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「……で、その初会(しょかい)の晩は、陸軍兵器工場の技師だなんて見栄(みえ)を張ってしまいました。でも実際のところ、そのころ(てまえ)は、小石川に勤めていました鉄砲組でございました」

「ああ、兵器工場勤めって言ったのかい。(わっし)の友達にも四、五人いるよ。そのなかの一人は、今夜もお不動様で一緒だったっけ。そいつは頼もしいや」

 と、欣八(きんぱち)はやや元気を取り戻した。

「ごらんの通り、もはや(てまえ)はこんなふうでして、頼もしさのかけらもございません。もっとも、車夫から看板の提灯を奪ったり、肩で暖簾(のれん)を分けながら、遊ぶぜ、なんて言うほど酔っていた夜なぞは、そりゃもう威勢がよかったものでした」

 と、首をがっくり下げて、またため息をつく。そのままじっと蝋燭(ろうそく)の火を見つめていたが、

「ところで、肝心なその燃えさしの蝋燭のことでございます。

 以前、牛鍋をつつきながら、ちびちびとやっていた酒の席で、同僚の友人が話していた、嘘か本当かはわからない話でした。――あのとき、四谷大木戸を過ぎたところで、酔い潰れた(てまえ)が、プンと立った蝋燭の(におい)を嗅いだ。それが、この脳に侵入したために、ふと好事(ものずき)な心が、灯りに引きよせられる()のように、熱く羽ばたきをしたのでございます。

 (うち)には優しい女房もございました。別に不満があったわけでもなし……それでも内藤新宿に行ってしまったのは、ただ蝋燭に引きよせられたとしか言えません。そんなでございますから、押しつけがましく、向こうから勝手に女を取りもたれましたときは、馬鹿馬鹿しいと思いましたが、困ったことにはその女が、なんとも美しい。

 なるほど、桔梗(ききょう)屋の白露(しらつゆ)か。白いだけではなくて宝玉の露だと言ってもいいくらい。

 けれどもこんな場所柄の私娼屋にいるにしては……あまりに綺麗なので、はじめのうちは圧倒されていただけでした。が、ある病的な(へき)があるせいで――この容色(きりょう)で、しかも三味線もちょっとした腕前なのに――淫売宿同然の掃き溜めに落ちているのだとわかりますと、この美しい一夜妻が自分のものになる……と思える嬉しさに……今はこんな境遇にあるから恥も外聞もなく言ってしまいますが、筋も骨もとろとろと(とろ)けそうになりました。……

 枕もとの行燈に照らされて、ええ、その女が、下働きの者にまかせもしないで、寝巻きに着替えました(てまえ)のごつごつした結城木綿(ゆうきもめん)かなにかの着物を、絹物(やわらかもの)のように優しく扱って、袖畳(そでだたみ)にしてくれたのでございます。

 部屋着を着た女の腰帯に、行燈の破れ目から漏れた光がさしているのも、蝶々が止まっているように見えました。ぞくりとする肩を掛布団(こよぎ)で包みながら、(てまえ)恍惚(うっとり)と見つめていますと、畳んだ(そで)をスーッと(しご)いていた女の指先が、(たもと)の端でピタリと止まったのです。

 ほんのりと濡れたような目に、柔らかな(まみえ)が覗く横顔を見せながら、

貴方(あなた)はご存じね』

 ――と言いました」

 延一(のぶかず)は続けざまに三度ほど、しゃがれた(せき)をして、

(てまえ)に、自分のことは全部知っていて来たのだろうと申しまして、

『これを預からせてくださいませな。手を入れますよ、よろしいですか……』

 と念を押して、その(たもと)から抜いて取ったのが、(てまえ)が車屋からもらった蝋燭でございます」

「ほう」

 と欣八(きんぱち)は、()い寄って身を乗り出した。

「蝋燭を手にしたその美人は、(ぎょく)で刻んだ仏具のような、尊いものを持ったように思えました。

 遣手婆(やりてばあ)も事情を知っていた。できる限り秘密にして、それとなくこの美人と逢わせるようにしたのではないか、と(てまえ)は思います。……

『どちらのお(ろう)でござんすの?』

 まずそう訊くのがお決まりなのだそうです。……食事よりも風呂よりも、その女は蝋燭が好きなのですが、それも新しいものより燃えさしの蝋燭で、その燃えさしの(におい)が、なんともいえずいいのだとか。

 その、燃えさしと言ってもですね……。

 一度、神仏の前に供えたものだとわかると、蝋燭を持つ手もぶるぶるとするほど、身を震わせて喜ぶんだ――と前にお話ししました、友達と銀座の松喜屋(まつきや)で牛肉をたらふく食べましたときに聞いていましたので、

『人形町の、水天宮(すいてんぐう)様の蝋燭だ』

 と、その女に言ったのでございます。電車の通り道から、ふと思いつきました。銀座には地蔵様もございますが、一言で誰にでもわかるような場所のものをと思いましてな。ええ。……」

 と言って、じろじろとあたりを見回した。

 それにつられて欣八も、きょろきょろと頭を振る。


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