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待つという行為

 駅前のロータリーに立てば、必ずと言ってよいほど「誰かを待っている人」の姿を見かける。腕時計をちらりと覗き込み、スマートフォンを取り出しては画面を確認し、また落ち着かないように辺りを見回す。待つ時間は、たとえ数分であっても妙に長く、胸をざわつかせるものだ。だが一方で、それは人間にとって普遍的な行為でもある。人は誰かを待ち続けてきた。その姿は江戸の茶屋から現代の街角まで、時代とともに形を変えつつ受け継がれてきたのだ。


 江戸時代の待ち合わせ場所といえば、宿場町の茶屋であった。旅人や商人は、互いに道中で落ち合うために「昼の鐘が鳴るまで」「日が傾く頃」といった曖昧な表現で時を約束した。正確な時計を持つ者などごくわずかで、約束の基準は太陽や寺の鐘、あるいは人々の感覚に委ねられていたのである。だが、それゆえに待つ行為は「相手を信じること」とほとんど同義であった。もし待ち人が遅れれば、「道中で何かあったのでは」と心配するのが自然であり、怒りを覚えるよりも無事を祈る感情が先立ったという。待つとは、相手の存在を疑わずに信じる証でもあったのだ。


 明治に入り、鉄道の発達とともに「時間」が社会の基準として浸透する。駅の時計は列車の運行を示すだけでなく、待ち合わせの場所としても機能した。やがて人々は「午後三時に改札口で」という具体的な約束を交わすようになり、待つ行為にも精密な刻度が加わった。もし遅れれば「五分、十分」という単位で不満が募る。つまり近代化の歩みは、人々に「待つことの厳密さ」を植え付けたとも言える。駅前に立ち尽くす人の姿は、まさに近代都市における新しい風景の一つとなった。


 昭和の中期になると、喫茶店が典型的な待ち合わせ場所となる。窓際の席に座り、通りを眺めながらコーヒーをすすって相手を待つ光景は、多くの小説や映画にも描かれてきた。もし相手が来なければ、店内の黒電話や近くの公衆電話から職場や自宅へと連絡を取るしかない。便利とは言いがたいが、その不便さがかえって「待つ時間」を濃くしていた。湯気の立つカップ、壁に掛けられた振り子時計の音、窓を流れる人波――そうした要素が「相手を待つ時間」を演出していたのである。


 待つ行為には、必ずしも甘美な思い出ばかりがあるわけではない。昭和の学生運動の時代、約束の場所に相手が現れなかったとき、それは単なる遅刻ではなく、逮捕や逃亡を意味したこともあったという。待ち合わせは信頼だけでなく、不安や恐怖を伴う行為でもあった。待つ者の心に去来する感情は、時代背景によって大きく変わるのだ。


 現代に生きる私たちにとって、「待つ」という行為は大きく変質した。スマートフォンの普及によって「今どこにいる?」と即座に確認できるようになり、待ち合わせ場所に先に着いた人はメッセージを送り、「あと五分で着く」と返信が返ってくる。待つ時間は最小化され、かつてのように不安や想像を膨らませる余地は少なくなった。確かに便利だが、その裏で「待つことが生み出していた心の余白」が失われつつあるのかもしれない。


 私が大学時代、友人との待ち合わせに遅れてしまったとき、駅前のベンチで一人うつむいていた彼女の姿を今でも覚えている。手持ちぶさたに鞄のストラップをいじり、周囲を気にしてはまた視線を落とす。その数分間、彼女は何を考えていたのだろうか。怒り、退屈、心配、あるいは淡い期待。今ならスマホで逐一確認できてしまうその時間が、当時は「相手のことをただ思う時間」だった。待たせてしまった後ろめたさと同時に、待ってくれていたことのありがたさを強く感じたものだ。


 待つという行為は、人を不安にもするが、同時に人と人とを結びつける力でもある。江戸の茶屋での待ち合わせも、昭和の喫茶店での待機も、そして今の駅前でのスマホ片手の立ち姿も、本質的には同じ「信じて待つ姿勢」で成り立っている。相手が必ず来ると信じること、その時間を共有しようとすること。そこにこそ「待つ」という行為の核心がある。


 人は未来を完全に予測することはできない。だからこそ、待つという行為は常に「不確実性」を伴う。だがその不確実さこそが、人間らしさを映し出す。待つことで人は想像し、期待し、信頼を確かめるのだ。便利さの中で失われつつあるこの感覚を、私たちは忘れてはならない。


 夕暮れの駅前で、人々が時計やスマホを見上げながら誰かを待っている光景を眺めると、私は思う。待つという行為は単なる時間の浪費ではなく、人が人を思い続ける姿の証なのだと。江戸の茶屋から現代の街角まで、待つ人の姿は変わりながらも、時代を越えて続いている。

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