第19話 伊勢国統一に向けてⅠ
◎伊勢国・楠城 楠木正顕
1559年4月中旬(第18話より10日前)
奥御殿の一室にて、俺は家族から出陣前の見送りを受けている。
「旦那様…ご無事のお帰りを…お待ちしております。」
市は不安な表情を押し隠して精一杯の笑顔を浮かべながら、戦へ向かう俺へと言葉を掛けている。そして、そんな俺たち夫婦をニヤニヤとした鬱陶しい表情を浮かべて見つめている爺ども二人…取り合えずこいつ等は放っておくとして、不安げな市を安心させてやらねばなるまい。
「市…安心致せ、お伊勢様の加護がある故、俺は死なぬよ。」
「はい…」
(ふむ、言葉だけでは不安は拭えぬか…ならば…)
「父上、腰の物・・・脇差をお貸しください。」
「わかった…ほれ!」
父上から受け取った脇差を抜いた俺は、自身の腕を目掛けて勢いよく振り下ろした。突然の奇行に皆驚いたが、俺の腕が全く無傷である事、そして振り下ろした脇差が砕けていると言う事実に目を剥いて驚いていた。
しかし他の者とは異なり、市はすぐさま俺に駆け寄る。そして脇差が振り下ろされた腕が無事な事を確認すると安堵の表情を浮かべた。しかしそれも束の間、目じりに涙を溜めて烈火の如く怒り出した。
さすがにやり過ぎたと思った俺は平身低頭、平謝りだった。
「市、誠にすまなかった。これ以外に其方を安心させる方法を思いつかなかったのだ。しかし、これで分かったであろう?俺は並大抵の攻撃では傷つく事はない。」
「それでも…それでも、このような事は二度となさらないでください!旦那様にもしもの事があれば、私は…私も生きてはおりません!それゆえ絶対に無事にお戻り…ください…ませ…。」
(あぁ…最後に泣かせてしまったな…俺はただ市に笑顔で見送って欲しかっただけなんだが、ほんとに…何をやってるんだ俺は…)
「あっ、あぁそうだ。戦から戻ったら皆でお伊勢参りにでも行こう。今までは領外と言う事もあって追いそれと叶わなかったが、この戦で北畠の勢力を降せば伊勢神宮への道が開ける…どうだ?」
苦し紛れの言葉だったが、思いのほか市の興味を引けたようで、お伊勢様へのお礼も兼ねて市と二人で…とは行かないが、護衛百名と母上と八重、市の侍女として茜を連れて出かける事となった。因みに父上とお爺様はどちらが残るかと見苦しく揉めた事で母上の逆鱗に触れ、二人揃って居残りとなった。
◎伊勢国・采女城 明智光秀
1559年4月中旬(第18話より9日前)
「皆の者、今宵は若殿がこちらにお越しになり、一晩ご滞在される!ご出立は明朝、我らも共に出陣する。失礼の無きよう宜しく頼むぞ!」
「「「「「はっ、畏まりました!」」」」」
皆、夕刻にご到着予定の若殿をお迎えする準備のため、それぞれの持ち場に散って行く。残ったのは妻の熙子と親族衆で従兄弟の明智秀満である。
「御前様、私は若殿様へのご挨拶には…お伺いしないで宜しいでしょうか?」
「ん?…なぜそのような事を?」
「それは…私はこの疱瘡の痕が…」
そう言って左の頬に触れながら、熙子が少し辛そうに言葉を紡ぐ。
「何を申すのだ。若殿はそのような事をお気になさる御方ではない。」
「分かりましたわ…ご一緒させて頂きます。」
熙子は未だに婚姻直前に患った疱瘡の影響で残った痕の事を気にしている。確かに顔の左半分の広範囲に疱瘡の痕として残っているが、私はその事について気にした事もなく、その旨を直接伝えてもいる。何とか開き直ってくれれば良いのだが…。
「秀満、本日のお目通りの折に、其方の事も若殿に紹介する。そのつもりで支度をしておいてくれ。」
「畏まりました、殿。」
「ふむ、頼むぞ。」
そして二人が下がってから半刻の後、若殿のご到着を知らせる先触れが門前に到着した。若殿はあと四半刻ほどでご到着との事で、私は熙子と秀満を伴って館の門前までお出迎えに向かった。
しばらくの後、若殿に神宮司殿、滝川殿(慶次郎含む)、そして軍勢一万五千が到着した。若殿、神宮司殿、滝川殿は場内に滞在予定だが、軍勢は一晩だけと言う事もあり采女城の場外に野営する事となっている。
「若殿、無事のご到着、祝着至極にございます。」
「はっはっは、相変わらず光秀は堅いな…もう少しフランク…ゲフンゲフン…ざっくばらんに話せん物かな?」
「いやはや、これは参りましたな。こればかりは性分な物でして…と、申し訳ありません、まずは紹介させて頂きたく存じます。これなるは妻の熙子に従兄弟の秀満にございます。」
「妻の熙子にございます。ようこそ御出で下さりました。」
「明智秀満にございます。よろしくお願い申し上げます。」
それから神宮司殿と滝川殿は秀満に案内を任せ、私は若殿をご滞在頂くお部屋にまでご案内差し上げた。
その折、女房衆の一人を侍女として付け夕餉の時間まで下がろうとすると、若殿に呼び止められた。そして熙子とともに再度伺うように申し付けられた。何か失礼でもあったであろうかと気が気ではなかったが、承服して下がり熙子の下に向かった。
◎伊勢国・采女城 楠木正顕
1559年4月中旬(第18話より9日前)
光秀に奥方を伴って再度来るように伝えた俺は待っている間、脳内で思案中だ。
(光秀の奥方、確か熙子殿と言ったか…あの様子では結婚前に疱瘡を患い、何とか完治はしたが痕が残ったと言う歴史上の話は事実だったようだな。であれば、光秀が疱瘡の痕を気にしないとして嫁に迎えた話も事実なのだろう。あの痕自体は特に問題なく、治す事は容易い…インベントリの中にレッサーエリクサーが腐るほどあるからな。だが、製作するための材料がこの世界では手に入らないものであり、なにより急に疱瘡の痕が治れば・・・まぁ確実に俺による物だと皆が気付くだろうな。)
「無償でそのように貴重な物を簡単に与えては、皆への示しがつかん上に最悪、在庫が切れるまで無制限に与える事にもなりかねん…が…しかし…」
俺も市という妻を得て初めて気が付いた事なのだが、この時代は男尊女卑が基本にはあるのだが、ほとんどの場合、旦那は妻に頭が上がらない。それは愛妻家であればある程に尻に敷かれている場合が殆どだ。俺調べなのデーターなので勿論反論は認めるが、俺の父上もそうだし、恐らく俺もそうなるのだろうと思っている。以上の理由から男尊女卑の戦国であろうとも、思っている以上に奥方の発言力は馬鹿にできない。
故にここで熙子殿の印象を良くし、いざと言う時に味方になって貰おうと言う考えなのだ。とまぁ、色々と理由を付けてはいるが、俺の庇護下にある人間に限るが、俺に出来る事であれば手を貸すことはやぶさかでは無いし、こんな世の中でも暗い顔で生きて欲しくはないと思う。正直、戦国の世の中においてこんな考えは自分でも甘いとは思うが、光秀の言い分ではないがこれが俺の性分なので仕方がない。
「若殿、光秀に御座います。ご指示通り、妻を伴い罷り越しました。」
思考の海に沈んでいる俺を光秀の声が現実へと引き戻す。
「あぁ、入ってくれ。」
許しを得た光秀夫妻は部屋の中に入り頭を下げた。
「急に呼び出して済まなかったな、実は熙子殿に聞いて置きたい事があるのだ。」
「私に…でございますか?」
殆ど無意識の仕草なのだろうが、熙子殿は可能な限り顔の左側を見せないように振舞っている。
(あぁ、ダメだな…こう言うのを見てしまうとどうしても手助けしたくなってしまうな。…よし決めた!)
「その前に、話しておきたい事がある。この度の北畠勢力との戦、そのうち長野工藤領への侵攻時の指揮を光秀に任せる。」
「っ?!はっ、あり難き幸せにて、必ずやご期待に応えて見せまする!」
「熙子殿…このように、これからは光秀に大きな任務を任せる事も増えて来る事だろう。そうなれば、必然的に光秀の立場は上がって行き、配下も増えそれを統率して行くことになる。そうなれば当然、その配下の奥方衆の取り纏めは熙子殿、其方が行わなくてはならない。しかし、今の其方はその疱瘡の痕のせいもあって、可能な限り表に出ないようにしている。そのような事ではこの先、光秀の家臣団の統治は難しくなるだろう。」
熙子殿は俺の言葉にこぶしを握り締め、肩を震わせ俯いている。
「若殿っ!それは…それは余りにもご無体な仰りように御座います!」
「あぁ、そんな事は俺も分かっているが、熙子殿に現状を理解して貰い、精神的にも立ち直って貰うためには言う必要があると思った。それに実際、俺の言葉に肩を震わせるほどに憤りを感じる事が出来るのなら、疱瘡の痕さえ治せさえすれば…直ぐに立ち直ってくれるだろう。光秀よ…愛する夫の言葉だけでは駄目なのだ、女子にとって己の美とはそれほどまでに重要な事なのだよ。」
俺の言葉に肩を震わせていた熙子殿が顔を上げ、目を見開いて俺を見やる。
「わっ、若殿様っ…こっ…この疱瘡の痕を治せるのですか?!もしそうなら私は…」
「あぁそうだな、俺の秘蔵《異世界産》の品の中にそれを可能にする飲み薬がある。ただし、この世界には存在しえない材料で作られた貴重なもの故、誰彼構わず無制限に与える事が出来ぬのだ。いらぬ妬みを生む故な…よって光秀、先ほど申した通り舞台は整えてやったゆえ、その品を与えても文句が出ない程の勲功を挙げよ…出来るな?」
「ははぁっ!!この光秀、粉骨砕身、力の限り戦いまする!!」
熙子殿は涙を流し、それを見た光秀は先程よりも更にやる気に満ちた表情をしている。あとは俺の期待通りに光秀が勲功第一を挙げてくれるのを待つだけだ。




