1章-2
結局断る理由も思い浮かばなかったため、受付の女性――リリナが紹介してくれた探索者ノルドに、今日は一日従うことになった。
不本意ではあるが、新人も新人のルーシャたちに逆らうという選択肢はない。
「迷宮の入口は、組合の近くではないんですね」
お行儀よくついていく道は、ふと見た窓枠に鉄格子がついていたりと、やはり普通の街並みとは違う無骨な印象だ。
「ああ、わざと距離をとっているんだよ。緊急時はここが司令部代わりに使われるからな。離れておかないと危ないだろう?」
「なるほど」
ノルドはある程度こちらの歩幅に合わせてくれつつ、慣れた様子で進んでいく。
途中ですれ違う人々が彼に挨拶や会釈をしていたので、人望があるのは間違いなさそうだ。
(外見はそれっぽくないけど、本当に長くここで潜っている探索者なのね)
命の危険がある迷宮で〝長くやれている〟ということは、つまり〝腕がいい〟ということ。
外見通りの年齢だとしたら、彼もルーシャたちと同じ年頃から潜っていた先達なのかもしれない。
「それにしても、あれだな。お嬢ちゃんたちは、組合に馬車で来たのか」
「ええ、そうです」
「そうか。なら、リリナの慧眼に感謝することだな。オレを案内役につけていなかったら、面倒なことになっていたかもしれない」
「……わたしたちが子どもだから、遊びに来たと思われるってことですか?」
「半分正解だな」
ノルドは足をぴたりと止めると、素早く背後のこちらに振り返る。
その顔は意外にも、ひどく真剣な表情をしていた。
「紋は消してきたようだが、そもそも御者付きの自家用馬車を持っているような家がどれだけあると思っているんだ? ここは迷宮区画だぞ」
「あっ!」
ノルドの低い声での指摘に、ルーシャはチェスターと顔を見合わせる。
(そっか、一般家庭に馬車はないんだわ!)
比較的安定している居住区画ですらそうなのだから、ここで馬車を乗り付けて登場したルーシャたちは、完全に異端者だ。
「他に働く場所がないから迷宮へ潜るやつも、ここには大勢いる。そんなところへ『金持ちです』と主張しながら登場したんだ。冷やかしだと怒鳴られる程度ならまだしも、最悪の場合は誘拐もありえたな」
(迷宮へ潜る前に攫われるところだった……)
立場柄、誘拐の対処法は学んでいるが、あくまで居住区画での話だ。
何より、悪意を煽るような行動をしたルーシャたちが悪い。
「すみません。考えが足りませんでした」
「お嬢ちゃんたちは、それが当たり前なんだろうけどな。今日のところはオレの客だと思われているから問題ないが、もし本当に探索者になるつもりなら、違う移動手段を考えるか、馬車はもっと離れた場所で降りるように。わかったか?」
「はい、気をつけます」
深く頭を下げるルーシャに、チェスターも悔しそうに続く。
彼はルーシャが令嬢だからと指摘したが、その従者として貴族の生活に慣れてしまった彼もまた、一般常識に気づけなかったからだ。
ルーシャに対して「ごめん」と呟いた声には、反省が濃く滲んでいた。
「それと、お嬢ちゃんはもう一つ。その妖精髪……正しくは〝妖精の贈り物〟だったか。次に迷宮区画を訪れる機会があるなら、髪を染めるかフードのある服で隠すことだ。そんな珍しいものを晒して歩いていたら、すぐに正体を特定されるぞ、ウィンスレット侯爵令嬢」
「……ルーシャ!」
まさかの指摘にバッと頭を押さえて、チェスターも庇うようにルーシャの頭に覆いかぶさる。
「当たりか」と呟いたノルドは、苦笑交じりにため息をこぼした。
「長く探索者をやっていると、たまに貴族から指名依頼がくるんだ。その関係で、多少そういうことも調べている。……が、まあ、お嬢ちゃんのソレは有名すぎるな」
(そうよね。わたしも珍しいってことを忘れてた……)
大層な名前がついているのは、薄紫色の髪を持つ人間が本当に稀だからだ。
貴族は迷宮区画になど興味がないと高を括っていたが、一般市民の中にルーシャを知っている者がいてもおかしくはない。
(この人が『お嬢ちゃん』なんて呼ぶのは年齢だけじゃなくて、わたしが令嬢だと気づいていたからだったのね)
「どうする? 帰るか、お嬢ちゃん」
「い、嫌です! せっかく来たんですから、今日迷宮へ行きます。あなたのような方が案内してくれる機会は、もうないでしょうし」
「そうか。胡散臭い案内役で悪いが、それなら付き合おう。ただし、二時間までだ」
「ありがとうございます!」
ふう、ともう一度息をついて了承してくれた彼に、ルーシャたちも姿勢を戻す。
今日はほぼ見学のつもりだったので、短い時間を指定してくれたのはこちらとしてもありがたかった。
(それに、こうやって先に指摘してくれたのも助かったわ)
ノルドの対応も、彼を指名してくれたリリナも、ちゃんとルーシャたちを案じて動いてくれたのだ。初回に彼らに会えたことは、とても幸運だったと思える。
「組合に戻ったら、受付のお姉さんにもお礼をしないと」
「いい心掛けだ。リリナには、あまり高価すぎない菓子でも贈ってやってくれ」
ノルドはそう言うと、再び前に向き直って歩き始める。
後ろに続いて足を踏み出せば、何故かチェスターがぎゅっと手を握ってきた。
「……ごめんね。嫌になった? 今日はずいぶん無口だけど」
「口を挟まないのは、従者としての癖なだけだ。……あいつ、軽薄そうな見た目だけど、隙がなくておっかない。信用しすぎるなよ」
「ん、ありがとう。気をつけるわ」
外見は若いが、ノルドはやはり強い人なのだろう。ならば、たった二時間でも学べることは多そうだ。
手を握り返したルーシャは、この時間を大事にしようと唯一の仲間と共に頷き合った。
迷宮の入口は、組合の建物から十分ほど歩いた場所に用意されていた。
周囲は人が集まれる広場として囲われており、屋根つきの大きな掲示板がいくつも並んでいる。
その前には、物々しい装いの人々が二十人ほど集まって談笑していた。
「情報共有所だ。リリナと同じ制服のやつらは組合の職員だから、何かあったら頼るといい」
言われてみれば、どの掲示板もすぐ隣に白黒の正装の人物が立っている。
ここで迷宮内の情報の最終確認をしてから、持ち物などを整えるのだそうだ。掲示板の奥には、簡易的な露店のようなものも見受けられた。
「おや、ノルドさん。ソロ専門のあんたが、お客さん連れとは珍しいね」
「可愛いだろ? とりあえず、一層の見学をしたら戻るよ」
ガタイのいい男性たちと気安く話すノルドを見て、ルーシャたちも軽く会釈をしておく。
外見的な印象では絶対に彼らのほうが強者であるはずなのに、ノルドをさん呼びしていた。つくづく、得体のしれない男だ。
「そういや、持ち物は大丈夫か?」
「もともと今日は短時間で帰る予定だったので。武器はナイフで、水筒と飴、あとは応急処置道具だけにしました」
「うん、最初はそれぐらいで充分だ。迷宮に潜るなら、帰りのほうが大荷物だからな」
背負い鞄に余裕があることを確認したノルドは、偉い偉いと微笑む。
本登録の条件でもあったように、迷宮から戻る際は何らかの成果を〝持ち帰ってくる〟のが基本だ。容量に余裕を持つ、は鉄板である。
「もし今後も続けるなら、かさばる荷物は忠犬に任せるといい」
「おい、俺は犬じゃないぞ」
「じゃあ従者くんと呼ぼうか。お嬢ちゃんは体力があるようには見えないし、荷物持ちを雇うのも手だな。中を見てから、ゆっくり考えることだ。そら、入口だぞ」
チェスターをからかいながらスッと顎を動かしたノルドに、ルーシャも視線を追従させる。
広場の先にあったのは、真っ白な石でできた門のような形の建造物だった。
高さは成人男性の二、三倍ほどあるだろうか。見上げるほど大きなそれは、何かの記念碑のようにも見えるが……囲われた内側の景色が、うねうねと歪んでいる。
「これが迷宮の入口だ。転移門やゲートとも言うな。見たとおり、ここから別の空間に繋がっている」
「……わかっていても、不気味ですね」
横から見ても、特筆するほど厚みはない。物理法則を無視した構造のようだ。
「どうする? やめておくか」
「行きます!」
「俺も行く」
「決意は固いか。じゃあ行こう」
笑みを浮かべたままのノルドは、散歩でもしそうな足取りで歪みの中へ進んでいく。
……当然のように、門の反対側から彼が出て来る様子はない。
「ルーシャ、行こう」
「ええ」
ここからが、本当の始まりだ。
握り合った手をしっかり確かめてから、二人は未知なる空間にそっと足を踏み出した。