21話
もうじき終わります。2話……3話ぐらい?
目を覚ますと誰かの背中におぶさっていた。
息を切らしながら疾駆するレイを見上げると、ハクは状況を整理し始める。
「ナサニエルはどこ?」
「追ってきている。安心しろ、すぐに安全なところまで連れて行ってやる」
背中に張り付いていたハクにレイの顔は見えなかったが、苦悶の表情を浮かべていたに違いないと思った。金属の具足から血が滲み出ていたからだ。
「下ろして、怪我してる」
「ハクの安全を守るのが私の役目だ」
頑として聞き入れないレイは損傷する肉体を顧みず走り続けた。
だが、ありがた迷惑だった。ハクは打算して逃走に意味がないと予想していた。
懸念は現実のものとなり、何かが側頭部をかすめた。
追跡者から伸びてきた紐の触手だ。
「話を聞いてくれ。手荒な真似はしたくない」
息を切らしてナサニエルは訴えかけてきた。だが、ハクはもはや違和感しか覚えなかった。
「ナサニエル。貴方はそうやって人を見下して」
危険を察したレイは足を止めて木を隠れた。レイは庇うように抱き締めて、静かにしろと口に手を当ててきたがハクは止まらない。
「貴方はイグナートに手を出さなかったわね。あいつに嫌われたくなかった?」
「そこまで加減できるわけないよ。でもまぁ僕とイグナートは貧しい生まれだ。なるべく同類は傷付けたくなかったというのは本心だよ」
「あはっ。貴方がイグナートを理解できるわけないわ」
喋りながらハクはレイの手当てを始めた。着物を裂いて出血した足に巻く。
「王女様には言われたくないね」
「貴方とイグナートはまるっきり違うということよ。貴方は確かに生まれが貧しかったのかもしれないけれど、およそ挫折とは無縁の人生。誰からも愛されて才気にあふれて、できないことなんてなかったんじゃないかしら?学園に入れたのだって、周囲の大人がこぞってお金を工面してくれたからだそうね」
「……なんでそう酷いことをいうのかな」
「負い目があるのね。意外と情けない人」
「……ッ」
相手の胸に言葉が刺さる手応えを確かめながらハクは続けた。
「イグナートは貧民というよりも最底辺の奴隷じゃない。しかも非才でいつも学園では後ろ指を刺されている。何もかも貴方とは違うし、彼は貴方にシンパシーなんて感じていないわ。気を遣って口にしないだけ」
「…………」
ナサニエルは怯んで二の句を継げずにいた。やがて狂ったように頭を掻き毟りながら蹲る。
「彼は粛々と努力しているというのに、友人が胡散臭い連中とつるんで抜け道を通ろうとしているなんて知ったらどう思うかしらね」
「……君だって似たようなものじゃないか」
それが精一杯の切り返しであろうことはハクにも分かった。だが以前圧倒的に優勢を取っているのはナサニエルなのだ。分かっているのかと、レイは心配そうな顔を覗かせてくる。
「確かに私と貴方には共有点が一つだけあるわ。それはイグナートを取り込みたいという欲。私もあいつに出会ったのはなにかの縁で、可能性を感じるから傍においておきたいと思っている。貴方はどう?」
「……心当たりはある」
気を取り直したのか紐の蛇行が再開する。得物を拘束するべく蜘蛛の巣のように木々の間を紐は走り抜け、ある種の結界の様相を呈している。
「でも君に対しての思い入れはあんまりないんだよね。出会って数日だし。だから僕のためにその生命を使わせてくれないかな?」
ハクは思わず腹を抱えて哄笑した。実に素直で好ましい返答だった。
「いいじゃない、いいじゃない。変にお人好しぶってるときより素敵よ貴方」
「僕は演技してるつもりはないんだけど」
「なら、そういうところが魅力なのかもね」
応急処置を終えたレイが悠然とナサニエルの前に立ちはだかった。
野太い剣をだらりと下げて主の声を待つかのように無言の圧力を放ちながら静止している。
「私はね。イグナートだけじゃなくて貴方も取り込みたいと思っているの。私の覇道には兵隊が必要だから、貴方のような人材は……あの島の言葉でなんていうのかしら。棚から何とやら」
「なるほど、じゃあ話は簡単だね。お互い勝った方の言う事を聞くということで」
満点の回答にハクは手を叩いて喜んだ。
「分かってきたじゃない!」
その一言を開戦の合図と受け取ったレイはナサニエルに向かって突進を始めた。
「レイ、殺さない程度に痛めつけて」
主命を受けて女騎士は力強く頷いた。
能天気なやり取りがおかしくて、ナサニエルはつい笑みがこぼれる。
「すぐに捕まえてあげるよ」
軽装の騎士がナサニエルへじりじりと寄る。
だが、四方八方から紐の蛇が包囲しており、逃げ道はどこにもない。
ある紐は枝に枝垂れかかり、ある紐は地面を這いながら迫る、現実の大蛇の大群に遭遇したしたとすればこのような圧迫感があった。
ナサニエルがレイを指差すと蛇は一斉に獲物へ飛びかかった。
「頼むわよ……」
平静に努めながらも視線は一瞬たりとて動かせない。
交差する紐は直線軌道を描き、しかしレイを捕らえてはいなかった。
ナサニエルは驚いた。視界の外から攻めたはずだ。
「見間違いじゃない。躱された」
目で追えるような攻防ではなかった。傍目には黒い帯が目まぐるしく交錯しているようにしか見えなかったからだ。だが、ナサニエルの顔が歪んでいるから、どうやら凌いでいるらしいと理解できた。
それは身を躱している当のレイですら分からないことだった。
「上手くまとまらなかったかな?」
ナサニエルは不思議そうに首を傾げると人差し指をくるくると回す。さながら楽団を統率する指揮者のように。精神を集中しもう一度、レイを包囲すると蛇の軍団が彼女に食いかかった。獲物にたかる蛇は黒いとぐろのようで、しかし標的は捕まらない。前方の紐は剣で横薙ぎに払い、包囲網の隙間が出来上がると右方左方後方の紐から走って抜け出した。紐は逃亡者を絡め取るべく追い縋るが、まるで予知したようにレイは木々の隙間を縫って躱し切ってしまう。
木が天然の障壁になっているのだ。追えば追うほど紐は木に絡まり不可逆的に身動きが取れなくなっていく。ナサニエルはようやく焦りを覚え始めた。
「後ろに目がついているね?」
ナサニエルは確信した。一連の超人じみた身躱しは後方に潜んでいるハクの俯瞰によるものだろう。
主の思考を受け止め続けるというレイの刻印は思わぬ効力を発揮しているようだった。
「攻め方を変える必要があるね」
ナサニエルは懐から煮た皮を張り付けた薬玉を取り出すとレイに投げつけた。
たちまち赤い煙が周囲に立ち込めて、林の隙間を埋め尽くしていく。
(毒か……?いや、ただの香辛料だ。獣を追い払う程度の……)
念のためレイは吸引しないように襟を伸ばして鼻と口を覆うと、身を屈めて這いつくばりながら進みだした。前も後ろも真っ赤な霧に覆われて何も見えやしないが、足元なら少しは見える。やがて、聞こえてきたのは落ち葉がさらさらとこ擦られる音だった。紐の蛇に狙われているのだと悟ると無意識に剣を構える。視界を奪われた状況で狙われれば対応できないのだから、ただの気休めだが。
『動いて。ナサニエルはレイがどこに立っていたかを覚えてる。立ち止まっていたら捕まるわ』
ハクの指令が脳に届く。ずきずきと頭の血管全てが拍動して気が飛びそうになる。だが、内容はもっともだと思いレイは素直に動き始めた、歩数にして三十を数えるほど進んだあたりで何かに引っかかった。
紐だ。敵の探知にまんまと引っかかった。
「しまったっ……」
一斉に何かが跳ね回る気配がした。罠に引っかかった得物に飛びつく猟犬の如く、レイは手足を縛られて拘束されてしまった。驚異を無力化したと見るや、ナサニエルはすぐさま姿を見せた。姑息な男だと思った。
「勝負はついたね。そっちも出てきなよ」
一方のハクは降伏を呼びかけられても一切反応しなかった。それがいじらしかったのか、得意げに諸手を挙げて何度も呼びかける。
誰もいない方角にハクの影を探しながら、紐の蛇による輪を拡大させてゆく。レイを操っていたのだから、こちらの状況が読める位置にいると読んでいるのだ。指示を受けていた当のレイは何処の茂みに潜んでいるか把握している。ナサニエルの紐に捕らえられるまでもう一国の猶予もない。
もうナサニエルはレイを見ていなかった。拘束を解くと悟られぬようゆっくりと立ち上がり、剣の柄で後頭部を思い切り殴打した。
「よくやったわ、レイ。貴方がいれば私は敵なしね」
「もったいないお言葉。主の命を果たしたまで」
地面に倒れ込んだナサニエルは気絶していたがハクは容赦なく革袋の水を顔にぶっかけて意識を呼び起こした。ナサニエルは何が起きたかわからないという顔だった。
「どうやって抜け出した?大男ですら指一本動かせないはずなのに」
「そうか?まぁ多少の力は必要だったが……体に張り付いているだけで縛られていたわけではないし」
レイは当然という面持ちで人を殴り殺せそうな骨太の腕を振り回しながら拘束を引きちぎっていく。
林の中からハクが顔を出すと、
「刻印同士は干渉し合うんでしょう?貴方の言葉よ」
証拠を見せつけるように近くで海草のようにうねっていた紐をレイが掴むと突然生気を失ったように撓垂れてただの紐に戻ってしまった。
ナサニエルは力なく笑った。
「なるほど。こりゃ参ったな」
地面に突っ伏したまま降参したと手をはたはたと振って茶化してみせた。拳を上げてもう何発かお見舞いするかとレイが目で訴えたがハクは首を振った。
「負けた方は勝った方の言うことを聞くんだったわよね?」




