第3章:宮廷顧問としての日々 —魔法なき者の戦略—
1. 宮廷の内側へ
「お嬢様、準備はよろしいですか?」
リズが荷物の最終確認をしている。今日から私は宮廷顧問見習いとして、皇宮で暮らすことになる。
「ええ、大丈夫よ」
鏡に映る自分の姿を見つめる。黒のハイネックのドレスに、深紅のリボンの装飾。控えめながらも品格のある装いを心がけた。
(第一印象が大事。魔法が使えないなら、せめて見た目と振る舞いで信頼を得ないと)
荷物は最小限に抑えた。衣服、書籍、そして密かに実験道具も。
「お嬢様……皇宮での生活、お気をつけください」
リズの声には心配が滲んでいる。父も同様の懸念を示していた。宮廷は危険な場所だと。
「ありがとう、リズ。手紙を書くわね」
馬車に乗り込む前、私は父と向き合った。
「お父様、行ってきます」
「ユリアーナ」父は珍しく私の肩に手を置いた。「決して自分の信念を曲げるな。だが——」
彼は声を落とした。
「——周りに気づかれないように立ち回れ。魔法代替技術の研究は、宮廷でひっそりと続けるように」
「わかっています」
「皇帝陛下は改革を望んでいるが、保守派の目も光っている。くれぐれも慎重に」
最後の抱擁を交わし、私は馬車に乗り込んだ。
窓から見える実家の姿が小さくなっていく。不安と期待が入り混じる複雑な気持ち。
(本当に大丈夫かな……でも、もう後戻りはできない)
眼前に広がる皇宮の壮麗な姿。金と白を基調とした建物は、まるで雲の上の城のようだ。
門前で馬車から降りると、顧問官の制服を着た中年の男性が出迎えてくれた。
「ユリアーナ・フォン・レグナ様。宮廷へようこそ。私はオスカル・ハルトマン、宮廷顧問長官です」
「お世話になります、ハルトマン卿」
「陛下は、あなたの才能に大きな期待を寄せておられます」彼は意味深な視線を送った。「特に、『独自の視点』についてね」
(彼は私のバックグラウンドを知っているのだろうか?)
「微力ながら、精一杯努めます」
「では、まずは執務室と居室へご案内しましょう」
城内を歩きながら、私はひっきりなしに目に入る情報を整理していた。
廊下の配置、警備の配置、貴族たちの表情、そして何よりも——随所に見られる魔法の痕跡。
照明、暖房、召喚術で呼び出されたと思われる使用人……魔法がこの宮廷の基盤となっていることが一目瞭然だった。
(魔法が使えない私が、この環境でどう生き残るか。それが最初の課題ね)
2. 最初の試練
宮廷での生活が始まって三日目。まだ慣れない環境に戸惑いながらも、私は必死に仕事を覚えようとしていた。
「レグナ嬢、これらの文書を分類してくれたまえ」
クロード宰相は山積みの書類を私の前に置いた。
「はい、拝承します」
三時間後、私は整理した書類を持ってクロードの執務室を訪れた。
「分類が完了しました。貿易関連、税制関連、軍事関連に分け、さらに各分野での優先順位を付けました」
クロードは眉を上げた。
「なるほど、単に分野別にしただけでなく、優先順位まで?」
「はい。期限がある案件を最優先に、次に経済的影響の大きな案件、そして長期的課題の順に並べました。それぞれの概要をこちらの要約表にまとめています」
彼は私の作成した表に目を通し、微かに笑みを浮かべた。
「見事だ。ここまでの仕事を期待していなかった」
「ありがとうございます」
「だが」彼は鋭い目で私を見た。「なぜ魔法関連の文書だけ別にしたのだ?」
緊張が走る。確かに私は魔法関連の文書を特別に分類していた。
「魔法は国の根幹を支える力です。他の政策とは性質が異なるため、独立して扱うべきだと判断しました」
半分は正直な理由、半分は言い訳。実際には、魔法関連の知識を吸収するためだった。
「なるほど」クロードは頷いた。「それでは、この魔法関連の文書について、君の見解を聞かせてほしい」
「見解、ですか?」
「ああ。今日の昼食後、陛下の前で発表してもらう」
「陛下の前で!?」思わず声が上ずる。
「もちろん。宮廷顧問としての最初の試練だ」
部屋に戻った私は、書類を読み込みながら必死に考えた。
(これは罠?それとも本当に私の意見を聞きたいの?)
書類の内容は、帝国内の魔法資源分布と使用状況に関するものだった。特に「魔法の効率的活用」という観点からの報告書。
(要するに、貴重な魔法をどう配分するかという問題……)
昼食の時間が迫る中、私はようやく自分なりの見解をまとめた。
「魔法資源の効率的活用、か」
皇帝は私の報告書に目を通しながら言った。彼の隣には宰相のクロード、そして数名の高位顧問官が並んでいた。
「はい、陛下」
「では、聞こう。君の見解は?」
深呼吸して、言葉を選びながら話し始める。
「現状では、魔法資源の84%が貴族階級によって消費されています。特に、生活の快適さを高めるための使用が半数以上を占めています」
部屋に緊張感が走る。
「しかし、魔法が本来持つ可能性を考えれば、より生産的な用途——例えば農業生産性の向上、医療技術の発展、そして国防力の強化などに振り分ける余地があると思われます」
皇帝の表情は読めない。
「具体的には?」
「例えば、農地の一部に魔法による気候調整を導入すれば、収穫量が30%以上増加するというデータがあります。また、魔法による浄水技術を都市部に展開すれば、病気の発生率が大幅に減少するでしょう」
私は続ける。
「さらに、資料によれば、現在の魔法使用の15%は無駄とされています。これを削減し効率的に再配分するだけでも、大きな社会的利益が得られるはずです」
皇帝はじっと私を見つめた後、クロードに向き直った。
「彼女の見解は興味深いな」
「ええ、陛下」クロードは頷いた。「特に、魔法を使えない者の視点からの分析は新鮮です」
(あ、やっぱり知られていたのか)
「しかし」一人の老顧問が口を開いた。「魔法の再配分など簡単にできるものではありません。貴族の権利として——」
「権利?」私は思わず口を挟んだ。「魔法は国家全体の資源ではないでしょうか?」
老顧問は顔を赤らめた。
「レグナ嬢、君は——」
「十分だ」皇帝が手を上げた。「レグナ嬢の指摘は正しい。魔法は確かに再考の余地がある」
皇帝は立ち上がり、窓の外を見つめた。
「レグナ嬢、君の提案を具体的な政策として練り上げてほしい。クロード、彼女を補佐するように」
「はい、陛下」
部屋を後にする際、皇帝は私にだけ聞こえるように言った。
「期待している、ユリアーナ」
皇帝との会議から戻る途中、クロードが私に語りかけた。
「よく臨機応変に対応したな」
「ありがとうございます」
「だが、あれは明らかな罠だった」彼は静かに言った。「ヴィルヘルム顧問は保守派の中心人物だ。君を挑発して失言させるつもりだった」
「そうだったのですか」
「ああ。しかし君は冷静に対応した。陛下も満足しておられたようだ」
私は胸を撫で下ろした。
「しかし、これからが本番だ」クロードは厳しい表情になった。「魔法の再配分を提案したことで、多くの貴族の敵を作ったことになる」
「覚悟はしています」
「その覚悟、忘れないことだ」
3. 隠された会合
宮廷での生活が一ヶ月が経過した頃、私はようやく宮廷の仕組みを理解し始めていた。
表向きの政治と裏で動く勢力図。魔法を軸とした貴族社会の階層。そして、改革派と保守派の対立構造。
その日、私は魔法の再配分計画の詳細を詰めるため、深夜まで書斎で作業していた。
「これなら、貴族たちの反発も最小限に抑えられるはず……」
計画書の最終ページに目を通していると、廊下から足音が聞こえた。
(こんな時間に?)
好奇心に駆られて、扉を少し開け、外を覗く。
二人の男性が廊下を進んでいた。一人は見覚えのあるヴィルヘルム顧問。もう一人は——
(あれは……第一王子?)
第一王子ルドルフ。皇帝の実弟で、皇位継承の権利を持つ人物。滅多に姿を見せない彼が、なぜこんな時間に?
こっそりと二人の後を追う。彼らは宮殿の東翼、めったに人が立ち入らない区画へと向かっていた。
古い扉の前で立ち止まった二人。ノックの後、彼らは中に入っていった。
(何かの秘密会合?)
部屋の近くまで忍び寄り、扉に耳を当てる。
「……時は来た。陛下の改革など阻止せねばならん」
ヴィルヘルム顧問の声。
「魔法なき者に宮廷の地位を与えるとは、我々貴族への侮辱だ」
別の声が続く。
「その『魔法なき顧問』、レグナ嬢の調査は進んでいるか?」
「ああ、彼女の素性に不審な点がある。まるで別人のように変わったという噂だ」
心臓が高鳴る。私の正体が疑われている!
「魔法なき技術など、貴族の権威を傷つけるだけだ。絶対に許してはならん」
第一王子の声が響く。
「皆の衆、私が皇位につけば、魔法こそが権力の源である秩序を取り戻す。そのために——」
突然、廊下に足音が響いた。
(やばい!)
慌てて物陰に隠れる私。警備の魔導師が通り過ぎるのを見届けてから、そっと自室へ戻った。
部屋に戻ると、ベッドに座り込んで頭を抱えた。
「陰謀……本当に陰謀が渦巻いているんだ」
保守派の貴族たちが第一王子を担ぎ、皇帝の改革を阻止しようとしている。そして、その障害の一つとして私が標的にされている。
(どうすれば……)
翌朝、クロード宰相に会うべきか迷った末、私は一旦黙っておくことにした。証拠もなく報告しても、混乱を招くだけかもしれない。
それよりも、自分の身を守りながら、情報を集めることが先決だと判断した。
4. 謎の実験場
数日後、皇帝から直々の指示があった。
「レグナ嬢、地下書庫から資料を持ってきてほしい」
「地下書庫、ですか?」
「ああ」皇帝は小さな鍵を私に渡した。「この鍵で開く。誰にも見られぬよう注意するように」
不思議に思いながらも、指示に従って地下へ向かう。
(なぜ私に?秘密の資料なら、もっと信頼できる側近がいるはず)
階段を下りていくと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。薄暗い通路の先に、古い木製の扉が見えた。
鍵を差し込むと、錠前がカチリと音を立てて開いた。
中に入ると、そこは想像していた「書庫」ではなかった。
「これは……実験室?」
広い部屋の中には、様々な装置や器具が並んでいた。化学実験のような設備、精密な測定器、そして見覚えのある図面——
(父の研究室にあったのと同じ!)
壁には「魔法代替技術研究所」と書かれた看板があった。
「まさか……皇帝陛下も?」
部屋を探索していると、机の上に一冊の日記が置かれていることに気づいた。
表紙には「エリザベート・フォン・レグナ」の名前。
(母の日記!?)
震える手で開くと、そこには魔法に頼らない技術開発の詳細な記録が綴られていた。
「母は……皇帝のために研究していたの?」
ページをめくっていくと、衝撃的な記述を発見した。
『魔法の独占は帝国の発展を阻害している。あらゆる市民が恩恵を受けられる技術こそが、真の繁栄をもたらす——』
そして最後のページには、母の直筆で。
『アルベルトへ。私の研究を引き継ぐのに相応しい人物を見つけたら、この場所を託してほしい。魔法なき者の可能性を証明するために——』
驚愕する私の背後で、扉が開く音がした。
振り返ると、そこには皇帝アルベルトの姿があった。
「驚いただろう?」
「陛下……これは」
「君の母、エリザベートは私の恩師だった」彼は静かに言った。「魔法に頼らない科学の可能性を教えてくれた人だ」
「母が……」
「ああ。彼女は帝国を変えようとしていた。魔法だけに依存する社会から、あらゆる才能が活かされる国へと」
皇帝は部屋の中を歩きながら続けた。
「しかし、保守派の貴族たちは彼女の研究を恐れた。魔法の独占が揺らげば、彼らの特権が失われるからだ」
「それで母は……」
「公式には病死ということになっている」皇帝の表情が暗くなった。「だが実際は——」
言葉を濁す皇帝。しかし、その意味するところは明らかだった。
「彼女の遺志を継ぐため、私はこの研究所を維持してきた。そして、適任者を探していた」
皇帝は私をまっすぐ見つめた。
「君が現れるまではな」
「私が……母の研究を?」
「ああ。君の婚約破棄の場での対応を見た時、私はピンときた。そして、君の父から話を聞き、確信した」
皇帝は母の日記を手に取った。
「君の実験に関する報告も聞いている。魔法の灯りを科学で再現しただろう?」
(父が伝えていたのか……)
「はい。でも、まだ完全ではありません」
「完璧である必要はない。可能性を示すだけでいい」
皇帝は窓の外を見つめた。
「帝国は変わらねばならない。魔法だけに頼る社会では、いずれ行き詰まる。科学の力を取り入れ、すべての市民が恩恵を受ける国にしたい」
「そのために私に宮廷顧問の地位を?」
「ああ。だが、それは君の能力を認めたからでもある」
皇帝は私の方を向いた。
「ユリアーナ・フォン・レグナ。この研究所を託したい。魔法代替技術の責任者として」
あまりの展開に言葉を失う私。
「でも、私はまだ……」
「経験がないことは承知している。だから、ハインリヒ博士を補佐につける」皇帝は言った。「彼も君の母の弟子だ」
「陛下、このような重責を……」
「受けてくれるな?」
深く息を吸い、決意を固める。
「はい、お引き受けします」
皇帝は満足げに頷いた。
「だが、これは極秘だ。第一王子派が君を狙っていることも把握している。くれぐれも注意するように」
「……はっ」
(陛下は、あの秘密会合のことも知っているの?)
5. 宮廷の駆け引き
「魔法代替技術研究所」の責任者という秘密の任務を得た私だが、表向きは依然として宮廷顧問見習いとしての仕事も続けていた。
ある日、クロード宰相から呼び出しがあった。
「レグナ嬢、明日から北部辺境問題の担当になってもらう」
「北部辺境?」
「ああ。辺境伯ロートハルト家と鉱山採掘権を巡る問題が発生している。君の法律知識を活かして解決してほしい」
書類を受け取ると、そこには複雑な領地問題の詳細が記されていた。
(なぜ私にこんな重要案件を?)
「宰相閣下、このような重要案件を私に任せて大丈夫なのでしょうか?」
クロードは微かに笑みを浮かべた。
「皇帝陛下の指示だ。君の能力を試す機会にもなるだろう」
「わかりました。全力で取り組みます」
その日の夜、書類を詳しく調べていると、不審な点に気づいた。
「この鉱山、通常の鉱石だけでなく『魔導鉱』の埋蔵が推定されている……?」
魔導鉱——魔法の源となる希少鉱物。その採掘権を巡る争いなら、単なる領地問題ではない。
(これは政治的な案件だ……)
さらに調べると、辺境伯ロートハルト家は第一王子派と親しい関係にあることがわかった。
「罠かもしれない」
次の日、私はクロードに疑問をぶつけた。
「宰相閣下、この案件には魔導鉱が関わっています。これは単なる領地問題ではなく、政治的な判断を要する案件ではないでしょうか?」
クロードは意外そうな顔をした後、真剣な表情になった。
「よく気づいた。実は、これは君への試験なのだ」
「試験?」
「この案件をどう処理するか、君の判断を見たいのだ」彼は静かに言った。「特に、魔法資源の配分に関する君の考えをね」
(また試されている……)
「私個人の意見としては」慎重に言葉を選ぶ。「魔導鉱のような国家の重要資源は、一貴族の専有物ではなく、帝国全体の利益のために管理されるべきだと思います」
「なるほど」
「ただし、伝統的な権利も尊重されるべきです。そこで提案ですが、ロートハルト家に一定の採掘権と利益を保証しつつ、魔導鉱そのものは国家管理とする分割案はいかがでしょうか」
クロードは目を細めて私を見つめた。
「興味深い提案だ。では、その案を詳細に練り、明後日の会議で発表してほしい」
「はい、承知しました」
部屋に戻った私は、深く考え込んだ。
(魔導鉱の件はおそらく、私の立場を明確にさせるための罠。保守派か改革派か、はっきりさせようとしているのね)
しかし、別の可能性も浮かんだ。
(もしかして……これは意図的に私を注目させるための策略?)
第一王子派の目を私に向けさせ、何か別の動きを隠す……そんな計画かもしれない。
二日後の会議。主要な顧問たちと貴族が集まる中、私は自分の提案を発表した。
「魔導鉱の採掘権を完全に国家管理とすれば、ロートハルト家の伝統的権利を無視することになります。かといって、すべてを私有を認めれば、国家の重要資源が一部の手に独占されます」
皆、真剣に聞いている。
「そこで私は、『共同管理制度』を提案します。採掘権と運営はロートハルト家に残しつつ、産出される魔導鉱の30%を国家への納付とし、残りを彼らの管理下に置く。ただし、その使用と流通には国家の監督を受けるものとする」
会場がざわついた。
「それは貴族の権利を侵害する!」ヴィルヘルム顧問が声を上げた。
「いいえ」私は冷静に反論した。「むしろ権利を保証しています。完全国有化の議論もある中、70%もの権益を認めるのですから」
皇帝が静かに拍手した。
「実に巧妙な妥協案だ。双方が納得できる形だな」
会議後、廊下でヴィルヘルム顧問に呼び止められた。
「レグナ嬢、君は危険な橋を渡っている」彼は低い声で言った。「魔法を持たぬ身で、魔法の資源に口を出すとは」
「顧問官、私は帝国の利益のために発言しているだけです」
「忠告しておく。第一王子派は君のような人物を決して容認しない。身の安全を考えるなら、今すぐ宮廷を去ることだ」
彼は警告するように言い残して去っていった。
その夜、私は実験室で作業しながら考えていた。
(皇帝陛下の計画は何?なぜわざわざ私を標的にするような任務を与えるのか?)
そして、もう一つの疑問。
(母は本当に保守派に殺されたのか?それとも……)
考えれば考えるほど、宮廷の闇は深く感じられた。
6. 罠の中の真実
「レグナ嬢、陛下がお呼びです」
侍従が私の執務室に現れた。
「はい、すぐに参ります」
皇帝の私室に案内されると、そこには皇帝と宰相クロードの姿があった。
「ユリアーナ、座りなさい」
皇帝は珍しく私の名前で呼んだ。
「重大な情報がある。北部の魔導鉱の件で、第一王子派が動き出した」
クロードが続けた。
「彼らは君を排除しようとしている。魔法を使えない者が宮廷顧問の地位にあることが、彼らの逆鱗に触れたようだ」
「実は」皇帝が言った。「第一王子派の動きを牽制するため、あえて君に魔導鉱の案件を担当させたのだ」
(やはり私は囮だったのか)
「陛下、私を危険に晒したということですか?」
「その通りだ」皇帝は直接的に認めた。「だが、君の身の安全は最大限配慮している。影の護衛をつけているしな」
「では、私は……」
「君は二重の役割を担っている」クロードが説明した。「表向きは改革派の新進気鋭の顧問として保守派の反感を買い、彼らの動きを引き出す。そして裏では、魔法代替技術の研究を進める」
「つまり、私は囮であり、同時に重要な駒だと?」
「その通り」皇帝は頷いた。「君が宮廷に入って以来、すべては計画通りに進んでいる。第一王子派の動きが明確になり、証拠も集まりつつある」
私は複雑な気持ちになった。
「陛下、なぜそのことを今、私に話されるのですか?」
皇帝とクロードは視線を交わした。
「実はもう一つ、君に話していなかったことがある」
皇帝は立ち上がり、書棚から一冊の本を取り出した。
「これは君の母の最後の研究日誌だ」
手に取ると、それは母の筆跡で書かれた詳細な実験記録だった。
「最後のページを見てごらん」
指示に従って、最後のページを開く。そこには衝撃的な一文が。
『実験は成功した。魔法を使えない者でも、この装置を使えば魔法と同等の力を発揮できる。これにより、すべての人が平等に——』
その先は破れていた。
「母は……成功していたの?」
「ああ」皇帝の声は沈んでいた。「魔法代替装置の開発に成功したのだ。しかし、その直後に彼女は命を落とした」
「そして装置は?」
「失われた……と思われていた」
クロードが続けた。
「しかし最近、第一王子派が何かを手に入れたという情報が入った。それが君の母の装置である可能性が高い」
「つまり、私を脅かしているのは単なる保守反動ではなく……」
「その通り」皇帝は厳しい表情になった。「彼らが恐れているのは、君が母の研究を再現することだ。そして、彼らは既にその装置を持っている可能性がある」
「では、彼らの目的は?」
「装置を独占し、自分たちの権力を強化すること」クロードが答えた。「皮肉なことに、魔法を持たない者のための技術が、さらなる支配の道具になりかねないのだ」
私は立ち上がった。
「どうすればいいのでしょう?」
「第一王子派の動きを監視し続けるしかない」皇帝は言った。「そして、君には母の研究を完成させてほしい。我々の方が先に成功すれば、彼らの計画を阻止できる」
「わかりました」
部屋を出る前、皇帝が私を呼び止めた。
「もう一つ、言っておきたいことがある」
「はい?」
「君の母は、私にとって単なる研究者ではなかった」彼の表情が柔らかくなる。「彼女は私の姉だった」
「姉……?つまり、陛下と母は……」
「そう、君と私は血のつながりがある。君は私の姪だ」
あまりの真実に、言葉を失う。
「しかし、それは極秘だった。彼女は身分を隠して平民と結婚し、君の父と研究を続けたのだ」
「なぜそれを今まで……」
「君を守るためだ」皇帝は静かに言った。「私の血縁者と知られれば、さらに危険が増す」
「でも、なぜ今?」
「もはや隠し続ける意味がなくなった。第一王子派は既に君の素性を疑っている。それなら、むしろ公然と私の姪として認め、守る方が得策だと判断した」
私の中で、これまでの疑問が次々と解けていった。
皇帝が私に興味を持った理由。母の研究を継がせようとした理由。そして、私が魔法を使えない理由——皇族の血を引きながら、母が選んだ道のために。
「明日、公式に発表する」皇帝は言った。「ユリアーナ・フォン・レグナを、私の姪として」
翌日、皇宮の大広間。
全ての顧問官と主要貴族が集められた場で、皇帝は衝撃的な発表をした。
「諸君に発表がある。ユリアーナ・フォン・レグナは、実は私の姉エリザベートの娘、つまり私の姪である」
会場がどよめいた。
「彼女の母は、かつて身分を隠して平民と結婚し、魔法に頼らない技術開発に人生を捧げた」
皇帝は私に向き直った。
「今日から、彼女は『ユリアーナ・フォン・レグナ・ヴァイス』の名を名乗る。皇族としての地位を与え、同時に『魔法代替技術研究所』の正式な責任者とする」
私は前に進み出て、深々と頭を下げた。
「陛下のご厚意、心より感謝申し上げます」
振り返ると、貴族たちの間で様々な反応が見られた。驚き、恐れ、そして一部からは露骨な敵意。
特に、ヴィルヘルム顧問の顔は青ざめていた。彼の隣には第一王子ルドルフの姿。彼の表情は怒りに歪んでいた。
「これにて、魔法代替技術の研究は公式な国家事業となる」皇帝は続けた。「この国の未来は、魔法と科学の共存にある。すべての市民が恩恵を受ける国を目指し、我々は進むのだ」
皇帝の宣言に、改革派の貴族たちから拍手が起こった。
しかし、その場を立ち去る第一王子の目には、冷たい炎が燃えていた。
(これで闇の動きが表に出てくる。戦いは始まったばかり……)
私は皇帝の隣に立ちながら、これから起こるであろう嵐に備えて心を固めた。
皇族としての新しい身分。魔法代替技術研究所の責任者という重責。そして、第一王子派という敵。
ただの婚約破棄回避から始まった物語は、国家の命運を左右する大きな流れの一部となっていた。
「母さん、あなたの夢を、私が必ず実現してみせる」
心の中でそう誓いながら、私は前を見据えた。