十二.ヤツ、襲来。ヤバい
トリトニアとガラニチカは、悪名高きアポロン神殿所属の偶像神威である。
小さな体で繰り出す挑発的なダンスと力強い歌声を持つトリトニア、長い手足をしなやかに動かす繊細なダンスと少年らしからぬ叙情感たっぷりの歌唱力のガラニチカ。
主人公サイドとは対立関係にある、ヒールポジションながらも魅力と才能あふれる彼らは、乙女ゲーム「アイドルアイル」でも屈指の人気キャラクターだ。
単体はもちろんのこと、二人で歌った楽曲も非常に好評。
キャラクターソングと呼ばれるCDやアルバムは現実の売れ行きランキングにて、主人公サイドの偶像神威たちよりも上位にランクインしていた。
作品を知らぬ層の人間にも顔と名前の知られる機会の多い二人だが、まあ、なんというか、順風満帆とはいかない。
望まず偶像神威になった経緯の話ではなく。ゲームストーリー上の話ではなく。
いつだったか、ゲームのキャラクターデザインを担当していたイラストレーターが、二人のイラストをアップロードした。アルバム売り上げ週間一位獲得のお祝いだったか、ゲーム発売一年のお祝いだったか。どうだったかな。
問題は、そのイラストに書き添えられた一言にあった。
「おめでとう! トリガラコンビ」
トリガラ。トリトニアとガラニチカ。トリと、ガラ。
トリガラである。
いちおうゲーム内ではモブに「きゃー! ニアチカ素敵ー!」と呼ばれ持て囃されるテキストもあったりしたが。トリガラ。ちょっと誰かが言ったり思ったりしたことが無いとはいえないが、トリガラ。
公式のイラストレーターの一言に、我人権を得たりと言わんばかりの爆発的な勢いで「トリガラコンビ」の名はトレンド入りし、広がり、普及した。そういういきさつであった。
あったところで、どうしろと。
確かにこの世界には鶏がいればフォンスープもある。トリガラは実在する。とはいえ、偶像神威は神聖なるもの。仮に誰かが思っても、口に出すなど憚られるし決して許されはしない。
見よ、天下のマリアアザミ様とてすっ転んでおられる。……おられなかった。勘違いだ。
マリアアザミ様の足裏はしっかりと大地を掴み、背筋もぴんと伸び上がり、常の威風堂々たる空気をまとって凛と立っている。OLが受けたあまりの衝撃による錯覚だった。OL、立つんだ。立ってくれ。
転がっている場合ではない。
見よ、目の前の光景を。
ウィンプルの下から豊かにあふれ出る、蜂蜜色のロングヘア。天然ものの長い睫毛が縁取った大きな瞳が、星のようにきらきらと輝く。
小さな唇と小さな鼻を、上品におさめた面貌の愛らしさ。真新しいシスター服越しに伝わる、女性らしい柔らかな肢体。
パッケージイラストそのもの、世界の中心と言わんばかりの顔をして、世界の中心に相応しい存在感を放つ。
乙女ゲーム「アイドルアイル」主人公、正規ヒロイン、デフォルト名「フリージア」その人が、そこにいた。
「やっぱりトリガラコンビだー! ライブは今日じゃないのに会えるなんて、これもヒロインのフラグ力の高さかな? すごい!」
フリージアは満面の笑みで二人に近づき、しかし接触するでもなく、二人を中心にしてやや遠巻きに右回り、次いで左回りに歩き、ときに屈んでときに跳ね、様々な角度から鑑賞していた。
「うわー、うわー! 本物だあ! やっぱトリトニアかわいー、ガラニチカかっこいー! ディテール完璧、こうでなくっちゃね!」
……動物園のパンダ扱いかと思えば、立体フィギュア扱いか?
嫌悪と怖気が同時に走る。
それでも、まるで理解できない、とは言わない。
行くも地獄、戻るも地獄の運命になければ、私とてはしゃいでいた。空は綺麗だし、体力は抜群だし、仕事はホワイト……所業を除けばホワイトで、おにぎりはないけど食に困らず、職場は居心地悪くとも人間関係そこそこ良好で、代わりに住まいの居心地がよく、おしゃれは捨てているが長年の社畜生活により今さら何かする気も起きないので問題ないし、謎の頭痛も対処を誤らなければセーフラインで、早寝早起きの素晴らしき快眠生活が、明日も、明後日も待っている。
おおはしゃぎ、結構なことだ。言動から察するに相当幼い。目の前の光景に釣られて反射的に喜ぶ姿、子供らしい傲慢さを、誰が責める。責めるか。責めるよ。責めようとも。
私を誰だと思っている。
「突然、失礼ではありませんか」
地を這う声、血を吐くような声音に、少女は「え?」と首を巡らす。分厚い眼鏡越しに視線の重なりを待ち、
「彼らに対し、失礼だと申し上げました」
良識ある大人は憤慨し、エベレストは噴火した。
「で? なんですか。何事でしょう。何用でしょうか。この場は現在我がアポロン神殿の神事舞台設営の場です。神聖なる場所です。立ち入り禁止としてはおりませんが、あなたの装いを見るに神官のお役目ですね? おまけに他所の所属でしょう。あなたのような非常識な子供が我らアポロン神殿の一員であるわけがございません。早々に立ち去り、あなたと肩を並べるに相応しい劣等神官とともに最初から礼儀を学んではいかがです。だいたいなんですか、トリガラ? 神聖なる神官の立場にありながら、なくとも彼らをそのように呼称するなど恐れ多きこと、礼儀を持たないうえに頭の中身まで空なのですか彼らが誰かも解せぬとは相当な下位のお立場なのでしょうね嘆かわしいことですがわたくしが指導する義務もないとはいえあなたのような浅学神官きっと誰にもお相手していただけないのでしょうから遺憾ではありますが今ここでわたくしがはっきり申し上げて差し上げますいいですか早々にこの場から立ち去」
「うわ……嫌味すご……さすが悪役マリ」
「も! うしわけございません名乗りも! せず! わたくし、アポロン神殿所属の! 神官アザミと! 申します!」
あっっっっぶな。
突然のバレの前兆に声が裏返り、指は彼女の顔面をアイアンクローしていた。「リぶっ」と掌に伝わる籠もる声。
良識ある大人は、エベレストからの落石に屈した。
どうしよう。
弁舌を振るいに振るっていたら暴力行為に走ってしまった。実力行使などアポロン神殿の神官に相応しくない。
アポロン神殿の神官であるならば、影から追い落とし闇から討ち滅ぼし、死角から刺し穿ち骨も残さず死体を焼かねばならぬのだ。社訓に反してしまった。お恥ずかしいかぎりだ。どうしよう。
進退窮まる私の時間の針を蹴っ飛ばしたのは、遠く背後からの声だった。
「あ、いた! フリージア!」
「どこに行ったかと思えば……やれやれ」
「ふえ……まさかあそこにいるの、アポロン神殿の……?」
翳りのない元気溌剌、ため息混じりの穏やかさ、弱々しくも芯のある、三者三様の声の持ち主。
「って、フリージア! あの、フリージアに何をしているんですか? やめて下さい、フリージアが可哀想です!」
こちらの罪悪感を直接手中で揺さぶるような懸命な眼差し、つんつんと立ち上がった、毛根に現れるまでの元気の良さ。赤い色合いの実直そうな少年、エキナセア。
「何があったか知らないが……大方、こいつが問題でも起こしたんだろう。すまない、許してやってくれないか。少し、……少し、素直すぎるだけなんだ」
突然の事態にも慌てず騒がない落ち着いた所作、申し訳なさそうに眉を下げ、さらさらの髪を揺らしながら目礼する青色を持つ少年、チボウィナ。
「……えっと、ごめんなさい、ごめんなさい……! ぼくたち、王都に来て間もなくて……いろいろ知らないことも多くて、それで……」
丸っこい瞳に涙の膜を張り、小さな体を更に小さくする平身低頭には、ふわふわとした手触りの良さそうな髪が乗る、黄色で彩られた中性的な少年、アラマンダ。
赤、青、黄。信号カラーの三人は、アルテミス神殿所属、乙女ゲーム「アイドルアイル」における主人公サイドの新人偶像神威たちである。
「……っいい加減に離してよ!」
怒りに歪めてもなお愛らしさの損なわれない、私の手から力が失われたことに気づいたフリージアは、頭を振って拘束から逃れ出た。
「もー、最悪! 痛かったあ……」
「もう、ダメだよフリージア。オレたち、まだ王都に不慣れなのに。突然いなくならないで……」
「どうせお前が何かしたんだろ。まったく、人騒がせなヤツだ」
「……えっ、あの、フリージアさんが悪いんですか……? でもこの人たち、ええと……?」
OLの知る、乙女ゲーの世界がそこにあった。
明るく優しいエキナセアに乱れた髪を直される。たしなめ役のチボウィナに呆れられる。おどおどしつつも周囲に目を配ることを忘れない、アラマンダがさり気なく庇う位置に立つ。
三人に囲まれる、おっちょこちょいな正規ヒロイン。
おっちょこちょいだけ、少し、否、大いに異なるが。
「それでさあ、なんなの? アンタたち」
トリガラショックから抜け出し、フリーズした担当神官に代わってトリの方ことトリトニアが前に出た。
「もとはといえば、そっちが悪いんでしょ! いきなり来て騒ぎ出して、と、とり、……失礼なんだけど!」
「……うるさい。消えろ」
ガラの方ことガラニチカも我を取り戻し、常より眉間の皺を深くした顰蹙顔を向けている。
二人分の申し立てにフリージアはきょとんと瞬き、砂丘に指を沈めていくような緩慢さで、下がりゆく眉を起点に、顔中に悲壮を広げていく。
「そんな……! わたしたち、同じ神職に身を置く仲間でしょう?」
「今そういう話してたっけ!」
「……そういった話は、してないな」
知っている。これも、OLが知る乙女ゲーの世界である。
ただし場面が違う。話の経緯が違う。そもそも出会いが違う。場所が違う。時間が違う。居合わせる顔ぶれが違う。マリアアザミが違う。
胸の中をぐるぐると不快感が巡り、吐き気と動悸が違う。私の感情じゃない。焦りはしてもここまでじゃない。マリアアザミの感情のはずがない。現時点で彼女が感じるわけがない。初対面の無礼な木っ端神官相手なら、まだ余裕で対処できる。それがマリアアザミ、それでこそマリアアザミだ。
何も為していない、才能の片鱗すら感じ取れない小娘相手に、なにを思うというのだ。何を感じるというのだ。
「よろしいでしょうか、神官様」
言葉を投げ合う乙女ゲームの登場人物六人を外からぼんやり眺めるばかりに見えるマリアアザミが、どれほど頼りなく見えたのか。
所属が異なるとはいえ、神官相手に口を挟む愚かさを、どのような勇気でねじ伏せたのか。
助神官アマリリスが深々と腰を曲げる。
「大変申し訳ありません。当広場は現在、アポロン神殿が神事執行のため、設営作業中でございます。下賤の輩が数多く、また、資材が行き交う場では、御身の安全にもよろしくないかと」
常の姦しさを消し去ったアマリリス、その隣に立った助神官ベアグラスが、同じく下げた頭を揺らさず続きを引き取る。
「他の神殿に明かせぬ事情もございます。どうか、この場はお引取り願えませんでしょうか」
「……わたしは、あなたたちを、そんな風には思いません。どうか自分を貶めないで。そして、気遣いをありがとう」
自分よりも年長の旋毛を見下ろす聖女然とした微笑みと、「お邪魔してごめんなさい」と形ばかりのお辞儀を残し、彼女は少年三人を引き連れ去っていった。
……あったなー。あんなシーンも、あったなー。どこだったかなー。やっぱアポロン神殿の設営現場だったかなー。ここじゃないけどー。ヒロインとのやり取り相手、モブ扱いで立ち絵もなかったけどー。この二人だったのかなー。場所が違うから違うかなー。ベアグラスはともかくアマリリスは、モブにするにはー濃すぎるもんなー。
「……大丈夫?」
すっかり画面越しの気持ちでいたら、アマリリスに顔を覗き込まれてしまった。ベアグラスも後ろで心配顔だ。
「……ええ、問題ありません。失礼を致しました。対処をありがとうございます、助神官アマリリス。助神官ベアグラスも。手間をかけました」
「べつに構わないわよ。下っ端は頭を下げるのもオシゴトだもの」
「私たちはオリザくんの代わりに頭を下げることも多いので、慣れてますから」
「……ヤなコト思い出させないで頂戴よ」
「あはは、失礼しました」
この二人が漫才を始めるのは、気遣いだろうか。もしかして。
普段文句を言うのがお仕事とばかりの子供たちまで黙り込むのも気遣いか。これはすまない。天下のマリアアザミが情けない。
「……少し、お水を飲んできますね」
それだけ言うのがやっとの体たらく。情けない情けない。
途中すれ違ったアンスリウムや、遠目に見てくる下っ端どもまで視線が気遣う色を帯びる。情けない情けない情けない。
オリザサティバの横を通る。彼は地面に蹲り、一心不乱に何かを書きつけ続けていた。調子外れの鼻歌は先日耳にしたものと大差ない。……仕事が順調、結構なことだ。
広場の端には公衆トイレが建っている。
入ったあとに、気づいた。しまった、水を飲むと言ったのに、公衆トイレに入ってしまった。飲むのか、ここの水を。
公営の広場なので手入れは行き届いているが。飲むのか。マリアアザミが。トイレの水を。
どんなにOLが素っ頓狂な内面を晒しても、威厳だけは維持できていたマリアアザミの体がバグっている。これは駄目だ。
飲みはせずとも、顔ぐらいは洗おう。
そして戻ったら、誰に何を言われる前に「顔を洗ってきました」と自己申告しよう。それしかない。
洗面台正面を見れば、鏡に映るのはシスター服を着用し、持ち前の分厚い眼鏡で顔半分を隠すいつも通りのマリアアザミ――ではない。
いつも通りとは程遠い、眼鏡じゃカバーしきれない蒼白な顔色のマリアアザミだった。そりゃ心配もされるというものだ。情けない情けない情けない情けない。
……やめよう。顔を洗おう、すっきりしよう。いつものマリアアザミを取り戻そう。
視線を下げる。陶器製の輝きも美しい、ヒビ一つない水受けの深い窪み。
何かが落ちていた。
「……?」
ぬいぐるみだろうか。ふっくらとした丸みのあるフォルムは、持ち主に忘れ去られた侘しさからか、心なしかしんなりと、水受けの窪みに収まっている。落とし物か。落とし物かー……。
見たことがあるだろうか。柵に突き刺さった手袋。ポールに乗ったマフラー。金網に嵌まり込んだぬいぐるみ。
落ちたまま放置されては忍びないと、拾い主が少しでも高位置に、見つけやすいようにと差し伸べた優しさの発露。
素晴らしき心遣いではあるのだが、落とし主に対してときに牙を剥く。落としたからと地面ばかりを見ていると、見落とすのだ。探しものは見つけにくいものと化すのだ。
とはいえ、ぬいぐるみ、子供の持ち物だろうか。わざわざ濡らしてやりながら顔を洗うのも、すっきりしない。マリアアザミとてそう言うだろう。他人の無様を嘲笑っても、ぬいぐるみの無様を嘲笑うほど暇じゃない。
ぬいぐるみの足? と思しき部分をつまみ上げる。
一筆描き楽勝の、丸っこい単純な手足からなる体。玉葱に似た、潰れた雫型の頭。全体はやや黄味がかった白色で、よくよく見れば、デフォルメされた小ぶりの羽が背中に生えて――……
「……アイチャン?」
既視感が示すままに名前を呼ぶと、顔と思しき箇所の生地が、ざわめくように波打った。
のっぺらぼうであった、つるりとした面に突如現れる黒豆の如き二つの瞳。現れたと思ったら、収縮するように掻き消えて、また瞬時に現れる。二度、三度、瞼のない代わりと言わんばかりの点滅に似た瞬きのあと、顔面中央下部に出現する、口らしき穴。
「うげえっ」
甲高い声に似合わぬ、忌々しさを塗り込めたえずき音。
OLの知る、悪役ヒロインの知らぬマスコットキャラクター。その目覚めは、二人が知らぬ大変無礼なご挨拶でできていた。




