第23話 誤算
◎伊勢国・大河内城下・楠木本陣 塚原卜伝
1559年 5月中旬
楠木殿に指摘されたように、儂は無意識のうちに笑っていたようだ。
「クハハハハハ!善き哉、善き哉!この歳になって、これ程の相手に巡り会えるとは…正に僥倖!!さてさて…我が技が何処まで通じるかな…身は深く与え、太刀は浅く残して、心はいつも懸りにて在り…塚原卜伝、推して参る!!」
正眼に構え足幅を大きく取り、体は常に半身を保ちつつ腰を低く落とし、地を這うが如きを意識する。
(相手は格上…故にまずは基本に立ち返り…最小の動きで急所を突くを意識する…ふぅ…しかし対峙するだけでこれほど消耗するとは…時間を掛けてはこちらが不利よ…)
しかし先程から何度か仕掛けようとするも、自身の思いとは裏腹に無意識のうちに体が強張り、前に出ることを拒絶する。それでも仕掛けようとすれば、自身の斬られる様を幻視する。先程からこれの繰り返しである。
「死地に飛び込んでこそ、見える物もある!」
儂は覚悟を決めて最短路で間合いへ飛び込み打突を繰り出す。しかし、喉元、脇の下、手首など急所をめがけて仕掛けた連続の打ち込みや突きを、軽々と半身になって躱される。そして最後に放った下段からの突きを楠木殿は右斜め前方に踏み込んで躱し、すれ違いざまに横薙ぎを繰り出してくる。儂はそれを刀で受け流そうとするが、嫌な予感を感じて頭を下げて躱し、そのまま素早く後ずさる。
「流石ですね、あのまま受けていたら、得物ごと真っ二つでしたよ。」
「何か嫌な物を感じたのでな、ただの感じゃよ…しかし…儂と違って、まだまだ余裕そうじゃの…」
悔しいことにあの数度の遣り取りで儂は息が弾んでおるが、楠木殿は最初の時と全く変わりがない。
「そうですね、俺は有名な【一之太刀】を見たいんですよ。なので態々《わざわざ》剣聖殿の戦える速度域で死合っているんです。確か…相手の動きの起こりを制し、一撃で決める事を追求した奥義…でしたか?理屈としては解るので猿真似程度は出来ると思うのですが…」
その言に対して弟子の一人が怒りを露わにする。
「舐めるな小僧!!先生の【一之太刀】を貴様の猿真似と同列に扱うな!!」
弟子は怒りの余り無謀にも楠木殿相手に斬り込んでしまう。
「まっ、待つのじゃ!!」
楠木殿はそれをピクリともせずに、ただ横目で見やる。そして弟子の刃が届いたと誰もが思ったその時、楠木殿の姿は掻き消え、次の瞬間には弟子の後方に何事も無かったかのように立っていた。そして斬り込んだ弟子の体は、額を中心に筋が入りゆっくりと左右に崩れ落ちた。
「一体何が…」
「単純に踏み込んでぶった斬っただけですよ。大体、《《舐めるな》》なんてこちらの台詞ですよ。剣聖殿が一緒とは言え、実力が未知数な相手に、こんな少人数で攻め込んで、舐めてるのはそっちですよね?何を考えてるのか理解に苦しみますよ、本当に。」
(みっ、見えなかった…その動き全て…これはもう、勝ち負け云々《うんぬん》以前の問題じゃの。刀を扱う技術は勿論のこと、恐らく生物としての格そのものが違うのじゃ…)
「もう良い…これ以上やっても結果は覆らん。儂らの負けじゃ…好きなようにせい。それにしても…とんだ化け物も居ったものじゃ、本当に…それ故に悔やまれる…儂が今少し…十でも若ければ、恥も外聞も捨て、この場で頭を下げて弟子入りを懇願した物を…」
突然の儂の本気の告白を聞いた者たちは皆、驚きのあまり声を失っていた…ただ一人を除いて。
「あぁ、なるほど、そういうのも有りですね。であれば剣聖殿、条件さえ飲んでくれれば若返りは難しいですが、ある程度の期間の維持であれば可能ですよ?」
「真でござるか?」
「ご興味お有りでしたら、この戦が終わった後、楠城を訪ねてください。戦後処理の後でしたら良いですよ。」
(本当にそのようなことが可能なのか?しかし、お伊勢様の神子と呼ばれる楠木殿なればもしや…。)
「それではこの死合はこれまでという事で。いろいろと気にはなるでしょうが、また後日会いましょう。光秀、剣聖殿一行には手を出さぬように。」
光秀という側近は仕方なくと言った風ではあったが、主の指示を守り儂を本陣の外まで誘導していく。そして去り際に一言告げてくる。
「若殿のご命令ゆえ今回は見逃しますが、以後は敵対されぬようご忠告します。二度目は御座いません…では。」
そうして背を向け、本陣の中に消えてゆく。
「良き主の下には良き家臣が集うもの…。さてと…儂はこのまま失せるとしよう。お前たちは此奴の遺髪を持って、他の門人を連れて鹿島に戻っておれ。」
「先生、具教様にはどのようにお伝えすれば…。」
「有りの儘伝えよ、塚原卜伝は敵将に赤子の如く捻られ、完敗した。更にはその将に弟子入りを懇願した…と。」
「良いのですか?お名前に傷が…」
「その様な細事、気にせずとも良い…行け!!」
「「「はい!」」」
連れてきた弟子達は北畠の陣営の方へ駆けてゆく。包囲されつつある大河内城、無事合流できれば良いが。まぁ、抜け道を使えば侵入くらいは出来よう。
儂は弟子を一人失ったにも関わらず、胸の高鳴りを覚えていた。自分自身の酷薄さに呆れながらも気持ちを切り替え、楠城下を目指して歩みを進める。この歳で遥かに年下の師匠への弟子入りに、期待と嬉しさと若干の恥ずかしさを感じつつも儂の足取りは何処か軽かった。
◎伊勢国・大河内城下・楠木本陣 楠木正顕
1559年 5月中旬
剣聖殿を送り出した光秀が天幕へ戻ってきた。
「ご苦労だったな、光秀。」
「いいえ、それよりも、宜しかったのですか?いくら剣聖とは申せ、若殿の命を狙った者を生かしておくなど…。今後のためにも始末した方が宜しいのでは?」
「いいや、寧ろ今後の為ゆえ、我らの陣営に引き込むのだ。あの御仁は剣の道を極めること、もっと言えば自身が強くなること以外には、基本的には興味がないのだ。故に扱いやすい御仁と言える。」
「剣聖殿が…扱いやすい…ですか?」
「あぁ、扱いやすいと言うか、分かり易いというのが正しいか?かの御仁の望む物を提示して、俺のもとに居れば更に強く成れると言うことを実感させれば、その居場所を失わぬよう懸命に守ろう…己自身のためにもな。」
「それにな…そろそろ正輝や一益を馬廻り、要は護衛職から外して今少し自由に配したいのよ。そのために護衛は剣聖殿に任せたいと思っている。」
光秀は俺の説明を聞いても少し納得の行かない様子であった。まあ、主の命を狙った人間を信じろとは普通は無理筋であろうが、【武神】で見たオーラの色が《《好意的を示す青色》》になっていた事もこの度の判断の理由の一つとなっていた。
「まぁ、詳しくは帰ってから…」
話を打ち切ろうとしたその時、天幕を潜って傷だらけの男が飛び込んできた。
「御注進…申し…上げます。ハァハァ…い、員弁郡梅戸方面より六角軍一万が侵入!これに対して員弁郡の各国衆は、戦わずして六角家に寝返りまして御座います。」
「ハァ?!馬鹿な!この時期に一万もの軍勢を動かすなど、正気の沙汰ではございません!秋の収穫を棒にするつもりか?!」
「やられた!くそったれがっ!!北畠の籠城はこれが狙いか?!」
「これに対し、大殿が警ら隊五千を率いて出陣され、保々西城を中心に防衛に徹しておられます。」
ハッキリ言って非常に不味い状況だ。今から転進したとしても間に合うかどうかわからぬ上、間に合ったとしても行軍で疲れ切った兵で勝てるとも思えぬ。
(しかし、国衆共め…逃走ではなく裏切りとは…神罰が怖くないのか?まぁ良い、今はそれよりも…)
「それはいったい何時の情報だ?!」
「およそ四日前の情報です。」
(四日前であれば、戦端が開かれて余り時間は経っておらぬ…。落ち着け…最善の手は何だ?このままでは父上は死に、北伊勢は蹂躙される…くっ!そんな事は絶対に許さん!!)
俺は顔を上げ光秀をみる。
「光秀、軍勢の中から足の早い部隊を選抜し、最低でも一万、正輝に率いさせて楠城に帰還、そして数刻の休息後、保々西城に向けて出陣させよ!そして現在の本隊の指揮及び全軍の指揮を光秀、其方に任せる、行けるな?」
「はい、問題ございません!しかし、若殿は如何されるのですか?」
「俺が全力で走れば、恐らく二刻もあれば保々西まで辿り着く。軍勢を広範囲に展開される前に六角本隊を蹴散らす。火事場泥棒をすればどうなるか、心と体に嫌と言うほど分からせてやる…」
俺の聞いたことのない低く暗い声色に光秀は自身の背中を冷たい汗が流れるのを感じた。
「それでは光秀、後のことは全て任せる。ただし、北畠の一族は可能な限り生きて捕らえよ。具教を含めてな、では行ってくる!」
俺自身の油断によって大切な家族を失うわけには行かない。必ず助け出すと心に誓い、俺は力強く地面を蹴ると、砂煙を上げて走り出した。




