表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/30

2章-2

 淡い誘導灯に従って走ることしばらく。


「おーい、お嬢様こっちです」

「そっちね、ありがとう!」


 聞き慣れた声に招かれたルーシャは、馬車たちの間を縫って無事に合流を果たした。

 病弱とはとても思えない健脚ぶりを披露してしまったが、きっと夜の闇が隠してくれたことだろう。


「おかえりなさいませ、お嬢様。予定よりもずいぶん早いお戻りでしたね」

「ただいま、チェスター。気分が優れないから、粗相をする前に退場させてもらったわ」

「それはそれは」


 恭しく頭を下げたいつもの従者ことチェスターに、ルーシャは肩をすくめて返す。

 同じく成人の十六歳を迎えた乳兄弟は、今ではすっかり立派な青年に成長した。

 身長もルーシャより頭半分ほど高くなり、体つきも比較にならないほどしっかりしている。


「お体に(さわ)ってはことですから、すぐにお屋敷へ帰りましょう。さあ、お手を」

「ありがとう」


 馬車へ促すチェスターの手を掴むと、温かさに安心して力が抜けてしまった。これがあの婚約者(仮)との信頼度の違いだ。

 そのまま扉を閉めて馬車が動き出せば、途端に大きなため息がこぼれた。


「――くくっ、化けの皮が剥がれるのが早すぎないか」

「ああいうかしこまった場所は、わたしには向いてないのよ。お兄様もお姉様も、よく普通に社交なんかできるわよね」

「見てくれだけは儚げ美少女なのにな」


 相変わらず二人になると気安いチェスターの態度に、緊張していたらしい体が解けていく。

 一応十歳までは、のんびりながらも真っ当に育てられたのだが、今となっては懐かしい思い出だ。つなぎなどに指定されたのも、ある意味運命だったのかもしれない。


「それにしても、社交界デビューにしては退場が早すぎだろ。ちゃんと挨拶はできたのか?」

「したわよ。終わったら即退場したけど」

「どおりで」


 呆れたように笑った彼に、ルーシャも相好を崩す。

 確かに、貴族令嬢にとって社交界デビューは絶対に失敗できない大事な夜会だ。だが、いずれ貴族を辞める者にはそんなもの関係ない。


「夜会に参加しただけでも褒めてもらいたいぐらいよ。王子に触られるのも気持ち悪かったし」

「触られるって、ただのエスコートじゃないのか?」

「あの男、何故か腰にまで手を回してきてね。これもエスコートなの?」

「いや、それは痴漢だな」


 一瞬で冷たい空気に切り替わった彼に、自分は間違っていなかったと安心する。

 同性から見ても気持ち悪い行為なら、嫌悪感を抱いたルーシャは正常だったわけだ。


(相手が王子じゃなければ文句も言えたのに……ああ、面倒くさい)

「事情は察したけど、このまま帰っても大丈夫か? お前の評判が悪くなるのは嫌なんだが」

「悪くなってもいいわよ、別に。まあ、それよりは病弱さのほうが先にくるでしょうしね」


 いくら人の揚げ足取りが趣味な貴族たちでも、体が弱いことを嘲笑うほど人間が終わってはいないはずだ。

 今夜のことも、大事な夜会から早々に退場するほどルーシャは病弱なのだ、と受け取っただろう。


「病弱でゴリ押せるなら、前にやった顔見せもしなくてよかったんじゃないのか?」

「わたしもしたくなかったけど、あれは義務だからね」


 両親曰く、貴族には通さなければならない筋がある、らしい。

 実に面倒だが、家を離れるその日までは、必要最低限はこなさなければならない。


「今日の夜会だって、お父様かチェスターがエスコートしてくれたら、もう少し義理立てをする気も起きたけど」

「どうかご勘弁を、お嬢様。自分はしがない従者ですから」

「こんな時ばっかり従者ぶって!」


 軽口を叩きながら、お互い気楽に笑い合う。


(……笑った顔は昔から変わらないけど、チェスターも立派になったわよね)


 この四年で、チェスターは少年から青年に成長し……しかもかなり格好いい青年になったとルーシャは思っている。

 背が伸びて筋肉がついて、声も低くなった。ぱっちりとした緑眼が印象的だった可愛い顔も、面影を残しつつ精悍な雰囲気に。

 お仕着せだって、今は執事にも支給される黒のスーツだ。


(きっと今日の夜会会場にいても、貴族令息たちに引けは取らないと思うわ。本当、エスコートしてくれればよかったのに)


 だからこそ、たまにふと思う。

 乳兄弟のよしみでルーシャに付き合わせているが、もし他にやりたいことができたなら、ちゃんと彼を解放してあげようと。


(いつかお嫁さんをもらうでしょうしね。それまでは、二人で一緒に頑張ろう)


 馬車は夜闇の中を迅速に進み、無事ウィンスレット侯爵家の屋敷に到着した。――ただし、裏門から入る小さな離れの前に。


「いつもありがとう。面倒をかけてごめんなさいね」

「いいえ。お嬢様のためですから」


 礼をしながら馬車を降りれば、御者も慣れた様子で応えてくれる。

 実はこの四年の間に、ルーシャは屋敷の本邸ではなく、こちらの離れに生活拠点を移していた。

 表向きの理由は、『ルーシャが体調を崩しがちで、頻繁に医師を呼ぶため』だ。

 侯爵家の大きな屋敷の正門から入ってもらうよりも、搬入などを扱う裏門のほうが出入りはしやすく、また人目にもつきにくい。

 ウィンスレット侯爵家の体裁を守るために、必要な処置……ということになっている。

 もちろん本当の意味は、ルーシャとチェスターが自由に迷宮へ向かうためだ。


(わたしとしては迷宮区画に家を買って、そこで暮らしたいのだけど)


 残念ながらまだ家を購入できるほどの稼ぎはないし、今夜のように婚約者(仮)としての顔も必要なため、妥協案の離れ暮らしである。

 ちなみに真実を知っているのは、両親と兄姉、そして先ほどの御者を含めた、信用できる勤続が長い使用人のみだ。

 無論、使用人の筆頭はチェスターの両親となっている。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

「あら、おば様。待っててくれたの?」


 離れの玄関をくぐれば、すぐさまそのチェスターの母が出迎えてくれた。

 もともとは母に仕えていた侍女だったのだが、事情が変わってからはよくルーシャの面倒を見に来てくれている。


「さすがにドレスを脱ぐのはお一人では大変でしょうから。どうぞ、こちらへ。湯の準備も済んでおりますが、いかがなさいますか?」

「助かるわ、ありがとう!」


 乳母である彼女は、ルーシャにとって第二の母のような存在だ。

 身の回りの支度を任せるのなら、やはり心から信用できる人に頼みたい。


(とはいっても、もうだいぶ一人でできるようになったけどね)


 今夜のような盛装は別として、一人で着替えて一人で髪などを直すのも慣れたものだ。

 自分でできるようになると、人の手を借りて身支度を整えるのが当たり前の生活は、とても贅沢なことなのだと痛感させられる。


「本当はいつでも、お嬢様のお手伝いをしたいのですけどね」

「そうも言っていられないからね。思ってくれるだけで充分よ、おば様」

「何かありましたら、いつでもうちの愚息をお使いくださいませ」


 ニコニコしながら去っていく彼女を見送り、やっと令嬢らしい装いを解いたルーシャはグッと背筋を伸ばす。

 食堂として使っている部屋に向かえば、ちょうどチェスターが軽食を準備してくれていた。


「お疲れ。それで、どうする?」


 席について早々に訊ねてくる彼に、ルーシャは口角を上げて応える。

 嫌なことがあった後にすることは、四年前からずっと変わっていない。


「決まってるわ。明日から迷宮へ潜りましょう!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ