2章-迷宮探索者の賑やかな日々
輝くシャンデリアが、夜の暗闇を忘れさせるほど明るくホールを照らしている。
真っ白な大理石製の柱彫刻と、対照的に深紅でまとめた緞帳がメリハリのある景色を演出し、黄金を使った贅沢な装飾が〝ここが特別な場である〟ことを目から脳へと刻んでいく。
舞台はノーリッシュ王国の王城、大ホール。今宵催されている宴は、貴族社会にとって特別な、年に一回きりのお披露目の場だ。
――すなわち、十六歳を迎えた子女たちの、社交界デビューである。
今宵の主役たちは思い思いの白いドレスを纏い、父や兄弟、あるいは婚約者にエスコートされて会場へと進む。
今日からは穏やかな昼の催しだけでなく、この美しくも恐ろしい夜の宴も彼女たちの戦場となるのだ。
化粧越しでもわかる紅潮した顔からは、緊張と期待の両方の感情が窺える。
そんな祝いの夜会だが、実はもう一点、彼女たちが身構える理由があった。
「……ああ、いらっしゃったわ」
密やかな声も、重なればざわめきになる。
人々が注視する先に現れたのは、立太子間近と目される第二王子のネイハムと、彼に手を引かれている少女――婚約者のウィンスレット侯爵令嬢だった。
特に、姿を見せることが滅多にないかの令嬢は、幻などと揶揄される人物なのだ。
隙があれば、自身こそが王太子妃に……そんな野心を親に植え付けられている令嬢たちは、鋭い目付きで様子を窺った。
「あれが、第二王子殿下の婚約者の……」
〝妖精の贈り物〟と呼ばれる薄紫の髪は腰まで艶やかに流れ、真っ白な肌には宝石をはめ込んだような藍色の瞳が輝く。
ほとんど露出のない清楚な白いドレスが儚い美貌をより引き立て、しかし凛とした佇まいは、侯爵令嬢に相応しい威厳も感じられる。
「なんて神秘的なお姿……」
「本当に、おとぎ話の妖精のような方ね」
感嘆のため息と共に囁かれる賛辞に――当の本人であるルーシャは、こっそりと息をこぼす。
何しろ儚いのは外見だけで、中身は全く全っ然、そんなことはないのだから。
迷宮でひとまずの成功を収めてから、早四年。
ルーシャもついに、成人である十六歳を迎えていた。
(まあ、成人したからといって、何か変わるわけでもないのだけどね)
本来なら結婚に向けて準備を進めたり、社交に勤しむようになるのだが、所詮ルーシャはつなぎである。
婚約者(仮)など知ったことではないし、興味も関心も一切ない。
絶対に必要な場だけは同行してやるから、あとはご自由にといった感じだ。
(むしろ、今夜もエスコートされたくなかったんだけど……)
「はは、皆がルーシャに注目しているな! いい気分だ」
「まさか。きっとわたしではなく、殿下に見惚れていらっしゃるのでしょう」
「それはそうだが、今夜は私に相応しい相手を連れているのだ。人目をさらうのも当然だろうな」
(……とんだ自惚れ屋ね)
十九歳になった彼……第二王子ネイハムは、さっぱりと短い黒髪に青い瞳の美丈夫だが、それだけの男だ。
ルーシャの手をがっちりと掴み、なんならもう片方の手も勝手に腰に回されて、心底うんざりしてしまう。
――というのも、この四年間でネイハムは、何故かルーシャを傍に置こうとするようになってきたのだ。
数少ないルーシャを伴う場において『決して離れないように』と厳命し、こうしてピッタリとくっついてくるのである。
(何が相応しい相手、よ。一瞥もせず『つなぎ』だと扱った人がよく言うわ!)
正直に言って、今更心変わりなどされても気持ち悪い。
(……もしかして、聖女様とうまくいってないのかしら)
名前も知らない聖女の状況は、ルーシャには知らされていない。
一介の村娘が王子妃教育を受けるのだから、時間がかかってもしょうがないとは思うが……そういう大変な時に支えてやるのが、真の婚約者の務めではなかろうか。
(もっとも、この王子に人を気遣うとか無理そう……)
「ようやくこの日が来たのね。あなたを迎えることができて嬉しいわ、ルーシャ」
「もったいないお言葉でございます、王妃殿下」
心中で悪態をついている間にも夜会は滞りなく進み、ルーシャが挨拶をする番になった。
ここで王妃ことネイハムの母である正妃に『一人前の淑女』として認めてもらって初めて、令嬢たちは大人の仲間入りをするのだ。
ちなみに国王も参加しており、側妃と第一王子と共に少し離れた場所から会場を見守っている。
ルーシャからすれば、彼らは全員一括りで〝敵対はしないけど、縁を切ったら二度と関わりたくない相手〟だ。
「どうか、わたくしの息子のことを支えてあげてね」
「……善処します」
支えませんよ、つなぎなんで。
とは言えないので、張り付けた微笑のまま適当に答えておく。自分の息子なんだから、必要なら親が支えればいい。
そうして、他の者よりいくらか長い挨拶を終えると、丁寧に礼をして列から離れた。
家格が高い者から挨拶をするので、侯爵令嬢のルーシャの後ろにも列はまだまだ続いている。
済んだ者たちは、早速縁作りに勤しむのだろうが……ルーシャはパッとネイハムの手を放した。
「ん? 何かあったか、ルーシャ」
強く掴んでいた手から逃げられるとは思わなかったのか、ネイハムが目を瞬く。
「申し訳ございません、第二王子殿下。王妃殿下への挨拶も済みましたし、わたしはこれで失礼させていただきたく存じます」
「は? 夜会はまだまだこれからだろう。何を……」
「実は昨夜から体調があまり優れず……このような祝いの場で、殿下にご迷惑をおかけするわけには参りませんから」
そっと目を伏せたルーシャに、ネイハムはもどかしそうに肩を揺らす。
『公の場での同伴は必要最低限のみ』を許したのは王家だ。彼にそれを糾弾する資格はないし、何年も華やかな場から離れているので、本当にルーシャは病弱だと思っているだろう。
「今宵はエスコートしてくださり、ありがとうございました。どうか殿下は、皆様との交流をお楽しみくださいませ」
ちら、と視線を動かせば、ネイハムに声をかけるタイミングを見計らっている人々が見える。
挨拶が終わっているので、全員がウィンスレット侯爵家よりも家格の高い令嬢たちだ。
(側妃がほしいなら、あちらからどうぞってね)
ルーシャは控えめに淑女の礼をした後、そそくさと会場を後にする。
背後からは女性特有の高く明るい声が聞こえてきたので、しっかりネイハムを足止めしてくれているはずだ。
「……やっと離れられた」
両開きの巨大な扉から一歩外へ出てしまえば、大ホールの喧噪は遠い景色と化す。
とはいえ、ここはまだ王城内の廊下。家の馬車に乗り込むまでは、そよ風にも倒れそうな病弱令嬢でいなければ。
(出口まで駆け抜けたいけど、我慢よ我慢)
しゃなりしゃなりと歩幅に気をつけて、逸る気持ちを抑えながら進む。途中で何度も警備担当の騎士が声をかけてくれたが、微笑んで流しておいた。
(よし、やっと賑やかな場所は抜けたわね。あとは馬車へ戻るだけ……)
「ルーシャ嬢!」
安堵の息をつき、足を踏み出したところで……ルーシャを呼び止める声が廊下に響いた。
あえて緩慢な動作で振り向けば、貴族令息にしては豪奢な礼装を纏った青年がこちらに駆け寄ってくる。
肩につくほどの艶やかな黒髪に、澄んだ水色の瞳。どことなくネイハムに似た印象の青年は、ルーシャが止まっていることを確認してから、ようやく走る速度をゆるめた。
「呼び止めてごめん。こんなところに君がいるとは思わなくて」
「これは、ミュリウス殿下。こんばんは。よい夜ですね」
彼……ミュリウスが喋り終わるのを確認してから、ルーシャは深く頭を下げる。
ネイハムより一つ年下の異母弟である彼は、現王家の三人目の王子だ。
交流があるわけではないものの、ミュリウスはつなぎの婚約を結んだ当初からルーシャを気遣ってくれた貴重な人物でもある。
(たぶん優しい方なんでしょうけど、王家とはかかわりたくないのよね)
毎度のらくらとかわしてきたが、彼はよほどルーシャを不憫に思っているのだろう。こうして姿を見つければ、呼び止めてしまう程度には。
「ルーシャ嬢、今夜は君も主役の一人だよね。なのに、この時間に会場外にいるなんて、どういうことかな? ……まさか、兄上が何か言ったのかい?」
「いいえ、第二王子殿下にはしっかりとエスコートをしていただけました。ただ、わたしの体調が思わしくないため、ご迷惑をおかけする前に退場しようと思いまして」
「ああ、そうなんだ。よかった……それなら、邪魔をしてしまったね」
一瞬目付きを鋭くしたミュリウスだが、退場理由を聞くとすぐに表情を和らげた。
続けてルーシャに近づき、そっと手をとってくる。
「改めて、社交界デビューおめでとう。もし困ったことがあったら、何でも相談してね。僕はいつでも君の力になるから」
「ありがとう、ございます……?」
ふわりと笑った彼は、ルーシャの手の甲に口づけるフリの挨拶をしてから、何ごともなかったかのように廊下を去っていった。
(婚約の決まっていない殿下が夜会に参加する理由なんて、相手を見繕うため一択よね)
だが、大ホールの王族席で、ミュリウスの姿を見た覚えはない。
その上、夜会の序盤で退場したルーシャをわざわざ追いかけてくるなんて。
「あの方、何をしにこんなところに来たのかしら?」
彼に限って遅刻はないだろうが、他の理由も思い当たらない。もしや、ルーシャを休憩の口実にでもしたかったのか?
(まあ、何でもいいか。わたしの義務は終わったもの。撤収撤収!)
一息ついて気を取り直したルーシャは、たくしあげるようにドレスの裾を掴み、馬車へ向かって駆け出した。