四.後輩とのランチがヤバい
私のマジギレと、ベアグラスの配慮により今日の仕事は終わってしまった。
今までのマリアアザミであれば遠慮なく帰っていたのだが、OLの心を兼ね揃えた今の私には若干、いや、大いに気が進まない。まだ昼食も済ませていないのだ。こんな日の高い時間に帰ったら気疲れしてしまう。社畜とは悲しき生き物なのである。
仕方がないのでオフィスに戻り、書類の整理なんてものに着手してみた。
マリアアザミは神経質な女なので整える箇所などないのだが、いきなり記憶が二人分に増えたことだし、少しあやふやなところもあるし、朝の一回では足りない可能性がある。
確認がてらやってみてた方がよかろうといざ取り組んで……記憶との齟齬は一つもないことが証明された。
仕事に関しての記憶は完璧と判断して良さそうだ。少し嫌だ。マリアアザミのお勤め先は悪徳的にブラックでも、拘束時間的にホワイトの部類であるというのに。
「あの、……神官アザミ様」
一人自席で黄昏れていると、背後に一人の神官が立つ。
華奢な体に大きな瞳の少女と見紛う容姿だが、ありきたりな茶の色合いと細い声で、そこらのモブに掻き消されるであろう自然な儚さ。
今朝の挨拶に一番に返してくれた、さほど長く勤めていない後輩だ。たぶん。
「本日のお仕事は、終わりですか?」
「……喫緊のものは」
手伝いの要請だろうか。一向に構わない、どころか是非お願いしたい。仕事をくれ。
ジャンキーよろしく迫りたくなるOLの衝動を悪役ヒロインの本能で抑えつつ続きを待つと、後輩は上目遣いを一切そらさず、小鳥のように小首を傾げた。
「よろしければ、わたくしとお昼を共にして下さいませんか?」
ランチのお誘いだった。
どこかからヒュッと息を呑む音がしたが、後輩の蛮勇を止める勇者は現れなかった。さもありなん。
◆
何故か私服に着替えさせられ、繰り出す先は庶民街。
アイドルアイルの世界は貴族もいれば王族もいる、あまりドロドロとした描写がないとはいえれっきとした階級社会である。
アポロン神殿は貴族の居住地にほど近い一等地に建っているので庶民街は遠いし、そもそもブランド志向の高い神官長のもと、プライドの高い神職が多い職場なのだ。非常に意外なお誘いなのだが、庶民にまぎれても違和感がない彼女にとっては日常なのかもしれない。
個性に乏しいささやかな振る舞いで街を歩き、ウィンプルを外したことで露わとなった地味なお下げを静かに揺らす後輩。
服装も普通の白シャツに深緑色のロングスカートで、羽織るボレロは生成り色の地味なもの。わざわざシスター服を脱ぎ、遠くまでランチに繰り出す意義が見い出せない。
もっとも、人のことを言えた義理ではない。
マリアアザミは偶像神威を辞めて以降すっかり地味の味を覚えたようで、職場のロッカーにあったのはさらしで潰した胸に合う濃い藍色の長袖詰め襟ワンピース。色以外、シスター服との違いがわからない……。
ディープピンクの髪だって、かつてのツインテールが嘘のように肩口でばっさり切り揃えられ、枝毛の見える引っ詰め髪だ。
常の分厚い眼鏡も合わさって、持ち色の派手な部類の人間が多く暮らす世界にいれば、完全にモブの仲間入り。かつての偶像神威、未来の悪役ヒロインもこんなもんである。
異世界の叡智、空中タクシーに乗り込み安全運転でつつがなく庶民街を訪れた私は、後輩の導きに従ってこれまた貧乏くさい庶民食堂へ。活気と安さが売りの店舗で勢いが売りの女給に案内され、使い込まれた木製テーブルを挟んで二人、クッションの剥げた椅子に座る。
しかもこの席、通りに近く景観をそこそこ楽しめる窓際、ではなく、そこから一つ離れた席だ。何故だ。隣が明るい日差しを受けている分、今ある影が余計に際立つ陰気な席。
マリアアザミとしては唾棄すべき粗悪店であるし、OLとしても……少し雑多過ぎるというか……。大変申し訳ないが、もしや幸せになれる壺とか売られちゃうのではあるまいか。黒歴史が消え去る壺なら買っちゃうが。
後輩は今日の定食を二つ頼んだ。別に構わないが、もし中身にOLが潜んでなければ後輩の明日は無かったかもしれない。大丈夫か。精神二人分合わされば容易にマジギレできてしまうということは、つい今しがた実証済みであるのだが。
「本日はお付き合いいただき、ありがとうございます」
察していないふうの後輩はおっとり微笑んで、深々頭を下げてくる。
「構いません」
正直、なんでこの店? とか、なんの用事? とか、言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのだが、いきなり詰め寄るのも品がない。つんっと済まし顔で素っ気ない、相変わらずのマリアアザミを見て後輩は嬉しそうに両手を合わせた。
「憧れの先輩と、お昼をご一緒できるなんて夢のよう……! 前々からお誘いしたいと思っておりましたの。光栄ですぅ……今日のことぉ、一生忘れませんん……」
「……あこがれ? わたくしが?」
瞳に薄く張る水が移り、滲んだような上擦りを語尾に混ぜる。うっとり顔の後輩にドン引きしつつも思わぬ一言を聞き返してしまった。
後輩はコクコク頷いて、
「はいぃ……先輩は皆の憧れ。我らが明け星、我らの誇り。有象無象の指すら届かぬ、尊き高みに立つ御方……」
なんだその薄ら寒い表現。
「……煙たがられている、の間違いではなくて?」
挨拶もまともに返して貰えないんだぞ。
顔を顰める私に遺憾とばなりに「違いますぅ!」と突如声を張った後輩は、大慌てで浮きかけた腰を下ろして小さくなる。狭い店内、なんだなんだと辺りを見渡す数人の客が、出所を察せず食事や談笑に戻るのを待ってから、彼女はこちらに顔を寄せひそめた声で話を続けた。
「先輩はすごいです。神官長にもっとも信頼される右腕であらせられるだけに留まらず、当神殿トップのお二人のご担当まで。かけられた期待にはすべて完璧、いえ、完璧以上の成果をお出しになりますぅ。皆が憧れないはずがございませんん……!」
神官長の信頼なぞ初耳なのだが。あれか、悪巧みを手伝った記憶があるが、それか。体よく使われているだけではないのか。
だいたい、挨拶したら固まられた現場には後輩もいた。見て聞いて気付かなかったのか。憧れに向ける態度だとは到底思えない。
「……特に、そういった声をかけられたことはございませんが」
「それは皆、恐れ多くて……ふふ。きっと私、戻ったら質問攻めですぅ。みぃんな私を羨ましがって、ひょっとすると、先輩を独り占めしたって、怒られちゃったり、しちゃうかもしれませんねぇ……」
指で隠す口元で擽ったそうにクスクスと笑う姿は、持ち前の少女らしさがますますなりを強めて微笑ましい。
微笑ましいのだが、いまひとつ言っている内容が信用しきれないので集中できない。少し思い込みの激しい娘なのだろうか。
同僚の怯えをいまいち理解しない、素直で心優しい天然な性格。なるほど、理解した。マリアアザミが嫌いそうな人材だ。だからいっこうに名前が思い出せないのだ。知ろうともしなかったのだろう。
「あ、来ましたねぇ……」
後輩は静かに周囲を見渡したかと思うといきなり私を見つめ、うっすら微笑んだ。何故だろう。かすかな寒気が背筋を走り、彼女から目を背けられない。
ややあって女給が二人分の盆を運んでくる。ああ、なるほど? 食事の話か? 確かに来たな? 大袈裟な娘だな?
何故だろう。怖気が止まらない。
「お約束通りに」
「はいぃ……お願いしますねぇ……」
女給は謎の一言を残し、後輩は心得た様子で頷いた。何がなんだか、眉を寄せる私に、彼女は両手の指を合わせた隙間から、ちょっとした悪戯を明かす少女の仕草で囁いた。
「昨日ぅ、アルテミス神殿の神官がぁ、お食事会をなさったそぉでぇ……」
「……は?」
「しかもぉ……アルテミス神殿は最近ちょぉっとごたついてらしてぇ……昨日ぉ、お食事会に参加なさった方々にぃ……少しばかり仲のよろしくないお二人がぁ、いらっしゃったとかぁ……。きっと、きっとぉ、喧嘩とかぁ、しちゃいましたねぇ……悲しいですねぇ……」
「……」
嫌な予感がする。
後輩の口元は手で隠され、薄暗い座席では表情のすべてを覗いきれない。宿すのは如何なる感情か、細まる瞳だけが暗がりの中で爛々と光っていた。
「参加できなかった方にぃ……その険悪な方々の片割れとぉ……仲良しの方がいましてぇ……。……きっとぉ、今日のお昼はぁ……愚痴がはかどってしまいますよねぇ……?」
素敵な席での仲良しさんとのお昼ご飯はぁ、楽しいですものねぇ……と結んだ後輩。理解したし納得も、できた。
ややあって、先程の女給が隣の席に二人連れを案内した。
女給は我々を隠すように間に立ち、のんびりと注文を取って、二人連れが言葉を交わし始めた辺りで静かに厨房へと戻る。
二人連れの談笑は弾み、明るい座席で風景を楽しんでいる。隣の暗がりなど見もしない。二人の話題はやがて昨日の話となり、軽快なリズムのやり取りがだんだんと暗く悪意を帯び始め……。
さすがアポロン神殿の神官だ。この調子なら確かに、マリアアザミも慕われる先輩足り得るのかもしれない。ちくしょうめ。
あけましておめでとうございます。
投稿スケジュールに変更あり。
二日連続二話更新、十八時と十九時にアップです。
アンケートのお願い含めて、活動報告に詳細アリ。
今年もよろしくお願い申し上げます。