トモダチ
「あー、きっつい。足いたーい」
真奈美は、前を歩く三人を引き留めようとして、大きな声を上げた。
すぐ前を歩いていた翠が振り向き、岩で出来た自然の階段を数段降りて来ると、呆れた顔をする。
「ほらぁ、そんな靴履いて来るからだよ。玲奈の言った通りになったじゃん」
ねぇ、と翠は玲奈と目を見合わせ、意地悪そうに笑う。
「だってネットで読んだんだもん。この山はスニーカーでも大丈夫ですって」
真奈美は靴に目を落としてから、口を尖らせた。
お気に入りの靴は、すっかり泥で汚れていた。厚底の愛らしい重みは、登山中となればただの重みでしかないと思い知る。理解してはいたのだが、今日のコーデには必要だったのだ。それに何処かの誰かが書いた「スニーカーでも大丈夫」という言葉を信じたのだ。
──全然、大丈夫じゃないじゃん。最悪。
真奈美は、自分のことは棚に上げ、誤情報を流した見知らぬ相手をひっそりと恨んだ。
「スニーカーで大丈夫って聞いたって、普通厚底では来ないでしょ」
先頭を歩いていた花が、呆れた声で言った。
「だってさぁ」
「『だって』じゃないよ」
このグループの中で一番体力がある花の顔には、さほど疲労を感じられなかった。それよりも、自分の後ろに続く三人の準備不足と、事前に見積もった時間を大幅に押していることへの苛立ちを滲ませていた。
花は腕時計を見てから空を見上げ、眉を寄せる。日はとっくに高く昇り、そろそろ落ち始める頃だ。
玲奈が朝の集合時間に二時間近く遅れ、真奈美が厚底のせいで手間取り、翠は巨石や谷間、木々を見つけては写真を撮りだすせいで、花のシミュレートより大幅に遅れていく。当初の予定では、今頃頂上で昼食を食べている筈だった。
しかし、花は苛立ちつつも文句を言わなかった。中学生の時から何をやっていてもこのグループでは予定通りいかないのだから、今更文句も出ないのだろう。
休憩をしてから再び登り進めていた時、ふいに翠が「あっ!」と道の先を指差した。
見れば、道の端に小さな石像が立っている。
「小さいお地蔵さんが居る! かわい~い!」
急に元気を取り戻し、軽い足取りで木の根が絡む段差を上がっていく。
首に掛けていたカメラで〝小さいお地蔵さん〟の写真を撮り始める。
「これってお地蔵さんなの?」
「え、そうじゃないの。ツルツルでなんか笑ってるし」
真奈美は他の二人と顔を見合わせ、首を傾げた。誰も詳しくない。
詳しくないまま、とりあえずお地蔵さんかもしれないから、という軽い気持ちで手を合わせる。
花が呟くように言う。
「──無事に、下山出来ますように」
「何それ」
「山は下りる方が危ないって聞いたことあるから」
顔を上げた花は、ついと道の先を見やる。
「それよりちゃんと頂上着けるの? 下りる前に登んなきゃだよ」
「だよねぇ。もうお腹空いちゃった。お菓子食べよう。──食べる?」
玲奈の差し出したチョコレートを頬張りながら、真奈美は道の先を見つめた。先と言っても曲がりくねっていて、精々十メートル先くらいまでしか見えない。上に目を向けると、鬱蒼と茂る木々の間に上へと続く道の縁が見えた。
「早く登っちゃおう。本当にお腹空いてきた。頂上着く迄に持って来たお菓子全部食べちゃいそう。飲み物もなくなっちゃうよ。頂上に休憩所みたいなのがあるんだよね?」
ペットボトルを傾けていた花が、頷く。
「うん。自販機もトイレもあるって」
「よぉし、とっとと登っちゃおう!」
「一番遅い真奈美が言わないでくれるー?」
玲奈がからかうように言って、笑う。その様子を、翠が出し抜けに写真に収めた。
大げさに驚いた怜奈が頬を膨らませて抗議する。
「ちょっとぉ、急に撮んないでよぉ。絶対変な顔してたもん」
「自然な感じでよかったよ」
「自然ってなにぃ? 今、真奈美のことからかってたんですけど」
「ほら三人とも、とっとと登るんでしょ、行くよ」
花の言葉に、三人はふざけ合いながら後に続いた。
徐々に高度が上がり、木々の合間に覗く景色は、より遠くまで見渡せるようになった。時折、翠がカメラを構えた。
「ここでこれだけ綺麗ってことは、頂上行ったらもっと綺麗なのかな」
「三百六十度見渡せるんでしょ。早く見たーい。というか、暑い……上着脱ごう」
「アタシも脱ご。暑いねぇ」
「ねぇ」
上着を脱いで腰に巻いた真奈美は、スマートフォンを片手に道を行ったり来たりしている花に呼び掛けた。
「何してるの?」
「電波なくなっちゃった。地図が使えない」
「うそぉ」
「え、マジ」
「あっ、本当だ。サイアクじゃーん」
各々のスマートフォンを確認し、失望の声を上げる。
「でも、休憩所の辺りなら使えるんだよね?」
「……多分。電波ありませんとは書いてなかったし」
「じゃあ、そこまで心配ないね」
「頂上まであと三十分くらいでしょ?」
「うん、でも……」
歯切れの悪い花の言い方に、皆で歩み寄る。
「でも?」
花は道の先を指差した。
真っ直ぐ伸びているその先で、道はふたつに分かれている。
「え、分かれ道?」
「うん。さっき地図見た時はここまで確認してなかったからどっちか判んない」
「えぇ~」
四人で道の先を見比べ、首を傾げる。
一方はゆるく登る道。一方は木々が茂る下り道だ。
「どっち行く?」
手軽に訪れることの出来る山だが、高度がそこそこあるせいか上に行くにつれ、すれ違う登山客は全く見なくなった。引き返すにしてももっと低い地点ですべきだったし、ここまで登ったなら頂上まで行ってしまった方が良い。そもそも四人が登り始めた時間は、登山を開始するには遅い。多くの登山客は、とっくに頂上へ辿り着き、反対側へ抜けている筈だ。
「どっち……か」
「歩きやすそうなのは下りる方?」
「登る方じゃない? だって、登ってるんだよね? そっちの方が一緒に下りられるよ、絶対」
「うーん、確かに?」
「下りる道は木がいっぱいあって、また怪我しそうだもんね」
真奈美は、腕に出来た新しい引っかき傷を擦った。玲奈が持っていた花柄の絆創膏が貼られている。
「じゃあ、登る……か」
「そうだね。登ろうよ。そしたら一緒に下りられるよ」
「うん、山は迷子になったら上に登れって聞くし」
「えぇ、まだ迷子じゃないでしょ」
「……うん、多分。まぁ、もし頂上じゃなかったら戻ればいいし」
「そうだよ。早く登ろう。登れば、下りられるよ」
「よし、行こう」
ゆるく登る道を、真奈美達は登り始めた。
「あ、待って」
翠がカメラを取り上げ、来た道を振り返った。
「此処の景色撮っておく。一本道みたいだから大丈夫だとは思うけど、念の為」
シャッターの音が妙に大きく響いた。
「ねぇ……流石に、おかしくない?」
真奈美は、粘つく口で言った。持って来た飲み物は、底を尽きかけていた。たまに舌で舐めとって喉の渇きを少しばかり癒しながら進んでいる。
腰に巻いた上着の辺りに掻いていた汗も、今はもう乾いてしまった。
「何がぁ?」
玲奈が気怠そうに応える。
「あと三十分くらいの……距離だったのに、まだ全然……頂上、着かないよ」
分かれ道から歩き始めて、一時間近くは経っている。日はいよいよ傾き沈み始めていた。
「確かに。ねぇ、花。あとどんくらい?」
花は顔を上げ、道の先を見据える。
「判んない。けど、もしかしたら戻った方がいいのかも」
えぇー! と玲奈が声を上げる。
「戻るのぉ、この道を? 私もう脚痛いよぉ」
「そうだよ。ここまで来たら、もうすぐ一緒に下りられるよ」
「そうは言ってもさぁ……確かに、頂上に着かないのは……変だし」
「あの先って、何か……開けてる感じしない?」
「え……あ、本当だ」
「じゃあ、あそこが頂上?」
「登ろうよ。あとちょっとだよ。あとちょっとで一緒に下りられるよ」
「そうかも。とりあえずあそこまでは登ろう。もし頂上じゃなかったら、また考えよう」
真奈美達は、ゆるく登る道を黙々と一歩一歩、最後は駆けるようにして登った。
ふいに視界が開ける。
「わぁ、頂上──だ?」
まるでマラソンのゴールのように両手を上げた真奈美は、前に立ち止まる三人に首を傾げた。
「どうしたの?」
花が、緩慢な動きで景色の先に指を向ける。花の横に立ち、その指先を辿った。
開けた景色の中で、反対の山が見える。その天辺にコンクリートで出来た建物が見えた。
「え……あれってもしかして、休憩所?」
山の線を辿ると、真奈美達が立っている山の下の方から徐々に上がり、休憩所のある天辺に続いている。
「じゃあ、さっきの道は下った方が正解だったってこと?」
「こっちで、合ってるよ。一緒に下りられるよ」
「え?」
「ほら、前見て。一緒に下りよう」
「前?」
言われるままに前方に目を向けた真奈美は、吸い込まれそうになる感覚に身を引いた。
「崖じゃん、ここ! 何を見ろっての⁉」
「下りれるよ、そこから」
「はぁ⁉ 下りる? この崖を⁉」
真奈美は、顔を顰めながら振り返った。
三人が怯えたように見つめ返す。
「下りるって何?」
苛立ちがこもった真奈美の問いに、翠がふるふると首を振った。
「何も言ってないよ」
「え、何が」
「だから、私達何も言ってないって」
「うん、ワタシだよ。一緒に下りようね」
「……え?」
その時、突然翠のカメラがシャッターを切り始めた。
カシャ、カシャ、カシャ、カシャ、カシャ──。
玲奈が悲鳴を上げて蹲る。
「なにこれ、何もやってな──」
カメラを持ち上げた翠が、悲鳴を上げてカメラを放り出した。ストラップがピンと伸びて、翠の首元まで戻る。わぁわぁと喚きながら、翠はストラップを外すと、地面に放り投げた。
呻き声を漏らしながら、カメラを指差し、ぶるぶると震える。
「な、に……」
絞り出すように言った花が、カメラを持ち上げた。
ふいにシャッター音が止む。
カメラの液晶を覗き込んだ花が、ハッと息を飲み、後退った。
ガラリと音がして、足場が崩れ落ちる。
「ね、一緒に下りようね」
嫌、という花の声が遠ざかっていく──。




