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プロローグ

連載開始です

よろしくお願いします


 鼻腔を抜けた、空気の生ぬるさ。

 それが最初の違和感だった。


 息を吐き出す。膨らみきった肺が萎むまで、予想外に時間を要した。随分と久しぶりに呼吸をしたような気がするが、寝起きならこんなものだろう。

 さて朝だ、出社だ。どっこいしょ、と起き上がろうとしたところで、次なる違和感に眉を顰めた。


 目的は、既に果たされていた。

 上半身はおろか下半身すらベッド上にない。そもそも現在地は自宅でも、屋内でもなかった。靴裏から伝わる野草越しの土の柔らかさが、未舗装の、自然由来のものであることを教えてくれる。


「――あれ?」


 掠れた喉を通る高い声。耳に届いた疑問は間違いなく自らが発したものだというのに、新たな違和感が沸き起こる。私の声は、もすこし、低くはなかったか。


 恐る恐る首を巡らす。そよぐ風に踊る緑がささやかに葉擦れの音を奏で、そこかしこに咲く花々が優しく彩りを添えていた。

 傍らにはちょっとした湖まである。ほのかにさざめく湖面に、時折不規則な波紋が浮かぶのを見つけた。小魚でもいるのだろう。こんな場所でピクニックでもできれば、最高の気分が味わえるに違いない。ああ、是非ともそうしたい。……休日があれば、の話だが。

 デスクに積まれた仕事の山を思い出す。長閑な光景に似合わぬ剣呑な面持ちで視線を移した直後、堪らず頬が強張った。


 右手に見えるは大自然。

 左手に見えたのは、城である。


 それ以外になんと形容しろというのか。

 長い歴史を思わせる、くすんだクリーム色の外壁。頂上に幾つも携えられた尖塔は非常に鋭く、うっかり巨人が踏みつけでもすれば悶絶確実の凶器性を誇っていた。

 大小高低を様々に、バリエーション豊かな円筒と立方をやり過ぎなまでに組み合わせ、四方八方に突き出た外観は遠目から見ても非常にメリハリが利いている。歪になりかねない構造も、それが不思議と調和して、城と呼ぶに相応しい壮観さをもって小高い位置に鎮座していた。


 遠く高い位置に高々と聳えた城を呆然と眺めるうち、首の痛みに耐えかねて視線を下げる。すると、少し離れた位置に煉瓦造りの塀が見えた。

 高さは四メートル程度。どこまで続いているのか、遥か遠くまで伸びた塀は城と比べて随分と手前にあり、城塞とするには些か離れ過ぎではあるまいか――否、あれは城のみを守るにあらず。丘の裾野に広がる城下町を含めた、王都全体を囲う城壁である。そら、あの大きな門を見よ。庶民らしい佇まいの人間が、門兵に検問を受けたのちあっさり通されているではないか、と瞬時に疑問が解消され――……


 違和感より先に答えが、答えにつられて引きずり出された映像が、記憶が、一瞬で脳裏を駆け巡った。


 あの門の向こうに広がるのは、慣れ親しんだコンクリートジャングルとはかけ離れた、中世ヨーロッパな煉瓦造りの街並みだ。現代日本においてはコスプレ扱いの、異国情緒あふれるファッションを当たり前に着こなす通行人が織りなす日常風景に、ああそうだった、あれこそ我が家、我が職場がある慣れ親しんだ土地ではないかと理解した。

 理解した上で、新たな衝撃に見舞われた。


 空を仰ぐ。

 あっさりとした水色が当たり前のように広がって、ところどころに交じる雲の白と溶け合うさまは、()()()()()()()()()()


 それも当然。

 ここは地球ではない。地球なんて名前すら、誰も知らない異世界だ。


 この世界の名は《アイドルアイル》。淡い空と、豊かな自然に彩られた、風光明媚な丸い星。

 大気に満ちるは《神の愛》――愛とはすなわち魔力のことだ。あらゆるものの動力として活用され、人々の発展を助けてきた、万能のエネルギー資源である。


 されど、神の愛は無償ではない。選ばれた者が祈りを捧げねば、神の愛(魔力)は永遠に失われてしまうという。

 祈りはいつしか歌となり踊りとなり、神へと供物を捧げる役目を担うのは神託によって選ばれし者たち。《偶像神威》と呼ばれる神の子が、民草たちの前で神事として披露する。


 神聖なる御役目、神聖なる儀式であるが、現代の視点を持ってみれば、異なる名前が浮かび上がる。

 豪華な衣装で非日常を振り撒き、熱狂と興奮の渦を生み出す者。歌と踊りを駆使して、舞台の上で華々しく輝く一等星。


「異世界ファンタジー系アイドル攻略乙女ゲーム……」


 それが、ここ。《アイドルアイル》の世界である。


 私はこの世界の住人ではない。

 現時点で地に足つけて手に職ついてる点を鑑みれば間違いなく現地人ではあるのだが、もっと根本的な意味合いで、持ち得る知識が、記憶が、この世界の住人ではないのだと主張している。


 私はかつて、西暦二千年代の前半も前半、初期の頃。地球という惑星の、日本という国に生きたOLだった。OLとは……細かい話はいいか。一般商社なんてここにはない。庶民によくある職業だと思ってもらって構わない。

 そのOLの中でもよりすぐり。非常にハードかつブラックな職場で働く、分類上は社畜に位置する悲しき賃金労働者。それが中身の正体だ。


 理不尽な取引先。発言が二転三転する上司。次々に詰まれる仕事と共に、失われる休日と溜め込まれていくストレス。

 遅くまで馬車馬のごとく働いても、毎日家に帰ることすら叶わない。どんなに真面目であろうと、優れた成果を挙げようと、相次ぐ手違いといちゃもんにより休日返上当たり前。文句をつける暇と気力は嵩んだ業務が奪い去り、気づけば仕事、続いて仕事、それでも間に合わずに仕事をしている。

 まさしく奴隷待遇。この世界の住人では、ほんのひと欠片すら想像できまい。


 比べて、今いる世界は夢のよう。

 穏やかな気風。残業を異端とする価値観。どんなに人が多くとも、移動は完全ストレスフリー。道が混むなら空を飛べば良いじゃないと言わんばかりの発展性。魔力万歳。最高だ。


 私の未来が、お先真っ暗でさえなければ。


 この世界は、(OL)の記憶によると乙女ゲーであるらしい。乙女ゲーとは……声の付いた絵物語とでも言おうか。紙に描かれたものではなく、ゲーム機と呼ばれる小さな箱状の不思議道具を操作してページを送り……ええい、ややこしい。

 不思議な道具で読める女性向けの恋物語、マルチエンディングまである大盤振る舞いの壮大ストーリーとでも解釈していただこう。それで十分。


 ゲームタイトルは、世界の名前をそのまま用いて《アイドルアイル》。

 偶像神威(アイドル)たちが歌い踊り、影でこっそり愛を育む裏切りの地獄。こちらの世界とて、アイドルは恋愛禁止がデフォルトだというのに。おまけにヒロインがアイドルたちを支えるマネージャーポジションとくれば、最悪のスキャンダルだ。ふざけてんのかと言いたくなる。


 気にせずプレイしてきた珍しくもないネタとはいえ、現地現職で生きた記憶があると、価値観がこうも変わるのか……。


 そう、現地現職。地に足ついて手に職ついたこの肉体、現世界で働くマネージャーとしての記憶も備わっていた。

 実はゲームの主人公! アイドルたちと恋するヒロイン、なんて可愛らしいものではない。一般モブ、なんて有り難いポジションでもない。


 恐る恐る、近くの泉を覗き込む。若干緑がかっている自然の鏡面に映るのは、非常に地味な女だった。

 ヘアケアを欠かした引っ詰め髪。透かし見ようとすれば目眩を起こすこと間違いなしの、分厚い黒縁眼鏡と化粧っ気のない白い肌。髪はともかく、素肌のお手入れだけは欠かさずしている。年を取ってからの恐ろしさは、世界を越えてなお共通なのだ。

 数少ない長所である大きな胸はさらしで潰し、すらっとした手足まで覆い隠す長袖詰め襟ワンピースと深めに被ったウィンプルは、縁に白いラインが入っただけの質素なもの。地球で言うところの、シスターの装いに酷似している。


 お洒落をドブに投げ捨てたこの姿は、乙女ゲー厶におけるヒロインの敵。いわゆるお邪魔キャラクター、悪役ヒロイン《マリアアザミ》そのものだ。


 明るく前向きでまっすぐに夢を追いかける、心優しいヒロインの前に現れた、ラスボス様の使いっ走り。好敵手どころかキーキャラクターですらない、小物中の小物。公式の記載であろうと、悪役と付いていようと、ヒロインを名乗るなどおこがましい目の上のたんこぶ。それがマリアアザミだ。


 とにかく意地悪、意地悪、邪魔。意地悪嫌味の強烈ヘイトキャラクターなものだから、プレイヤーからの評判はすこぶる悪かった。それを見越してか生命線が非常に短く、ほとんどのエンディングで勝手に破滅してくれる。ザマァによる爽快感のための舞台装置と言えるだろう。最悪である。

 今現在、彼女の中の人は私だ。ごくごく普通の価値観を持つ一般的な常識人として、ささやかながらも満足のいく一生を送りたい。


 こうなってしまえば最終手段、最凶の悪役ヒロインとして君臨し、邪魔する正規ヒロインとそれに与する邪魔者(攻略対象)たちを滅多刺し……とはならない。

 破滅に関しては楽観視できるのだ。マリアアザミの失墜はだいたいが自業自得なので、清く正しく生きさえすれば、なんとかなる。なんとかなるのだ。なんとかならない方の問題があるのだ。

 破滅問題を軽々超える、切羽詰まった大問題。待ち構えている恐ろしき未来が、というか過去が、私の絶望をより深いものに変えていた。


 マリアアザミは今でこそアイドル事務所のマネージャーのような立場にあるが、かつては偶像神威として活動していた。


 つやつやディープピンクのツインテールと、小柄ながらもたっぷりボリューミーなお胸を惜しまず揺らす、活発なダンスが映えるフリフリの衣装。小さな唇を目一杯開き、幼さの残るキュートなハイトーンボイスであふれんばかりの愛を歌う。ふっくらした薔薇色の頬を持つ愛くるしい顔にはめ込まれた、白い星が散ったような虹彩を持つルベライトの瞳でパチンとウィンクでもしてやれば群衆どもはブヒィと歓喜の嗚咽を漏らしああああああ!


 無理! 完全なる黒歴史!


 本来のマリアアザミや今の世界の常識をもってしても、ありきたりな偶像神威の姿に相違ない。が、現代日本を生きたアラサーOLの価値観からすると、他人事ならまだしも、自分の過去と捉えてしまえば……エグい。非常に、エグい。


 ちなみに愛称も一人称も、通称も芸名もマリリンだ。きつい。自分の過去にあんなロリ✕ブリ✕カマトト(ロリっ子、ブリっ子、猫被りの意)があるなんて耐えられない。チビ巨乳まで入れるなど、設定の盛り過ぎである。制作陣の悪ふざけか。いい加減にしろ。


 この黒歴史、私の記憶が確かなら、誰の好感度を上げようと関係ない。グッドにバッド、トゥルーにノーマル。シナリオ上に用意された、あらゆるルートで暴露される。


 そんな、あの意地悪な女性が、夢を抱き、希望を伝え、愛を歌った偶像神威だったなんて……! という、主人公たちにとっては単純な驚きを得るばかりのシーンだが、数多のプレイヤーたちは転げ回って笑っていた。


 二週目からは、いかに腹に据えかねる行いをされようと『ただしこの女マリリンである(とにかく小馬鹿にした顔文字)』の一文が頭に浮かぶ。

 公式サイトのエイプリルフール企画では、アイドル時代のマリアアザミのイラストがトップに飾られていたりもした。制作会社も率先してのネタキャラ扱い。有り難みのない話である。……御多分に漏れず、いちプレイヤーである私もネタキャラとして扱った。そのバチが当たったらしい。

 ごめんなさい。謝るから元の世界に戻してほしい。一応自分の視点で思い出し、思考もOL時代のものに戻って――というよりも、上書きされた、と称するべきか。


 マリアアザミの記憶を己のもの(OL)として引き出している以上、現状は転生であると捉えている。が、肝心のOLとして死んだ瞬間が思い出せない。

 生霊として乗り移っていたとしたら嫌過ぎである。よりにもよってマリリンとは。ヒロインの友人ではいけなかったのか。いけないか。バチならば。


 なにはともあれ、黒歴史の御開帳だけは避けねばなるまい。

 他人事だから笑える話なのだ。自分の過去として持ち出されることだけは御免被る。本当にやめて下さい。絶対にやめろよ!

 

20230331 加筆修正

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