三.担当アイドルがヤバい
「なーんだ、もう始まってるの」
マリアアザミに負けず劣らずの「ツンッ」を用いた御挨拶。
活発そうな琥珀の猫目をさっさと逸らし、無愛想を取り除けばさぞ可愛らしいだろう相貌もそのまま、耳の位置で切り揃えたオレンジ髪を雑に揺らす小柄な少年がズカズカと大股で入室し、私の隣に荒っぽく着席する。
「……」
開きっぱなしの扉から続いたのは、先の彼とは正反対の容姿、異なる無愛想の持ち主だ。
少年と青年の狭間に位置する、少し頼りない細身の長身。乱し気味にセットしたスミレ色の髪と濃色の瞳。吊り上がる眉尻と下がった目尻の差異が、隠しもしない気怠さをより際立たせる。
小柄な一人目の名は、トリトニア。
長身の二人目の名は、ガラニチカ。
我がアポロン神殿が誇るデュオアイドル、もとい二人活動の偶像神威。
そして、乙女ゲーム「アイドルアイル」における攻略対象その人である。
ついに出会ってしまった、攻略対象。
生意気だけどちょっぴり泣き虫。メンタル雑魚の取り扱いが面倒臭いトリトニアと、クールぶってはいるが単なる反抗期、クソガキ丸出しのガラニチカは私ことマリアアザミの担当する偶像神威であり……いやちょっと待って説明が悪口しかない!
ゲームのトリトニアは小さな体に秘めた情熱、口は悪いが愛情深いアンバランスさが女性本能をくすぐる目の離せない年下キャラで、ガラニチカは口数こそ少ないが非常に切れる頭の持ち主。素っ気なくもヒロインを尊重するクールなイケメンキャラだった。
つまり先程のアレは、アレか。マリアアザミの印象だと。ホント、手当たり次第嫌ってらっしゃる……。
いや、愛情深いはずのトリトニアが取り扱いが難しく、ヒロインを尊重するガラニチカが反抗期丸出し、つまりマリアアザミが嫌われているに過ぎないのか。なんだお互い様か。
ガラニチカは私の隣、トリトニアとは反対隣に腰掛ける。つまり二人に挟まれる、私。
乙女ゲープレイヤーとして両手に花の状況は至れりつくせりのはずなのに、マリアアザミの感情とOLの感情の板挟みになって、非常にツライことこの上ない。本来の私はどっちだ。
二人の到来を喜ぶばかりのベアグラスは、にこやかに立ち上がり一礼。一方的に挨拶を済ませて机上の資料に指を向ける。
「お二人も是非ご覧下さいませ。次の神事の衣装案です。お気に召せばよろしいのですが……」
「良いんじゃない」
トリトニアがさして興味もなさそうにそっぽ向いたまま、一瞥もしないで即断する。
「衣装なんてどうでも良いよ。それより採寸まだ? さっさと終わらせてオフに入りたいんだけど」
「……同意見だ。早く帰らせてくれ」
ガラニチカまで、やっと口を開いたと思ったら吐き捨てんばかりの同意見である。あー……そうか、今は、そうだった……。
魔力への高い親和性が命の危機となる現世界。神職がいかに名誉職であっても、誰もが望んで得る立場ではない。
神託により強制的に任職された二人は偶像神威としての活動を快く思っておらず、何かにつけて仕事に文句を垂れ流すポジションのキャラクターだった。
その頑なをヒロインの優しさや懸命さに解きほぐされ、偶像神威として花開いていくわけだが。ビフォア・ヒロインの今、彼らは仕事仲間として、最悪の部類の人間である。
ベアグラスが手を下げ、しょんぼりと肩を落とすのが見えてしまった。そうも落ち込む必要はなかろうに。デザインは素晴らしいものだ。マリアアザミは舌を巻いていたし、OLだって素人ながら感動した。暗い部屋でカリカリ陰気に紙に描いていただけじゃない、披露するときのことまで考えられた、まるで神事の現場を目にしたような、その場の空気や匂いすら感じさせる感情の籠もった一級品。
「あなたちには、勿体ないかもしれませんね」
地を這うような声がする。誰だ。マリアアザミか。それともOLか。――両方だ。
「はぁ……?」
トリトニアの胡乱な声。ガラニチカの怪訝な眼差し。でも、構わない。
「あなたたちには勿体ない、と申し上げました」
マリアアザミのプライドは許さない。OLの社畜が猛り狂う。
「次の神事は芽吹きと恵みを神に奉るものです。芽吹いてもいないヒヨッ子ども、恵みからもっっっっとも程遠い中身スカスカのアンポンタンどもが着るには分不相応、衣装が泣きます」
「アン……?」
「ポン……」
「タン……!」
何故か先陣を切るベアグラス、続いてぽかんとガラニチカ。言われたことを理解して語尾に怒気の籠もりだしたトリトニアとわざわざ分けて復唱する連帯感。何に連帯しているのか。こんなバカども、いやもちろんベアグラスは除くが、バカどもの行動に対する推測に割く時間など、勿体なくて作れない。
続ける。
「良いでしょう。早々に採寸を終えて出ていきなさい。助神官ベアグラス、頼みました。ああ、衣装はこれで進めて下さい。素晴らしいものです。ただし、着用は別の者になるでしょうから型紙の作成などは控えるよう。正式なデザイン、大まかな予算算出のみ進めて下さい。演出との兼ね合いに関しましては、わたくしから確認して正式な着用者の寸法含め追って連絡差し上げます。それでは」
「へ……? あ、あの、神官アザミ様……?」
ひょいひょいとデザイン画を指し示し、心残りなく席を立つ。さっさと退室する私の背中に戸惑いマックスに振り切ったベアグラスの声がかかったが、完全無視して退室する。もちろん、扉は静かに閉めた。物に八つ当たりなんて無様を、このマリアアザミがするものですか。マリアアザミはクールに去るべし。
楚々とした足取りで休憩スペースまで戻り、ドリンクコーナーから職員無料のコーヒーをアイスで一杯。ブラック氷抜きを腰に手を当てイッキ飲み。っかー、やっぱコレだね。ブラック仕事の合間のカフェイン過剰摂取、ストレス解消の犠牲となるのは健康だ。こちとら命削って金稼いでんのよ。人間ってそういう生き物なのよ!
やっちゃった。
カフェインは良いね。上がった熱を簡単に冷ましてくれる。人類の生んだ知恵の極みであるのだが、できればもっと早くに冷ましてほしかった。
黒歴史をバラされないためにはヒロインに関わらないことが一番だが、破滅しないためには攻略対象に嫌われないことが一番なのだ。確かに私の最優先は黒歴史の隠匿だが、破滅大歓迎というわけではない。当たり前だ。神職を追われればパァンッと汚い花火となるのだ。もっと穏やかな死に方をしたい。
「あの……神官アザミ様?」
振り返ると眉を下げ、所在なさげに佇んでいる優男。
「何用ですか。助神官ベアグラス」
空の紙コップをゴミ箱にそっと滑り込ませ、背筋を伸ばして凛と立つ。何事も無かったと言わんばかりの誤魔化し目的の取り繕いに対し、ベアグラスは何故かほっと息を吐き表情を少しだけやわらげた。
「いえ、その、何と申しますか……」
「用件は手短に頼みます」
ストレスはカフェインで押し流したが、マジギレした手前の居心地の悪さは払拭できていない。
早く話を終わらせて欲しい私の言葉を素直に受け取り、それでも言いにくそうにベアグラスは言葉を続ける。
「お二人ともデザイン画を見て下さり、自分たち用にして欲しいとおっしゃいました。構いませんか」
「……あなたは構わないと?」
「ええ。お二人をイメージしたデザインですし……」
衣装担当チーフとして使い回しは避けたいということか。……彼のプライドをガン無視してしまったようだ。悪いことをした。
「それは失礼致しました。着用者の変更はわたくしの独断です。取り消しましょう」
「え? いえ、謝罪頂くようなことでは……」
私としては形式的な定型文としか思えないが、彼は謝罪として受け取ってくれたらしい。人間ができている。
恐縮しきりのベアグラスが周囲を見渡すのでつられて見ると、少し視線を集めていた。まだ話したいことがあるようで、促されるまま着いていき、休憩スペースからの視線が遮られる位置まで離れる。
「お二人へのフォローはしておきました。反省しているようですので、先程のお話はあれで終わりということで、お願いできますでしょうか」
あの悪たれが反省とは。うっかり驚きが隠せず、目を見開いて間抜けに口を開いてしまった。
「二人が謝罪を?」
「ええと……いえ、そういうお言葉は頂戴しておりませんが……」
ベアグラスは静かに視線を逸らす。そんなことだろうと思った。
作品をコケにされて、そのうえ子供のフォローまで自ら行うとは。助神官にとって神子である偶像神威も私のような神官も、まさに天上の存在である。下っ端らしく立ち回るのも当然だが、あまり社畜を極めると乙女ゲー世界の利点が消えてしまうので程々に留めていただきたい。
ベアグラスは迷いに迷って、やがて決心を固めたのか背筋を正し、真っ直ぐに私を見据える。
「彼らは未だ子供です。偶像神威としてのお役目、私ごときでは想像もできないプレッシャーでしょう。少しの我儘が何だというのです。やり直すチャンスを……与える、など助神官の身には過ぎた行いですが、年長者として、大事を取り違えるようなことは致したくありません。どうか、神官アザミ様。あなた様にも同様の配慮を求める愚をお許し下さい」
抱いた決意を挫かれまいと胸に手を当て、真剣な顔で一気にまくし立てるような弁舌。……これ、怒られてるの私だな!
なるほど。要約すると「まっとうな大人が子供の駄々にいちいちマジギレするんじゃないよ、みっともない」といったところか。
天下無双の悪役ヒロインに正面切って言えてしまうとは、驚きすぎて怒りも沸かない。マリアアザミすら呆気に取られる意外性。優男の印象は捨てるべきであろう。
しかしここで素直に謝るマリアアザミではない。先程と同様、失礼致しましたの一言で済ませるべきか。悩んでいる私に気付かず、言い切った満足感で全身の強張りを解いたベアグラスはやっと普段の柔和さを顔に浮かべた。
「……でも、少しすっきりしました。デザイン画のことも。ありがとうございます、神官アザミ様」
私が言ったことはコレで、と唇にちょんと人差し指を当てる茶目っ気と「採寸と衣装直しは問題なく進めておきます」と仕事を忘れず立ち去るベアグラス。
秘密をマリアアザミに握られるなんて、弱味を盾に骨髄まで搾り取られかねない行いだろうに。やはり少し抜けたところのある、安定の優男ぶりである。