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4章-5

「早めに診られてよかったよ。出血は多いが、命に別状はないはずだ」


 やや年配の医師の言葉に、ため込んでいた色々なものが、目から全部流れてしまった。

 ベッドにうつ伏せに寝かされたチェスターは、背中が包帯まみれで真っ白な顔をしているが、無事らしい。


「よかった……ほんとに、よかった……」


 床にへたり込むルーシャを、何人かの大人が支えてくれる。

 もしチェスターをここで失ってしまったら、うっかり後を追うところだった。


 ――あれから、這う這うの体で迷宮を脱した調査チームは、チェスター以外は大きな怪我を負うこともなく街へ戻ってきた。

 魔力切れでほぼ気絶状態だったルーシャはノルドが、最後の最後に深手を負わされたチェスターはローガンが抱えて、拠点としている宿まで運んでくれたらしい。

 一見お断りで敷居が高いだけあり、この宿はいつでも出入りを許してくれる上、病院と提携もしているのだそうだ。

 おかげでチェスターは適切な治療を受けることができ、ルーシャが意識を取り戻した時には、処置は終わっていたのである。


「そちらのお嬢さんは、魔力切れを起こしているんじゃないかい? 目が独特の濁り方をしている。あなたもゆっくり休みなさい」

「でも、わたしのせいでチェスターが……」

「大丈夫、できる限りの処置はしたよ。お嬢さんこそ、休まないと命にかかわるよ。魔力切れは、医学ではどうにもできないから」

「…………」


 そう言われると、確かに視界は濁っているし、頭も重い。

 支えてくれた手にもたれかかれば、持ち主はノルドだったようだ。


「ほら、部屋へ戻ろう。ローガン、彼を任せても構わないか?」

「もちろんだ。……若い子たちにばかり、無理をさせちまったな……」


 後悔の滲む低い声をぼんやり聞きながら、ルーシャは再び抱き上げられて、チェスターの部屋を出る。

 廊下も階段も薄暗く、朝と呼ぶにはまだ少し早い。


「……すまないな。君たちに、こんな思いはさせたくなかったのに」

「あなたのせいじゃない。わたしが、もう少し頑張れたら……怪我も、させなかった」

「君は充分すぎるほど頑張ってくれた。君がいなかったら、オレたちのチームは全滅していたんだ。頼むからもっと誇ってくれ。でないと、大人の立場がない」

「……わたし、は」


 何かを答えようとしたはずなのに、瞼が閉じて、思考も沈んでいく。


「おやすみ、ルーシャ。……次はオレも、君たちを守れるようにならないとな」


   * * *


 次にルーシャが目覚めた時、太陽はすっかり高くまで昇っていた。

 ひとまず汚れた衣類を片付けてシャワーを浴び、ついでにリネン類の交換をしてもらったところで再び意識が落ち……結局まともに動けるようになったのは、迷宮を脱してから二日目だった。


(まさか、ここまで動けなくなるとはね……)


 魔力量が多く、また回復も速いルーシャだが、今回は体に負担をかけすぎたようだ。

 ただ、今後も探索者を続けるのなら、自分の限界とその後どうなるかを知れたことはいい経験だったと思う。


「何かお腹に入れないと。チェスターの容態も気になるし」


 フラつく足で部屋を出ると、「お」という声と共によく目立つ深紅が視界に飛び込む。


「ノルドさん?」

「今日は起きられたんだな。食べられそうか?」


 ホッとしたように苦笑した彼は、手にした盆を見せてくる。

 蓋をかぶせた容器は、察するにスープか何かだろう。


「それは、わたしの?」

「ああ。二、三時間前にも見に行ったんだが、反応がなかったから」

「すみません、寝てました……お手数をおかけしまして」


 踏み出した足を元に戻して、彼ごと部屋へと戻る。

 やっぱり盆に載っていたものは、具がしっかり溶けた消化によさそうなスープだった。


「具合はどうだ?」

「わたしはもう大丈夫です。色々とありがとうございました」

「こっちこそ、君は命の恩人だ」


 もらったスープをゆっくりと口に運びながら、あれからの話に耳を傾ける。

 チェスターについていてくれたローガンの代わりに、組合への報告はアルロが行ったそうだ。

 透明な魔物の情報は瞬く間に探索者たちに広がって、現在一部の実力者以外は、第二層以降へ行かないよう制限されているという。


「制限されていないのは、普段五層に潜ってる攻略組のやつらだな。常夜(とこよ)の戦場にいる分、視認できなくてもある程度戦えるってことで許されてる」

「ローガンさんたちとは違うんですか?」

「あいつらは調査や採取をしっかりする『探索者』の代表だよ。攻略組は何というか……戦闘狂だな」

「あ、なるほど」


 リリナが指名しなかったわけだ。探索者として籍を残しているのだから、本分を忘れているわけではなさそうだが。


「一番利用率が高い第三層に潜れないのは、痛手でしょうね」

「こればかりはどうにも。対峙したオレとしても、有効策がない状態では戦いたくない」


 それはルーシャも同感だ。魔法でどうにかできるとはいっても限度がある。


「組合のほうはわかりました。チェスターはどうですか?」

「君と同じで、まだほとんど寝てるよ。たまに起きて食事はとってるが、血を作るためにも眠るのが一番だしな。傷も見た目ほどひどくはないそうだ。ここが迷宮区画なのも幸運だった」


 そういえば、迷宮でとれる薬草は有用なものが多いと聞いている。


(病気だけじゃなく怪我にも有効なのね。いざとなったら、わたしが迷宮へ戻って採ってこられるし)

「しばらく安静にする必要はあるが。……それで、君はどうする?」

「そうですね。一度家へ戻ろうと思います。おば様に、チェスターのことを報告しないといけませんし」


 ちなみに、置いてきた荷物は翌日アルロのパーティーが取ってきてくれたので、そのために迷宮へ潜る必要はないそうだ。


「彼は従者……使用人だろう? そんなに気に病む必要はないと思うが」

「病みますよ。わたしが連れ出さなければ、チェスターは屋敷で平和に暮らしていられたんですから」

「……そうか。ま、オレの知っている従者くんなら、置いていかれるほうが嫌がりそうだけどな」

(大正解だから余計に困るわ)


 怪我などしてほしくはなかったのに。

 とにかく、まずは一度帰って事情を説明しなければならない。必要なら、チェスターの家族をここへ連れてくることも考えなければ。


「君が向こうに戻っている間は、オレが面倒をみよう。何かあったら宿宛てに報せてくれ」

「何から何まですみません」

「これぐらいでしか今は返せないんだ。気をつけてな」


 それから身支度を整え、ノルドに教わった乗り合い馬車を駆使して、なんとか日暮れまでにはウィンスレット侯爵邸へ帰ることができた。

 こうしてみると、自家用馬車を持つ貴族はやっぱり格の違う存在である。


(本当に恵まれた生活をしていたのね。でも、これからは覚えていかなくちゃ)


 人目を避けて裏口へ回り、拠点である離れへ急ぐ。

 チェスターの母に、どう謝罪しようか。そうぐるぐる考えながら扉を開けると――まさにすぐ目の前に、本人が待ち構えていた。


「えっ、おば様!?」

「まあ、本当にお戻りになられるなんて……お帰りなさいませ、お嬢様」

(どういうこと?)


 彼女の口ぶりはまるで、ルーシャの帰宅を聞かされていたようではないか?

 当然ながら、ネイハムのせいで〝療養〟になって以降、家とは一切連絡をとっていない。


「た、ただいま。今日はどうしたの?」

「はい、ある御方から〝今日お嬢様が戻ってくる〟と事前に伺っていたのです。お疲れのところ申し訳ございませんが、お支度を軽く直させていただきますね」

「え? ええ!?」


 事態がサッパリわからないまま、ルーシャはあれよあれよと支度を整えられてしまう。

 用意されたのは薄青色のワンピースドレス――外出着の一つだった。


(この既視感のある流れ、まさかまたなの!?)


 前回迷宮から戻った時に、全く同じ行動をされたばかりだ。

 だが今回の療養は、そもそも王家側の失態が原因のため、緊急事態以外は絶対に取り次がないと両親共に決めていたはず。


(その緊急事態になったということ? 迷宮区画には何の情報も届いていないけど)


 とにもかくにも、とチェスターの話をする間も与えられないまま、令嬢に戻ったルーシャは屋敷の応接室へと強引に連れ出される。

 ――予想通りというか、案の定というか。そこで待ち構えていたのは、前回と同じく第三王子ミュリウスだった。


「おかえりなさい、ルーシャ嬢」

「…………わたしに何かご用でしょうか?」


 愛想のあの字もない態度に、周囲に控えていた侍女たちが凍りつく。

 だが、ルーシャはふるまいを改めることなく、用意された向かいのソファに腰を下ろした。

 ――何しろ、ルーシャは今領地で療養中なのだ。〝いないはずの人間〟を平然と呼び出したミュリウスに、警戒するなというほうが無理である。


「そう怒らないで。僕も度々先触れもなく押しかけてしまって、申し訳ないとは思っているんだ。でも、たぶん必要だろうなと思って」

「一体何のお話でしょう?」


 ピリピリと張りつめていく空気に、侍女の息を呑む音が聞こえる。

 ミュリウスは小さく嘆息すると、スッと手を挙げて彼女たちの退室を命じた。


「あっ……も、申し訳ございません」

「大丈夫よ。殿下の指示に従って」


 侍女たちは深すぎるほど頭を下げながら、応接室を去っていく。

 ……と、その動きを追ったミュリウスは、すぐに扉を閉め、あろうことか内鍵までかけてしまった。


「殿下、何を!? お嬢様!」


 外から呼ぶ声とノックが聞こえるが、彼は気にした様子もない。


(……これまでと、態度が全然違う)


 ミュリウスはルーシャに対して比較的穏やかで、優しい人物――そう装っていたはずだ。

 なのに今の彼の水色の瞳は、怜悧で狡猾な別人のように見える。


(いざとなったら、魔法を使うしかないか)


 体内で回復したばかりの魔力を練り始めると、彼はにっこりと、それはもう楽しそうに笑った。


「従者くんの怪我の具合はどう?」


 ――そう、世間話でもするように、明るく。


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