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刻印のノッカー  作者: アキハル
23/25

22話

 突き出された拳は砂の塊となりイグナートに降りかかる。

 口の中がザラザラして気持ち悪いがどうやら成功したようだ。杭に刻まれたもう一つの刻印は完全に発動した。

 右手を喪失した巨人ダダンは怯むことなく左の拳を繰り出してきた。同じ真似はできない。先刻の成功は奇跡的に呼吸が合ったからだ。拳を空振らせてから杭を差し込む。

「下がれ、ダダン」

 ウスターは初見で種に気付いたようだがもう遅い。左腕に飛び掛かると槌を杭めがけて打ち込む。

 杭打ちをすると左手もまんまと崩壊してしまった。次は腹にでも打ち込もうと再度飛び掛かる準備をするも間欠泉のように砂が噴き上がってきた。身を守る盾を得るために周囲の砂を掌握したのだろう。仕切り直して後退りすると、今度は防御ではなく攻撃的に砂を噴射してきた。

 こうなると手も足も出せない。足を取られて動けなくなる前に砂の海から抜け出そうと試みる。足だけではもう前に進めない。手で地面を掻いて、全身を使わなければいけないほど砂に浸かってしまった。

 あと一歩なのに手数が足りない。

 砂の海は範囲を広げて緑の大地を思うままに塗り替えていく。あれを仕留めるにはもう一度死地に飛び込まなくてはならない。

 さて、何処から飛び込むか……と様子を見ていると気付きがあった。砂の海は扇形に放射している。

 何故あえて歪な形にしているのか。

「足元のウスターを守っているのか」

 となれば話は早い。未だに砂に侵食されていない硬い地面を蹴って、一気に背後まで回り込む。ダダンの足元には予想通りウスターが転がっていた。胴体を粉砕するべく跳躍して、ダダンの背中に取り付いた。

「気を遣うなダダン。君の背中に虫がついているよ。私のことは気にせず潰してしまえ」

「お前は寝てろ」

 とっさにウスターの顔を蹴り潰したが指令は下ってしまった。セーフティは外れ、無防備だった背面にも砂の鎧が張り巡られる。じっくりと刻印の位置を見極めて粉砕してやるつもりが、もう時間がない。

 そのときに虚空から伸びた漆黒の紐がダダンの巨体を持ち上げた。

 咄嗟に生まれた揚力に対応できず、砂は剥がれ落ちて巨体は数キルメルの高さに浮かび上がる。友人の介入だとすぐに悟り、杭を打ち込む準備を始める。

 ダダンの胴体を軽擦し、指の感触から奥に入り込める隙間を探し当てる。

「ここだ」と見つけるとイグナートは杭にハンマーを勢いよく叩きつけた。

 頑強な巨人の胴体は溶けるように崩れ落ちて、宙に身を投げ出されたイグナートは地面へと落下した。幸いというべきか砂がクッションの役割を果たし、負傷せずに済んだ。

 その僅かな時間に杭の崩壊を免れた一片の石をイグナートは見た。

 刻印が刻み込まれたダダンの核にイグナートは手を伸ばしていた。

「それが刻印かい?早く握り潰さないとまた体が出来上がるよ」

「分かっている」

 ナサニエルの忠告を聞くまでもなく、杭の先端を当てて今度こそ石片を刻印もろとも塵に還してやった。

「いやあ間に合ってよかったよ。危ないところだったね」

 しゃあしゃあと調子のいいことを述べるナサニエル。寝返っていたなんて事実ははじめからなかったかのように。槌を握る手をそのままに、ナサニエルへの警戒を緩めることは出来なかった。態度ではっきり示されてナサニエルは両手を上げながらおどけてみせる。

 そんな睨み合いが数分続いたが、ハクとレイが林の中から現れたことでイグナートはようやく一息つけた。

「そっちの優男は私の軍門に下ったわよ」

「いやそんなつもりはないんだけど……」

「違うのか?拒否するというのならこの場で斬るが」

 レイが大上段に剣を構えて首を落とそうと狙いをつけると、

「いえ、それでいいです。部下でいいです」

「よくわからんがいい気味だ」

 そういうことになったらしい。裸足になって靴に詰まった砂を落としながら、半ば呆然とやり取りを聞いていた。ナサニエルに落とし前をつけようと決意していたが体力が限界を超えていて何も考えられない。

「レイ……だったか。ハクはもう諦めたのか」とイグナートが言うとレイは強く頭を振った。

「今でも連れ帰りたいと思っているよ。ハクにその気があれば、今すぐにでも」

 ハクがイグナートに駆け寄ると懐を弄り始める。介抱でもしてくれるのかと思いきや目当ては水筒だった。

「ないわよ。泥舟だもの」

 ぷはっと勢いよく飲み干すと空の麻袋をイグナートに渡してくる。最悪だ。

「こんな辺境の地で暗殺に怯える日々を過ごすつもりか」

「どこでも同じでしょ」

 なおも食い下がるレイに気のない返事をしてそっぽを向くと彼女は肩を落として何も言わなくなった。

 イグナートは、砂を軽く掘って左肩だけ小島のように顔を出しているウスターを抱き起こした。連戦の疲労は騎士を苛んだらしく意識を落としている。暫く目覚める気配はない。

 全ての厄介事が片付いたのを理解した一同は自然と輪になって砂の大地に腰を下ろした。

「ハク、疲れたろう?菓子でもどうだ」

「ん、ありがと」

 気持ちを切り替えたレイはポーチからビスケットを取り出して主に献上している。

 そんな洒落たものを持っていないイグナートはナサニエルから水筒をひったくると胃袋が満たされるまで生温い水を飲み込んだ。

「ちょっと。イグナート、僕の分は?」

「知らん」

 これくらいの復讐は許されるだろう。いや、まだ暫く借りを分納し続けてもらう。

 呼吸を整えるまで全員が緩やかな時間を過ごしていたとき、ハクがポツリと口を開いた。

「そういえばお宝はどうなったの」

「そこは抜かりなく、あの茂みに避難させてあるよ」

 指差した地点は随分近い。しかし、そんな話題になったものだから土砂崩れを引き起こしたイグナートは一行から恨み辛みをぶつけられる羽目になってしまった。

「君は意外と性格悪いよね。思いついてもやらないでしょ普通」

「真似しない手はないだろ。それにこいつに砂の味を思い知らせてやりたかった」と眠っているウスターの頭を軽く小突きながら言った。

「うわ、根に持つタイプね」とハク。

「そうなんだよ。学校でもイグナートは同級生を見返したくていつもイライラしててさ」

「それはお前だろナサニエル」

 席を寄せ合い、他愛のない会話が続いた。ようやく一山片付けたのだからこれくらい良いだろうとイグナートも気を抜いていた。


 やがて、二度目の地震が起きた。


 一斉にイグナートへ視線が注がれるが、首を大きく横に振って否定した。いや、間違っていないのかもしれない。なにせ地盤の一部を崩したのだ。連鎖的に二度目の土砂崩れが起きたのだろうと思い、自責の念が頭をよぎる。

 だが、地鳴りの僅かな周期に違和感があった。もっと激しく連続的であるはずなのに、まるで生きているかのように地鳴りが弱まったり強まったりしている。

 イグナートは、直感で悟った。

「逃げろ。下になにかいる」

 広間に巨大な砂の間欠泉が吹き上がった。

 砂の波間に黄土色の異形が垣間見えた。それは長く強靭な殻に覆われていて、先端には大人の丈ほどのもある巨大な牙があった。

「鉱石喰い?まさか。あれは死骸だった」

「恐らく(つがい)だろう、あの死骸の近くで眠っていたのやもしれん」

 鉱石喰いが咆哮する。それこそ大地が揺れていると錯誤するほどの重低音で、全身が動けなくなるほど腹に響いてきた。

「俺の勘だが、ダダンを食べに来たんじゃないかこいつは」

 見るも無惨に一面砂まみれになっているわけだが。

「不味いじゃないか。メインディッシュを食べられなくて怒ってる」

「ワームさん?やったのは私じゃないわ。こいつよ」とイグナートを指差すハク。

 イグナートは舌打ちをしながら、

「ナサニエル、手を貸してくれ」

「いいけど、助けたら貸し借り無しってことでいいかい?」

「嫌なやつだな。それでいいよ」

 鉱石喰いの乱杭歯が大きく広がると一向に目掛けて鉄槌の如く振り下ろされた。

 レイはハクを抱えて退避し、イグナートもまた動きの鈍いナサニエルとウスターを抱えて走った。雑木林に逃げ込んだが一息つく暇もない。

 木々が一斉に、まるで鎌で草を薙ぐように切り飛ばされる。ダダンが良心的に見えてくるほど馬鹿げた膂力だった。

「取り憑いて鉄槌を当ててみる。隙を作ってくれ」

「紐で突付くぐらいなら」と言っている最中もナサニエルの紐は鉱石喰いに果敢に絡みついていた。だが、一定の効果があったダダンと違い、まるで歯牙にもかけてない。

「ごめん。全然止められないや」

「紐が陽動にならんとなると、肉で釣るか」

 すなわち、人間があの鉱石喰いの前に立つということ。

「わ、私も……」と恐る恐るハクは言うと、

「ダメに決まってるだろう。走って逃げろ。今すぐにだ」

「なら、私が残る。それでいいだろうイグナート」

「願ってもない話だが、お前も逃げていいんだぞ」

「私は貴様に借りがあるからな。それよりも、勝算はあるのか」

 イグナートは頭を振った。勝てないと正直に伝えた。

 レイは目を剝いて絶句するも、小さく頷いた。

 イグナートはなるべく安心させるために笑顔でレイを見た。

「ナサニエル、頼んだぞ」

「いいけど。死ぬよ、イグナート」

「さてな。天国か地獄を見る羽目になる」

 ナサニエルとレイが二方に分かれて走り、イグナートは茂みに隠れて様子を窺う。

 鉱石喰いはやや逡巡するとレイのほうへと電光石火でかぶりついていった。

「なんだ、やっぱり女の子がいいんだね」

 調子の良いことを言うナサニエルの方角へイグナートは駆けていく。レイが引き付けている以上、逆側に向かえば鉱石喰いの背後が取れる。

 土煙を上げてレイのいた地点が露わになる。まるで爆弾で吹き飛ばされたように抉れていた。

 だが、レイの躯は何処にもない。ナサニエルはもしやと思い顔を上げると、

「彼女、とんでもなく速いね」

 鉱石喰いの歯肉に剣を突き刺して振り回されているレイがいた。

 驚愕したのはイグナートだ。仮にあそこにいたのが自分であれば間違いなく逃げられなかったと断言できる。ましてや無数の刃を掻い潜って軟部に剣を突き立てて凌ぐなど人間離れした芸当は理解を超えていた。

「逃げろって言ったのに、ハクだよ」

 駆けるイグナートに向けて囁くようにナサニエルが言った。

 さらにいえば、彼女が使用する『使役』の刻印がレイの肉体に影響を与えていた。限界を超えたイグナートをも超える動きは主命によるもの。

 レイは主が思い描いた体捌きをそのまま具現したのだ。

 どうあれ、鉱石喰いはレイに釘付けになった。さながら鼻先に餌を垂らされた状態だ。

 イグナートはナサニエルに向けて人差し指を上に突き立てる。意図を理解したナサニエルは首肯で答え、それを確認したイグナートは意を決して疾駆すると、鉱石喰いの甲殻に飛びついた。地面を円滑に潜航するために全身が掘削用の突起物に覆われており、その突起を掴んでどうにか上を目指す。すなわち、頭部を。

 だが荒波に飲まれた難破船の如く、強烈に振り回された。意識が飛びそうになり、ついに手を離してしまう。

(不味い……!)

 咄嗟に戦鎚を甲殻に叩きつける。それは本来何の意味もない行為であったが、刻印が刻まれた戦鎚は吸盤のように甲殻に吸い付いた。

 事なきを得たイグナートは、体力の限界を迎えようとしていた。頭部までまだ距離はある。しかし、腕は乳酸漬けになり、もう十秒も保たない。

 最後の力でイグナートはレイに向かって吠えた。

「手を離せ!」

 ここまでだと悟った。イグナートは動かない手を気合で動かすと結節部へと杭を当てる。

 生物に試すのは初めてだが、体組織に鉱物が混じっている鉱石喰いになら効くかもしれない。

 戦鎚を振り下ろすと鉱石喰いの胴体が大きく裂けた。完全に切れてはいないが、半分ほどの皮を残して巨体が二つに分かれかかっている。なんとも片手落ちだが、それで十分だった。

 ナサニエルの繰り出した紐が戦列を組み、鉱石喰いの上半分を持ち上げ始めたのだ。

 下半身も暴れているが鉱石喰いの意思はそこになく、ただ筋肉が反応しているだけ、その意味ではイグナートの一撃は分断に成功したといえる。膂力では到底敵わないが、大きく軽減されつつある質量は既にナサニエルの紐で支えられるほどだったのだ。

 イグナートは全ての力を使い果たし、手を離した。

 あとは自由落下に身を任せるだけ。当たりどころが悪ければ死ぬだろうが、上出来だろう。

 死線を何度も潜った身であればここまで戦えたことが奇跡なのだから。

 そうして意識すらも手放しかけたその時、

「避けろ! イグナート!」

 とっくに離脱したと思っていたレイの声が飛んできた。

 イグナートは目を見開いた。鉱石喰いには人間のような隠し腕が生えていた。

 レイを左腕に捕らえ、イグナートもまたまんまと右腕に捕まってしまった。

 本体に比べればか細い腕であったが、それでも万力のような締め付けに全身が軋んだ。

「イグナート!」と叫ぶナサニエル。

「構うな。このまま天蓋までぶち上げろ!」

 吸い込む息に何かが混ざったような感覚がした。肺が潰されないように肩を巻いて骨で握撃に抵抗する。それでも馬鹿力に何分保つか。

 ナサニエルは一心に思いを込める。イメージするのは紐で編み込まれた筋繊維だ。

 ありったけの紐を束ねて、鉱石喰いを天へと持ち上げる。

 樹上を超えて、更に高みへと。

「頼む。持ち上がれ」

 ただ一心に祈る。頼む、消えてくれ。

 その先はないのだから。





 青色青光、白色白光。

 突き抜けるような晴天。何もない蒼穹がそこにあった。

 全身が火炎に焼き尽くされたような気がした。

 体中の水分が入れ替わったような気がした。

 眩しく熱い。眼球が太陽に炙られたようだった。

 なんだ? 上に何かがいる。

 見てはいけない何かがいる。

 忘れよう。気にしないでおこう。

 意識を取り戻したレイはそう思って周囲を見回す。何もかもが白んでいて朧げだったが、イグナートが隣りにいる気がした。だが、身動きが取れない。まだ鉱石喰いの手がしっかりと掴んで離してくれないのだ。

 耳触りで野太い声が響き渡る。鉱石喰いの声だ。

「イグナート起きろ! 鉱石喰いはまだ死んでない!」

「うるさい。今起きたよ」

「悠長なことを……というかここは何処だ? 上層? いや、ここは『何』だ?」

「お前は、知らないほうがいい。にしても……こんな簡単にアレの二重結界が抜けられるとは。つくづく兄者の悪意に満ちているな。この世界は」

 天上から空を薙ぐ羽音が聞こえてくる。何者かが力強く空を飛んでいる。

 レイは見上げた。見上げ過ぎると『何か』が見えてしまうので程々に見上げた。

 それは大きくて堅牢な鱗と長大な翼を持つ、御伽噺の竜だった。

 一頭ではない。視界を埋め尽くすほど無数の竜がこちらを見下ろしている。

「何だ、これは。どうなっているのだ」

「とにかく帰ることだけを考えろ。ハクの顔を思い出せ。俺はナサニエルを思い出す。いいか? 冷静になれ。手元を見るんだ」

 言われるまま手をまさぐる。何かが巻き付いている。

「紐があるだろ? ナサニエルの紐だ。それは縁だ。イメージしろ。元いた場所を。仲間のもとに帰りたいと強く願え。さもなきゃ御使いは決して俺たちを逃さない」

 御使いと呼ばれた竜は一斉に鉱石喰いに喰らいついた。さながら鳥葬のように、容赦なく肉を抉って齧って舐りとった。レイは何も分からなくなっていた。

 今まさに自分も竜に食べられているのかもしれない。あるいは虫のように踏み潰されて無惨に五体が飛び散っているのかもしれない。騒々しすぎてよく分からない。

 目も耳も鼻も、訳が分からなくなっていた。

 ただ一つ、イグナートの声だけが聞こえていた。

 目を閉じて何度も帰る帰るぞ……と繰り返していた。

 それだけは聞こえていた。

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