七.設営現場がヤバい
「おはようございますぅ、アザミ先輩」
朝イチの神官長室秘密部屋でファイルをまとめたら、ついでに掃除まで押し付けられてしまった。
爽やかさが儚く失われる一日の始まりであったが、服についたホコリをなんとか落として神官用の事務室に向かった私は、扉を潜るなり可愛い後輩のはにかみ笑顔に迎えられた。
「……ごきげんよう、神官プルサティラ」
昨日こっそり調べたばかりの名を呼んでやれば、プルサティラは「えへへぇ」と擽ったそうに笑みを増す。かわいい。
朝から神官長の悪人ヅラに対面すれば、昨日の怖気も忘れられるのか。これから毎朝神官長室に立ち寄るべきか。悪巧みに巻き込まれそうだ。やめよう。
「プル、で良いですよぅ。アザミ先輩とは、もぉっとたくさん、お話したいですしぃ……長い名前は、時間を圧迫するだけですぅ……」
少女然とした顔と、おっとりとした言動に似合わぬ効率主義。さすがは我らがアポロン神殿の神官である。
ちょっと怖いが、せっかくの申し出だ。他の神官たちは相変わらず、手元の書類を隠れ蓑にこわごわ視線を向けてくるばかりの職場。一人くらい親しい後輩がいてもバチは当たるまい。
「では、プル。おはようございます。いい朝ですね」
死角でバサバサッと書類を取り落とす音がして、ガタガタッと足を踏み外す音がした。
プルは私を誰もの憧れと言ってくれたが、彼女の目に、世界はいったいどのように映っているのだろう。
◆
後輩とのささやかな交流を終え、今日も今日とてお仕事、労働だ。
昨晩方針を再確認、作戦立案まで済ませたのだから、残るは実践あるのみである。まずは迫る危機を回避するため、自席で猛然と資料作り。
予定より倍となった資料はファイルケース一つに収まらず、二つでも少し心もとない。
仕方がないので三つに分けて、取り出しやすいよう付箋をつけて、厚みを無理矢理押し込みまでしていたら危うく予定時間を超過しかけた。
空中タクシーに乗り込み、特急料金で駆けつけたのは庶民街東広場である。
あたたかみのある敷き詰められた煉瓦、周囲の建造物も二階建てばかりの空を阻まぬ開放感。広場上空は原則的に車両通行禁止だ。敷地を囲う植え込みの背の低い樹木は、ぴったり長方形に剪定されており、暖かな日差しと共に行き届いた管理が垣間見える。
大通りから届く活気は少し遠く、この場で流れる時間の穏やかさが増していくような錯覚があった。
が、今ばかりはその錯覚もお休みだ。
トンカントンカン、木材を槌で叩く軽快なリズムは重複し、キィキィ引かれる鋸が描く五線譜の上を飾りたて、ざりざり引きずられる角材のステップ音が「釘が足りねぇぞ!」「暗幕届いてねぇの?」「腹減ったー!」うるせぇ。
庶民街東広場は、間近に控えた神事のため。会場設営に励む、むくつけき男たちの戦場と化していた。
他人のふりして回れ右が正しいマリアアザミの姿だろうが、仕事を前にすれば些事である。私は抱え直したファイルケースの重みに負けじと、なおかつ力を込めた背筋を気取られまいとした優雅さを心がけ足を踏み出した。
「ごきげんよう、助神官アンスリウム」
「あぁ?」
ご機嫌麗しくなさが見え見え、語尾だけ半音上がる野太い声と胡乱な眼差し。タンクトップと作業ズボンで強調される筋骨隆々とした体は汗とホコリで光り、太い首には使い古したタオル。精悍そのものの顔つきを助長するこめかみの古傷も雄々しく、それらを隠しもしない、見ただけで掌がちくちくとしそうな短髪は瞳と同じ赤銅色。
彼こそ大道具を始めとした舞台設営責任者、アポロン神殿助神官アンスリウムその人だ。
「……どうも、神官アザミ様。高貴なる神官のお立場であらせられるお方が、なんの御用で?」
歓迎率ゼロの、見事なおべっかである。
手の甲でおとがいの汗を拭いつつ、疲労の浮かぶ上っ面の下から睨めあげてくる警戒心。マリアアザミなら試合のゴングを幻聴するだろうが、時間はいくらあっても足りない仕事人の性。さくさく本題に進もう。
「設計を修正致します。設営の手を一度止めて、各部位作り直して下さい」
「……はああああああああ?」
休まず手を進めていた、それでも心配そうにこちらを窺っていた作業員のほとんどが動きを止めて絶叫し、波及していく困惑が残った作業員の手も止めた。
さくさくである。
◆
「……警備の見直し、ねぇ……」
驚愕の大合唱に次いで絶望のアンサンブル、さらには罵倒の大乱闘が始まりそうになったところを額に青筋浮かべつつ奔走してくれた助神官アンスリウムのおかげで、平和的な対話の場が設けられた。
場所は変わらず庶民街東広場。
常であれば民草の憩いの場となるこの区域は、工事による騒音で関係者以外は滅多に寄り付かず、作業が一時停止した今、この場に集う関係者たちによる会談の場と化していた。
中心には向かい合って立つ私と助神官アンスリウム。周囲は現場叩き上げの証、筋骨隆々タンクトップのバリケードが最高の気密性を誇り、暖房いらずの視覚的な暑苦しさを発揮してくれている。
一歩間違えれば袋叩きまでスリーカウントも必要ない。完璧な布陣をご用意されてしまった。
そんなときでも慌てず騒がず、マリアアザミの強心臓は冷や汗ひとつ見せやしない。OLマインドは尻尾を巻いて蹲っている。もう少し根性見せてくれ。
「警備は警備で人が配置されるでしょう。変更が必要になるとは思いません。今まで通りじゃ駄目なんですか?」
「もちろん、警備はいつも通りの人員を確保しております。彼らをきちんと運用するための場所づくりがしたいのです」
アンスリウムは顎をボリボリ掻いて渋い顔。仲間たちからの無言の圧、懇願の視線を一身に受け、されど神官に楯突く愚も避けたいと慎重に言葉を選んでいる。
根性見せようと意気込む中間管理職の姿は非常に共感できるものだが、残念ながら味方はしてやれない。
私は私の仕事をするのだ。
「……納期が近い。今から急になんて無理です」
「ええ、そうでしょうね」
周囲の空気が一気に怒りの赤を帯びる。知っていて押し通すつもりかと爆発する前に、私はさっと跪いた。
途端にぎょっとする男たち。「嘘だろ」「神官がどげ」「ど、どげ」とざわめくが、残念ながら土下座じゃない。マリアアザミの土下座はお高い。簡単に見られると思ってもらっちゃ困るのだ。
抱えたファイルケースを膝に置き、次々取り出す中身を煉瓦敷きに直接並べていく。テーブルが無いので仕方ない。
「これが現在の設計図で、これが赤字で修正を入れたもの。これが修正後に必要になる資材その計算、これが現在の進捗に合わせた舞台の仕上がりその変更点からなる活用方法をまとめたもので、あ、詳細はこちらの別紙をご参考下さい。それから」
「ちょ、ちょっと待て、待って下さい神官アザミ、様!」
硬直から抜け出したアンスリウムを見上げると彼も慌てて跪こうとして、広がった資料に阻まれ中腰になって止まった。
「……あの、了承とかしませんでしたよね、俺」
「ええ、ですので快諾して頂けるようお話をしております」
困惑しきりのアンスリウムににっこり返して、次のファイルケースを開ける。と、大慌てのアンスリウムが私の手を両手で包むように押し留めてきた。
瘤や傷でぼこぼこした大きな手は、あたたかい。筋肉男は体温高いとは事実であった。感銘を受けるようなことでもないので、乗ってきた手は押し戻させていただく。
「お話がまだ残っておりますよ、助神官アンスリウム」
「し、神官アザミ、様? ちょ、ちょっと待、力強っ!」
残念ながら、言われるほど強くもない。アンスリウムの手は未だ私の手の上にあり、ファイルケースから五センチも離れちゃいない。
拮抗する力が震えを呼び起こし、このままでは膝上のケースを落としてしまいそうだ。仕方がないので力を抜くと、アンスリウムはあからさまにほっとした顔。
気が変わったのでさっと手を抜いて、今度は私が上から抑えてやった。
「えっ」
「よろしいですか助神官アンスリウム。確かに納期は近いでしょう。しかし問題はありません。わたくしは今回、今までのあなた方の進捗速度から平均値を算出いたしました」
「えっ」
「現在の設営完成度は、計画から少し遅れた程度ですね。こちらも問題ございません。計算に大きな誤差なし。であれば完璧に間に合います」
「えっ」
「大丈夫です、助神官アンスリウム。残業はほんの少し、ほんの少しです。つまりあなた方の仕事ぶりから見るに、いつも通りです。ああこれは文句ではありませんよ。あなた方はよくやってくれています。資材費をケチりたがる神官長様のせいで、現場で不足が出るなどのトラブルが起きてしまい手間取った分の無駄時間でしょう。今回それはございません。上手く行けば今後もないでしょう。神官長様にはわたくしから申し上げておきました」
「……えっ?」
「当然ながら経費が増えるわけではございませんのでご承知おきを。本日お持ちした設営計画変更書では既に作成し終えた部分、取り壊す、あるいは破棄せねばならない部分ですね。その部分の活用法、手順も合わせてご用意致しましたので、経費削減と時短、ふたつが同時に叶います。つまりプラマイゼロ、おわかりになります?」
「……はあ」
「今回おすすめしたいのはこの一件を発展させる、つまり端材を廃棄や倉庫で放置するわけではなく再利用するための運用計画なのですが、この案が成果を出したとなれば神官長も動きます。あの方は成果ありきの効率主義者ですので、端材を上手く再利用する手段が確立されれば経費削減、時短が叶えば人材の使用時間も増える、失礼。多くの現場に人員を手配することが出来る、と理解できないはずがございません。今回はプラマイゼロですが、次回はどうでしょう。さらに次回は? どちらがより金銭を生むか、神官長様であれば賢明な判断をなさること間違いなし。隙はありません」
「……力、強いですね」
返答が我を取り戻しつつある。今だ。
「やって、下さいます?」
「……」
押し黙ってしまった。少し早かったようだ。
「では改めて最初から、いちからご説明を」
「やりますっ!」
アンスリウムの声はちょっと泣きが入っていた。
勝利した私が辺りに視線を巡らすと、バリケードどもはさっと顔を逸らして持ち場に帰っていく。
質問があれば着手前に言ってもらいたいのだが。追いかけ回して差し上げようか。