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「お聞きください」

 と痩せた膝が痛そうに、延一(のぶかず)は座り直して、

「かねてから噂を聞いていたから、おいらんの土産(みやげ)にしようと思って、水天宮(すいてんぐう)様のお(ろう)の燃えさしを頂いてきたんだよ、と申しますと、白露(しらつゆ)はきちんと居住まいを正して、ふっくらとした乳房が揺れるのがわかるほど深く、ハッと息を吸って、

『まあ、嬉しい』

 と言うと、うやうやしく蝋燭を手に取った。両手で掲げた向こうには、生え(ぎわ)産毛(うぶげ)の残った女の白い(ひたい)が輝いて、まるで、あまりの尊さに、その蝋燭に後光が差すように見えました。そんなことを思いますのも、女の喜びようが尋常(じんじょう)ではなかったからです。

 どうしたものやらと(てまえ)は思いました。それがすぐ近所にいた車夫の提灯から、つい先ほど煙草を吸いつけたり、酒で粘った(つば)が飛んだりしていた火がついていたやつじゃあございませんか。

 いくらなんでも、そこまで真剣に嬉しがられては、煙管(きせる)で灰吹きを叩いてざまあみろ、なんて芝居のような気でいるわけにはいきません。

 実は……とほんとうのことを言って、堪忍してくれ、出来心だ、その代わり、今度は成田不動尊までわざわざ出向いてお蝋をもらってくるから、と申しますと、女がにっこりしてこう言ったんでございます。

『これほどまでに生命(いのち)がけで好きなんですもの、どこの、どういった蝋燭なのかは、だいたいはわかります。一度燃えたのですから、その(におい)で、消えてからどのくらい経ったかがわかりますから、お客さんがどこから来たのかをうかがって、下谷(したや)のものだ、浅草のものだと見当がつくんです。ただいま下さったお蝋は、手に取ると、すぐ近いところのものだとは思いました。……だったら大宗寺(だいそうじ)様のものかと存じましたが、召しあがった煙草の粉がくっついていますし、御縁日でもないし、いずれにせよ悪ふざけで冗談をおっしゃってるのだとわかったんですが、初会(しょかい)の方に(うら)(ごと)を言うのもわがままかと存じて遠慮していました。次からは、たとえ私をお(だま)しになるにしても、蝋燭のことで嘘をおっしゃったら、ほんとうに(うら)みますよ』

 と、口ごもりながらも優しい声で、ひそひそと申すのです。

 それを聞いた(てまえ)は、もう二度と嘘はつくまいと思ったほどでした。

 おいらんが部屋着を脱ぐと、緋色の襦袢(じゅばん)から素足がちらりと見えて……と思ったとき、フッと行燈(あんどん)()を吹き消しました。……内に(ぬく)もりをもった、ヒヤリとする女の肌が、酒で熱くなった胸に、今にもいい(かお)りをさせながらサッとまといつくのかと思っていると、そんなわけでもなく。――

 カタカタと暗がりで箪笥(たんす)の引き出しを開けているのです。

『水天宮様の蝋燭をお目にかけましょう』

 そう言って、柔らかい(ひざ)衣摺(きぬず)れの音がしますと、マッチをパッと()った」

「はあ」

 と欣八(きんぱち)は、目の前でパッと摺られたかのように……(まばた)きをする。

「そして、一本の燃えさしの蝋燭に火をつけると、朱塗りの行燈(あんどん)の台の上に立てたのでございます」

 延一は目の前で燃えている火をじっと見守っている。するとその蝋燭の火がほっそりとまっすぐに立ち上がって、揺らめきが止まった。

「おいらんがそのまま寂然(しん)としておりますので、これはただの蝋燭じゃないと思えてきました。すると、なんとなくその暗い()に、白い影があるように見えました。

 これは、下谷(したや)のもの、これは虎の門の、ちょっと飛んで雑司ヶ谷(ぞうしがや)のだ、いや、近所の四谷大木戸のだと言いながら蝋燭に火を点して、開いた行燈の油皿のなかにまで並べた十四、五本を、一つずつ消すたびに、おいらんは、捧げ持つようにしました。一つ一つの蝋燭からは、生々しい蝋の(におい)のする煙が……といいましても不思議なことに、それが同じ色ではございません。お稲荷(いなり)様のならば狐色(きつねいろ)だなどというわけではありませんが、大黒天の煙は黒く立ちます……そういう気がいたしたのでございます。少し茶色がかったのや、薄い黄色や、曇った浅黄(あさぎ)色などもあるのです。

 その燃えさしの(におい)が立ったところを、長い睫毛(まつげ)を重ねた目を恍惚(うっとり)とさせた、なんの憂いもない顔つきで、(におい)を散らすまい、煙を乱すまいとするかのように、()の消えたばかりの蝋燭を手のひらで(おお)って、残らず嗅ぎとるのです。

 その煙が薬だとすれば、すべての皮膚やひと筋の黒髪の先まで、血液といっしょにすみずみまで身体じゅうを巡ったのだと思えたのですが、それでも(すす)けもせずに白いままの二の腕を、緋色の(そで)で隠しもせずに……」

 聞いている欣八の顔色が変わっている。

「ところで……」

 と言ったところで延一は、ギクリと胸を前に倒すと、組んだままの腕が(ひざ)につくほど身を折り曲げて、カッカッと(せき)をした。


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