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二.職場がヤバい


 転職の夢は露と消えた。


 ヒロインとの邂逅は避けられないのか。ゲームの通り黒歴史をバラされ、影でマリリンマリリン呼ばれてしまうのか。

 嫌だ! イヤだ! 絶対イヤダー!


 私というイレギュラーがいるのだから、ゲームと違う展開であっていただきたい。

 勿論ヒロインは誰と結ばれても良い……いや神官の立場としてどうかと思うし軽蔑するが、黒歴史がかかっている。脇目も振らず恋愛に励み、私のことなど視界に入れないでストーリーを進めてくれと切に願う。そのためなら神官としての本分など、……おかしい、非常に気分が悪い。


 これはマリアアザミの感情だ。


 マリアアザミは嫌味は言うし嫌がらせもする。悪どいことは進んでやるし、そのうえ偶像神威を憎んでいるけど、現職に誇りはあるらしい。

 ……胸がモヤつく。ちょっと違うか。負けず嫌いでプライドエベレストで潔癖なだけだというのか。感動を返せ。


 どうやら、マリアアザミは神官を辞めるつもりはないようだ。


 仕方ない。ある日突然体を返すはめになりかねないし、そもそも辞めたら死ぬときている。安全安心のマリアアザミとして、平穏な神官生活というものを体に染み込ませてやろうではないか。


 そうと決まれば仕事だ。


 完全なる孤独の空間、トイレの個室にて執り行った思索を終えた私は神殿四階の事務フロアに向かう。


 チリひとつない廊下は神官長室ほどではないがふわふわとした絨毯に守られ、低いヒールの足音を完全に殺す。閑寂とした白い壁には味のある額縁に収まる絵画、それも曲がり角に時折飾られる程度の、押し付けがましくない品の良さ。

 来客を滅多に迎えない事務フロアですらこの景観。業界トップのアポロン神殿らしい、されど悪事万歳の悪徳神殿らしからぬ、控えめな淑女の如きおもてなしである。不思議だ。

 教えてマリアさん、と記憶を探れば大した意味はなかった。

 ああそう、来客が訪れる二階フロアはそこそこの成金趣味なのね……スタッフ以外が滅多に来ない四階はケチってるだけなのね……神官長はしっかりしてるのね……。


 私にとって居心地の悪くない内装なのだから、深く考えることはやめよう。


「おはようございまーす」


 階段からほど近い、広々としたオフィスの扉を開いてのんびり御挨拶。

 並ぶ机、積み重なった書類。デスクワークを主目的とした内勤特化の戦場は、外回り過多により閑散としているか、急な業務で慌ただしく動いているかの二択のはずである。

 本日は神官半数ほどが部屋に残り、カソックかシスター服に身を包んだ総員が、ぽかんとこちらを見つめていた。


「お、おはようございます……神官アザミ様……」


 迂闊に動くのも悪い気がして扉を開いたまま固まっていたら、手前の席の気弱そうな女性に恐る恐る頭を下げられてしまう。

 そうだった。同格の人間に対し、マリアアザミ御大自らの挨拶なんてありえないのだ。挨拶されるのを待つ、というか先に挨拶することを強要するというか。

 番長か?


「……ええ、おはよう」


 精一杯の素気なさ、出来る限りの低音でつんと顎を反らしお高く止まった御挨拶。これだ。

 遅れてぽつぽつと続く同僚たちの声を浴びながら、私は通路のド真ん中を堂々たる足取りで闊歩し奥寄りの席に座った。


 危ないところだった。むしろ完全アウトな気さえする。

 マリアアザミは誰かと友誼を結ぶような真似はしない。周囲からは無愛想な仕事人間、補足すると性格最悪程度の認識であるはずだ。先に挨拶しただけなら、ちょっとした気紛れとして処理される。たぶん。

 いきなり性格が変わって、悪魔憑き扱いされたら目も当てられない。気を付けねば。……居心地の悪い職場になってしまった。


 そういえば、神官長の前ではけっこうな挙動不審を見せてしまった。大丈夫か。……大丈夫だ。マリアアザミの記憶もOLの記憶も、アクイレギア神官長は金銭以外に興味なしと言っている。


 早めに用件を済ませてしまおうと、懐の手帳と机上の資料を確認していく。マリアアザミの覚えている限りのものと、直近の予定に相違はない。簡単なメモの意味も思い出せる。支障はなさそうで安心した。

 今日の予定は衣装関連の打ち合わせ……これだけだ。


 ……これだけ?


 待て落ち着け、思い出しながら確認しろ。記憶の同期がいまいちなのか、ぱっと思い出せないあれやこれが今日だけで何度あったことか。まだまだあるに違いない。えっと、寸法の測り直しとー、新規のデザイン相談とー、先日着用した衣装の直し確認とー、あと……えっと、それくらい?


 勿論この三点、何が起きるかわからない。担当している偶像神威が激太りしていればダイエット計画で残業、新規デザインで意見の相違があれば残業、直し確認に問題があれば残業……。

 

 どんなに頑張っても、夕方には終わる仕事量じゃなかろうか。


 異世界ってすごい。乙女ゲーってすごい。

 私はホワイトファンタジー世界に感謝して、弾む足取りでフロアを出た。薄気味悪いと言わんばかりの視線が背中に突き刺さってる気がする。いいや、もう放っておこう……。


 第一の仕事は寸法の確認であるが、私自ら行うものではない。

 国家の庇護を受けた神職はいわゆる公務員、福利厚生ばっちりな上に誰もが羨む名誉職でもあり、希望する者は非常に多い。

 魔力に対する親和性の高さが必須条件といっても、そんなものはピンキリだ。高ければ己を守るため、特別性の制御魔法具を求めて就職し、生活に支障がないほど低い者は一般的な職種に就く場合もある。


 親和性の高い人間は出世コースの代表職や偶像神威と多く接するマネージャー、低ければシスター服もカソックの着用も許されない、大道具などの裏方仕事を任される。

 衣装関連でいえば、採寸もデザインも、手直しなどという繕いものも下っ端の仕事だ。私は進捗を確認し必要に応じて共有させるだけ。パシリではない。

 バックアップがばっちりの大手神殿は豊富な人材と人脈があるのだ。専門職に譲る部分が多いだけで、偶像神威のスケジュール管理とか、送迎とか、現場への付き添いだとか、神官のみがやらねばならない仕事もたくさんある。パシリではない。


 気を取り直して次に向かうは神殿三階。

 重要書類が多い神官事務室と倉庫、機密飛び交う大会議室と神官長室のある部屋は上階であり、来客を迎え簡単な応接を主目的とする小会議室が一階と二階。

 間に挟まれた三階は機密性としては中間にあたる、簡易的な作業場や職員向けの小会議室、更衣室に控室が収まる階だ。


 階段すぐ正面はちょっとした休憩スペースとなっており、雑談に興じるアポロン神殿所属の偶像神威や神官たちの姿が見える。用のある人間はいない。

 変に注目される前にさっさと奥へ突き進み、予定していた小会議室の扉を開く。


「おはようございます、神官アザミ様」


 狭い室内に寒々しいパイプ椅子と安っぽい長机。職員の居心地を完全に廃し予算削減の恩恵を大いに受ける、我らが麗しの小会議室。

 

 約束の相手は先に来ていた。すっと立ち上がり、優雅に一礼する丁寧な所作に出迎えられる。

 上げた面には柔和に細まる緑の瞳。白に近いベージュのロングヘアを中程でひと結びして、ほっそりとした長身を清潔感のあるエプロン作業着で包んだ優男。

 助神官ベアグラス。アポロン神殿専属の衣装担当の中でもよりすぐりの腕前を持つチーフ職である。


「ごきげんよう。助神官ベアグラス」


 アッハイご丁寧にどうも、と相手につられて低くなりかけた腰を反らして、精一杯の「つんっ」とした返礼をする私。

 マリアアザミはだいたいいつもこんな感じだ。プレイヤー目線のゲームでは敵役なんてそんなものかと思っていたが、下位とはいえ同僚相手にまで偉ぶってるんだな……。


 私の反応に一切態度を崩さないできた人間であらせられる助神官ベアグラスは、大した挨拶もせず着席するマリアアザミに続いて「失礼します」と腰を下ろした。


「先日の神事も大成功であったと耳にしております。アポロン神殿きってのご活躍。神官アザミ様とお仕事を共にできる栄誉を、日頃から神に感謝する次第です」


「マッ、……前置きは結構。早々に本題を」


 危ない。日本人らしい謙遜を返しそうになって声が裏返った。

 本来のマリアアザミは社交辞令にも嫌味のひとつふたつ余裕でブチ込むのだが、私にそのポテンシャルはない。ボロが出る前に仕事を進めてしまおう。


 上手く取繕えたのか、ベアグラスは「かしこまりました」と相変わらずの微笑みで手元の書類ケースから数枚取り出し、机上に並べていった。

 紙面にはささやかに、されど鮮やかな着色が施された衣装画の数々。


「次の神事は東の広場、木々の芽吹きを喜び大地を寿ぐ、恵みへの感謝を神に奉る神事とうかがっております。神事前半は眠りを主に置き寒色を多めに、後半のイメージも慎ましく蕾をイメージしておりますが、フィナーレに向かってより華やかさを増していくような……演出との兼ね合いを鑑みたデザイン案をいくつかお持ち致しました。いかがでしょうか?」


「……悪くありませんね」


 マリアアザミらしい控えめのコメントだが、内心はすっかり仰け反っていた。なにこれすごい。

 紙に描かれたのは簡単なラフスケッチだが、相手の言葉を裏付ける美しい幻想が脳裏を焦がす。すごく良い。でも彼らのイメージに少しそぐわないような……いや、照明の色を合わせればいい感じに纏まる。なるほど、だから演出との兼ね合いが必要になるのだろう。じゃあこれかな、それともあれかな。


 マリアアザミの知識を総動員して頭の中で算段をつけていく。デザイン画を手に取り、あーでもないこーでもないと優先順位をつけ、並び替えつつ黙考にしけこんだ私を微笑ましく見つめるベアグラスに気付かないまま時間を過ごしていると、閉じた扉が無遠慮に押し開けられた。



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