだし、大きな道具もいるって聞いてたのにこの男特に道具も使ってないし」
リファロの説明直後、比較的人間に詳しいアンシューカに一斉に他の魔族たちの視線が向けられたが、リファロの説明が嘘な以上仮にアンシューカが人間最高峰の学者でもリファロがした事を説明できるはずが無かった。
そしてアンシューカが慌てながらも口にした『まずはお妃様の安否を確認すべき』という発言に従い魔族たちはミルヒガナの安否を確かめ、リファロが用意したミルヒガナが本人ではないと確認してから会議は続いた。
「僕は明日からアッキムの人たちが撤退するまでにできるだけ魔族を助けるつもりです。でも僕がウイルテンとかに逃げて欲しいって言っても聞いてくれませんよね?だから顔が知られてるお妃様の姿を借りようと思ったんですけど……」
「……私たちでは駄目だな」
ルドディスは名前こそアルベール魔王国内で知られていたが顔までは知らない国民も多く、そもそも魔族と一括りにされていたが魔族同士でも種族が違えば余程親しくない限り顔の見分けは難しかった。
この点ミルヒガナたち王族はアルベール魔王国全体でも三十人もいない魔王と呼ばれる種族で顔の区別がつかなくても魔族たちは魔王を見れば相手が王族である事は一目で分かった。
しかし協力者とはいえ部外者、しかも人間に妃の名前と姿を使いたいと言われてはルドディスも承諾はできず、『回答者』で予め知っていた通りの反応を見せたルドディスたちを前に今回はどちらになるだろうかと考えていたリファロの視界の端に誰かが天幕に入ってくる姿が映った。
「姫様!どうしてこの様な場所に?お退がり下さい!」
得体の知れない人間がいる場所に突然自国の姫、ディルシュナが現れた事にルドディスが驚きの声をあげた直後、ディルシュナの後ろからミルヒガナも現れた事で周囲の魔族たちはリファロへの警戒を強めた。
魔王の一族は頭の左右に生える黒い角と白い肌以外は人間と大差無い見た目をしており、見た目は十代後半にしか見えないディルシュナが実は八十歳を過ぎている事をリファロは知っていた。
それぞれ護衛らしき魔族を二人ずつ引き連れたミルヒガナとディルシュナが『回答者』で創り出されたミルヒガナに驚く中、リファロは両手を上げながらミルヒガナたちから距離を取り、こっちになったかと考えながら明日以降の予定を考え直していた。
数日前に既にクララス王国を見限っていたリファロは『回答者』を使いアルベール魔王国に着いてからの行動について何度も『作戦会議』を行っていた。
『回答者』は世界中の人間の知識が反映される能力なのでアルベール魔王国からアッキム王国の軍勢を追い払うための会議にアッキム王国軍の幹部まで参加しているという本来あり得ない状況の会議と同じ結果を得る事ができた。
この結果、軍事物資の保管場所から捕まった魔族の収容場所までリファロは有用な情報を多く知る事ができたが、『回答者』は未来予知ができるわけではないので特定の相手との交渉結果を数通り知る事ができても実際にどの結果になるかまでは知る事ができなかった。
そして魔族の説得のために王族の名前を利用したいという交渉の結果はミルヒガナの姿を借りる許可が出る、ディルシュナの姿を借りる事になる、交渉決裂の三通りのいずれかだった。
リファロとしてはミルヒガナの姿を借りる事ができれば最善だったのだが、ディルシュナがこの場に現れた時点でミルヒガナの姿を借りる事が不可能な事は何度も確認していたので心の中でため息をついていた。
「この私は話す事もできるのですか?」
「はい。転移魔法を使った時点のお妃様と同じ知識を持っています」
ミルヒガナの質問へのリファロの回答を受けて周囲の魔族たちが驚く中、リファロは結果の分かっている交渉を始める事にした。
「僕が転移魔法で呼び出した相手は本人とほとんど変わらないので好きに操る事はできません。……そろそろ『治癒』の代償で消えそうですし、ちょうどいいので話してみて下さい。三十分ぐらいで消えますけど」
この発言から一分も経たない内にリファロの体はこの世界から消え、半日後の日が完全に沈んだ頃にリファロが体を取り戻すと再び天幕に集まったミルヒガナたちの間で話は既に済んでいる様子だった。




