第26話 六角襲来・終結
◎伊勢国・保々西城 楠木正顕
1559年 5月下旬
大河内城攻めの本陣を飛び出して半刻、景色が俺の横を高速で流れている。
俺は順調に北進を続けており、今で言う所の東名阪の四日市ICを過ぎた辺りを進んでいた。
ここまで人里を避けるようにして移動してきたが、現代のような人口密集地自体が皆無な事もあって、時間的ロスも少なく、思ったよりも早く到着しそうな雰囲気だ。
(後もう少し…もう少しで着くぞ…親父殿、何とか耐えてくれよ…生きてさえ居てくれれば、どんな状態であっても元通りにしてやれる…)
木々の間を右へ左へ縫って走り、河川を飛び越え直走る。そうして何とか保々西城の見える丘の上へと辿り着く。そして眼の前では軍勢同士が睨み合いの真っ最中のようだ。
(良し、まだ勝敗は決して居ない…両軍の間に割り込むぞ!)
俺は最後に大地を力強く蹴り、勢い良く両軍の間に割り込む。そしてそこからの急ブレーキによって大地は捲れ上がり、大量の砂埃を巻き上げる。
そうして巻き上げられた大地の破片や砂埃が僅かな滞空の後、パラパラと音を立てて俺の元へと降ってくる。
鬱陶しく感じて手を振り砂埃を払っていると、突然の突風により砂埃が払われ、視界が開けた。
(北には六角…南には楠木…父上とお爺様、それと織田木瓜?!義兄上が来てくれたのか?)
目を凝らすと軍勢の先頭の中央に、父上とお爺様の横にいる義兄上を視界に捉えた。
(義兄上には後日改めて、礼をするとして、あちらをどうにかするとしようか…)
俺は父上達を一瞥した後に六角の軍勢を見やり、声を上げる。
「俺は楠木家当主、楠木正顕である!そちらの六角軍の責任者…総大将と話がしたい!」
すると暫くの後、立派な馬に乗った若武者と初老の男が姿を表した。
「我が名門六角家十六代当主、六角義治である。その方が朝敵たる楠木家が当主か?なるほど、裸足の上にその汚れた衣服…卑しきその身に相応しき装いよのぉ。」
六角義治のその言い様に楠木方から怒号が上がる。俺はそれを右手を上げて制した。
「あぁ、確かにこの格好は酷いな。大河内城より駆けてきた故、泥に塗れ、髪留めも草履も無くなってしもうたわ!それよりも、その名門たる六角家の当主とは思ったよりも大した事ないなぁ。その品性の欠片もない言動に立ち居振る舞い、今代で六角家も終いか、誠に残念なことよ…。」
俺の返しの言葉に楠木陣営からは嘲笑の笑いが起き、義治はお得意の癇癪を発動しする。俺は荒ぶる六角義治を無視して初老の男に声を掛ける。
「そんな事よりも、そちらの御仁は蒲生殿とお見受けする。そのような愚か者のお守りは放って置いて、俺と話でもしませぬか?貴方となら有意義な話が出来そうだ。」
更なる己を無視する俺の態度に腹を立てた義治は最後の手段とばかりに、小姓に指示して身長ほどの高さの大きな瓶を運び込んだ。
蒲生殿も何事かと訝しげな表情を浮かべているが、ニヤケ顔の義治は小姓に指示して運び入れた瓶を割ってみせた。
すると中から大量の血と切り刻まれた複数の子供と思える遺体と手足を縛られた裸体の女性の遺体が出てきた。
「クハハハ!驚いたであろう?こ奴らは員弁郡に侵攻した折に道中で見つけてな…我自らが手慰みのために使ってやろうとしたのだがな…逆らった故、手足を縛り犯してやりながら、眼の前で童どもを切り刻んでやったのよ!宗智に見つかると煩い故、瓶に入れて隠して居ったが、思わぬ所で役に立ったわ!」
義治の顔は愉悦に歪み、狂気が浮かんでいる。さすがの蒲生殿も信じられないとの表情を浮かべているが、そんな事はどうでもいい。
「手慰み?…犯しながら目の前で子供を…だと?」
俺の視界は怒りの余り歪み、握りしめた掌からは血が滴る。そして怒りが限界を超えた時、俺の視界は赤く染まり、身体からは魔力ではない、異世界ではオーラと呼ばれていた物が勢い良く溢れ出す。
辺りは俺を中心に突風が吹き荒れ、地は割れ、空間が軋む。
「この外道が…死ね…」
俺は魔刀神殂を抜き去り右手を上段に構える。すると今まで溢れ出ていたオーラは刀身に集まり、上空に向かって光の刃として伸びる。光の刃は空を割り、昼間であるのに関わらず星空が見える。
「おっ、お待ちくだされ!」
そんな状況で唯一人蒲生殿が、俺と腰を抜かして動けない義治との間に割って入る。
「邪魔だ、退け。楽しみで人を殺すような輩は生かしては置けん。この様な世界のゴミは髪の毛一本この世に残さん。」
それでも定秀は引かない。青い顔をしながらも真正面から対峙してくる。
「我らはこれで兵を引きまする。その上で賠償させて頂きますのでどうか…」
「ならん。この者は置いてゆけ。そして員弁郡からも梅戸を引き連れて完全撤退せよ。であれば、その方らは見逃してやる。」
「御館様を置いて行く事だけは、この首に掛けて出来ませぬ。」
このまま腕を振り下ろせば六角の軍勢は簡単に殲滅出来るだろう。しかし、それによって失わなくても良い命が同時に失われるだろう。
その時、父上の手が俺の肩に載せられる。
「正顕、もう良い。これ以上はいらぬ恐怖を生む…俺は民がお前に恐怖の眼を向けるを望まん。」
「しかし、あの親子の無念は如何ばかりか…何よりこの様な外道は生かしておけません!」
「であれば、宗智殿。占領した員弁郡は即日放棄して下さい。更に義治殿には隠居の上、出家して頂く。その上で寺の奥に幽閉してくだされ。実行までの期限は二月です。」
「畏まった。わしの名とこの首にかけて、必ず実施させて頂く。」
宗智は神妙な顔で頭を下げた。
「ふぅ…分かりました、父上の言に従いましょう。ですが、此度の件が仮に反故にされた場合、六角は必ず後悔することとなるでしょう。」
父上の仲立ちにより鉾を収めることと成ったが、俺のやり場のない怒りは燻ったままだった。
◎伊勢国・保々西城 とある足軽兄弟の兄
1559年 5月下旬
この一部始終を目撃した者たちの中に、今はまだ足軽のとある兄弟がいた。
「兄者、あの楠木様と言うお方、お伊勢様の神子とお噂の…」
「そうじゃ、於市様の旦那で殿様の義弟よ。それにしても凄いのう…ほんに神の如き力じゃ…」
「まっこと、お味方で良かったな兄者。お伊勢様の神子という噂も真のようじゃ。それにしても、見目も女神様のようなお方じゃな。」
「なんじゃ小一郎…惚れたのか?まぁ、分からんでもないが…」
「ちっ、違うわ兄者!俺に衆道の気は無いわい!」
「わっはっは、隠さんでもいいわい…あの美しさなら儂でも落ちるわ。」
その二人の横では馴染みの男が手を合わせ、拝んでいた。
「どうしたのじゃ、又左?手を合わせておるようじゃが…」
「藤吉郎、俺は以前、殿様とともに楠の城下を訪れた際に、あの方にお会いしたことがあるんだ。その時お見せ頂いたお力も凄かった。ただの桶の底に温泉を沸かせてしまわれた。あの方は現人神に違いない…」
又左以外にも同様に感じている者も多いようで、そこかしこで手を合わせている者がいる。
儂はそんな事よりも武士でありながら、恐らく河原者であろう母子を遊び半分で殺した者に、あれほど腹を立てられた武士に会ったことがない。儂ら農民や河原者は民草と呼ばれ、殆どの武士にとっては路端の石や草と同様の扱いじゃ。
「殿様以外にも儂らを人扱いしてくれるお方がおったんじゃのぉ…嬉しいのぉ、小一郎…」
儂は殿様以外にこの様なお方が居ったのかと言う驚きとそれ以上の嬉しさ、そしてそんなお二人がお味方同士であることに不思議な縁と頼もしさを感じていた。




