表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/30

序章-3

 ――この世界には、通称【迷宮】と呼ばれる不思議な空間が存在している。

 ルーシャたちが暮らすノーリッシュ王国を含めた大陸でも同様で、この国が有する迷宮は全部で五つだ。


 迷宮が何故現れたのか、どこから来てどのような目的があるのか。

 それらは、顕現(けんげん)してから何百年と経つ今も不明なままで、ずっと研究が続けられている。

 確かなのは、迷宮は入口部分だけがこちらの世界に存在しており、そこから繋がる内部は〝こちらの世界とは異なるルール〟で形成される完全な異界となっていること。

 そして、内部から採取されるもののほとんどが、この世界にとって大変貴重で有用なものであること、だ。

 ゆえに、『迷宮探索者』という世界共通の内部調査専門職が存在している。

 実はここ王都も迷宮を抱える都市の一つであり、ルーシャたちの屋敷がある街の西側を居住区画、東側を迷宮区画と明確に分けて、住民層も全く異なっていた。


「迷宮探索者になるって……正気か?」


 チェスターは大きな目をより見開きながら問いかけてくる。

 彼の驚きは当然だ。何しろ、迷宮探索者は〝命がけで内部を探る〟職業なのだから。


「見ればわかるでしょ、正気よ」

「あの中は『魔物』っていう化け物がうじゃうじゃいるんだぞ?」

「もちろん、知っているわ」


 肯定すれば、彼は顔をぐっと歪ませる。

 そう、探索者なんて専門職が存在するのは、内部は戦闘が避けられない極めて危険な環境であるからだ。

 しかも、相手は人間ではない。こちらの世界には存在しない、異形の化け物が跋扈(ばっこ)している。


(最初期は各国が軍隊や騎士団を投入して、攻略を考えたらしいけど)


 あいにく、彼らは対人戦闘を前提に訓練してきた武人だ。化け物相手では実力を発揮できず、逆に狩人など獣相手に慣れた者のほうが柔軟に対処できたらしい。

 そうした失敗を何度も経て、〝探索者〟という迷宮に特化した職業とその支援機関が作られた歴史があった。


(だから、今では結構ちゃんとした職業なのに)


 チェスターはどうにも本気だと受け取ってはいないのか。あるいは、本気だとしてもありえない選択だと思っているのか。


「ルーシャには無理だろ」


 と言い放つと、深い深いため息をこぼした。


「無理じゃないわよ。わたしだって考えはあるわ」

「無理だよ。起きてから寝るまで、身の回りのほとんどを侍女に任せてきたお嬢様が、どうやって迷宮になんて」

「身支度はこれから一人でできるようにするわよ! 何も今すぐに迷宮に潜るとは言ってないし。何より」

「何より?」


 怪訝そうにこちらを見返す彼に、ルーシャはつとめて真面目な顔を作って、応える。


「誰にも言っていないけど、わたしは――四元素全ての魔法が使えるわ」

「は!?」


 ルーシャが抱えてきた秘密を打ち明けると、彼は飛び上がりそうなほど大袈裟(げさ)にまた驚いた。

 ……本当は秘密にしてきたわけではなく、令嬢にはそこまで必要のない素養なので、伝える機会がなかっただけだ。


(使い方次第では何でもできるけど、魔法は女主人の必須教養じゃないもの)

「魔力が多いのは見ればわかるが、全部って本当に?」

「ええ、すごいでしょ! チェスターは地の適性だったかしら?」

「ああ。けど、俺は魔法の素養がないから意味がないよ」


 この世界に生きる人々は、生まれた時から四元素の内いずれかの適性を得ている。が、魔法として使いこなせる者はごくごくわすがだ。


「つまり、ルーシャは訓練さえすれば、『魔法使い』としても生きていける才能があるんだな」

「そういうこと! これなら、迷宮でもやっていけると思わない?」

「戦力としては、まあやっていけそうだ」


 先の聖女ほどではないものの、四元素全てを使える人間も極めて珍しい。

 ルーシャが己の才能を迷宮で使えるように鍛えたなら、間違いなく引く手数多(あまた)の探索者になれるはずだ。


「……けど、無理だよ。ルーシャはお嬢様だ。いくら魔法が使えたって、一人で買い物にも行ったことがない女の子が、迷宮区画でやっていけるとは思えない」

「――そのためのあなたよ」


 呆れたようにこぼしたチェスターの手を、ルーシャは両手でしっかりと握り直す。……実は話している間、手をずっと掴んだままだったのだ。


「俺?」

「巻き込んでいいって言ったじゃない。チェスターにはわたしと一緒にパーティーを組んで、迷宮に潜ってもらいたいの。いいわよね?」


 有無を言わさず、という強気の雰囲気で訊ねれば、チェスターは本日何度目かの瞠目(どうもく)を見せる。


「…………」


 ぱち、ぱち、と、瞬くことしばし。

 やがて言われたことを理解したらしい彼は、噴き出すように笑った。


「なんだ、よかった! ちゃんと何が自分に必要なのかわかってるじゃないか。もちろんいいよ、お嬢様。俺が一緒に行く!」


 続けて満面の笑みのまま、彼もルーシャの手の上に自分のもう片方の手のひらを添えてくる。

 表情も声もとても嬉しそうで、まるで何かのお祝いをしているようだ。


「本当にいいのね? 安全なお屋敷勤めから、危険な迷宮へ連れていっても」

「ルーシャのいるところが俺の勤め先だ。それに、迷宮に潜るなら絶対に荷物持ちが要る。従者ってのは、そういう時のために雇っているものだろ?」


 確かに、従者は荷物持ちや力仕事を担当することも多い。……お嬢様の荷物を持つのと、迷宮に必要な道具一式を持つのでは、全く規模感が違うが。


(本人がいいって言ってるし、いっか!)


 じゃあ、よろしく、と改めてお願いすれば、彼はますます笑みを深める。

 婚約の話は本っ当に最悪だったが、幼馴染との絆を再確認できたのはよかったかもしれない。


「……そうか、迷宮探索者か。まさかそんな道があるとは思わなかったな」


 彼は何度も呟きながら、噛みしめるように頷く。

 何はともあれ、新しい人生も、存外悪くない形で挑むことができそうだ。



 それから二人で自室を出ると、屋敷の中は早速お祝いムードに沸いていた。

 きっと父が婚約の話をしたのだろう。表向きの、ただただおめでたいだけの話を。


「お嬢様、ご婚約おめでとうございます!」


 浮き立つ使用人たちに曖昧に笑いかけながら、ルーシャはチェスターと共に急ぎ足で父の書斎を目指す。

 父はそれなりに多忙な現侯爵だ。話を通すのなら、確実に屋敷にいる今を逃す手はない。


「失礼いたします、お父様。ルーシャです」


 怒られない程度の速さで廊下を進み、淑女にしてはやや強い力で扉を叩く。

 すぐに開かれたその中では、神妙な顔をした父と目を赤く腫らした母が肩を寄せ合っていた。


(そりゃあ、お母様には話すわよね。お母様の借りのせいで、わたしが生贄になったも同然なんだから)


 もっとも、国王が母を助けなければルーシャはもちろん、兄姉も生まれてこなかったのだ。助かったこと自体を責める気はない。


「ルーシャか……婚約の話か?」

「いいえ。それも無関係ではないのですが、お二人には話しておくべきだと思いまして」


 重暗い空気を背負う両親とは対照的に、ルーシャは凛とした態度を保ったまま、チェスターを中へ促して扉を閉める。

 続けて、二人の顔をしっかり見てから、宣言した。


「わたしは、このチェスターと二人で、迷宮探索者になろうと思います」

「た、探索者に!?」


 声が室内に響くや否や、両親は口を手で覆う動作を同時にした。夫婦というのは一緒に暮らすと似るらしい。


「ど、どういうことだ、ルーシャ。何故お前が、そんな危険な道に……」

「つなぎになった以上、わたしに貴族の女としての未来はありません。ならば、早い内から〝その後〟の人生に備えておくべきだと思いまして。迷宮区画へ出る許可をいただけませんか」

「それは……」


 何かを言いかけた父は、唇を噛んだ。

 ルーシャの選択を止める権利がないとわかっているからだろう。


「……お前は、お母様の命を救った薬が、迷宮から得たものだと知っていたのか?」

(あ、そうだったんだ)


 もちろん初耳だが、迷宮から持ち帰られるものが希少で有用なのは周知の事実だ。せっかくなので、これも口実に加えさせてもらおう。


「……わたしが迷宮へ潜れば、今回のような借りを作ることもなくなりますね」

「だが、何もお前が行かなくても」

「お父様、結婚できない貴族の女など、口さがない者たちのいい玩具です。ましてや、王太子候補であるネイハム殿下の婚約者として公表されてしまうのですよ? だったら、貴族社会とはスッパリ縁を切った生き方を考えるべきかと」

「…………」


 淡々と言葉を重ねるルーシャに、両親はしょんぼりと眉を下げながら顔を見合わせる。

 やがて、数秒待った後に、しっかりと首肯を返してきた。


「わかった。お前がそう望むなら、私たちはできる範囲で協力しよう。すぐに探索者組合に依頼を……」

「いえ、そういった協力は不要です。迷宮へ潜ることを許可していただければそれで。自立して、家を出るための選択なのですから」


 侯爵としての力を使おうとする父に、ルーシャはしっかり拒否を返す。

 チェスターも心配していたが、貴族令嬢のままでは意味がないのだ。

 どうせ婚約を解消したら家を出るのだから、親の力に頼らずに動けるようになる必要がある。


(とはいえ、さすがに初期費用ぐらいは甘えるけど。その程度はいいわよね)


 あまりにも早い親離れ宣言に、両親は再び同時に頭を押さえて見せるが、もう心は痛まない。

 ルーシャは一日でも早く、新しい未来を掴みにいきたいのだ。


「わたしは大丈夫です」


 隣に立つチェスターの手を握って、ルーシャは笑う。

 理不尽な決定になど従わないという、強い意思を胸に秘めて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ