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5章-4

「お嬢ちゃん、起きてくれ!」

(な、何!?)


 翌朝、夜明けからいくらも経っていない早朝に響いたノックで、ルーシャはベッドから跳ね起きた。

 扉の向こうから聞こえてくるのは、このところ毎日一緒にいる男の声だ。

 すぐに近づくと「開けなくていい」と返ってくる。


「ノルドさん、何があったんですか?」

「組合から緊急呼び出しだ。朝早くから悪いが、準備してくれると助かる」

「わかりました、すぐに!」


 緊急とわざわざ言うのだから、ただごとではない。

 大急ぎで身支度を整えて階段を下りれば、二階の廊下にはノルドとミュリウスが待っていた。


(空いた部屋は三階のはずだけど、殿下も先に準備を終えていたのね)


 隠しもせずに欠伸をこぼす様はひどく眠そうだが、血色は悪くない。狭い庶民の宿でも休めたのならいいが。


「お待たせしました、何があったんですか?」

「例の魔物……レイスが、いよいよ一層で現れたらしい。時間が時間だったから、対応が遅れて負傷者が出たそうだ」

「第一層!? あそこは、見学ツアーがあるようなところですよね!?」


 思わず大きな声を出してしまい、すぐに口を押さえる。

 曰く、常に昼の明るさを保っている第一層は、下手に夜間の外にいるよりも安全なので、夜明かしをする者もいるらしい。

 また、レイスの襲撃で負傷者が大幅に増えており、第一層で採取できる薬草の需要も高まっている。

 そのために夜明け前から迷宮へ潜っていた者が、今朝襲われてしまったそうだ。


(第一層での採取を受けるのは、帰る家を持たない孤児も多いはず……!)


 人の少ない時間に潜っていた被害者が、子どもの可能性は高いだろう。


「休ませてやれなくて悪いが、対レイスでは君とユリさんがいないと話にならない。ついてきてもらえるか?」

「もちろんです。すぐに行きましょう」

「僕も構わないよ。さすがに迷宮の出入口間近まで迫られて、無視はできない」

「――俺も行く」


 いざ、と足を踏み出そうとしたところで、扉が開く音と共によく知った青年が現れる。


「チェスター……」


 久しぶりに起きている姿を見られた彼は、ひどく不服そうな表情で盾をドンと床に立てた。


「また俺を置いていく気だったな、あんたたち。今日はついて行かせてもらうぞ」

「駄目に決まってるだろ。いいか従者くん、心は元気かもしれないが、君の背中はまだ抜糸すらできていないんだ。傷が開いたらどうする」

「散々食って寝てを繰り返していたんだ、体力は回復してる。傷が開いたら開いたでその時だ」

「その時って……そんな簡単な傷じゃないんだぞ」

「命に別状はないと聞いた」

「そうだな、すぐ死ぬわけじゃなかった。だが、重傷は重傷だ。オレが怒鳴る前に聞き分けてくれよ」

「――ルーシャ」


 懇々(こんこん)と説教をするノルドを無視して、チェスターはルーシャのいる階段へ近付いてくる。

 まっすぐに見つめられて、思わず目を逸らしてしまった。


「なんで会いに来てくれなかったんだ。同じ宿にいるのに」

「……寝顔は、見たわ。少しだけ」

「起こせよ。俺はお前の従者だぞ? どうして主人が遠慮するんだ」

「だって、会うのが怖くて……わたしのせいで、大怪我をさせてしまったから」


 逸らした視線は、どんどん床へと落ちていく。

 ずっと一緒にいた乳兄弟の幼馴染だからこそ、傷つけてしまった事実が恐ろしくて、ついチェスターを避けてしまっていた。

 医師に診てもらっている時の真っ白な顔が忘れられなくて、会うのが怖かった。


「俺はタンク役なんだから、お前を庇うのは当たり前だろ。何のために盾を持ってると思ってるんだ? これが俺の仕事だ」

「でも……血が、あんなに……」

「ルーシャ」


 ぎゅっと、強く手を握られる。

 反射で頭を上げてしまうと、すぐ目の前に笑う相棒の顔があった。


「頼むから俺を置いていかないでくれ。お前のために何もできないなら、死んだほうがマシだ」

「……痛い思いをさせたくないわ」

「お前に捨てられるほうが、ずっと痛い」


 食べて寝てばかりいたと言ったのに、顔色はまだ白いし、頬も若干こけている。

 それでも彼は間違いなく、ルーシャのために屋敷での平穏を捨ててついてきてくれた相棒だ。


「……チェスターが死んだら後を追うから。そのつもりで盾を構えて」

「うわ、責任重大だな。わかった、肝に銘じておく」


 手を握り返すと、チェスターはしっかりと頷いた。

 一方で他の二人は、呆れるやら苦笑するやらである。


「すみません。わたしの責任で、チェスターも連れていきます」

「はあ、わかってたよ。ベテラン勢の助力が望めない今、戦力は貴重だし。流血沙汰にならないことを願いたいな」

「怒ってくれてありがとな。あんたがずっと心配して看てくれたのも、絶対に忘れない。……で、こっちの王子様にそっくりなやつは誰だ?」

「本人だよ、専属従者の君。ずっとルーシャ嬢の傍にいられる君が、いつも羨ましかったんだ」

「……え、第三王子殿下? なんで?」



 ちょっとしたトラブルになりかけはしたものの、四人に増えた一行は宿を出て、組合ではなく迷宮へ直に向かう。

 だいたいの事情はノルドが教えてくれていたようだが、改めて難敵レイスについて道すがら説明すると、チェスターは嫌そうに額を押さえてしまった。


「あの厄介な魔物がそんな……しかも第一層まで来てるんなら、本当にもう後がない状態だろ。どうにかできるのか?」

「できるできないじゃなく、するのよ。でなきゃ迷宮区画はもちろん、王都が大変なことになる」

「……そうだよな、わかった。俺は何をすればいい?」

「臨機応変に、と言いたいところだけど、できれば殿下……ユリさんを守ってほしいわ。この方が対レイス戦での特効魔法使いだから」


 いざとなったらルーシャは魔力量にものを言わせてゴリ押す戦法もできるが、ミュリウスはそうはいかない。

 要となるからこそ、無駄撃ちはさせずに的確にレイスを凍らせる必要がある。


「ルーシャ嬢じゃなくて悪いね、チェスター君。僕は君の主人と違って、それほど魔力が多くないものだから。最低限は自分でどうにかするけれど、手を貸してくれると助かるな」

「承りました、ユリさん……ミュリウス殿下なら、略称はミリさんじゃないのか」

「名前の頭文字が違ったほうが、偽名は誤魔化しやすいんだよ。ね、ノルドさん」

「オレを巻き込まないでもらえるか?」


 なんだかんだ軽い話題も挟みつつ、歩く速度は保ったまま迷宮の入口に到達する。


「……っ!」


 昨夜以上に緊迫した空気のそこには、探索者たち皆が暗い顔をして集まっていた。

 地面をよく見れば血痕がそこかしこにあり、不穏な印象を拭いきれない。


「ノルドさん、こっちです。すみません、皆さんを呼びに行っていただいて」

「オレが一番近くて身軽だからな。気にしてないさ」


 転移門のすぐ前には、疲れが隠せていないリリナが待ち構えている。

 周辺には見覚えのある探索者たちも控えているが、誰も彼も無事とは言えない姿だ。


「リリナさん、今朝の被害はどれぐらいですか?」

「薬草採取に出ていた子たちが、七人ほど。死者こそいませんが、よい状況とはとても……」

(やっぱり子どもが……)


 自分たちも十二歳で迷宮へ潜ったのだ。あの時よりも若い子が怪我をさせられたと思うと、怒りがふつふつとこみ上げてくる。


「残念ですが、当組合に氷魔法の適性者もいませんでした。ご負担を強いることになりますが、ユリさんにご協力いただくしか」

「構わないよ、気にしないで。僕は僕にできることをするし、頼もしい味方がいるからね」

「嬢ちゃんたち、くれぐれも無理のないようにな。俺たちもここで待機しているから、やばくなったらすぐに離脱してくれ」

「はい、ありがとうございます」


 そう言ってはくれるが、声をかけてくる彼らは負傷したばかり。昨日の今日どころか、まだ数時間しか経っていない傷もあるのだ。彼らにこそ無理強いはできない。


(わたしは魔力も気合いも充分。今日こそ、群れの長とやらを倒してみせるわ!)


 皆に見送られて、四人で一気に門をくぐる。

 若干の浮遊感の後に広がったのは、平和で温かい花畑の景色だ。


「見た目は平和ね。昨日みたいに、いきなり戦場が見えるのも怖いけど」

「……いや、空気が気持ち悪いな。少なくとも、いつもの一層ではなさそうだ。お嬢ちゃんも警戒してくれ」


 前衛を務めるノルドとチェスターは、すでに臨戦態勢で周囲を睨みつけている。

 レイスは下層へ移動することなく、まだここにいるのだろう。


(……ん? 何かしら、歌?)


 ふと、届いた音に耳を澄ませる。

 口笛のような、鼻歌のような。表現しがたい不思議な音が聞こえてくる。

 決して上手くはないのに、妙に耳に残る音階だ。


「この音、どこから……?」

「ルーシャ嬢も聞こえる? 僕には奇妙な鳴き声に思えるのだけど」

「鳴き声……」


 言われてみれば、そのようにも感じる。言葉にならない、音の羅列。


「俺には何も聞こえないんだが。ルーシャ、魔法で周囲を探れるか?」

「ん、ちょっと待ってね」


 ルーシャとミュリウスにだけ聞こえているなら、魔力がかかわる音の可能性が高い。

 いつも通りに魔力を練って、風の魔法を周囲に張り巡らせる。


『ア、アァ……ア、アア』


 瞬間、耳に音が届くと同時に、壁のような分厚い何かに魔法がぶつかった。


「魔物が……待って、何この大きさ!?」


 レイスがいるものと思っていたので、油断してしまった。

 以前に戦った大型の鉄鋼ネズミよりも、さらに巨体。

 これはもう、生き物ではなく、建物……あるいは、塔と呼ぶべき大きさだ。

 ルーシャたちが泊まっている三階建ての宿よりも、さらに大きい。


「ルーシャ嬢、どちらだい!?」

「目線の先に思いっきり打ってください! こんな大きさなら、絶対に当たります!!」

「わかった! 凍れ!!」


 悲鳴のように出た声に、ミュリウスの魔法が応える。

 そして現れるのは……そびえ立つとしか表現できない、悍ましい氷の巨塊。


「これは……!」


 白く(かたど)られたそれは、イルカに似た曲線状の体……足はなく尾で浮いて泳ぐ半身。

 そして、虫のカマキリに似た鎌状の腕がこちらには六本。

 その腕一本ですら、刃の部分だけでも長身のノルドよりもはるかに大きく、頑強に見える。


「でかすぎだろ……こんなのを四人で倒すのか!?」

「見えちまったんだからやるしかないだろ。従者くん腹を括れ!」

「わかってるよ!」


 怒鳴るように声をかけあいながら、二人が武器を構える。

 ルーシャも思わず言葉を失っていたが――これはもう、間違いない。


「これが、レイスの群れの長……」

「ボス戦ってやつだね。ルーシャ嬢、さあ、いこうか」


 ミシミシと氷の軋む音を開戦の合図に、四人だけの侵攻防衛戦が火蓋を切った。

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