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「待て、待て、ちょっと……」

 縁日が終わった番町通りでは、両側の家の戸は閉ざされて、明かりの消えた提灯をぶら下げた通行止めの(くい)が、寂しい町の真ん中に、まるで六道の辻の道しるべに鬼が植えた鉄棒のように、ぽつんと突っ立っている。そこからが帯坂(おびざか)の下り坂になる角のところで、右側に(ひさし)を垂れた小家の暗い軒下(のきした)から、半纏(はんてん)草履(ぞうり)履き、頬被(ほおかぶ)りをした男が姿を現すと、ずんずんと近づいてきた。

 通行止めのその杭のあたりで、ぎくりと足を止めたのは、あの、古井戸の蔭からよろめき出て、和尚に燃えさしの蝋燭(ろうそく)をねだった、古びた、だらしない身なりをした男である。船幽霊(ふなゆうれい)のようなその相貌(そうぼう)を見るに、どうして手水鉢(ちょうずばち)柄杓(ひしゃく)を盗まなかったのか、とさえ思われる。

 頬被(ほおかぶ)りの男は、怒らせた肩から先につかつかと歩み寄って、

「待てったら、待て」

 と、ドスを利かせた(かす)れ声を投げかけると、(おど)しをかけるように、頬被りから(あご)をしゃくりだして見せた。しかしそれも、一向に効果がない。……相手は待てと言われたとおりに、まるで破れた暖簾(のれ)が風もなく、ただぶら下がっているかのように、立ち止まって待っていたのだから。

「どこへ行く」

 と、黙ってじろりと顔を見る。

「どこへ行くのかと聞いてるんだ」

「はい、自宅へ帰りますでございます」

(うち)はどこだ」

「市ヶ谷の田町でございます」

「名は何ていうんだ」

 と、低い声で問いながら、ぐいっと近寄ると、

「そんなことを聞くとな、大抵の生意気な奴は、人に名を聞くんならまず自分から名乗れ、なんて言って、手間をかけさせるのがお決まりだ。……俺はな、お前の名を聞いても、自分から名乗る必要もない立場にある。いいか、その筋の刑事だ。わかったか」

「はい、刑事の旦那(だんな)でいらっしゃいますか」

 と、蝋燭をねだった男は、破れた着物の上から見ても、浮きだした骨が痛々しいほどの()せた胸の上でぎしりと組んでいた手を解くとおじぎをして、

「ご苦労さまでございます」

「むむっ、ご苦労さまときたか。……だがな、余計なことを言わなくていい。名を言わんかい。何ていうんだ、とさっきから聞いているんだ」

進藤(しんどう)延一(のぶかず)と申します」

「なんだ、進藤延一だと。へっ、やけに学のあるような、ハイカラな名前じゃねえか」

 と、ことばじりがしどろもどろになって、顎を引っこめたかと思うと、妙にしょげかえってしまった。それも道理で、自分は刑事だと(おど)した半纏着の男は、じつは下塗(したぬり)欣八(きんぱち)という、見るからに学のなさそうな町内の兄貴だった。

 二七講(にしちこう)の集まりの景気づけだ、縁日の日は縁起がいいぞと、御堂の一室に三方を()えて、宝くじ会が催されて……彼は、その世話役として居残っていたのだが……。

 お燈明(とうみょう)が消えかかった時刻になると、ふと魔が差したかのように、髪を振り乱して、骨の浮きだした男が、正面口の鰐口(わにぐち)の下に立ち現れて、なぜそんなことをと思うものの、しかし断るにもちょっと口実の見あたらない、蝋燭の燃えさしが欲しいなどと願い出て、それを譲り受けるなり、姿をかき消すかのように門を出るまでの一部始終を、欣八は身を伸びあがらせて見ていたのだった。

「棄ててはおかれませんよ。冗談じゃねえ。あの魔物め。ご本尊のお不動様が火焔(かえん)背負(しょ)ってるのにあやかって、自分も背中に火を背負って帰ったんだって、気づきませんでしたかい。

 下町はずっと火事続き。さいわいにも、ここ山の手では騒ぎが静まってる。この中休みのうちに風向きが変わって、今度はそこの井戸端が火元になりそうだ。そう、きっとあいつが放火魔なんだ。見逃してやったが最後、すぐに番町は黒焦げですわ。ここは私が奴を生け捕ってやる。ご覧になってておくんなさい、奴は火事の卵だ。とっ捕まえて金魚鉢に泳がせて、これが火元の金魚だと、見世物にしてお目にかけるぜ……」

「こればかりは、疑うに越したことはない」

 と、御堂の住職も、眼鏡の縁を揺らしながら言う。

 宝くじ会の親方が、

「欣八、抜かるな」

「合点だ」


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