二
そう言った、男が着ている綿入れは、すっかり綻びて、袂の先でやっとつながっている、といった代物である。汚れてくたくたになった袖口はすっかりゆるんで、白絣の浴衣が、重たげに、まるで液体のように漏れ出している。腰の下に重ねてだらりと下げたその袖口に、男は肩を落としながら手首を曲げて、右手を突っこんだ。どうやら賽銭を探しているようだ。
が、チャリリとも音がしない。
そのとき、本堂のなかでは、まるで海坊主のような、大きく真っ黒な頭の影が、むっくりと立ち上がった。影は仏前に置かれた三宝に覆いかぶさるように見えたのだが、燈明の明かりに照らされた手もとからすると、新しい蝋燭を取ろうとしているようだ。
すぐ先にある障子の向こう側には、不動尊の二七の日に合わせて集まった二七講の人々が二、三人居残っているらしく、その影が映っているが、ご本尊の前にいたのはこの雇われ和尚、一人だけだった。もう袈裟を脱いで、外衣は腰衣だけになって、ご本尊の扉を閉めようとするところである。まだ燃えている蝋燭は、闇夜の海岸から見る沖の不知火がひらひらと燃えるような炎を立てていたが、先ほどのだらしない身なりの参詣人が、びしょびしょに濡れた姿で賽銭箱の前に立ったときには、大きな蛾が、団扇を扇ぐ音にしては寂しげな、ばたり、ばたりという羽音を立てながら、残った蝋燭の火を、大きな手のひらで扇ぐようにして、二本、三本と次々に消していったのである。
「ええ」
とその男は、小声で低く、すがるように言った。
「あの、済みませんがね、私は賽銭の持ち合わせがありません。ええ、新しい蝋燭を献灯するのは、ご遠慮申し上げます、ええ」
「はあ?」
と、鼻も大きければ口も大きい、額に黒子まである大入道の和尚は、眉をもじゃもじゃと動かしながら、おっかぶせるような大声で問い返した。
「で、ございますから、どうぞ蝋燭はお点しくださいませんように」
「さようか」
と、ふたたびおっかぶせたが、そのまま放置もできないのは、男がまだ、なにか言いたそうにもじもじとしていたからで。
そんな男の様子を、和尚はまじまじと見ていたが、そのうちにしびれを切らせて、大きな耳に手のひらを当てながら男のほうに身体を傾けた。燈明に照らされた額の黒子を、ありありと見せるその姿は、耳が遠いからというしぐさのようであるが、この場合は男に、はっきりものを言えと催促をしたのである。
「ええ」
と男がまた言う。声を発することさえ息苦しいといわんばかりに肩を揺すっている。……
「つきましては、まことに恐れ入りますが、その蝋燭でございます」
「蝋燭のことはさっきから聞いておる」
和尚は小鼻に皺を寄せ、黒子にも網の目状の筋を刻んで、
「あなたのご都合で献灯は遠慮なさると言うのじゃな。お好きになさるがよい。それともなにか、賽銭をお持ちにならないから、一本貸してほしいとでも言われるのか。それもお好きになさるがよい。じゃが、もう夜も遅いからな」
「いいえ」
「はい?」
と、和尚はもどかしげに鼻息をたてる。
「なんでございます。その、さような理由ではござりません。それでございますから、申しにくいのでございますが、あなたさまの御厚意で、蝋燭を一本、お貸しくださることはできますでございましょうか」
「じゃから、お好きになさるがよいと言うております。じゃが、もう夜も遅いからな。……そこの燈明を見ながら言っておられるようだが、消えた蝋燭に火をつけたいということか」
「そうではございません」
と疲れた様子で、賽銭箱の縁にぐったりと両手を支いて、両耳にわさわさと毛がかぶさった小さな頭をがっくりと下げながら、
「一本お貸しくださいませ……と申しますのが、ご神前に備えるのではございません。私、いただいて帰りたいのでございます」
「蝋燭を持っていくと言われるか。ふうむ」
と和尚は大きく鼻を鳴らす。
「それも、一度お供えになりました、燃えさしの蝋燭をお願いしたいのでございまして」
いや、火の用心の時節がら、なんとも物騒な願いである。