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刻印のノッカー  作者: アキハル
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3話

 イグナートとナサニエルが研究室を去って数分後。

 無人となった研究室に白銀のドレスを纏ったブロンドの女性が戸を叩いていた。

 人がいないことを悟ると鍵のかかったドアを淡々と解錠し、中へと入り込んだ。

 調度品が無惨に散らかり、芳しくない生活感漂う研究棟に目をしかめながら歩いているとあるものを見つけた。

 大きな麻袋に包まれたそれは所属している研修生が用意したものだと知る由もなかったが、どこか不安を感じた彼女は手帳を開きサンジェルマン研究室の研究課題に関する項目をめくる。ますます目をしかめると椅子に座って麻袋の中を物色し始めた。

「おやおや、随分小綺麗な不審者だね」

 声をかけたのは黒いスーツを身に纏った男装の麗人だった。男装の麗人は服が汚れることも厭わずに誇りの積もったソファへどっと腰掛けて、テーブルの上に置いてあるビスケットを食べ始める。

「サンジェルマン、これはどういうこと」

「見たとおりだよマーサー。我が弟子達の今月の研究課題がそれだ」

 知己のあっけらかんとした態度に白いドレスに似つかわしくないほど頬を紅潮させる。

「門下生は貴方の小間使いではありませんよ。これは、私が貴方に依頼した採集品ではありませんか。いいですか?貴方にだからこそ頼んだのです。あんな生命がいくらあっても足りないような危険地帯を歩き回れるような者は……」

「私の弟子ならば問題ない。無事に帰って今頃一限の講義を受けていることだろう。そこにおいてある袋が何よりの証拠だ」

「イグナートとナサニエルは知っていたのですか」

「弟子たちは論文を書ける。私は君の依頼を無事済ませられる。何か問題が?」

 悪びれる様子もなくサンジェルマンは言った。マーサーは友人の横暴に目眩がした。

「はぁ……いけませんね。明らかに間違っている方法なのに成立していると思わず勘違いしてしまいそう。貴方が優秀なんじゃないかって」

 力なく嘆息して台所に攻め込むとマーサーは人差し指をポッドの手前においた。瞬間的にポッドから湯気が立ち込むと手慣れた様子で茶葉を通しながら2つのカップに注ぎ込んでいく。

 淹れた茶を差し出すとサンジェルマンの左手のソファに座り込み、使われていない暖炉を囲う形で向き合った。

 カップを小さく鼻先で往復させるとサンジェルマンは満足そうに粗茶を喉奥に注ぎ込む。

「弟子をもう少し労っては?」

「私なりに気にかけてはいるよ。イグナートもナサニエルも興味深い色をしている」

「あなたは昔から訳が分からないわ。イグナートを引き取るといった時は驚いたし、ナサニエルもまさか弟子に取るとは思わなかった」

 サンジェルマンといえば学院に所属する山師の中でも特別変人だった。真理究明を理念とする山師の多くは基本的に『向こう側』で探索を続けているため、人間界の学院に関心を持つ物は少ない。いや、連絡がとれるだけ変人にしては協調性のある部類といえなくもないが。

「とにかく、あの子達には報酬金を支払います」

「どうぞどうぞ」とサンジェルマンは涼しい顔で受け流す。

 マーサーは怒り心頭だった。友人の自分勝手はもはや慣れっこだが、自分の生徒に迷惑をかける所業は見過ごせない。一杯飲み干すと力強くカップを置いて、

「それと、論文には共著者として名前も付記しておくように」

 ノッカーとしての彼女の器質に理解がないでもないが、場所が変われば常識も変わる。何より学院を預かる立場のマーサーには義務がある。そうとも。学院という体裁をとっている以上は学徒を死地に送り込むような教諭は到底認めるわけにはいかない。いくら昔の好だとしてもだ。

「私に与える罰を考えているようだが、やめておいた方がいい」

「ほう……その心は」

「私は逃げるし、逃げ切れなくても反省しないからだ」

 マーサーは自分の額に青筋が二本増えたのを自覚した。

 息を吸い込むと窓が割れるほどの怒声を放った。


 

 二時間ほど個人的な教育指導が行われた。その間の記憶はマーサーも朧げで自分でも何をしていたのかよく覚えていない。はっきり言えることは自分の体はまるで新春の朝を迎えたようにすっきりとしていて、目の前の友人は汗を少々流していて、どんな話題を振っても快く応じる話し相手になってくれていることだった。

「生徒とは仲良くやれているの?」

「もちろんだよ。炊事、洗濯、掃除……私の身の回りの世話は全て任せてある」

 それは友好関係といえるのだろうか。もうダメだこの女。

「貴方は一応貴族の出で、あの子達は貧しい生まれだけれどね。もうちょっと考えたほうが良いことあるんじゃないかしら。いくら身元不明の子でもね」

「はっ。私は経歴で接し方を変えたりはしないよ。大体、訳のわからない連中しかこの町にいないじゃないか。さっき漁港に着いた連中はどこの国の人間だい?」

 予期しない発言に茶を啜る口が止まる。これだからこの女は侮れない。

 マーサーはしばし言い澱むと話題を戻すことにした。

「それなら上手くやれてるということね」

「いや全く。あの年頃の子供はよく分からん。本当に無愛想だし、いや無愛想というよりもはや獣だな。昔使っていた馬によく似ているよ。幼い頃に人間に虐げられて、以来あいつが人間を慕うことはなくなった。荷馬車を引くのに疲れ果てて息を引き取るその時までね」

「そういう言葉が平気ででてくるなら貴方に任せた判断を撤回する必要があるわね」

「いや……まぁ可愛がっているよ?私なりに気にかけているといったろう。もうひとり増える予定なんだから、俄然調和を意識している」

「調和。調和ねぇ……そうそう、今日はその話をしにきたの。まず挨拶は大丈夫だったのかなって。貴方が普通の人と話せるか心配で……彼女もやんごとなきお方でしょう」

 サンジェルマンの顔が曇る。どうやら上手く喋れなかったのだろうと思い、話を止めた。あまり心配してやっても拗ねるばかりで意味がない。だが、内容は話してもらわなくてはならない。案件が案件だけに直接耳に入れておきたいことなのだから。

「非常に、新人は濃いキャラクターだったよ。逆に有望かな?エキセントリックで私の興味の対象に成り得る」

 焼き菓子を口に運びながら嬉しそうにサンジェルマンは言った。気に入っている様子だがマーサーからすれば予想外の悲報だった。面白くないから面倒を見てくれと言ってほしかった。その言葉を聞くつもりで今日この屋敷まで足を運んだのだ。一度気に入ればこちらが否といっても欲しがるのがこのエゴイスティックな女の特徴なのだから、頭痛の種が一つ増えてしまった。

 そんなマーサーの気持ちなど露知らず、サンジェルマンは次の焼き菓子の袋を開け始めていた。琥珀と翡翠を彷彿とさせる色とりどりのジャムが乗ったクッキーは名のある職人の作品だった。無論のこと高級品なのだが友人は矢継ぎ早に口へと運んでいく。

「それ……金細工の新作……」

「あそこの店主は腕が良いからな。食べるか?金箔入りだぞ」

 何のありがたみもなさそうに、袋ごとマーサーに押し付ける。

「も、もらう」と嬉しそうにマーサーも待望の新作を堪能し始める。

 本当は叱りつけるために訪れたはずだったのだが気付けば朝からお茶を堪能していた。我ながら餌付けされていると内心苦笑してしまう。小狡い友人を持ったものだ。



 眠気を誘う朝日が講義室に差し込んでいた。

 ちょっとした肉体労働の次は植物学の講義だ。宣教師のような身なりの老いぼれがひび割れた眼鏡を光らせながら、岩に根を張る雑食食虫植物についてまるで教会の説教のような怒声で語って聞かせていた。

「これを見給え。岩に根を張る鳥の幼生だ。羽が生えていないのに鳥というのもおかしな話だが、見る限り鳥類だから野暮は言わないように。今は手で掴めるサイズだが成長すると家屋ほどの高さになる。岩に隠れ、獲物が近寄れば顔を出して捕食するのだ聞いているのかねジェニファー!君は今15秒目を閉じたな!」

 ジェニファーと呼ばれた生徒はチョークを投げつけられると退室を命じられた。

「どこかで聞いた話だな」

「君の命の恩人だろうよ」

 喧しいことこの上ないが夜通し活動していたイグナートとナサニエルにとって講師の怒号は意識を保つための命綱に等しい。故に、ふたりとも前列の席で傾聴していた。

 前列の席を取れば悪目立ちするため普段は決して行わない。現に他の学徒は不快な目つきを隠そうともせずに視線をイグナートとナサニエルに突き刺し続けていた。

 もっとも講師の怒号でそんな視線を気にかける余裕すらないが。

「今日の実験はアレの胃液を用いた反応実験だったな」

「君、本当にあの薄っぺらい鍋で参加するつもりかい?」

 イグナートは一条の冷や汗を流していた。懸念通り、失敗すれば溶解液が卓上に零れ落ちる。いや、間違いなく零れ落ちるだろう。

 そしてついに実験が始まった。

「僕のを使いなよ」

 いざ実験となったときにそう声をかけてきたのはナサニエルだった。

 イグナートは大いに葛藤した。鍋を机においた時点で同級生からは笑いものにされていたからだ。大多数の学徒はもはやいないものとして空気のように無視してくれていたが、それでも三人ほど面白可笑しく嗤っていた。

 どちらにせよ鍋を持つイグナートの手が小刻みに震えて、情けなく動揺していることはたしかだった。恥辱で震えているのだろうが、頭に血が上っていて自分でもよく分からない。

「この程度のことを迷惑とは思わないよ」

「そ、そうだな。すまん」

 ここでナサニエルの誘いに乗れば恥の上塗りでしかないが、溶解液をぶち撒ける最悪の結末を思うと背に腹は代えられない。

 本当にあの幼生が昨晩イグナートを救った寄生生物の仲間であるのなら、主食は鉱石を食らうムカデだ。その胃液は食用の鍋など造作もなく溶かすだろう。

 ナサニエルが試薬を作り終えると、イグナートも同様の手順を踏んで鍋に素材を放り込む。

「貴様、何をやっとるか」

 当然のこと、講師はこのように口を挟んでくる。状況を見れば実験道具を忘れた不届き者を優等生が尻拭いしているようにしか見えない。

「サンジェルマンの門下生だな。鍋はどうした。忘れたか?」

「用意はあった。足りないのは勇気だった」

 イグナートは堂々と鍋を見せつけた。薄っぺらい底の鍋を。

 講師は目を丸くして、しばし二の句を継げずにいたが持ち直すと、

「貴様なあ……ふざけとるのか?」

 ここで何もしなければ説教が始まる。

 イグナートはすかさず行動を開始した。親指と人差指をつなげて輪を作ったのだ。

 このとき、何も言わないのが肝要だった。ただ投降の意思を示しつつ、肉体言語で伝えるのだ。

 お金がなくて……と。

「なんと……鍋も買えんのか貴様は……」

 憐憫の眼で顎をしゃくった。

 とっとと実験を再開しろという合図で、鍋をかき混ぜるイグナートの手並みを見守り始めた。

「もっと動きを均一にしたまえ。溶けるぞ」

 講師の言葉が突き刺さる。分かっている。イグナートは狂いそうになる手元を制御することで精一杯だった。要領は調理とさほど変わらない。焦げ付かないようにかき混ぜる行為は日常的に行っているのだから、焦らなければどうということはない。

「溶解液を中和する皮膜は一度途切れれば鍋が溶け出す。皮膜が液に溶け切らないように棒を使って層の形成を維持しながら、特定の具材を放り込むのだ」

 やがて鍋に浮かぶのは人間界では手に入らない未知の栄養分だった。

 おたまでそっと掬うと琥珀色に妖しく液体が浮かんでいた。人間の腹に放り込めば栄養価が高すぎて内臓に重篤な疾患を招く劇薬だ。おまけに体内で分解されにくいため原液を一度口にしてしまえば外科手術の必要がある。

「薄めれば携帯食料としてはこの上ない代物だけどね」

 試薬を合成して自分で飲み込むまでが講義だ。危険であるため学徒は下人に飲ませて済ませるがイグナートとナサニエルは選択の余地がない。

「君の胃袋ならどうなるかという興味も僕はあるけどね」

「人を何だと思ってるんだ」

 安堵したイグナートは椅子に腰を下ろした。

 だが落ち着いてもいられなかった。脇から嘲笑の声が飛んできたのだ。

「買い取ってやろうか貧乏人」

「それを飲ませる召使いはいるのか?」

 差し込まれた言葉は誰のものだったか。

「失礼、下人のいない君たちは直接飲まないといけないんだよな」

「怖や怖や」と貴族共が囃し立てる。

 最後の最後で生成された反応物に誤りはないか証明する必要があるのだ。

 もっとも手っ取り早い方法は、人が飲み込むこと。すなわち、毒見だ。

 イグナートはすぐさま試薬を取り出し、口に運ぼうとするがナサニエルに手で制される。

 学友に向けてからかうように試験管を揺らせるナサニエルだったが、すぐに飲み込んだ。イグナートもそれに続こうと再度自分で二本目の試験管に口をつけるがまたも制止される。

「飲むのは僕だけでいい」

「どういうつもりかね」

 講師が口を挟んだ。

「なに、貴重品ですからね。向こうで使えるかと。それに、他の生徒が自分で試してないんだから良いでしょ?」

 講師はなにも言わなかった。確かに他の学徒が下人で済ませている以上、イグナートとナサニエルの二人のみに本来の実験意義を押し付けるわけにはいかない。

「まぁ、よかろう」

 普段従順なナサニエルが反論してきたのが珍しかったのか、講師もそれ以上の追求はせずにその場から立ち退いた。

 実験の工程はすべて終了した。跡は片付けを行うのみだった。

 後始末をしている間も学友の嘲笑は続いた。イグナートは腹立たしかったが、ナサニエルはうっすらと笑みを貼り付けて聞き流していた。イグナートは少し恐ろしかった。

 実際のところ、差別されていることに対して全く気にしていないのだろうか。それとも自分のように今にも噴き出しそうな怒りを堪えているのか。

 ナサニエルの微笑みはまるで変わらず、また無視しているわけでもない。友好的な生徒にもそうでない生徒にも等しく言葉を交わしている。

 ナサニエルの飄々とした態度からは本心を読み取れない。不気味だった。

「お前の協調性の高さには頭が下がる」

「そんなに不思議だったかな」

 ナサニエルは小さく呟いた。

「理由を聞いてもいいか。なんで飲み込んだんだ?俺でも良かったろう」

「薬の節約っていったけど?」

「そんなの全く考えてなさそうな事ぐらい分かるからな」

 ナサニエルは恥ずかしそうに頭をかいて、最後の器具を洗浄した鍋に詰め込む。

「うーん。実のところ自分でも良く分からないんだ」

 ああ、とイグナートは納得した。要するにナサニエルは切れたのだ。

 そして、自分に気を遣ってくれたのだ。

「俺をよく神経質だというがお前も大概じゃないか?」

「いいんだよ。僕個人の納得の問題だからね」

 なんてことのないようにナサニエルは答えると荷物をまとめて次の地質学の講義に向けて隣の教室へ歩き始めた。

 廊下を歩いている最中にふと思った。ナサニエルは、あるいは朝からずっと上機嫌だったではと。それは自惚れでなければ自分と一緒に大きな課題を達成した歓びがあったからで、そうした気分を害されたから怒りを覚えたのだと。

 刹那走った思考はなんとも自分らしくなく陶酔したもので、すぐに妄想と断じて切り捨てた。

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