表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

「こういうことをお話ししたところで、ほんとうにはなさらないでしょうね。第一そんな安店に、容色(きりょう)といい気質(きだて)といい、名は白露(しらつゆ)(はかな)いけれど、色の白い、美しい女がいたというのだから、そんなあたりからこの話は、嘘のように思えることでしょう。

 その上、馬鹿なことを言うなとお叱りを受けるとは思いますが、娼妓(じょろう)だというのに、どうやらその女は処女(きむすめ)らしいのでござります。ええ、他人がどう思おうと、とにかく、(てまえ)だけにはそうだと思えたのでした。

 それでも信じられないでしょう。……そのうえ旦那方は、人一倍疑り深いご職業でいらっしゃいますから」――

 一言ずつ、呼吸(いき)(いき)きながら、そんなことを語っている間も、骨だらけな胸がぴくぴくと動いている。そこへ節くれだって黒ずんだ爪の手のひらをがばっと当てて、上下に調子を取りながら、声を絞り出している。

 ここは番町からさほど遠くはない佐内坂(さないざか)の崖下で、大通りから折れ込んだ裏通りの細路地にある、四軒の棟割(むねわ)りになった長屋の端っこで……崖裏のうねった坂が引き窓から雪崩(なだ)れ込みそうな掘っ立ての一室(ひとま)である。

 部屋のなかには何もない……()りむけて、じめじめとした畳は蒸れて湿って、明るい部分は黄色に、暗い部分は鼠色のまだらになって、雑多な虫けらが()いて出たように見える。木製の箱火鉢の、ブリキの内張りの底には、湿った灰が溜まったままで、その(へり)に立てた蝋燭(ろうそく)だけが、じりじりと陰気に燃えている。その蝋燭を、舌なめずりするように見つめている、しょんぼりと蒼ざめた、髪の毛のぼさぼさな男が、この小屋の(あるじ)といえばいいのか、まるで墓から這い出してきたような男……進藤(しんどう)延一(のぶかず)である。

 また、がっしりと胸をつかむと、延一は、

「……でしょうけれども、あまりお疑いになるのも罪なものでございます」

 と、なにかものを言うたびに肩先から暗くなっていくようで、蝋燭の()を映した目だけをあやしく光らせている。

「疑うのが職業だって、そんな、お前、本性が狐というわけでもあるまいし。第一、僕はそのね、なにも本職というわけじゃないんだよ」

 と、なぜか弱腰の発言になる。……火鉢をはさんだ差し向かいに、後ろにさがって、割り膝でかしこまって座っているのは、半纏(はんてん)姿の欣八(きんぱち)刑事で、風下に立って有利だと、獲物を夢中で追い立てて土蜘蛛(つちぐも)の穴に深入りしてしまったようなもので、弱みを見せまいと肩ばかり(そび)やかして虚勢を張ってはいたが、蝋燭の光のもとでとぐろを巻く魔物の目から身体をさえぎろうとするかのように、まるで、(こて)塗りの形に動く雲の峰、という川柳よろしく、それこそ左官の本性をみせて、しきりに手を振っている。……

「いいかね、刑事といっても岡っ引きっていう程度で、身軽で小粋な立場というわけさ、お前さん。このところ、ひっきりなしの火事続きだろ。お前さんが焼け跡で火種を探すような変なことをするから、ちょっとしょっ()いてみたというだけのことさ。なのにお前さんときたら、真剣になって身の(あかし)を立てるなんて言うんだから。まあ、なんだ、御用だなんて(おど)かしたことは威かしましたけど、そりゃ、ものの弾みというもんだ。

 身の潔白を証明しますから、証明しますからって言って、ここまで連れてくるもんで、途中で小便も出来ない始末。そういうことさね、早い話が。

 ところでこの家は、隣は空き家だっていうし……」

 と言いながら、頬被りをしたまま振り返って、また身を戻すと、

「その隣は按摩(あんま)が住んでるというじゃねえか。一番向こうの角部屋がおでん屋だというから、ようやく一杯ひっかけたように景気がついたと思ったら、夜は夫婦で屋台を引いて、留守番は子どもの番をしている、性質(たち)の悪い爺さんだなんて言うんだから。早い話が、この四軒長屋の真っ黒な図体のなかには……」

 と、また(こて)で塗るように手を振って、

「まあ、それはいいとして、お前さん、別にだな、怪しいっていったって、なにも、ねえ、まあ、お互いに人間なんだから、すぐに釈放して帰ろうと思ったんだが。だけれど、話のはじまりが内藤新宿の女郎だ。おまけに別嬪(べっぴん)ときたから、早い話が。

 でもまあ、そのなんだ、(わっし)も素人じゃねえもんだから」

 と思わせぶりなことを言って、本人は目潰しの灰を投げた気でいる。

「ひとつ捜査をしてから帰ろうと、居座ってしまったがね。……気にしなさんな。別にお前さんの身体を裏返して、隅から隅まで詮議(せんぎ)しようというんじゃねえ。いいから」

 と欣八が話している最中にも、男はじろりとこちらを見る。目が光る、光る。欣八はまた(こて)を振る。

「大目に見てやらあ。ね、早い話が。僕は帰るよ、気にしなさんな」

「ええ、いえ、(てまえ)のほうで、気にしないわけにはまいりません」

 そう言われた欣八はぎょっとして、

「そうかね……はてね。……で、その話は、いったいどう転がったのか、聞かせてみろよ」

 と、琴を弾く余裕を見せて敵を欺いた諸葛孔明(しょかつこうめい)よろしく、欣八はまたもや虚勢を張ってみせる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ