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刻印のノッカー  作者: アキハル
24/25

23話

最終話です

 窓の隙間から照らす陽光に頬を撫でられながら、ふかふかのベッドで微睡んでいた。ずっと張り詰めていた糸がほぐれて、レイは長らく訪れなかった法悦を堪能していた。ようやく重たい瞼を開けるとそこは日用品と本が雑多に隅へ詰め込まれたお世辞にも綺麗とは言い難い部屋だった。ベッドから降りて家を一通り見回ってみるが、物音一つなく家は無人のようだった。と言うかこの家屋は物凄く汚い。一室丸々、燃やすべきゴミに占領されている。もはやゴミ屋敷だ。

 うんざりしながら立ち上がると、体に鋭い痛みが走った。筋肉痛だけではない、胸や指先は固めた革で補強されており、骨折もしているようだ。歩けないと観念して再びベッドに倒れ込み、重たい瞼を再度閉じようとした。

 サンジェルマンと名乗る貴夫人風の女性が屋敷を訪ねたのはそれから二時間後ぐらいのことだった。紅茶を淹れてもらい、眠っている間の出来事を聞いた。

 レイは肉体を酷使したので丸々三日眠っていた。一方、にわかには信じがたいがイグナートは翌日に目を覚まし何事もなかったかのように鍛錬と家事に勤しんでいるという。ハクは眠っていた三日間のうちに正式に学院の生徒になっており今日もイグナート、ナサニエルを連れて選択科目を受講している真っ最中だとか。

 宮廷に居る頃の妹しか知らないレイにとってはそれもまた信じがたい出来事の一つだ。

 その晩は全員で集まって小さな晩餐会が開かれた。

「で、お宝は?アンタ何処に隠したのよ」と口火を切ったのはハクだった。

「だから何度も説明してるだろ?消えたんだって。僕が聞きたいぐらいだよ」

「巫山戯んじゃないわよ。私の宝は?不老不死は?換金すれば船が三隻は買えたでしょうに。いえ、三隻じゃ下らないわ。上手くいけば国宝もんよ」

「ああ、やっぱり不老不死もお金も欲しかったんだね……」

「当たり前でしょう。欲しいものは全部手に入れるのよ」

 自由奔放な煽りに笑みが貼り付いているナサニエルの額にも青筋が立ち始めた。ハクはそんな反応もおかまいなく、我関せずと夕餉に手を付けていたイグナートに水を向ける。

「イグナートじゃないの?隠したのは」

「知らんと言っているだろ。第一、その頃俺は気絶してるわけだが」

「じゃあ誰が犯人なのよ」

「さあなぁ……誰かが取り立てに来たのかもな」

「なんて?」

「いや、何も」

 獰猛な蛇のような眼で睨みつけるハクをよそに涼しい顔でイグナートは羊肉を切り分けて口に運んでいた。ナサニエルが仲裁に入るように諸手を挙げて、

「まぁまぁ。実際にないわけですから、どうしましょうこの場合は。ねぇ先生」

「そうだねぇ……まぁ、無かったんだからしょうがないね。元々石の花などという胡乱な代物は最初から存在しなかったんだ。ということにしようかと思うが如何かね?」

 予想外に甘々な沙汰を言ったものだから一同はサンジェルマンを凝視した。イグナートとナサニエルは経験上このようなセリフを聞いたことがない。

「ということは僕らの課題は免除……?」

「ああ無論、別の課題を追って伝えるとも。今回の冒険に勝るような危険区域……あ、いや難題を考えてくるから楽しみにしておくように」と果実酒を呷りながらそう付け加えた。

「死にますって」とナサニエルは乾いた顔で俯く。

 小さな宴はそうして過ぎていった。サンジェルマンは例の如く姿を消し、イグナートとナサニエルがあばら小屋で就寝に入る。部屋に残るのはハクとレイだけになった。

 薪の焼ける音、火の粉の弾ける音だけが響き渡った。何を言うかお互いに考えあぐねていたのだ。

「ベッドは一人用だけど詰めればどうにかなるわ。私達華奢だし」

「いや、しかし……ほら、研究棟のベッドを借りればいいだろ」

「それ先生のよ。いいのよ気を遣わないで。小屋はナサニエルが小綺麗なのを作ってくれたから」

「私を追い出さないのか」

「別に。そんなの言い出したらナサニエルのがよほど危険人物だし。そういう人間を従えてこその貴族だと思わない?あ、でも私を連れ戻すつもりなら追い出すわよ」

 軽い調子で喋るが嘘偽りはないことをレイは知っていた。

「いいよ。ひとまずは観念してやる。それに、イグナートと一緒にいたいんだろう」

「ちょっと違うわね。一緒にいたいわけじゃないわよ。アレは私の所有物だから」

 寝るわよ、そう宣言してハクは布団を被った。

 近くにいるとハクの声は何でも聞こえてくる。レイにとっては文字通り頭痛の種でしかない。

 他人に聞いて欲しくないことも聞こえてくる。だが無粋なことは何も言わなかった。



 ここ数日熱気が冷めることがない。怒っているわけでも精神的負荷があるわけでもなく、ただ体験に興奮を覚えてしまったのかもしれない。レイとハクが小屋に戻ったのを確認するとイグナートは水田の近くに腰掛けた。水田の脇を通る小さな水のせせらぎを暫く聞いていると枝を拾って適当に刻み始める。掘っているのは人か馬か。なんのテーマもない手慰みだが無心に還るための儀式のようなものだ。

「眠れないのかい?」

 消えたと思っていたサンジェルマンが忽然と隣りにいた。

「本当にどこにでも居るなアンタは」

「これが私の特技なものでね。それよりも今回の課題はどうだったんだい」

 どう、と言われても答えに詰まる。楽しかったとか面白かったとかそういうことだろうか。

「上を見てきたんだろう?どうだった」

 ああ、と意図を理解して、やはりイグナートは答えあぐねた。

「前と同じ。訳が分からなかったよ」

「ふふん。羨ましいことだ。君はどうにも上層に縁があるようだね」

「行こうと思えばアンタも行けるだろ」

「バカいえ。二度と帰ってこれないよ。いや、そこいくと君は下層にも縁があるのかな」

「一か八かだ。ナサニエルが紐を伸ばしてくれなかったら、戻れなかった」

 イグナートはぶっきらぼうに言った。真意を覗き込むようにサンジェルマンは顔を近づける。

 瞳を覗き込んで甘く何言かを囁く。まるでイグナートを貫いてその先の誰かに語りかけているように。

「カミの遺体に我々は近づいていると思うかい」

 そんなもの愚問だ。イグナートは当然のように答えた。

「そりゃ掘ってるんだ。近付いているんだろう」

 なるほど、と一拍おいて、

「君がそういうならそうなんだろうねぇ」

「随分余裕だが、俺なんかの勘をアテにしてる場合か?」

「いや、焦ってるよ。これ以上、向こう側が広がれば我々は滅びるだろうし」

「驚いた。真っ当な使命感なんてあったんだな」

 イグナートの破顔に対して、サンジェルマンはうんざりするように両手を上げた。

「問題は山積みなんだよう……論文も終わらないし、身内の内ゲバも片付けないと」

 おどけて後ろに倒れて、星空を眺める。

「だから君達にはもっと働いてもらわないといけないのさ」

 凛とした声で誰に言うともなく呟く。

 対象がいないと思ったのでイグナートは答えるべきかどうか迷った。

「アンタはそれでいいんじゃないか。そうやってふんぞり返っていると、こっちは安心できる」

「おや、今日は優しいね」

 気付けば返答していた。普段は黙って流すところを。意外とあのお姫様が来てから所信が変わったのかもしれないなと思った。

「どうせ俺は掘るしか能のない男だ。底に当たるまで掘ってやる」

 そういって爪で木を削り出すと、全体像が見えてきた。

 円柱に深々と刻みつけられたラインは一つを像を結び、蛇とも蜥蜴とも言えぬ幻獣が掘り出される。

 天に昇る龍。イグナートは星空に像をかざして微笑んだ。

これで本編は終わりです。

ここまで付き合ってくださった方々、ありがとうございました。


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