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刻印のノッカー  作者: アキハル
20/25

19話

能力説明などがおかしなことになっていたので、18話から追記修正してます。

よろしくお願いします。

 泉術の基本的な性質とは波である。

 池に石を落とせば水面に波紋が広がるように、発したものは不可逆的に広がる。

 それを拾うということ。相互の長距離無線連絡は高等技法に当たる。

「不味いな。イグナートを見失った」

 肉体を再構築して鳥に化けたサンジェルマンは森中を飛び回っていた。ほんの少し前までは人型であったというのに、まるで本物の鳥類のように軽やかに林の間隙を飛び抜ける。

 だが一向に成果は挙がらない。砂の海が大木を薙ぎ倒し、イグナートが呑み込まれた瞬間を確かに見た。だが、そこまでだ。イグナートが捕捉出来ないのであればナサニエルの方へ視点を向けるべきかと思案し始めていた。

『そら見たことですか。何たる愚かしさ!サンジェルマン、貴方は生徒を見殺しにしたのですよ。いたいけな少年少女の純粋さにつけ込んで散々こき使った挙げ句、哀れ危険地帯にて青春を散らす……私は涙が止まりません』

「うちの生徒がいたいけな少年少女というのは大いに異論があるがね。というか君は訳の分からない脳内補完で私を批判するのをやめてくれないかね」

 ずずっと鼻水を吸い込む音が聞こえる。まさか妄想で泣いているのか?

『でも薄情じゃない?なんで助けてあげないのよ』

「当人同士の軋轢に何故介入する義務が?私は三人の生徒を受け持つ教師であり、故に特定個人に肩入れする気はない。口喧嘩なら仲良くしろよと一声ぐらいかけるだろうが」

 命の取り合いを軋轢と断ずる。それが尋常な感覚でないことは一々指摘を受けずとも理解している。だが、方針を変えるつもりは毛頭なかった。

 だが全く放置するつもりもない。現状を可能な限り把握した上で静観する。結果として同じ行為であってもそれがサンジェルマンの定めた師としての線引きであった。

『傍観者を気取るなら、せめて見落としは勘弁して欲しいわよねぇ……だっさ』

「煽るなよ学長」

 少なくとも野山を飛び回って足労を積み重ねている自負がある。通信越しにまったり紅茶を啜っている女に口出しされたくはない。

 ダダンと呼ばれていた巨人の流砂は瀑布のような軌跡を辿り、山岳地形を白日のもとに晒していた。埋もれた無数の倒木から人影を探し当てることは至難の業だった。

『ナサニエル達に視点を変えてみたら?イグナート君は可哀想だけど……もう駄目でしょう』

「さて、見届けんことにはな」

 通信機器越しのマーサーの声が止まる。

『……まさか生きていると?』

 サンジェルマンは返答をしなかった。ただ目を凝らし、周囲を探ることに専念していた。

 沈黙は肯定だった。マーサーには信じられなかったが生存を何故だか確信しているのだ。

「あの子は凡才だが我らの知らぬ領域を知っているやもしれん」

『……知らない領域?』

「この世界の理、とでもいうかね。どうしてもここで潰えるとは思えない」



 滝が石を穿つ音、木々のせせらぎが遠くに聞こえる。

 密集した森林で空を見上げても太陽は映らない。だが降り注ぐ陽の光が力強く眼を開けろと肉体に訴えかけてくる。遮られているはずの天蓋から順光線が爛々と通り、体が熱くなる。どうやら生きている、そう実感すると呻きながら元の階層へと意識を浮上させた。熱いと思ったら今度は冷たさを感じた。体がずぶ濡れになっていることに気が付いた。

 河川沿いに打ち上げられて石を枕に寝転んでいたのだ。どうやら長大な運河に流されて此処まで運ばれてきたようだった。起き上がろうと手をつくが魔法が解けたように全身が痛みだした。意識のない内に石やら木やらに衝突しすぎて深刻な打ち身になっている様だった。

 動かせない四肢がその証明だ。感覚的に骨は折れていないと思った。恐らくヒビは入っているだろうがどこもかしこも痛すぎて判別ができない。起き上がろうともがいたが、体はまるで追従してくれない。結局起き上がる試みは諦めて、その場で大の字になった。

 大人しく修復に専念しよう。そう観念して目を閉じると近くの茂みが動いた。イグナートは出血していたから、血の匂いに吊られて何かが寄って来たのかもしれない。

「猛獣か蟲か……」

 随分あっけないが終わりとはこんなものだろうと、イグナートは瞑目し、受け入れた。

 しかし、声の主は意外な人物だった。

「おや、イグナート君じゃないか」

「兄者か」

 緑の葉を全身に張り付けたような、自然と同化したような牧歌的な服に身を包んだ男は、口元を邪悪に吊り上げながらイグナートに歩み寄る。身長を優に超える大きな荷物を背中から下ろして屈み込むと、イグナートの顔を覗き込んだ。

「なんだよ。今更俺に用なんてないだろう」

「おやぁ……じゃあ帰って良いのかな。随分困っているようだけれど」

 粘着的な囁き声がイグナートの鼓膜にまとわりつく。男とも女とも取れぬその容姿と声は常人のそれとは違う神秘的な空気を醸し出していた。

「助けてくれ、兄者」

「うーん。駄目じゃないけど無条件に、だと甘やかし過ぎかなぁ……」

「なんでも貰っていってくれ。いや、今は何も持っていないか。寿命とかどうだ」

「いやいや……君は今まさに寿命じゃない。僕が立ち去れば天に召される程度の命数なの分かってる?そんなちっぽけな買い物はしないよお」

 何を取り立てようかと思案する男を前にイグナートは微睡み始めた。

「ケチだな兄者は。そうだな……じゃあ……ここは出世払いで……」

 寝言のように呟く。全身隈なく負傷しているのに睡魔が襲ってくる。

 痛みを通り越して感覚が麻痺しているのだ。むしろ気持ちよくなってきた。体の異常事態に対応するため脳が快楽物質を垂れ流し始めている。腹が破れているとか手足がもげているとかではないが、見た目に反して中身はズタズタ。どうやら致命傷を負っているらしかった。

「出世払いと。面白いこと言うようになったなこの子は。悪い言葉だよ……要はタダで何かを寄越せってんだから。商人やってる僕に言う言葉じゃないね。それとも君は空手形を平気で打って急場を凌ぐタイプの人間だったのかな?」

 何が商人なものかと遠のく意識で毒づいた。人っ子一人いない野生の世界で何を売ろうというのか。いや、こうして困窮した人間を見つけてはからかって遊んでいるに違いない。

 イグナートはけらけらと笑った。

「商人さんなら信用が第一だろ。俺は、約束を守る。兄者は俺をどういう人間だと思ってる?」

「真面目だねぇ……どうしてあの娘に執着する?君に関係あるのかな」

「さあね……珍しいから……かな?」

 質問の答えはイグナートも持っていなかった。だから寝言半分で適当に答えた。

 その言葉を否定するでも肯定するでもなく兄者は笑顔のまま暫くイグナートを見つめていた。

「良かった。君は生きる糧を見つけたんだね」

 困ったように、感心したように目を細める兄者はイグナートの顔を愛おしそうに撫でる。冷えた体に人肌の温もりは実に心地が良かった。兄者からは間違いなく女の匂いがした。母に抱かれる子供の境地とは、あるいはこういうことかもしれない。

 仄かに熱を帯びた風が吹いた。イグナートの全身を風が包み込むと不思議なことが起こった。濡れた体に風が当たれば冷気を帯びるというのに、まるで風が冷たさを持ち去っていくように、イグナートの肉体は熱を取り戻した。これではまるで逆再生のようだ。

強烈な多幸感を前にイグナートは意識を保てなくなった。瞼が重力に逆らえない。心地良い微睡みの深淵へとついに引き摺り込まれていった。

 全身の力みが失せて、筋肉が地面へと吸い込まれるように重力に引っ張られ始めた。

 意識が暗黒に塗りつぶされるとイグナートはそれから動かなくなった。



 それからどれほど時間が経過したのか。

「やぁ、起きたか」

 人語を話す鳥がそこにいた。先程聞いたような中性的な声だったが、兄者のそれとは違う。鳥にしては随分と透き通る、聞こえやすい声だった。見覚えがなければサンジェルマンと識別できなかった。

 呼び声で気が付いて、何事もなかったように二度目の覚醒を迎える。あまりにすんなりと、まるで昼寝から目覚めたときのような寝起きだった。健康体故の感覚、時間が戻ったように肉体は元通りになっていた。全身をよじって、手を何度か握り直して正常に稼働することを確認するとイグナートは跳ね起きた。雑嚢に放り込んだ装備が川に流されていないか確認する。紐で括り付けておいた戦鎚は無事だった。

「上流に滝壺があった、率直に聞くが何故無事なんだ君は?」

「実を言うと俺もよく分からん」

 白い鳩のような風貌の喋る鳥が首を様々な角度で傾げながらイグナートに質問してきた。

「ああ……やはり食糧はダメになってるな。泥水に浸かったのだから当たり前だが」

 浸水しないように樹脂を煮込んで溶かした皮で形成したポケットに全てしまっておいたのだがどこからか水に浸かってしまっていた。これでは腹ごしらえもできない。

「サンジェルマン、みんなの場所はわかるか?体調は万全だからこのまま合流しようと思う」

 疲労や空腹、低体温症は本来備えていた判断力と内臓機能を奪い取ってしまう。だが今は思考が鋭利そのものだ。逆説的に言うと体調が万全な証拠ともいえる。まともに動けるのなら今動かない理由はない。しかし、食糧がない。ここで狩りをするのは相応の勇気と体力と運がいるし、ならば空腹になって動けなくなる前に決着を着けたい。

「ええぇ……教えると思う?ここまで君たちに肩入れしてこなかった私だよ?」

 薄情な物言いだが師の応答は織り込み済みだった。

「いいけども。教えてくれなきゃこの広大な森で俺はただ歩き回るだけ。まず誰も探し当てられず時間切れになるし、ハクは誰にも助けてもらえず詰むわけだが、そんな面白くない幕切れでいいならどうぞ質問を無視してくれ」

 服を雑巾のように絞りながら鍛え込んだ裸体を見せつつ無表情にそう言い放った。なんの感慨もなく切り替えしてくる弟子に流石のサンジェルマンも押し黙る。三人いる弟子の内、ある意味この男が最もサンジェルマンの急所を把握していたと言えるだろう。

「なるほど、確かに面白くないのは……面白くない」

『貴方の負けね』

 ダメ押しにうるさい女の声が聞こえてくる。良いから黙ってろと口に手をぽんぽんと当てる。こうすると向こう側のマーサーには大音量のハウリングが飛ぶように仕掛けてある。

「案内してやってもいいけど君は一度負けているだろ?無策で挑めば同じことの繰り返しだぞ。それこそ面白くない幕切れになるんじゃないかね」

「どうにかする。計算外はダダンの強さだったが対策は一応考えた」

「ほう……傍にいた騎士は問題ではないと?」

「どうにかする。あいつは遊ぶからそこに隙がある」

「ナサニエルが裏切った。返り討ちにあうだけだぞ」

「……気の迷いだろう。どうにかなる」

 初耳だったろうがイグナートに逡巡はなかった。

 意固地な弟子の応答に師は疑問を持ったが何も言わなかった。止めても聞かないし、無理やり止めたらそれこそ面白くない。精々玉砕にならないことを祈るのみか。

「直接案内しよう。付いてきたまえ」

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