魔法少女が終わった次の日
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昨日、私の魔法少女としての生活が終わった。
突然目の前に現れたピンクでモフモフのマスコットに、キミは魔法少女に選ばれたもふ~なんて言われてから数年。
侵略を目論む闇の世界からやって来る魔物たちと日々戦って戦って……そして昨日、どうやら魔物側はやっと諦めたのか、この街と闇の世界を繋いでいたゲートは完全に消失したらしい。
ピンクのマスコット……もふリンは、ありがとうもふ~なんて言っていつも通り笑うと、フッと……まるでテレビを消したみたいにあっけなく消えた。
毎日一緒にいたのに情もへったくれも無く、奴にとっては所詮私はビジネスパートナーだった……まぁ、私にとってもそうだったのだが。
とにかく今日から、私は正真正銘普通の女子高生に戻った。
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何てこと無い平日。昨日と同じように二年一組の教室の引き戸を開けて、昨日と同じように四列目の五番目の席に座る。
肩が外れそうなほど重たいリュックを机の上にドンッと置いてファスナーを開いて、持ってきた教科書を机の中へと移していく。
……当然、リュックの中に変身道具……マジカルペンは無い。
おもちゃの宝石のような石でゴテゴテにデコられていたそれは、地味にでかいし重いし、形は凸凹だしでそれはもう毎日邪魔だった。
そのくせ適当に扱うともふリンが怒るので、マジカルペンは弁当よりも丁寧に大事に……リュックの一番上にそっと置いてからファスナーを閉めていた。
何となくわかってはいたが、あれが無いとなんてリュックの容量に余裕があるんだろう。さらにあと何冊か辞書が入りそうな程だ。
空っぽに近づいてきたリュックの底の方から、一回りサイズが小さくて分厚い教科書を取り出す。
全く、毎度思うが何故学校は教科書のサイズを揃えてくれないのか。リュックに入れにくいし机にも入れにくい。大きく薄くしたのではダメなのか。
何度吐いたかわからないこの愚痴をまたテレパシーで送ろうとして……ふと気付く。
そうだ、もうテレパシーは使えなかった。
そして送る先……もふリンももう居なかった。
まぁ送ったところで、人間めんどくさいもふ~と下等生物を見るような目を向けられるだけだが。
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何てこと無く時は流れて、三限、英語の時間。
中途半端に開けられた窓からは初夏の風が入ってくる。
雲一つ無い快晴。もちろん空は真っ青だ。
……昨日まで、私の目には時たま空は紫色に見えた。
魔法少女には特別な力があって、魔物がゲートからやってくると空が紫色に見える。
すると隣で浮いていたもふリンが、さっさと行くもふ~とこちらの都合などお構いなしに急かして来る。
何度トイレに行くフリ、調子が悪いフリをしたかわからない……人を魔法少女にするなら、そういう部分への配慮も考えておいて欲しかった。おかげでクラスメイトの私の印象は病弱な人、である。
考え事をしていたら、急に名前を呼ばれた。
先生だ。今日出されていた宿題の、よりにもよって一番難問を私に答えて欲しいらしい。
立ち上がって、とりあえず適当に書いておいた通りに答えた。……残念ながら思い切り間違えたようだ。
私が真面目にやって来てないと思ったのだろう、先生はそのまま私を厳しく諭す。
……ちゃんとやって来たつもりだ。わからなかったから辞書で調べもしたのだ。それでもわからなかっただけで。
魔物退治からやっと帰って、眠い目を擦ってやったのだ。
ただそんなこと言えないから、俯いて精一杯反省したフリをする。
そのまま目線を動かすと、自分じゃ無くて良かったと安心するクラスメイトたちの顔が見えた。
……君たちが遊んでる間も勉強してる間も、部活をしている間も寝ている間だって、私はこの街のために戦って来たんだぞ。
一週間前なんて、なんと一日で百五十体も魔物を倒したんだぞ、すごいだろ。
最後に小さくすみませんでしたと呟いて、私は席に座り直した。
窓の外に目をやる。抜けるほど、真っ青だった。
きっと明日も、明後日も。
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授業が終わって友人が二人、次の移動教室のための荷物を持って私の席へやって来た。
大変だったねー、あの先生ウザいよねー……口々にそう言いながら、私の準備が終わるのを待っている。
トイレに寄ってから行くから先に行っててと告げると、二人はわかったと教室を出て行った。
教科書、ノート、筆箱……両手で抱えて、一人廊下を歩く。
トイレに着いて、出入り口の真横の床に抱えていたものを重ねて置いた。あまり置きたくは無いものの、持って入るのはもっと嫌だから仕方が無い。
上履きの上からむりやりスリッパを履いて、用を足して……手洗い場の蛇口をひねった。
冷たい金属臭い水が、指先に触れる。
……何となく、そのまま人差し指を立てて、くるりくるりと……そう、昨日までのマジカルペンのように回してみた。
光がシャラシャラ出て変身……なんて出来るわけが無い。服だってダサい真っ黒な制服から変わらないし、髪だって小さな寝癖が残ったままだ。
ザバザバと流れ落ちる水を、私はぼんやり見つめる。
私は魔法少女に選ばれて、特別だった。
勉強が出来なくても運動が出来なくても、特段可愛くなくたって特別だった。
戦って街を守っていたのだ。もちろん大変だった、いつもやめたかった。
でも、日常でどんなに嫌なことがあっても……私は特別だったのだ。
顔を上げたら、薄汚れた鏡の中に自分が見えた。
……全く、嫌になるほど普通だ。
どこにでもいる、冴えないただの人間だった。
予鈴が鳴る。行かなくては。
蛇口をぎゅっと閉めて、無理に履いていたスリッパから足を引き抜く。
屈んで、床に置いていた荷物を拾い上げる……教科書、ノート、筆箱、ああそうだ、マジカルペンを持ってくるのを忘れた。
ねぇもふリン持ってきてくれない……あ、そうか。
もう無いんだった。
誰もいないのをいいことに廊下を思い切り走る。
進む先の窓から見える空は青くて。
荷物はいつもの移動教室より軽くて。
隣から甘ったるいほど高い声は聞こえない。
私は今日から普通の女子高生に戻った。
何も特別じゃない……ただの人間になってしまった。