1章-5
忙しくすごしていれば、十日なんて瞬く間だ。
淑女教育と並行して『特訓』を経たルーシャは、二度目となる迷宮区画へと訪れていた。
(今日まで本っ当に忙しかった……でも、やっと迷宮に戻ってこられたわ!)
「ルーシャ、この辺りでいいよな」
もちろん今日も、チェスターと同行している。以前に指摘された通り、送迎の馬車は街の大通りから外れた場所で止まってもらった。
「では、こちらで停めますね。お嬢様、どうかお気をつけて」
「ありがとう。いってくるわね!」
馬車を降りたら、組合の建物までは十数分ほど歩きだ。
目元までしっかり隠れるフードをかぶったルーシャは、チェスターと共に鞄を背負って進んでいく。
「それ、前は見えてるのか?」
「問題ないわよ。見た目はだいぶ怪しいけどね」
これも前回言われた通り、ルーシャの髪色を隠すための装備だ。心なしか、前回よりもこちらへ向く視線が少ないような気がする。
(やっぱり珍しかったのね、わたしの髪。今度からはもっと気をつけよう)
「あら、お二人とも。お久しぶりです!」
組合の扉をくぐると、前回同様に朗らかな微笑みを浮かべたリリナが出迎えてくれた。
王都の迷宮といったら探索者も大勢いるだろうに、ルーシャたちを覚えていてくれたのは嬉しい限りだ。
「ちょっと色々と忙しくて。遅くなりましたが、これは前回親切にしていただいたお礼です」
「まあまあ! こちらこそ、お気遣いありがとうございます。皆でいただきますね」
ルーシャがお礼の品を差し出すと、彼女は目を輝かせながら受け取ってくれる。
何にしようか迷ったが、無難に焼き菓子の詰め合わせを選んでおいた。ただし、居住区画でも貴族が使う格の高い店のものだ。
侯爵家でもお茶請けに出すものなので、味はお墨付きである。
「今日はお二人で迷宮に? それともご依頼でしょうか」
「もちろん、迷宮に潜りますよ! 新しい知識を身につけたので、色々試すつもりです」
「かしこまりました。採取物がありましたら、いつでも売りに来てくださいね」
リリナは姿勢を正すと『いってらっしゃい』と頭を下げる。
迷宮の出入りに事前申請は必須ではないが、こうして送り出してくれるなら顔を出す価値がありそうだ。
「それじゃ、チェスター。行きま……」
「これは、お嬢ちゃんたち。探索者になるのは辞めたんじゃなかったのか」
気持ちを新たに迷宮へ向かおうとしたところで、ちょうどよく入口から入ってきた人物に声をかけられる。
(うわっ)
声の主は十日程度では忘れられない深紅の髪の男、ノルドだった。
今日の彼は体の要所に革鎧を纏い、かなり大型の槍を担いでいる。
(へえ……ちゃんとした格好をしてると、腕利きっぽさがあるわね)
以前は迷宮には似つかわしくない色男にしか見えなかったが、今は経験の長い探索者なのだとよくわかった。
「こんにちは、ノルドさん。先日はありがとうございました」
あえて辞めた云々には触れず、ルーシャは微笑みを張り付けたまま頭を下げる。
続けて、チェスターに持ってもらっていた荷物を取り出すと、恭しく彼に差し出した。
「これは?」
「あなたにもご迷惑をおかけしたので、お礼の品です。何がいいかわからなかったので、多くの探索者が好きだというお酒を用意しました」
「ほう、それはありがたいな。……しかも結構いい酒じゃないか」
薄い木の箱に納められた瓶を一目見て、彼もまた目を輝かせる。
当然、酒の知識など微塵もないルーシャは、商人に予算だけ伝えて包んでもらったのだが、なかなかいい品を選んでくれたようだ。
「ご不快な思いをさせてしまったことも、重ねてお詫びいたします。では、わたしたちはこれで!」
淑女教育で培った完璧な表情のまま、ルーシャはチェスターの手を取り、足早に組合を出ようとする。
……が、何故かその進路を邪魔するように、ノルドの長い足が立ち塞がった。
「その格好、これから迷宮へ潜るつもりだろう? オレはちょうど戻ったところなんだが、この後はヒマなんだ。ということで、オレも付き合おう」
「は!? なんでまたお前が……」
「チェスター」
まさかの申し出に声を荒らげようとしたチェスターを、とっさに強く手を握って制する。
ルーシャとしても断りたいが、彼には正体がバレている以上、余計な諍いは避けたい。
「せっかくのお申し出ですが、お気持ちだけいただいておきます。これ以上ご迷惑をおかけしたくないので、さよな……」
「訂正しておくが、先日のことも別に迷惑だとは思っていない」
(遮られた!?)
「それに、この酒は案内一回分としてはもらいすぎだ。オレはしがない探索者だが、ほどこされる趣味はないんでな」
(律儀なことね。今はありがた迷惑だけど)
思わず舌打ちしたい気持ちを、微笑みの仮面の中にぐっと押し込む。
ノルドに自分たちが変わったことを証明したいのは確かだが、確実に成功してからお披露目のつもりだったのだ。
(まさか、今日の内に見つかるなんて。予定が狂ったわ)
じっと見返しても、ノルドが退く様子はない。
「…………わかりました。では、よろしくお願いします」
渋々、本っ当に渋々了承すると、彼はニヤリと笑ってから、ようやく邪魔していた足をどけた。
やはりこの男は、性格はあまりよくないのかもしれない。
そうして、以前も通った道を辿り、三人は再び迷宮第一層へ踏み出す。
晴れ渡る青空に美しい花々、景色も以前に来た時とほぼ同じだ。
「それで? 今日の目的は?」
呑気にあくびをこぼす先輩を半ば無視して、ルーシャとチェスターは黙々と歩を進めていく。
目的は当然、前回消し炭にしてしまった一角ウサギだ。
(資料を読んだ感じ、もう少し先ね)
花畑を抜け、林を進み、草原まで来たところで、二人はお互いの位置を確認しながら周囲を警戒する。
「チェスター、わかってるわよね」
「ああ。一角ウサギは、群れて行動するんだよな」
相棒からはしっかりとした返事。前回は単独で倒したので知らなかったが、あの魔物は基本的に群れで行動するのだそうだ。
そのため、対策を頭に叩き込んできた今日は、群れを相手取るのが第一の目的である。
「なるほど、ちゃんと勉強してきたか。……そら、お目当てのご登場だぞ」
感心したように笑ったノルドが、草原の奥を見ながらスッと目を細める。
その先にいたのは、まさしく二人が待っていた一角ウサギの群れだ。
「よし、始めるぞ」
獲物を視認し、先に動いたのはチェスターである。
背負っていた荷物……と一緒に担いできた木製の盾を取り出すと、ルーシャよりも前に出て、守る姿勢で膝をついた。
途端に、一角ウサギは尖った角を突き出して、チェスターの盾へと突進してくる。
「来い!」
挑発に応えるように、ドンッドンッと鈍い音が何度も響く。
だが、盾を貫通することはなく、逆に弾かれた個体から転がるように退いた。
「いい感じ! じゃあ、バランスを崩したやつからいくわよ」
続いて、ルーシャも右手を前に突き出して構える。
この十日間、必死で鍛えた魔法――その名も〝風の針〟だ。獲物を最小限の傷で倒す、極めて繊細な攻撃魔法。
(まずは魔力に撚りをかけて、丈夫な糸のように。次は鋭く尖らせて)
右手の中に、細く鋭い拳大の針がいくつも浮かぶ。それぞれが先端を対象へ向けたところで、バッと手を払った。
「貫け!」
勢いよく射出された目視できない針は、一角ウサギの首をめがけて次々に刺さっていく。
前回ノルドも狙っていたが、首がこの魔物の急所だ。
的確に、傷は少なく。わずかな風切り音を残して、ルーシャの魔法が一角ウサギの群れを屠る。
「お、おお……!」
――数秒の後、その地に立っている魔物は一体もなくなった。
前回とは全く違う戦い方に、さすがのノルドも驚いてくれたらしい。
「従者くんに戦わせるかと思ったら、そうきたか。お嬢ちゃんは風の魔法も使えるんだな」
「……よく見えましたね」
彼を驚かせることには成功したが、動体視力のよさにはこちらもびっくりだ。ソロで名を馳せているだけはある。
「魔物の倒し方はよく考えられているな。それで、この後は大丈夫なのか?」
ただ、やはり倒すだけではご不満のようだ。採取までが探索者の仕事だと、言外に訴えてくる。
「ふん、そこで見てろよ。ルーシャ、頼む」
チェスターは盾を邪魔にならない場所へ横たえると、腰に差していたナイフを抜いて、ルーシャに差し出してきた。
「任せて」
さて、ここからが今回のもう一つの見せ所だ。
彼のナイフに〝流水の魔法〟を纏わせ、ルーシャも自分の腰のナイフに同様の準備を施す。
「は? え、水?」
ノルドから間抜けな声が聞こえた気がしたが、今はあえて答えない。
二人でそれぞれ魔物のもとにしゃがみ込み、清らかな水をたたえたナイフを丁寧に刺し込んだ。
(……大丈夫。順番はしっかり頭に入っているわ)
今日までで一番大変だったのは、実は魔物の構造を覚えることである。
魔物の体は構造が普通の生物とは違っており、非常識な在り方を覚えるのが一苦労だった。
ついでに、ノルドは角だけ切り取っていたが、一角ウサギは皮も肉も使い道がある。
(買い取ってもらえるのなら、全部きれいに剥ぎ取りたいもの。そのためにこの魔法を会得してきたのよ!)
先ほどナイフ纏わせた水は、切れ味を強化する魔法だ。肉が悪くならないよう冷やす意味と、血に煩わされずに解体できるという相乗効果もある。
「ここをこっちに引いて……」
「皮がこう……ルーシャ、内臓っぽい部分はいらないんだよな」
「うん。あとでまとめて燃やしましょう」
焦らず、丁寧に。魔法で強化していることもあり、引っかかりなくスルスルと剥かれた魔物は――必要な部分で切り分けられた〝素材〟へと変わった。
ルーシャのものも、チェスターのものも、両方だ。
「ノルドさん」
角、皮、肉と部位ごとに分けたそれらを並べて、二人揃ってノルドを見る。
さあ、どうだ。これが、あなたが甘く見た子どもの実力だと見せつけるように。
「…………」
彼はしばらくの間、口を半分開けた表情のままで固まっていたが――やがて両手を挙げた降参ポーズをとってから、満面の笑みを浮かべた。
「お見事」と。
嘘偽りのない、明るい褒め言葉と共に。
「一角ウサギを八体も! 初回とは大違いですね」
群れの全てを解体したルーシャたちは、今度こそ自信を持って組合へ帰還した。
本当は別の魔物も見たかったのだが、肉が悪くならない内に納品に来たのだ。その選択は正しかったらしい。
「すごい……どの素材も新鮮で理想的です。角は色んな方が納品してくれますが、皮や肉は面倒だからと、あまり持ってきてもらえないんですよ。用途はたくさんあるんですけど」
一角ウサギは一番狩るのが簡単な魔物なので、皮や肉は解体の手間と買取金額が釣り合わず、滅多に持ち込まれないそうだ。ある意味、希少品である。
「まさか消し炭を作っていた方が、こんな素晴らしい解体技術を会得されるとは。お二人が登録してくださって、本当によかったです! 今後もよろしくお願いしますね」
賞賛を送られて、ルーシャとチェスターは顔を見合わせる。
次いで、ニッと笑い合ってから、互いの拳を軽くぶつけた。
「やったな!」
「ええ!」
完璧な大成功。これこそ、本当は初日にほしかった達成感だ。
「わたし、これなら迷宮でやっていけるわよね!」
「ああ、もちろんだ!」
今度こそ、大丈夫。婚約を解消されて、貴族令嬢の立場を追われることになっても、ルーシャはしっかり生きていける。その自信を得られた。
(つなぎとして捨てられても終わりじゃないわ。ここからわたしの新しい人生を始めるのよ!)
それも、王子や貴族たちに邪魔されない、本当に望んだ人生だ。
確かな手ごたえと希望を胸に。この日ようやく、ルーシャの探索者としての新生活が、本格的に幕を開けた。