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死んだと思ったら俺は俺じゃなくなっていた。
意味が分からねえ。死んで頭がおかしくなったのか?
死んで頭がおかしくなるとか、死んだら考える頭もクソもないだろうにそれこそ頭が沸いたんじゃねえかとも思うが。
そも、死んだ後にどうなるかなんて実際知らんというか死んだら死ぬんだから何もないんじゃねえのか?
御託ばかり捏ね繰り回して益体もねえ事を延々と口から垂れ流す能書きばかりクソ長い神官やらは死後は魂が天に召されてうんちゃらとか抜かすが、実際はどうなるかなんて誰も知らんが、これはなんだ?
体が自由に動かない。
そのくせ勝手に口が動く。
口が動くというか何かしようと思っても体が動かねえでその焦りが、考えが、何かしようとするすべてが口から勝手に流れ出す。
言葉にもならないうめき声だか鳴き声だかで口から勝手に吐き出されていく。
他にできることがねえから、穴の開いた袋から零れるように、何かをしようとする力が全部そこに集められて口から吐き出されていく、口から吐き出すことしかできねえ。
なんだこれは、なんだこれは、なんなんだ、一体俺はどうなっちまったんだ。
そう叫ぼうと思っても、体を動かそうと思っても、ただ口から言葉にもならない何かが飛び出ていくことしかしない。
そもそもこれは俺の口から出ている音なのかも信じられない。
そのけたたましい雑音に紛れて言葉らしき物もうっすら聞き取れるが何を喋ってんのかもわからねえ。
目を開けようにも満足に開かない。
開きっぱなしなのは口だけで、こいつはこいつで閉じることができずに延々と騒音を吐き出し続ける。
なんだこれは、なんだこれは!なんなんだこれは!ふざけんな、俺はどうなっちまったんだ!!
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「こん部落にあん子が来てかいどんぐらい経ったけぇ?」
「稲んとこのせがれん嫁じょが逃げ帰ってから二年くらい経ったどね」
「育児ノイローゼとか言うちょったが、なしてこっちに来やったんかね」
「知らんのけ?嫁の方の実家とは結婚すっ時に随分と揉めたらしいど」
「確か、嫁じょんとこは昔の恨みば未だひきずうちょる部落ん出やったらしいど」
「なんぞ、うちん部落ん恨みばもっちょるとこなんぞあったけ?」
「わしらが生まるん前ん話よ、なんでん戊辰がどーたらとか・・・」
「戊辰?戊辰てなんよ?」
「いやいやいや、明治ん時の話や、この部落どこっか周り含めてんなんも関係なか話じゃ」
「西は全部ひっくるめて敵や思うちょるんと違うか?」
「そがんな話はもうよかがな、しんきなぁ」
「・・・んで、なんの話じゃったどか?」
「なに言うちょる、稲んとこの孫ん話やったじゃろうが」
「おぉ、おぉ、じゃったど。 で、あん嫁じょが馴染まんとケツが捲っちかい二年じゃけえ・・・」
「ここん来て三年ほどけ? 一年もせんとケツ捲ぅち逃げくさったけえのお」
「ノイローゼとか言うちょったけえ、びんたがアレじゃったんじゃろ? なしてこっちに来たとけ?」
「起きとるといつまでん泣き続けて酷いもんじゃったらしいで、都会じゃいけんともならんとかいう話じゃったど。 じゃけえこんななんもなか部落ん来たっじゃろう」
「まあ、泣き声がやかましゅうてん揉むっ事はなかな」
「じゃっどん、今度はなんもなさ過ぎて参ってしもうたんと違うか」
「おいげんとこはけくたばる前ん爺婆しかおらんけえのお・・・」
「もぞなぎぃ。 それんしてん稲んとこの倅はよ?嫁じょをひっ連れて来やった時しか見とらんど」
「ありゃいけんともならんわ。 自分とこん倅の面倒もみんと稲んとこに放て行ったままよ」
「嫁じょはほがなかとん仕方なかなもしらんが、アレはアレでぼっけなかなあ」
「んにゃんにゃ、アレがぼっけなかで嫁じょがあげんなってしもうたっじゃろ」
「おらんくなったのはどんげでもよかろうが」
「じゃがじゃが。 おらんごつなった嫁じょも顔も見せん倅もどげんでもよかっちゃが」
「なんで嫁じょはあん子を放て行ったんじゃ?」
「連れて行こうとしたら酷ぅ暴れて手が付けられんで仕方なしに置いていったんじゃと」
「はー、あんおとなしか子がのぅ」
「そも、泣きが酷かったっちゅう話もわしらからするとほんとかもようわからんしのー」
「じゃがじゃが。 あないにおとなしか子ぉ見たことなかぃ」
なんか遠くから爺婆の囀りが聞こえる。
どうでもいい、だるい、動きたくねえ。
俺が死んでこうなってどのくらい経っただろうか。
碌に目も見えず、体も動かず、満足に喋れずに泣き声と呻き声を上の口から垂れ流し続け、下の口からも別のモンを垂れ流し続ける地獄のような日々で俺はどこかおかしくなってしまったのか。
叫び、喚き、口に何かを突っ込まれてクソまずい何かを飲まされ、また叫んで喚いて力尽きるかのように意識が落ちるのを繰り返す。
自分の口から衝動のままに吐き出される雑音に混じり聞こえる他の雑音、ぼやけた視界に移る不気味な影、歪んだナニカ、身動きの取れない体。
もう既にあの時に自分が何をしていたのか、何をしようとしたのか、何を叫んでいたのかすらわからない。
ただただ叫んで口をふさがれ飲まされ吐き散らして垂れ流して力尽きてまた叫んで何かを口に突っ込まれて飲まされ垂れ流して吐き出し鳴いて泣いて啼いて哭いて力尽きる。
いっそ殺してくれと叫んでいたような気もするがよく思い出せない。
そのくせ口に突っ込まれる何かから空腹感に急かされるままクソまずい何かを吸い上げた。
ぼやけた視界が時の流れとともに像を結んでいくが、それが混乱に拍車をかけた。
何を言っているのかわからないナニカが周りに蠢いている。
叫びは止まらず、やはり碌に動かない体で必死にもがき、涎と糞尿をまき散らしそれに塗れる。
俺が叫びもがき続ける気力を失っていくのに伴うように、俺の目が周りをある程度視認できるようになり、体がある程度動くようになっていった。
そして、そういった日々で何をする気力も失ったのと今の自分の現状を認識した時はほぼ同時期だったように思う。
俺は、俺が全く知らない場所に赤ん坊としてここにいるのだ、と。
そしてその時に周りには両親らしき人間ではなく爺さん婆さんしかいなかったがもうどうでもよかった。
何もする気が起きないままにただ起きて味気ない飯を食って糞をして寝るだけで過ごした。
それで何年か経ったような気が気がするがどうでもいい。
息苦しい、体がだるい、靄がかかったように頭がぼやけて重い、周りの連中が何を喋っているのかさっぱりわからん、何もかもがどうでもいい。
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「おぅ、ヒロ坊。 今日も山け?」
「うぃ」
「何を言うてん聞きゃせんでもうなんも言わんが、暗ぅなる前には戻りや」
「うぃ」
家を出ようとした所で爺様から声をかけられ、適当な返事をして外に出る。
村を歩きながら道行く途中でも同じように爺婆連中から声をかけられ、同じように適当に返して歩き続ける。
ほんと、爺婆しかいねえよなこの村。
そう考えながら山へと足を踏み入れる。
ぼさっとしたまま何も考えずに道も何もねえ山を歩く、歩き続ける。
歩いて歩いて歩き続ける。
途中で猪がくたばっているのを見つけたので『担いで』更に歩き続ける。
そして日が真上に見えるぐらいになった時にようやく目的地である小さな池のある場所に着いた。
そこで一旦腰を下ろし、しばらく休んでから拾った猪を『焼いて』喰った。
おいしくねえ、まずい、『ここ何年かで喰った中では一番旨い』んだが、やはりまずい。
『まだまだ』だな、とぼやいてからここに作った畑を耕すべく腰を上げる。
さっさと済ませて日が暮れるまでに家に戻らないと爺様はともかく、婆様が酷く心配するだろう。
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「ヒロぉ、今日も山け?」
「うぃ、今日も山よぉ」
家を出る前に声をかけてくる爺様にそう返す。
「学校にも行かんともう何年も毎日毎日なぁにがしてーとか」
「勉強は自分でしちょっが、ちゃんと読み書き計算もできるようになっちょるけんよかろう」
「おはんの歳では本来は学校っちゅうんは皆行くもんやっどね。おはんは昔っからひとっつん言うことぁ聞きゃせん」
「あんげな遠くに毎日行っちょられようか、かったりか」
嘆かわしいとかブツブツと言ってくる爺様に適当に言い放ってなおも続く小言を背にそのまま外に出る。
「ヒロぉー!行きでん帰りでんよかけー畑ん様子ば見ちきてくんない!」
「ぁいよー!」
一つも言うこと聞きやせんとかぼやいておきながらコレかい。
いや、まあ、言われるまでもなくそんぐらいはするんだが。
そして今日も山の中、途中でひっ捕まえた鹿を引きずって池にたどり着く。
鹿を『出した火』にかけながら畑から幾つか野菜を引っこ抜いて持ってくる。
適当に塩だの醤油だのをぶっかけて焼けた鹿の肉と一緒に喰う。
喰っていたら体がプルプルと震えだした。
「やっとじゃ・・・やっと『普通に喰ゆる』もんが・・・」
思わず呟いた声まで震えてやがる。
別に格別に旨いもんじゃない。
むしろ適当に、かなり雑に、というより料理ですらねえ、味もあくまで『普通』だ。
だが、今まで食ってきた不味かったり味気なかったり変な味のする食い物と比べたら格別の味わいだった。
『この世界』に『転生』して恐らく10年程、ようやく俺は『前世』で喰っていた『普通』の味にたどり着くことが出来た。