五.よその神殿がヤバい
昼食は有意義なものだった。
私のことを「先輩とお呼びしたい」と言うので許したら、後輩は手を叩いて喜んだ。断れなかった。断れなかったし、少女らしい振る舞いを見ても微笑ましく思えなかった。かなしい。
本来、神職は畏まって呼び合わねばならない慣習があるのだが、親しい間柄だけは別だ。だから彼女は店に入って以降、許可も取らずに先輩と呼びかけてきたことを謝罪し、改めてお伺いを立ててきたわけだ。
いきなり呼び始めたのは目的上名前を隠したかっただけだと簡単に推測できたし、親しく呼びたいなんて慎ましくも可愛いおねだりじゃないか。ドーンと許す先輩の懐の広さが見せられて何よりだ。
呆気に取られてドン引きして、気力を根こそぎ奪われたせいでツッコミも反応もできなかったということは、一生胸に秘しておこう……。
何はともあれ味のわからなくなったランチを満喫し、空中タクシーで神殿に戻る。意外と体力のない後輩が階段でバテるのをフォローしつつ職員更衣室で着替えたあと、後輩は四階、私は五階に用があるので別れた。
「今日のお話はぁ、どうぞ先輩がご活用下さいませぇ……」
「よろしいの? あなたの情報網でしょうに」
「はいぃ……先輩とお昼がしたかっただけですしぃ……先輩からお伝えした方がぁ、神官長様もきっとお喜びになりますぅ……!」
内容と裏腹に愛らしくはにかんだ後輩はぺこりと一礼し「今度はぜひ、お仕事抜きで」と言い残してオフィスに戻った。盗み聞きって、お仕事なんだな……。
疲労は余裕たっぷりの足運びで隠し、神官長室に赴いた私は奥の棚の閲覧許可を取る。
「構わねェけど……なんかあったか?」
「いえ、少し確認したいだけです」
つんっと返す私にフーンとつまらなそうな相槌を打ち、さっさと書類仕事に戻って追い払う動きで片手を翻す神官長を尻目にして、私は首にかけていた紐を引く。懐からまろび出たのは首飾り、に偽装した、名刺サイズの金の板だ。
そのまま壁際にある最奥の棚、ガラス戸の鍵穴に板を翳せば互いから発せられるかすかな共鳴反応。次いでキリキリと歯車が擦れ合う音がして、正面の棚が奥に引っ込み横に退き、隠し扉が姿を表す。
この板こそ我らが神職の命綱、全神殿の最重要機密である魔力制御の魔法具であり、神職の身分を証明すると共に隠し部屋を開く鍵までこなす働きものである。
もちろん隠し部屋は神職であれば誰でも入れるという場所ではない。が、そこはマリアアザミである。数々の悪行をこなしてきた彼女は神官長の信頼を得て、肌見放さぬ身分証によるアポロン神殿隠し部屋へのフリーパス券を持っていたのだ。嬉しくない。
おもしれェことなら一枚噛ませろよ、と有り難い送り出しの言葉を背に、私は重い扉をよいしょと開く。同時にあふれる埃臭さと濁った空気を、灯る白球の輝きが鈍く照らす。
やすっぽい照明で露わになるのは、所狭しと立ち並ぶ無数の書棚。
我らがアポロン神殿の積み重ね、努力の結晶が並ぶ機密中の機密。決して日の目を見てはならない、悪の書庫がそこにあった。
私は後ろ手に扉を閉め、まずは手近なファイルを手に取る。ええと、これだよな……これのはず……最近ならこれ……。
一番最初のファイル、最後から十頁ほど捲ったところで目当てに出会った。プルサティラ、プルサティラ。よし覚えた。
私は後輩の名前をゲットした。
◆
機密書庫の奥には文机があり、簡単な読み書きも可能となっている。
人目もないし好きにしようと椅子を引きずり、足を組んでどっかり腰掛けた。書棚の前に陣取り、いくつもの分厚いファイルブックを開いては閉じ、開いては閉じして、十冊ほどを厳選し文机に運ぶ。
椅子を戻して改めて、最初の頁からペラペラ、ペラペラ……。引き出しから筆記具と白紙を取り出し、補足を交え書き記していく。カリカリ、カリカリ……。
一人きり、お世辞にも清潔とは言えない空間で、ファイルを捲る音とペンを走らせる音が交互に響く他には、時折混ざる溜息ともとれる息遣い。たったそれだけを繰り返し、次々積まれていく紙面は余白を失う代わりにびっしりと書き連ねられた成果が――
「いつまでやってンだ。アホ」
頭頂部に手刀がめり込み、傷みが集中を断裂する。
声も出せずに悶絶する私をよそに、眼鏡を外したオフモードの神官長の野郎はこの短時間の成果を勝手に掬い上げ、見難そうに裸眼を細くしざっと目を走らせていた。
「ンだコレ。アルテミス神殿? あんなザコ神殿になんの用だよ」
「……かの神殿に、現在ちょっとしたトラブルが起きてらっしゃるそうで。改めて」
「はァ……トラブルねぇ。弱小は苦労してンのな」
やる気のない相槌だが、神官長アクイレギアは人の努力を次々我が物としていく。いや、良いんだけど……見られて困るような部分は省いたから、良いんだけど……。
神殿は十ニもの数に分かれ、十一の神殿がほぼ独立した運営をこなし、それぞれに所属する偶像神威の活動を支えている。子会社と言えば説明は早いだろうか。
国家運営にまで口を出す、王城の一角に居を構える親会社こと統括のゼウス神殿。実際の現場であくせく働くのがその他の子会社こと十一神殿であり、わざわざ別個の神殿とした理由は切磋琢磨の競い合いを期待してのこと。
怠惰であれば倒産……とはならないし神職にリストラは存在しないが、人事の総入れ替えが行われ、実質左遷扱いで地方の掃き捨て神殿に送り飛ばされる。
地方神殿の仕事はなんだったか、倉庫整理や資材管理、研修生扱いの新人偶像神威のレッスン場管理あたりの、地味で厳しく肉体労働多めの職場だ。……そこそこブラックだな。ゲーム本編にそんなストーリーあったかな。隠しやがったな……。
各神殿には先人たちの積み重ねに加え、現在の営業成績による序列もきちんとついている。あくまでも国のため、万民のための組織なので、非公式ではあるのだが。
我らがアポロン神殿は当然上位。今は序列ニ位の位置にある。
対して噂のアルテミス神殿は序列六位。さほど差がないと思われるかもしれないが、以降に名を連ねるのはほとんどが弱小の地方神殿扱い。
国は広いのだ。六位なんてのはギリギリ王都に存在を許されている程度。貴族街一等地の我らがアポロン神殿との間には分厚い壁が、それはもう分厚すぎる壁があるのだ。
どうしてそんな小物神殿を調べているかというと。
「近いうちにお披露目される、アルテミス神殿所属の新たな偶像神威の三人。その全員の親和性が、今までにない数値を彈き出したとか」
本日の、楽しい後輩とのランチで得た情報である。
アルテミス神殿の下等神官ども、カソックも脱がずに自分たちの神殿の愚痴を、あまつさえ新たに配属される偶像神威なんてとんでもない機密をペラペラ口に出していやがった。
恐るべき低能っぷり。マリアアザミでなくとも、呼称に侮蔑が混じろうというものだ。
話を聞いた神官長は、獲物の腸を推し量るように片目を眇め書面を滑る視線を速める。
「……確かか?」
「わたくしは確信しております」
疑い深いマリアアザミならもう少し精査するだろうが、中身にOLが棲みついていれば話は別だ。
新たな偶像神威。それも親和性が最高の偶像神威が三人。所属がアルテミス神殿ともなれば確定だろう。
――攻略対象じゃーん! それって攻略対象のことじゃーん!
かの神殿は、乙女ゲーム「アイドルアイル」正規ヒロインの所属神殿だ。
庶民街の端も端、追いやられたかの如き立地と、神殿とは思えない冴えない木造建築。穏やかといえば聞こえは良いが、やる気すら伺えない凡庸な神官たち。
ヒロインはそんな弱小神殿に配属されたピカピカの新入り神官であり、同時期に配属された三人とともに、持ち前の明るさと実直さで周囲を巻き込み躍進していく。愛と勇気、夢と希望のサクセスストーリーである。クソ喰らえ。
クソでもお排泄物でもどっちでもいい。最高記録を叩き出す人間が三人なんて他にあるわけがないので、攻略対象で確定だろう。
確定されたということは、その三人のお披露目が近いということは、ヒロインもアルテミス神殿に配属されているということで、つまりストーリーはもう始まっているのだよ! ドン! な、なんだってー!
ふざけている場合ではない。
神官長はなんの根拠もないマリアアザミの確信をあっさり信用してくれたようで、鼻っ面に鼠の尾を叩きつけられた怒りの獅子の顔をして紙面から目を離さずに舌打ちする。
「クソッ、なんでンな高級品をコバエ神殿なんぞに……」
「……」
ヒロインが国の重鎮、全神職たちを束ねる最高峰、大神官より上に立つゼウス神殿神主様の隠し子だからですよ、とは言わないでおく。私情だけでなく、今の各神殿間に横たわる広がりすぎた格差を憂いて、というのもあるが黙っておく。
証明の手段がない乙女ゲー知識を我が物顔で振りまくのもどうかと思うし、格差を憂うもなにも、神殿を分け競い合いを促したのは国だ。いきなりこちらの努力を無に帰すような暴挙、迂闊にバラすと私の首が危ない。
バラされたくない黒歴史を持つ者として、越えちゃいけないラインは弁えねば。……私の黒歴史どころじゃない問題な気もするけれど。
個人の価値観はそれぞれだ。私は黒歴史を隠し通す。国の重鎮は不祥事を隠し、国は雑な方向転換を隠す。そういう感じでいこう。そうしよう。
決意を固めていたところで、資料を読み終えた神官長が口を開く。
「話はわかった。で、どーすンだ?」
どうと言われても。
本編ストーリーをスルーするために、ヒロインサイドの攻略対象と関わるなどもってのほかだ。さて、いかにして避けるべきか。
まだまだ考えを纏められずにいると、神官長は焦れったそうに口を尖らす。
「潰すンか? 奪い取るンか?」
はぁ?
思わず口に出しそうになった怪訝を抑え込んで何も言えない私に反し、神官長は非常に楽しげだ。
「上の決定だ。こっちに引き込むのは難しいだろーが、放っとくなんざナシだろ? とりあえずオヒロメってのを台無しにしてやらねーとなァ……! ボロ雑巾にしてやって、再起不能なトコをやさーしく引き上げてオレたちのモンにシてやっかァ……!」
わあ。
麗しの神官長様は前歯も剥き出しにケタケタ笑い、獲物の腹に爪をかける、ハイエナの如き野生の美しさで舌なめずりをしている。こわい。マリアアザミの体でなければ、膝が笑っていたことだろう。ありがとうマリアアザミの膝。
呑気に膝の無事を祝ってる場合じゃない。止めねば。しかし迂闊に止めると疑われてしまう。もし正体を看破されてしまった場合、いや正体まで辿り着かずとも完全なる別人と判断されてしまった場合、最高峰機密部屋に入ってしまった私の運命を、この悪徳神官長の姿を加味して簡潔に述べよう。
死んでしまう。
「早計では?」
「……ア?」
ぴたりと笑い声を止め、流し目にこちらを睨む神官長。尻尾もないのに、どうして虎の尾を踏まれたかの如き凶相を浮かべられるのか。
落ち着け、怯えるな。
まずは保身。続けて保身だ。
「おっしゃるとおり、類稀なる高級品を、あのような劣等神殿に配属されるなど有り得ません。何か裏があると考えるべきです」
「……まァなァ」
「まずは様子を見る。お披露目、大変結構ではございませんか。盛大に売れた成功体験は脇を甘くし、その後の転落が大いに堪えることでしょう」
「……」
「その間に調査を進めます。裏に事情があれば、上層に借りを作れる。より効果的かつ有効に扱うべき課題では?」
マリアアザミの知識に完全に任せたところ、出るわ出るわ。使い慣れた悪意の数々。
おかげで神官長は殺した獲物を埋めた熊の顔、一仕事終えた満足感に似た納得を示している。駄目押しに「よりよき結果を差し上げた方が……よろしいでしょう……?」と口角だけ上げて言って見せれば、完全に丸め込めた。
「そこまで言うならテメェに任せる。上手く料理してやンだな」
「かしこまりました」
粛々と一礼し、内心ピースサインである。
悪の片棒なぞ担げるか。私には守らねばならない黒歴史がある。アルテミス神殿が大躍進しても構わない。たとえ序列がひっくり返ろうと、大手のアポロン神殿が潰れることはないだろうし、神職にリストラはない。
うっかり左遷されてもなんとか……いや、左遷はマリアアザミが許さず私の体をストレスで焼くことになる。なんとかいい感じに程々に……あれ、そもそもヒロインが活躍するのはマリアアザミの妨害あってこそでは?
下手なちょっかいが彼女を成長させるなら、邪魔さえしなければほどほどの結果しか出せないのでは? これだ!
悪いことなんかしなくていいのだ。私の黒歴史は守られ、破滅の未来も訪れない。これだ!
「じゃ、さっさと帰れ。もう夕方だぞ」
「ええ、そう致します」
意外と時間が経っていた。
すっかり集中していたようで、強張った体を解したい衝動に駆られるが、神官長の前でぐるぐる肩を回すようなはしたない真似はしない。問題は解決したのだから、さっさと帰ってゆっくりしよう。
一足先に退室しようと背を向けていた神官長は、去り際に振り返り文机の上を指差した。
「その資料、明日で構わねーからファイルに挟んどけ。使える」
文机の上を見ると、私がまとめたアルテミス神殿に関する情報の数々……。
明日、秘密部屋の書棚に新たな仲間が加わることとなった。
これが最後の悪事であると、そう思いたいものである。
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