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泉鏡花『菎蒻本』 現代語訳  作者: らいどん


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11/11

(あとがき)

 本とサイズの関係について、文庫本なら名作、新書本なら一般教養、四六判(B6判、単行本サイズ)なら文芸などの新刊、菊判なら豪華仕立てや専門書……なんていうイメージが、実際は例外だらけだとはいえ、なんとなくまとわりついている。江戸時代はこの関係がさらにタイトな決まりごとになっていて、本のサイズを見れば内容が一目瞭然だった。今のムック本のような大形のもの(大本、美濃本)は学術書、菊判よりちょっと大きなサイズ(半紙本)は一般向けの小説や教訓書、美濃本の半分のサイズのもの(中本)は挿絵(さしえ)入りの娯楽本、そして、半紙本の半分の、ほぼ文庫本サイズのもの(小本)は、遊廓での男女の手練手管を描いた洒落本(しゃれぼん)で、これが蒟蒻本(菎蒻本、こんにゃくぼん)と呼ばれたのは、形や色が蒟蒻に似ていたからだと、各辞書に書いてある。

 この小説のタイトル『菎蒻本』は、ゆえに、ちょっと色っぽい話になりますよ、という程度の意味で、翌年には『第二菎蒻本』という短編も書かれているが、両作ともに遊里がらみの話という以外、なんのつながりもない。


 内容は、読んだとおりの、蝋燭フェティシズムにまつわる特殊性癖奇譚とでもいうべきもので、それ以上でもそれ以下でもない。ちょっと常人には考えつかないような鏡花の奇想や強烈なイメージを素直に楽しんで、冗談にしかならないような話を一流の怪奇譚に仕立てる筆力に驚けばいいのだと思う。

 終章で姿を現す、頭部が蝋燭で作られて、襦袢を着た胴体の中身がどうなっているのかわからないという等身大の人形は、どことなく東北地方で信仰されているオシラサマを思い起こさせる。オシラサマのご神体を操演して恍惚境に入る巫女の姿と、蝋燭男、進藤延一の性的絶頂の描写がダブって思えるのが、なんとも神秘的で、かついかがわしい。



 明治期には自己の文学的モティーフを一通り展開し終えていた感のある鏡花は、大正期に入るとそれらを再利用しつつ、自分の作品世界を熟知している読者だけに向けたような、さらに独特な、暗示的な文章で小説を書くことが多くなる。

『蒟蒻本』の文体も、そんな、決して読みやすくはないものなのだけれど、それに加えて今日ではさっぱり馴染みのない岡場所の風俗を知っていることを前提に書かれているから、読めば人物関係はわかるのだけれど、細部の描写がいまいち理解できない。


 多種多様なエンタメにあふれた現在に比べると、ごく限られていた当時の娯楽のうちの代表的なものが女郎買いで、現在の価値観では、社会的に公認されたそれが、女性の肉体を消費しながら成り立っていることに問題があるのだろうけれど、当時はなにしろそれしかなかったわけで、その代わりとしてそこでなされる行為には、それこそ多種多様な礼儀作法(プレシオジテ)がまとわりついていたのだろう。

 尾崎紅葉が吉原(よしわら)遊廓で遊んでいたから、硯友社(けんゆうしゃ)の門弟たちは遠慮をして洲崎(すさき)遊郭に通っていたそうで、けれども本作で扱われているのは、洲崎遊廓よりもさらに下位の、非公認の遊廓(岡場所)である。吉原、洲崎の遊女がメジャーアイドルなら、岡場所の女郎は地下アイドルである。

 江戸には千住宿、板橋宿、内藤新宿、品川宿という四つの大きな岡場所があって、江戸四宿(えどししゅく)と呼ばれていたそうなのだが、本作でたんに「宿(しゅく)」と呼ばれている場所は、位置関係からみて内藤新宿のことだと思われる。そういう場所でもなんとなく吉原遊廓のようなしきたりが感じられることばが使われていたり、白露が「おいらん」とひらがな書きで呼ばれたりするのは、岡場所を吉原に見立てる遊び心なのだろう。

 ……などと、古い風俗に詳しいわけでもないので、推測しているだけなのだが、なんとかわからないかと一つ一つ調べながら読まなければならないのが、本作のやっかいなところだ。

 以下、本文中のわかりにくい部分についてどう考えたのかを書きだしてみますが、にわか勉強ゆえに解釈違いなこともあるかもしれません。



 四章で進藤は、人力車の看板の火で煙草を吸う。

 看板というのは、人力車の座席の前方右下に提げられていた提灯のことで、おそらくは車夫やその抱え主の名前が書かれた、現在のタクシーの天井についた行灯のようなものだったのだろう。

 その俥に乗っていた進藤が「閻魔(えんま)だ、と怒鳴られて」というのがよくわからないが、内藤新宿の閻魔堂(えんまどう)まで来て、車夫から起こされたということだと想像した。

「一体、右側か左側か」という進藤のことばもわからないのだが、次の、「大木戸から向かって左側でございます」という車夫の答えからして、江戸時代からあった四谷大木戸を目印に位置を確かめているのだろう。しかし、「さては電車路を突切ったな」などという、今ではどこにあったのかわからない路面電車の線路のこととなると、当時の地図を見て検討しないと、はっきりとした位置関係はわからない。


 その内藤新宿にある遊廓、桔梗屋(ききょうや)の様子も、はっきりと書かれていない。おそらくはどの家も同じ構造の二階建てで、入り口の脇に遊女たちが顔見せをする間があって、正面に階段があり、二階に上ると取っつきに遣手婆(やりてばあ)が詰める小部屋があって、座敷が並んでいて……という感じなのだろう、と想像して解釈するしかない。

 桔梗屋の若い衆が繰り返す「お古い処、お馴染効でございます」ということばも、毎度ご贔屓に預かります、のような、決まり文句だったのだろうか。

 その若い衆が五章のなかばで、


 「若い衆飛んで来て、腰を極めて、爪先で、ついつい、

  『ちょっと、こちらへ。』」


 という文意が、わかりにくい。

 前後関係から考えると、「腰を極めて、爪先で、ついつい」というのが、「腰を落として、つま先立ちで階段をトントンと上がって、進藤を二階に案内した」という意味になる。

 漫画のコマでたとえると、階段の下で遣手婆に驚いている進藤の脇に若い衆が近寄るコマがあって、次のコマは全面べた塗りで、スッ、トントン、という手描きのオノマトペだけが書いてあって、その次のコマで「ちょっとこちらへ」と二階の部屋に案内されている、といった感じのようだ。落語の仕方話(しかたばなし)の不十分な採録のような、末端的な動作や感覚から全体の動きを当ててごらんというジェスチャーゲームのような、不思議な文章である。


 その若い衆に案内された八畳間には火鉢があって、「何と、灰に刺したは杉の割箸」と、進藤が驚いている。

 火鉢というのは、使っているのを見たことはあるが、自分で使ったことはない。杉の割箸なんか刺していると、すぐに燃えてしまうのではないだろうか。

 ……なんて余計な心配をしたのだが、江戸川乱歩の『化人幻戯』(昭和三十(1955)年)には、こんな一節がある。


 「真っ黒に汚れた木の角火鉢であった。火はよくおこっている。五徳の上にかけてあった、でこぼこのアルミの湯沸かしを取って畳の上におき、その火鉢をグッとこちらへ押してよこした。火箸の代りに割り箸のこげたのが、灰に刺さっている。」(10 怪画家)


 どうやら、鉄箸の代用品として木の割り箸を使うということも、貧相な行為ではあるものの、なかったわけではないようだ。


 クライマックスの十章のはじめのあたりで、進藤は白露の髪型について、「何転進(なにてんじん)とか申すの」と言っている。

 これは「天神髷(てんじんまげ)」のことで、検索すればすぐに画像が見つかる、日本髪の結い方の一種である。「何転進」と言っているのだから、天神髷にもいくつかの種類があったのだろう。

 ほかにも『歌行燈』には、次のような文がある。


 「饂飩屋(うどんや)(かど)に博多節を弾いたのは、転進(てんじん)稍々(やや)縦に、三味線(さみせん)の手を緩めると、撥を逆手(さかて)に、()の柄で(はじ)くやうにして、(ほん)のりと、薄赤い、其屋(そこ)の板障子をすらりと開けた。」(三章)


 上の「転進」は、三味線の棹の上部についている糸巻きのことで、ギターやヴァイオリンなどでチューニング・ペグと呼ばれているものと同じものだ。うどん屋の店内に入るのに、三味線を横抱きにしたままだとつっかえてしまうので、三味線を斜めにして入店した、という単純な描写で、そりゃペグはネックに垂直に刺さっているので、ネックを斜めにすればペグも斜めになるから同じ意味だとはいえ、鏡花は「転進を稍々(やや)縦に」などと、ことさら面倒な書き方を好む。

 三味線の「転進」も、一般的には「天神」と書くことが多いようで、要するに鏡花は天神ということばを書くのが好きなのである。ただし、故郷金沢の金澤神社で祀られているのが菅原道真公だからか、鏡花は天神様を崇敬していたので、「天神」を「転進」と書いて謙譲せねば気が済まなかった。自分の談話中の「てんじん」ということばを、速記者が「天神」と書いていないか、心配になってあとから電話をかけて確かめたこともあったそうだ。神様と師匠が恐れ多いから、固有名詞やご本人以外の「天神」は「転進」と書く、「もみじ」は「紅葉」と書かない、という表記ルールは、長期にわたって守られている。


 一方で鏡花といえば、潔癖症で「豆腐」を「豆府」と書いていたという話を、文豪豆知識のようなコラムでよく見かけるのだが、それは晩年の一時期の、もしかすると俳句や随筆や小文に限った話で、ほとんどの小説では、普通に豆腐と書いている。その晩年には、舶来品を好んだり、洋食や中華料理を食べたりしていたというから、「豆府」の一件は、自身のパブリックイメージに乗っかって意識的にうるさく言いはじめた可能性もなきにしもあらず。

 現在の『文スト』のキャラ設定にまで影響を与えてしまうほどの鏡花のセルフ・プロデュース術も、けっしてあなどれないものだという気がしてしまう。



(了)



附記

 あらすじ欄に書いた、「いったいどこからどうやってこんな変な話をひねりだしたことやら」について。

『菎蒻本』の題材になった話については、鏡花自身が「番茶話」(大正十一年、全集巻二十七収録)というエッセイで種明かしをしている。以下引用。



鏡花全集巻二十七

『番茶話』「蛙」(大正十一年)より。


 又思出す事がある。故人谷活東(たにかっとう)は、紅葉先生の晩年の準門葉で、肺病で胸を(いた)みつゝ、洒々楽々(しゃしゃらくらく)とした江戸ッ児であった。(かつぎゆく三味線箱や時鳥(ほととぎす))と言う句を仲の町で血とともに吐いた。此の男だから、今では逸事と称しても()いから一寸(ちょっと)素破抜くが、柳橋か、何処かの、お玉とか云う芸者に岡惚をして、金がないから、岡惚だけで、夢中に成って、番傘をまわしながら、雨に濡れて、方々蛙を聞いて歩行(ある)いた。……どの蛙も、コタマ! オタマ! と鳴く、と言うのである。同じ男が、或時、小店で遊ぶと、(その)合方が、夜ふけてから、薄暗い行燈(あんどう)の灯で、幾つも〳〵、あらゆるキルクの(におい)を嗅ぐ。……あらゆると言って、「(これ)が恵比寿ビールの、此が麒麟ビールの、札幌の黒ビール、香竄(こうざん)葡萄、牛久(うしく)だわよ。甲斐産です。」と、活東(かっとう)の寝た鼻へ押っつけて、だらりと結んだ扱帯(しごき)の間からも出せば、(たもと)にも、懐紙の中にも持って居て、真に成って、真顔で、目を据えて嗅ぐのが油を舐めるようで凄かったと言う……友だちは皆知って居る。此の話を――或時 [里見] (とん)さんと一所(いっしょ)に見えた事のある志賀 [直哉] さんが聞いて、西洋の小説に、狂気の如く鉛筆を削る奇人があって、女のとは限らない、何でも他人の持ったのを内証(ないしょ)で削らないでは我慢が出来ない。魔的に警察に忍び込んで、署長どのの鉛筆の(さき)を鋭く針のように削って、ニヤリとしたのがある、と言う談話(はなし)をされた。――不束(ふつつか)で恐れ入るが、小作(ママ)蒻本の蝋燭を弄ぶ宿場女郎は、それから思い着いたものである。



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― 新着の感想 ―
[一言] らいどんさんの現代語訳「蒟蒻本」を読ませていただきました。 手元に「鏡花全集 巻十五」があったので、原文も。 (原文は「菎蒻本」ですが、らいどんさんは「蒟蒻本」と記述している。何か意図がある…
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