七
「こういうことをお話ししたところで、ほんとうにはなさらないでしょうね。第一そんな安店に、容色といい気質といい、名は白露と儚いけれど、色の白い、美しい女がいたというのだから、そんなあたりからこの話は、嘘のように思えることでしょう。
その上、馬鹿なことを言うなとお叱りを受けるとは思いますが、娼妓だというのに、どうやらその女は処女らしいのでござります。ええ、他人がどう思おうと、とにかく、私だけにはそうだと思えたのでした。
それでも信じられないでしょう。……そのうえ旦那方は、人一倍疑り深いご職業でいらっしゃいますから」――
一言ずつ、呼吸を吐きながら、そんなことを語っている間も、骨だらけな胸がぴくぴくと動いている。そこへ節くれだって黒ずんだ爪の手のひらをがばっと当てて、上下に調子を取りながら、声を絞り出している。
ここは番町からさほど遠くはない佐内坂の崖下で、大通りから折れ込んだ裏通りの細路地にある、四軒の棟割りになった長屋の端っこで……崖裏のうねった坂が引き窓から雪崩れ込みそうな掘っ立ての一室である。
部屋のなかには何もない……擦りむけて、じめじめとした畳は蒸れて湿って、明るい部分は黄色に、暗い部分は鼠色のまだらになって、雑多な虫けらが湧いて出たように見える。木製の箱火鉢の、ブリキの内張りの底には、湿った灰が溜まったままで、その縁に立てた蝋燭だけが、じりじりと陰気に燃えている。その蝋燭を、舌なめずりするように見つめている、しょんぼりと蒼ざめた、髪の毛のぼさぼさな男が、この小屋の主といえばいいのか、まるで墓から這い出してきたような男……進藤延一である。
また、がっしりと胸をつかむと、延一は、
「……でしょうけれども、あまりお疑いになるのも罪なものでございます」
と、なにかものを言うたびに肩先から暗くなっていくようで、蝋燭の灯を映した目だけをあやしく光らせている。
「疑うのが職業だって、そんな、お前、本性が狐というわけでもあるまいし。第一、僕はそのね、なにも本職というわけじゃないんだよ」
と、なぜか弱腰の発言になる。……火鉢をはさんだ差し向かいに、後ろにさがって、割り膝でかしこまって座っているのは、半纏姿の欣八刑事で、風下に立って有利だと、獲物を夢中で追い立てて土蜘蛛の穴に深入りしてしまったようなもので、弱みを見せまいと肩ばかり聳やかして虚勢を張ってはいたが、蝋燭の光のもとでとぐろを巻く魔物の目から身体をさえぎろうとするかのように、まるで、鏝塗りの形に動く雲の峰、という川柳よろしく、それこそ左官の本性をみせて、しきりに手を振っている。……
「いいかね、刑事といっても岡っ引きっていう程度で、身軽で小粋な立場というわけさ、お前さん。このところ、ひっきりなしの火事続きだろ。お前さんが焼け跡で火種を探すような変なことをするから、ちょっとしょっ引いてみたというだけのことさ。なのにお前さんときたら、真剣になって身の証を立てるなんて言うんだから。まあ、なんだ、御用だなんて威かしたことは威かしましたけど、そりゃ、ものの弾みというもんだ。
身の潔白を証明しますから、証明しますからって言って、ここまで連れてくるもんで、途中で小便も出来ない始末。そういうことさね、早い話が。
ところでこの家は、隣は空き家だっていうし……」
と言いながら、頬被りをしたまま振り返って、また身を戻すと、
「その隣は按摩が住んでるというじゃねえか。一番向こうの角部屋がおでん屋だというから、ようやく一杯ひっかけたように景気がついたと思ったら、夜は夫婦で屋台を引いて、留守番は子どもの番をしている、性質の悪い爺さんだなんて言うんだから。早い話が、この四軒長屋の真っ黒な図体のなかには……」
と、また鏝で塗るように手を振って、
「まあ、それはいいとして、お前さん、別にだな、怪しいっていったって、なにも、ねえ、まあ、お互いに人間なんだから、すぐに釈放して帰ろうと思ったんだが。だけれど、話のはじまりが内藤新宿の女郎だ。おまけに別嬪ときたから、早い話が。
でもまあ、そのなんだ、私も素人じゃねえもんだから」
と思わせぶりなことを言って、本人は目潰しの灰を投げた気でいる。
「ひとつ捜査をしてから帰ろうと、居座ってしまったがね。……気にしなさんな。別にお前さんの身体を裏返して、隅から隅まで詮議しようというんじゃねえ。いいから」
と欣八が話している最中にも、男はじろりとこちらを見る。目が光る、光る。欣八はまた鏝を振る。
「大目に見てやらあ。ね、早い話が。僕は帰るよ、気にしなさんな」
「ええ、いえ、私のほうで、気にしないわけにはまいりません」
そう言われた欣八はぎょっとして、
「そうかね……はてね。……で、その話は、いったいどう転がったのか、聞かせてみろよ」
と、琴を弾く余裕を見せて敵を欺いた諸葛孔明よろしく、欣八はまたもや虚勢を張ってみせる。