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十九.訓練がヤバい


「……良いでしょう」


 絶好調の「つんっ」と共に出された許可を受け、ベアグラスはほっと息を吐き出した。小さく軋む安っぽい椅子の背もたれが、彼の安堵を浮き彫りにしている。

 無駄に偉ぶってみたものの、相変わらずベアグラスの作品は完璧だ。そもそも彼は仕事が早い。通常であれば今回のように納期ギリギリ、妙な緊張感のある確認作業とはならなかった。私が仕事を増やしさえしなければ、苦労は増えずに済んだのだ!


 偉そうにして良い立場ではない。


 しかしベアグラスはできた人間であるので、私の素気ない態度にも常の柔和さを崩さず、それどころか折り目正しい美辞麗句をもって慣れた態度でへりくだる。


「安心致しました。神官アザミ様のご期待に沿うことができたのであれば、これ以上の喜びはありません」


 同僚にガンガン振り回されたり、うっかり口を滑らせたり。冴えない姿を連続して目にしていたが、胸に手を当て低頭する品行方正ぶりはこの目で見慣れた立ち居振る舞いそのものだ。

 過日の姿は単なる巻き込まれ由来のイレギュラーと見るべきか、常日頃から大層分厚い猫を被っているのか。いずれにせよ、進みが早いのは有り難い。彼の真の姿については、ひとまず置いておこう。最優先すべきは仕事である。


 アポロン神殿三階。いつかと同じ小会議室で、私はベアグラスが仕上げた衣装の最終確認に従事していた。

 突然の変更と今までにない試みを経由して、関係各所に手当たり次第のご迷惑をかけたものの、神事の準備は滞りなく、関係各所の作業も着々と進んでいる。結実の日は近い。


 その第一弾である、芽吹きの喜び、恵みへの感謝を神へと捧げるための衣装が、ついに本日完成と相成ったのだ。


 寒々しい白をメインに、アクセントには質素な茶色。着用者である少年らの未成熟な細身の体をより頼りなく思わせるフィット感は、裸の枝に降り積もった雪の物寂しさを思わせる。コンセプトから見てまるっきり真逆の色彩だが、心配は無用だ。

 隣に並んだもう一着。幾重にも折り重なる濃緑の隙間に、薄く覗いた桃の色。

 お色直し後にと用意された衣装は、前半の印象を一変させる。華やかな未来を連想せずにはいられない、豊かな仕上がりとなっている。


 次に控える開花だが……これは、後のお楽しみ。

 演出との兼ね合いあってこそのものなのだ。今語るのは無粋といえよう。


「神子のお二人とお会いするのも久しぶりです。いかがですか、その後のご様子は」


「悪くありませんよ。……あれにも、随分と慣れて下さいました」


 屋内スカイダイビング装置に連日、長時間押し込まれたトリトニアとガラニチカは初日で楽しさを理解してくれた。その後ごねるような真似はしなかったのだが……いかんせん、助神官オリザサティバ率いる精鋭チームの、人を人とは思わない、研究重視、人命ときどき疎かにしがちのマッドたちに囲まれての特訓は、彼らの体力と気力を根こそぎ奪った。結論から言おう。少し痩せてしまったのだ。


 やりすぎた。責任問題だ。それともスカイダイビングにはダイエット効果があったのか。OLの記憶はリアクション芸人の変顔ばかり残していたから、わからない。

 悪い効果が出た上に、いつまでも演習広間を占拠するわけにもいかないので、装置は既に撤去してしまった。真相は闇の中である。


 ベアグラスにも迷惑をかけそうになったが、なんとか偶像神威二人の体重は元に戻った。ただでさえ丈夫な衣装を作らねばならぬというのに、サイズ変更の危機まであったことは仲の良い助神官から聞いたのか。他人事ではいられない衣装担当は、笑みを深めて崇敬を向けてくる。


「万事恙無く、ということですか。さすが神官アザミ様、相変わらずのお手前です」 


「……どうでしょうね、そうであれば良いのですが」


 手は打った。……と、言い切るには心許ない。屋内スカイダイビングはあくまで疑似的、あくまで安全な場所でのお遊びなのだ。

 お遊びとはいえ成功体験。彼らの度胸作りに多少の貢献はできるとして、それでも本番とは大いに異なる。土壇場で足が竦むような事態にならなければ良いのだが……なるかな。なるだろうな。あの文句を言うのだけは一人前のおクソガキ様たちなら。駄目な気がしてきた。


 すっかり黙り込んだこちらを気にしてか、ベアグラスが殊更明るい声を出した。


「大丈夫ですよ、あのお二人なら。……蕾の時期はとうに過ぎました。彼らは数々の神事をこなしてきた、アポロン神殿が誇る偶像神威です。必ずや、我々の期待以上のものを見せてくれます」


 ベアグラスの瞳が、力強い輝きをもって私を映す。


「……そうですね。神子トリトニアと、神子ガラニチカを信じます」


 心配してばかりもいられない。悪いところばかりを見ていたって、仕方がない。

 彼らとて発展途上、成長し放題の年頃だ。なんせ、あのマッドたちに追い立てられての苦行を乗り越えたのだ。その経験は、やや強引とはいえ、立派な糧となっただろう。


 私の返答に、ベアグラスは満足そうに微笑んだ。


 ◆


「やだ、無理! 無茶だって!」


「……限度が、ある……!」


 私はベアグラスを見た。彼はそっと目を逸らした。


 ◆


 場所は変わってアポロン神殿地下、踊り専用の演習大広間。

 訪れた私たちを出迎えたのは、支えが付いた横倒しの細い柱――いわゆる平均台の上にて、今日も安定のクソガキとして変わらぬ不平不満を垂れ流し続ける少年二人だった。


「うわ、うわ……っ! 無理っ!」


「……くっ、」


 今も、あっという間に音を上げて平均台より飛び降りる。華麗な跳躍と呼ぶには程遠い、バランスを崩した無様な転落……。


 屋内スカイダイビングの試練を乗り越えた彼らは、セカンドステップ・バランス感覚の習得練習に励んでいた。その成果は御覧じろ。


「あまり、よろしくなさそうですね」


「そうねぇ……やっぱり、狭い足場で普段通りの踊りなんて、難しいわよねぇ……」


「わかってるなら、やらせないでよね!」


「……」


 これも表現、踊りの一環と指導を一任されたアマリリスの渋い顔に、ここぞとばかりに乗っかるトリトニア。ガラニチカも眉間に深く皺を刻み、無言ながらも明確な不服を訴えてくる。今日も今日とて飽きもせず、変わらぬクソガキコンビである。


 先程、一時休憩がてら新衣装の試着をした際には、その出来栄えに唇の端をムズムズさせ、隠しきれない喜色を浮かべていたのだが……。クソガキ心と秋の空。練習再開と同時にこれみよがしに顔を顰め、彼らは泣き言と悪態を繰り返していた。


 ベアグラスが「まあまあ」と宥めているが、効果は見られない。いくらかの権限があるとはいえ、助神官では神の子たる偶像神威に強く出られないのも道理である。


 つまり、はっきり言えるのは私だけなのだ。

 やむを得ず前に出て、真正面から彼らに向き合った。


「わかっていても、外せません。この訓練は万全を期すため、つまりはあなた方の安全のためのものなのです」


「わかってるよ、そんなこと。でもさぁ……」


「……できると思うか。あんな、細い足場で」


 おや。

 真面目に取り合ってみれば、駄駄を捏ねる様子が僅かに引いて、代わりに不貞腐れたような色を帯びる。


 なるほど。単に我が儘を言いたいだけでなく、己の力不足を悔いてもいたのか。頭ごなしに叱るべきではない、かもしれない。

 かといって、気軽におだてるのも心配だ。調子に乗って大怪我されても困る。クソガキとは取り扱いの難しい生き物なのである。


 私は軽く顎を上げ、常の「つんっ」を強めに出す。合言葉は退かず、媚びず、省みず。かといって、子供にブラックを強いないことも忘れずに。


「困難である、その点は否定致しません。ですが、あなた方なら可能です」


「安っぽくない? そのおだて言葉」


「おだてなど申しません。単に、当神殿の完璧な補助と、神事執行当日までの日数……つまりは練習期間を加味した上での判断です」


「……あったところで。……俺たちに可能かどうかは、別問題だ」


「ええ、そうですね。ですが、お忘れですか?」


 子供組のみならず、後ろの大人組まで顔の中心に皺を寄せ、渾身の怪訝を浮かべている。私は自信たっぷりに胸を張り、今は遮るもののない、普通のフローリングとなった演習広間――その中心を、掌で示した。


「先日の屋内施設……あれは、異常です!」


 四人の目口が、パカンと開いた。


「よろしいですか。過日のあれは助神官オリザサティバ率いる精鋭チームの自信作。紛れもなく、そうです。ですが天才とは孤高なもの。何故孤高となったのか、明白です。異常なのです。あり得ない、あり得てはならないのです。革新的と言えば聞こえは良いでしょう。ですがそんなもの、都合の良い御為ごかし。そうですね」


「……そう、だね……」


「……自覚が、……あったんだな……」


 遠い目をする子供組。魂の抜けるような呟きがしっかり耳に届いたので、重ねて連ねる。


「自覚もなにも、あなた方も散々おっしゃっていたでしょう。あれはおかしい、無理だ、あり得ない、と」


「ねぇ。アレ、発案者は神官アザミ様だって、藁束頭が言ってたわよね……?」


「私もそう、聞きましたが……」


 大人組が肩を寄せ合い声をひそめる。しっかり耳に届いたが、これは無視させていただこう。今重要なのは、お子様たちのメンタルなので。これは戦略的撤退である。


「発想を転換なさって下さい。あなた方は、あの異常マシンによる苦行を耐え抜いたのです。第二段階に進んで良しと、我々の厳しい審査を乗り越えた事実を、どうぞお忘れにならないで下さい」


「厳しい審査……? なんて、あった?」


「……?」


 初耳の子供たちが顔を見合わせ、揃って背後の大人二人を見やる。

 疑われてしまったが、本人たちに伝えもしていなかったが、事実だ。思いつきをゴリ押ししたと、そう思われていたなら遺憾である。


 たとえ昨今の神事が俗化していようと、いかに肝心の偶像神威がクソガキであろうと、神の子に過剰な無体は強いられない。本当に無理なら早々に諦め、私も意見を引っ込めていた。どうせ正規ヒロイン対策の延長上であったのだし。出会いが防げなかった以上、試みの大半は意味がない。


 しかし、こちらの懸念を飛び越えて、トリトニアとガラニチカは瞬時に装置に慣れてしまった。正直誰もが予想外、驚きの結果を体現して見せたのだ。

 私の言葉に嘘がないことをアマリリスとベアグラスの迷いなき首肯から読み取ったらしい。当人たちの視線が戻ったので、「つんっ」と逸らす顎を見せつける。


「見事、あなた方はわたくしたちの懸念を打ち破りました。問題ひとつが片付けば、あとは簡単です。楽勝なのです。あなた方の実力は、わたくしたちが知っています。わたくしたちは、誰よりも近くであなた方の実績を見てきたのです」


 畳み掛けるように「アポロン神殿筆頭偶像神威の座が、容易く得られるとお思いで?」と付け加えてやれば、二人の顔が真剣味を帯びていく。


「嫌だ、無理だ、は聞けません。あなた方が無様でしかなければ、決定は覆ります。ですが、そうはならないでしょう。他ならぬあなた方の今までが、それを証明してしまいました。わたくしとて、無能に無茶を言うほど暇ではないのです。……ご存知、ありませんでした?」


 あえて意地悪く片目を眇め、これみよがしに嘲って見せた。


 これでも、悪役ヒロインを担当神官としてきた二人だ。付き合いもそれなりになる。

 ほんの少しの驚きに開いた目を細くして、彼らはクソガキに似つかわしい、前歯剥き出しの悪たれ坊主の顔をした。


「へー、意外。結構僕たち、買われてるんだ?」


「……神官なんて、暇な仕事だな。俺たちに、丸投げだ」


 あえて挑発に乗ってくる、神の子らしからぬ獣の顔。

 それでこそ、悪名高きアポロン神殿の神子である。


「アンタの言葉、信じても良いよ。孤独は異常って、信憑性あるし」


「……あの助神官には、友人がいる。日頃の行いの、差だろうが」


 口の減らないクソガキどもめ!


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