2章-4
すっかり通い慣れた道を行き、即席三人パーティーで迷宮の入口をくぐる。
今回の目的地は第三層で、探索者たちの約半分が主な活動場所として潜っている階層だ。
(とは言っても、階層が広いから他の探索者と鉢合わせる機会もあまりないけどね。確か、先頭の攻略チームが調査している最深部は、五層だったかしら)
下層ほど数字が上がる迷宮は、同時に探索の難度も跳ね上がる。
また、一層の面積も下へいくほど広くなっており、第二層が王都のおおよそ二倍、三層ですら五倍以上あるらしく、さらに下層は測量が難しいほど広い。
環境も階層ごとで異なっており、一番簡単だった第一層は、常に晴れた青空が広がるのどかな花畑や森の景色。
第二層も環境はだいたい同じだが、ここから時間の概念が加わることで『夜』がやってくるようになる。
そして、第三層は――。
「何度来ても、この階層は退廃的ね」
視界に広がるのは、常に灰色に曇った空と荒野。
各所には遺跡と思しき廃墟群が散らばっており、全体的に打ち捨てられた印象を受けるのが第三層だ。
何度か訪れて慣れはしたものの、上二階層とのあまりの違いに最初はとても驚いた。
迷宮側からしても、〝ここからが本番だ〟という警告を兼ねているのかもしれない。
「ルーシャは喉に気をつけろよ。ここ、空気が乾燥してるから」
「従者くんもだぞ。まあ、ここは第四層と比べたら全然マシだけどな」
やや過保護な心配をするチェスターに、ノルドはニヤニヤと笑っている。
なお、ルーシャたちが行ったことのない第四層は、巨大な川が階層の中央を流れる湿地帯らしく、七割の確率で雨降りなのだそうだ。
「それにしても、やっぱりお嬢ちゃんと一緒に潜ると楽だな! この快適さを知っちまったら、ソロが億劫になるぜ」
笑みを深めてトンと背負い鞄の肩ひもをつついたノルドに、ルーシャは苦笑を、チェスターは呆れた目を返す。
実は迷宮へ潜る際、ルーシャは常時魔法を使っている。――荷物を下から持ち上げてくれる、風の補助魔法を。
(チェスターにわたしの荷物も持ってもらうのが申し訳なくて、編み出した魔法なんだけどね)
本当は荷物そのものを浮かせて運びたかったのだが、さすがにそれは加減が難しく、ちょっと力を込めると荷物を丸ごと吹き飛ばしてしまうので没になった。
だが、肩に負担がかからないよう鞄の底を支えるだけなら、位置の把握も簡単なので常時発動していられるのだ。
今回ルーシャが頼まれたのも、非常に重い鉄鋼ネズミの皮を魔法で支えながら運ぶためである。
「全く、ヒトの主人を便利道具みたいに扱いやがって」
「そんなつもりはないが……お嬢ちゃんとずっと一緒で、この快適環境が当たり前の従者くんにはわからんだろうな。荷物負担が少なくなるだけで、どれほど救われるかなんて」
「それは……」
ぐぬ、と口を噤んだチェスターに、ノルドはさらに続ける。
「お嬢ちゃんがいると飲み水にも困らないし、その分の重量も減らせる。魔物の体液塗れになってもサッと洗い流せることなんかも、本当にありがたいんだぞ」
「わたしが汚いの嫌ですからね」
これらは水魔法だ。安全な飲み水の確保はもちろん、ルーシャ自身が汚れたままは嫌だったので、いつでも勢いを調節して使えるようにしている。
「最初こそ失敗だったが、迷宮内で火を自在に扱えるのもすごいことだ。体温低下は時に命にかかわるし、灯りがあることで精神の安定具合も変わってくる。火つけ石は慣れていないと意外に使えないものだしな」
(それと文化人として、火の通っていない肉や魚は食べたくないもの)
最初の一角ウサギを消し炭にしてしまったのは大失敗だったが、夜がくる階層では火は命綱の一つだ。それを自在に起こせるだけで、かなり重宝される。
現地で狩った魔物の肉を食事にできるので、携帯食分の荷物削減にも一役買っていた。
「そして地魔法な。足場が悪いと歩くだけでも疲弊するから、地面を均してくれるのは全ての探索者の助けになっている。壁を築けばどこでも野営ができるし、環境に左右されずに身を守れると、体力の温存に繋がる。いやもう本当に、至れり尽くせりだ!」
「ど、どうも」
力強く言い切られて、ルーシャはちょっと引いてしまう。
地魔法も第三層から使うようになったもので、主に防御と地均し、天幕代わりの壁として使用している。一応年頃の娘として、他人の視線を遮りたい時もあるのだ。
「お嬢ちゃんは自分が優秀すぎることをもっと自覚してくれ。四属性全部使える上に、ほぼ無尽蔵の魔力持ちの探索者なんて、国中を探したって見当たらないぞ。君が一人いるだけで、難度が三段階ぐらい下がる」
(そんなに!?)
自分とチェスターのために身に着けたあれこれは、歴戦の猛者であるノルドにも認めてもらえるほどだったらしい。
自身の異常さそのものは自覚があるため、四属性を使えることを知っている彼ら二人には、他言無用をお願いしているのだが。
(ここまで評価されると、やっぱり気分がいいわね!)
それも、淑女としてはあてにされていなかった才能だ。
これほど有能なルーシャを〝つなぎ〟扱いをした王家の人々には、改めて後悔してもらいたいものである。
「ベタ褒めだな、おっさん」
「お兄さんな! 従者くんは嫌がりそうだが、オレは本気でお嬢ちゃんと組みたいぐらいだよ」
「え? ソロ専門を辞めるんですか、ノルドさん」
目を瞬かせると、ノルドは誤魔化すような笑みを浮かべてから、ポンとルーシャの頭を軽く撫でた。
「オレも色々あって人との馴れ合いを避けてたクチだったんだが、君たちと潜るのは体力的にも気力的にも楽でな。お嬢ちゃんの正体も知っていることだし、まあ少し考えてみてくれ」
ノルドは優しく髪を一撫ですると、大股で先へ進んでいった。まるで照れ隠しのようだ。
(わたしとしては、まだ仲間を作る気はないのだけど)
解消確定でも、今はまだ王子の婚約者だ。
なので、情報交換程度の雑談はするが、込み入った話は決してしないし、友人と呼べるほど親しい者も四年間一人も作らなかった。
強いて言うなら、ノルドが一番親しくなった相手だ。
「……どうするんだ、ルーシャ」
「とりあえず保留ね。ノルドさんは、わたしの事情は知っているでしょうし」
これまでの彼を考えれば、ルーシャの正体をネタに脅してくるような人物ではない。
それに、わざわざ『仲間』にならずとも、今日のように一時的なパーティーを組めばいいのだ。これなら拘束もなく、彼も用のない日は自由に探索ができる。
(屋敷で一緒に暮らしているチェスターと違って、迷宮区画暮らしの彼とこまめに連絡を取り合うのは難しいもの。だから今は、保留としか言いようがないわ)
それでも、先輩の彼に仲間として求めてもらえたことは、やっぱり嬉しい。
今後も失望されないよう、実力を高めていきたいところだ。
それからしばし歩いた三人は、一つの遺跡の元で足を止めた。
朽ちてなお荘厳さを残す石造りの廃墟は、この世界のどこの国でも使われていない独特の模様が刻まれている。
「よし、今日の拠点はここでいいか。お嬢ちゃん任せてもいいか?」
「了解です!」
皆で荷物を一点に集めてから、ルーシャが地の魔法を使って土壁で覆って隠す。瓦礫と一体化した荷物は、あっという間に見えなくなった。
「荷物番を置く必要のない気楽さよ……」
「あんたの場合、荷物番も何もソロじゃねえか。普段荷物はどうしてるんだ?」
「必要最低限しか持たない。どうしても荷物を置かなきゃならない時はまあ、運任せだ」
(それは盗難よりも、置いた場所を忘れそうね。わたしは自分の魔力を辿れるけど)
ソロ探索者はしがらみがない分、様々な点が自己責任になるのが大変そうだ。
「じゃあオレは、鉄鋼ネズミを釣ってくる。準備しててくれ」
「おい、くれぐれも気をつけろよ。釣るのは一体だけだ。俺はデカい魔物を何体も相手にしたくないからな!」
「ははっ、誰に言ってる」
ノルドはニヤリと笑うと、愛槍を担いで駆け出していった。
その足取りの軽さに、思わず二人で顔を見合わせる。
「あいつ本当に今日はごきげんだな。しゃーない、俺たちも構えるか」
「ええ。役割分担も定着してきたわね」
声色は呆れているが、なんだかんだ言っても付き合いのいいチェスターに笑みを返しつつ、ルーシャも彼に続く。
ソロでも戦えるノルドは、いわゆる遊撃手だ。
今日のように魔物を戦いやすい場所へ釣ってきたり、戦力として以外も優秀である。
対してチェスターの役割はタンクだ。
どっしりと盾を構え、魔物の攻撃を一身に受けてチャンスを作るので、自分以外に仲間がいないと成立しない。
そしてルーシャは、彼らが作ってくれた隙に魔法を打ち込むのが役目だ。
もともと二人きりで潜るつもりだったので、最初の頃はノルドが加わった戦い方に違和感があったものの、最近は彼も加えた形が完成されつつある。
(今なら三人でも、意外とやっていけるかもしれないわ)
廃墟を出て、なるべく遮蔽物のない広い場所に二人で立つ。
普通の魔物相手なら身を隠す壁があったほうが狙いやすいが、何せ体高だけでも五メートル近い巨大な魔物が今日の獲物だ。
チェスターの顔つきも真剣なものに変わっており、盾を構える姿勢もいつも以上に気迫が感じられる。
やがて、少し離れた場所から響いてきた低く重い足音に、目だけで頷き合って臨戦態勢をとった。
――さあ、狩りの始まりだ。




