序章-王命はつなぎの婚約者!?
「そなたには、第二王子ネイハムの〝つなぎ婚約者〟になってもらいたい」
「…………はい?」
何を言われているのか、理解できない。
それが、まず抱いた感想だった。
少し間を置いて、頭が言葉を理解してから襲ってきたのは――やっぱり『何を言っているんだ、この人?』という驚きよりも怒りに近い感情。
反射的に同行していた父親の顔をふり返り、その鎮痛な面持ちを目の当たりにしたルーシャは、瞬時に全てを悟った。
――わたしの令嬢人生は、たぶんここまでだ、と。
ルーシャ・ウィンスレットは、由緒正しい侯爵家に生まれた第三子である。
上に後継である長男、それを支える長女ときての次女だったので、親や家からの期待は薄く、比較的のびのびと育ててもらっている娘だ。
しかし、ルーシャは家族で唯一〝妖精の贈り物〟と呼ばれる大変珍しい薄紫色の髪を持っていた。
これは生まれつき魔力が極めて多く、また魔法の才能が高い者のみに表れる特徴だ。
つまり、兄姉のように必死になって紳士・淑女の勉強をしなくても、ルーシャには『別の価値がある』と思っていた。――今日この時までは。
(十歳まで気楽に暮らしてきた結果が〝つなぎ〟ってこと!? 絶対にいい意味じゃないわよね!?)
つなぎとは、間を持たせること。何かを繋ぎ合わせるもの。……それ自体は端役である。
ルーシャがそれであると、相手は面と向かって言い切ったのだ。〝決定事項〟だと。
「……ど、どういうことか、詳しくお聞きしても?」
ようやく出てきた声はかすれていたが、失礼云々は勘弁してもらいたい。
相手がこの国のトップ――国王陛下だとしても、易々と頷ける話ではないのだから。
「そうだな。そなたには、知る権利がある。……実は先日、辺境のとある村で『聖女』が発見されたのだ」
「聖女様が!?」
真剣な声色で国王が告げた言葉に、思わずソファから腰が浮いてしまった。
聖女とは本当にごく稀にしか生まれない〝癒しの力〟を持つ大変貴重な存在だ。ルーシャの持つ〝妖精の贈り物〟よりも希少度はさらに高い。
この世界で現在広く伝わっている魔法は、四元素――火、水、風、地――のみであり、そのいずれにも癒しの効果はない。怪我や病の治療は、医者にかかるか薬を使うかだ。
(でも〝癒しの魔法〟は、どんな病気も怪我も治せると本で読んだわ)
誰もが喉から手が出るほどほしがる特別な力。ゆえに、大陸中の全ての国が彼ら彼女らを〝聖なる者〟と呼び、為政者が保護することと定めている。
「じゃあ、第二王子殿下の本当の結婚相手は、聖女様なんですね」
「そうだ。我が王家としても、聖女を迎えることは悲願の一つであるし、かの者を伴侶に得た者には、神から祝福を授かると古来より言われている。結果的にその幸運を、我が国、我が民へ還元することもできよう」
ほくほく顔で語る国王は、輝かしい未来だけを見ているようだ。
しかし、それなら彼女を婚約者に据えればいいこと。ルーシャがつなぎなどをしなければならない理由は――おそらく、聖女が見つかった場所に問題があったからだろう。
「だが、残念ながら問題があってな。聖女の出生は平民……それも孤児であった」
(やっぱりそうよね。さっき辺境の村っておっしゃったもの)
ようは、人前に出せる最低限度の教養すら備わっていなかったのだ。
いくら聖なる御子でも、文字の読み書きもできない者を国母として据えるわけにはいかない。
(殿下の結婚相手なら最高の教育を受けられるでしょうけど……今から文字を習う人がお妃教育なんて大丈夫かしら? 貴族の娘でも大変だって聞いたことがあるのよね)
侯爵家を継ぐ兄すらも、毎日忙しそうに勉強に励んでいるのだ。より身分が上の王族の妻となるなら、その難度はルーシャには想像もつかない。
「我らとしても聖女を保護したことと婚約をすぐさま発表したいところだが、今は難しい。そして、あまり長い間婚約者が不在であると、心無い者から第二王子に問題があると思われかねないのだ」
「そのための〝つなぎ〟ですか」
王家の詳しい事情はわからないなりに、状況はなんとなく理解できた。
――問題は、何故ルーシャにこの役が回ってきたのか、だ。
王族の婚約者なので、最低でも伯爵家以上が望まれるのはわかるが……。
「……すまない、ルーシャ。お前に、こんな役目をさせることになって」
(お父様?)
声をかけてきたのは、それまで黙っていた父親だった。
続きを促せば、父は悲しそうに、あるいは悔しそうに言葉を紡ぐ。
「陛下は、お前のお母様の命の恩人なのだよ」
――曰く、父と結婚する前に、母は命にかかわる大病を患ったのだそうだ。
その際、とても貴重な薬を手配してくれたのが幼馴染の国王で、おかげで母は無事に快癒し、三人の子に恵まれることになったのだと。
「私たちは陛下に大きな借りがある。どうかどうか、聞き入れておくれ」
(命の恩人の頼みなら、無碍にはできないわよね)
それに、国王だって後継者を指名しているわけではない。家の存続に必要ないルーシャを選んだのは、貴族的に見たら有情な判断だ。
(でも、わたしはどうなるのよ!)
婚約解消が決まっているのに、それがいつになるかは聖女次第で予定は未定。
となれば、ルーシャは行き遅れ確定だ。たった十歳で、将来真っ暗なのである。
(……だったら!)
ルーシャは数度、大きく深呼吸をして、気持ちを整える。
次いで、まっすぐに国王を見つめてから、頭を下げた。
「……それがお役目ならば、謹んでお受けいたします。ですが国王陛下、もしわずかでもわたしを憐れんでくださるならば、どうか二つ、我侭をお聞きくださいませんか」
「うむ、叶えられるかどうかは内容によるが、聞こう」
きっと国王が話を聞いてくれるのは、今が最初で最後のチャンスだ。
ならばと絶対に譲れぬ二つの条件を、遠慮せずに訴える。
一つは、婚約者として表に出る機会を、必要最低限に留めること。
あまり大っぴらに披露しては、後々聖女と代わった時にいらぬ禍根を残しかねないからだ。
もう一つは、解消後はルーシャと確実に縁を断つこと。
もともと婚約者……正妃として披露した娘を側妃になどしたら、どんな理由でも〝格下げ〟であるし、ウィンスレット侯爵家への侮辱となる。
これも絶対に約束しておくべきだと判断した。
(本当は婚約そのものが嫌だけど、断れないのなら〝肩書きだけ〟に徹するのが一番だわ!)
「そなたは齢十の娘とは思えぬほど聡明だな。……わかった。ウィンスレット侯爵家との今後の付き合いのためにも、そなたの頼みは公式書類に記して、確実に残そう」
「ありがとうございます」
かくして、ルーシャの婚約……いや〝契約〟はここに成立してしまった。
名も知れぬ聖女が立派な淑女になるまでは、逃れられない『つなぎ婚約者』だ。
その後、国王と別れたルーシャは、婚約者となる第二王子ネイハムに少しだけ目通りが叶うことになった――のだが、
「ああ、お前が〝つなぎ〟か」と。
幼さの抜けきらない王子がかけてきた言葉は、たった一言だけだった。
挨拶も労いもなく、ましてやこちらに興味の欠片すら感じられない態度に、色んな感情が冷めていく。
(殿下は確か、わたしより三つ年上のはず)
国王譲りの黒髪に青い瞳。整った顔立ちと佇まいは、さすが高貴な血筋だと頷くところだが、逆に言えばそれだけの少年だ。
そこに加えて、令嬢人生を棒に振られる生贄に対して一切関心を示さないとくれば、好感情などどこから出せと言うのか。
「……やってられないわ」
ネイハムの態度をとどめに、ルーシャの中から王家と両親に対する信用は、まるっと全て失われた。
何故ルーシャが、こんな連中のために人生を犠牲にしてやらなければいけないのか。
(冗談じゃない!)
あいにく、悲劇的な運命に泣き暮れてやるような、いじらしい性格は持ち合わせていない。
ルーシャには、誰にも負けないほどの魔力がある。価値も可能性もある。
つなぎなどで満足してやるわけがない。
(貴族としてはお先真っ暗なら、別のものを目指せばいいのよ!)
幸いにも、この国にはルーシャが選べる道が他にもある。
ならば、希望の見えない生き方にすがるより、新たな挑戦に賭けたほうがいい。
(言質をとっておいてよかった。わたしだって、あなたたちなんかいらないわ)
そうと心を決めれば足取りは軽い。
ルーシャはしっかりと前を向いて、王城を去っていく。
決して下など向いてやるかと、強く強く思いながら。