忘れられた郵便ポスト
町外れの古い通りに、そのポストは立っていた。赤い筒型の、頭に丸い屋根を載せた姿。誰もが一度は目にしたことのある、懐かしい形だ。だが今では投函口は錆びつき、差し入れられる封筒もなく、ただ風雨にさらされる日々が続いていた。
私は散歩の途中でそのポストを見つけ、なぜか足を止めた。苔のついた脚部に触れると、冷たさの奥にまだ生きているような温もりを感じたのだ。そのときだった。耳の奥に、かすかな囁きが届いた。
――まだ、ここにいるよ。まだ、手紙の匂いを覚えている。
振り返っても誰もいない。だが確かに聞こえたのだ。声の主は、この忘れられたポスト自身だった。
かつて郵便制度が始まった明治初期、日本中には赤ではなく黒いポストが設置されていたという。西洋の制度を取り入れ、人々の言葉を遠くへ運ぶ仕組みが生まれたとき、文字通り「近代化の象徴」として人々に迎えられた。だが黒い筒は夜道で見えづらい。そこで、昭和の初めに色が赤へと統一され、やがて街の景色に溶け込む存在となった。
「赤くなってから、ずっと子どもたちの目印だったんだ。『あのポストの角を曲がって帰るんだよ』って、お母さんが言う声も覚えている」
ポストの声は、長い年月をくぐり抜けた誇らしさを帯びていた。
戦時中、このポストにも軍事郵便が投げ込まれたことがあった。遠い戦地へ向かう青年たちが、震える手で家族への言葉を封じた手紙。それを抱えたポストは、胸が詰まるような思いで郵便配達員に託したのだという。
「届いてほしい、と願う気持ちはいつも同じだった。恋文も、別れの言葉も、戦地への報告も。重さは紙一枚でも、心は何百倍も詰まっていた」
私は思わずその錆びた投函口を撫でた。確かに、この小さな穴から数え切れぬ想いが放たれたのだ。
やがて時代は変わった。電話が普及し、ファクスが導入され、電子メールやSNSがあたりまえとなった。人々は文字をすぐに届けられるようになり、封筒に切手を貼る習慣は次第に薄れていった。集配システムも合理化され、古い形のポストは撤去され、新しい四角いタイプが街を占領していった。
このポストは運良く残されたが、使われなくなったのは同じことだった。
「最後に手紙を受け取ったのは、もう十年も前。年賀状の束だった。あれを抱えたとき、『これで終わりかもしれない』って思ったよ」
声には、寂しさと諦めが入り混じっていた。
私はその夜、机に向かい、久しく使っていなかった便箋を取り出した。ボールペンのインクが紙を走る感触は、キーボードとはまるで違う温かさをもたらす。私は自分でも驚くほど素直な言葉を書き連ねた。宛先は遠く離れた旧友だった。
翌朝、その手紙を封筒に入れ、切手を貼った。ポケットに忍ばせたまま散歩に出て、例のポストの前に立つ。
投函口を開け、封筒を差し入れる。錆びついた金属がきしむ音とともに、ポストは小さく震えた。
――ありがとう。まだ、私はここにいる。まだ、言葉を運べる。
その声を聞いた瞬間、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
数日後、旧友から返事が届いた。便箋に綴られた文字は、画面越しでは決して味わえない筆圧と温度を宿していた。私はその手紙を読みながら、あのポストがひそやかに笑っている気配を感じた。
忘れられたと思われたものにも、まだ生き続ける役割がある。人が心を込める限り、それは再び輝きを取り戻すのだ。
私は今でもその通りを歩くたび、ポストに軽く会釈をしていく。彼はきっと今も、無数の想いを抱きしめたまま、次の手紙を待っているのだから。




