エピローグ
「今日は久しぶりに、ウィンスレット侯爵令嬢がいらっしゃるのですって」
「まあ、しばらく領地で療養されていたと聞きましたけれど……お体は大丈夫なのかしら?」
(別の意味で大丈夫じゃなかった、とは言えないわよね)
諸々の出来事からいくらか時間が経ったある日の午後。
具体的には、裂傷が塞がって、骨がなんとかくっついたぐらいの日取りにて。
王妃によって〝仕切り直し〟とばかりに開催された茶会の隅で、ルーシャはこっそりとため息をこぼした。
「はあ……動きづらい。裾が邪魔……」
「お嬢様、仮面が剥げていらっしゃいますよ」
「あら、ごめんあそばせ」
いつもより豪奢に着付けられた薄桃色のドレスの裾を掴み、またため息。
肌触りもよく、高い生地を使っていることはルーシャにもわかるが、それだけだ。
駆け回ることの楽しさを知っているこの体にとって、美しいドレスはもはや拘束具でしかない。
「お嫌でしょうが、とてもよくお似合いです」
「本当に褒めてるの? それとも、遠回しな嫌味?」
「褒めてるに決まってるだろ。ルーシャは何を着てても魅力的だ。こういう姿も見られる俺は、役得だな」
「……何か変なものでも食べたの、チェスター」
上級使用人らしく穏やかに微笑む彼に、思わず鳥肌が立ちそうになった。
そういう彼もまた、ピシッとしたお仕着せのスーツもよく似合っている。
「お前こそ失礼だぞ、まったく……っと、そろそろ時間だ。いってらっしゃいませ、お嬢様」
「ええ、いってくるわ。なるべく早く戻るから」
恭しく頭を下げる従者らしい彼を置いて、しゃなりしゃなりと足を踏み出す。
背筋はピンと伸ばして。けれど、視線はわずかに下へ向けて。
儚く、そよ風にも倒れてしまいそうな、誰よりも弱いウィンスレット侯爵令嬢。
健気に咲く一輪の花のように――今日も仮面をかぶって、嘘の姿を塗り固めていく。
「なーんて、やってられないわよ! 撤収撤収!!」
「また早いお戻りですね、お嬢様。おかえりお疲れ、何があった?」
滞在時間わずか三十分で馬車に戻ったルーシャは、ドスッと座席に腰を下ろして美しく結い上げた髪を解きほぐした。
無論、よわよわルーシャちゃんが中座する理由はただ一つ、婚約者(仮)が馬鹿をやらかしたからだ。
「あの王子、言うに事欠いてわたしたちの結婚式の予定をベラベラベラベラ喋り続けるんだもの! 結婚しないって言ってるでしょ!! あと、わたしの腰を定位置にして手を回すのやめて!!」
今日の茶会は以前のやり直しで、前回同様に第二王子ネイハムの側妃候補を選ぶ意味合いもあったのだが、そんな場で〝ルーシャとの〟理想の結婚式を語り出したのだ。
せっかく残ってくれていた側妃候補たちは目が点になっていたし、主催の王妃すら頬が引き攣っていた。
中座を許してくれたのも、その王妃である。
「相変わらず駄目だな、あの王子。やっぱり首を刈ろう」
「それは駄目だって言ったでしょ」
「じゃあ暗殺者組合に依頼を出そう」
「……前向きに検討するわ」
ルーシャをつなぎとして最初に望んだのは王家なのだから、今更撤回するような動きなど、絶対に認めてなるものか。
こちらには婚約解消後にこそ、輝ける未来が待っているのだ。
いくら王太子妃を狙えるといわれても、そんな席リボンをつけてくれてやる。
(最初から聖女様の席なんだから、関係ないけど……とにかく!)
「ああ、気持ち悪かった! これはもう、狩って狩って解体しないと気が治まらないわ!」
「こっちの準備はできてるぞ。お前がドレスを脱いで、化粧を落としたらいつでも行ける」
「了解! 三分で済ませるわね!」
「……頼むからもう少し、女であることを思い出してくれ」
不憫な生活には、楽しみがなくてはいけない。
かくして意気揚々と迷宮区画へやってきたルーシャは、いつも通りにフードで髪を隠して、颯爽と組合の扉をくぐる。
「あら、おかえりなさい、ルーシャさん!」
「ただいま、リリナさん! 今日はどんな依頼がきてます?」
最近はまたカウンターにも立つようになったリリナと、明るく挨拶を交わす。
美しい装飾も、高価な調度品も一切ない。それでも、こここそがルーシャの帰る場所だ。
「実はルーシャさんとチェスターさんをお待ちの方がいらっしゃるんです。そちらの席へどうぞ」
「え? 指名依頼ですか?」
すいっと細い指先で示されたフリースペースを窺えば、視界に飛び込むのは鮮やかな深紅である。
「なんだ、ノルドさんですか。また何か重たいものの依頼を?」
「よう。本当に今日来るとは思わなかったんだが……恐ろしい情報網だな」
愛槍を肩にもたれかからせる彼は、どことなく困ったような様子でこちらを手招く。
レイスの件を解決して以降、ルーシャとチェスターを直接指名する依頼も増えてきてはいるのだが、
「やあ♪」
「ぎゃあ!!」
彼の背後からひょこっと顔を出したもう一人に、チェスターと一緒に飛び上がってしまった。
肩までの黒髪に度の入っていない変装用の眼鏡。
ここではユリと名乗っている彼は、第三王子ミュリウスだった。
「な、なんであなたがまたここに……」
「そういや、今日の茶会では見かけなかったな。こっちにいたのか」
「兄上に茶会出禁にされたからね。けど僕がいなくても、あの人はまた馬鹿をやらかしたんだろう? 心底嫌われているのに、懲りない人だね」
けらけらと笑いながら眼鏡を直すミュリウスは、まるで茶会を見てきたかのような口ぶりだ。
改めて、彼がどこに自身の耳を忍ばせているのか、恐ろしい限りである。
「えっと、それで……ユリさんはわたしたちに何のご用で?」
「用は特にないけど、一緒に迷宮へ潜りたいなと思ってさ。君たちも新人の頃は、ノルドさんに教わりながら潜ったんだろう? 僕もぜひ、ルーシャ嬢が見てきたその景色を見たいんだ」
「それは……」
また何とも、断りにくい話である。
ここにノルドが一緒にいるということは、彼はきっと了承したのだろう。
それを本人が望んだのか、はたまた何かの代償かはわからないが。
「どうする、ルーシャ?」
「君が嫌なら、オレが一人でユリさんを案内しても構わないが」
「できれば、嫌がらないでくれると嬉しいな。一緒にあのボス戦を乗り越えた仲じゃないか」
三者三様の問いかけに、つい笑みが抑えられない。
彼らは探索者のルーシャを望んでくれているのだ。
上っ面の嘘の顔をいいように使おうとしているネイハムとは、違う。
「今日わたし、いっぱい狩っていっぱい解体したい気分なんですけど、いいですか?」
「もちろん! 僕は戦闘しか参加できなかったから、ぜひ解体や採取をご教授願いたいな」
「お嬢ちゃんが狩りと解体したくない気分の日、あったか?」
「おっさん余計なこと言うな」
なんだか後ろがツッコミ待ちの様子だが、今日は聞き流してあげよう。
すっと手を差し出せば、まずはミュリウスが、続けてチェスターとノルドもノリよく上に重ねてくる。
「では、今日は第三層解体祭りで! リリナさん、いっぱい持って帰りますからね!」
「はい、いってらっしゃい! 楽しみにお待ちしてますね」
元気よく手を振って、四人でわいわいと迷宮へ歩き出す。
つなぎ婚約者なんかにされてしまったけれど、未来はどこまでも明るい。
自分らしく生きられる素晴らしい日々を、これからも。
「楽しい迷宮生活、いくぞー!」
『おー!!』
こちらでひとまず完結です。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
書き切り→毎日更新に一度挑戦してみたかった試作ですが、少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。
続きはご好評いただけるようなら書いてみようと思います。
30話では出せなかった設定もいっぱいあるので、ぜひ評価ボタンやいいね!をよろしくお願いいたします!
それでは、またお会いできることを願って。




