18話
すみません。話がおかしなことになっていたので追記修正しました。
もう数話で終わります。
確保されたハクは手足を縛られることなく、その扱いは丁重だった。もっとも背後にはいつもナサニエルが立っていて、逃げようものなら一呼吸の内に紐で雁字搦めにされてしまうだろう。だから、物凄く悔しかったが一先ず言う通りに振る舞っていた。日が没する前に山道を降りるため、休みなく歩かせられる。足の小指が奇妙に暖かくて不快だったが、出血していると気付いたのは中腹に着いたときだった。悔しいから何も言わないが。
「逃げても無駄だよ。どっちみち彼女がいるのだから、君の居場所は手に取るように分かる」
「レイ、貴方は私を殺しに来たの?」
「冗談はよせ。私がハクを傷付けるなんてありえない」
「じゃあイグナートは?貴方が連れてきた男は無関係の友達を斬ったわ」
「それは……その……」
目を伏せて頭を小さく振るっていた。やがて、心を封じるように表情を消す。
その様子を見ておかしなったウスターは調子良く喋り始めた。
「そう責めなさるな。雇った人間を間違えたということですな」
「知ってるわよ。レイに人を見る目なんてないものね」
レイはまた肩を窄めた。単なる軽口だったのだが今のレイには何を言っても責め苦になるらしい。
苦々しい表情を噛み締めつつハクはそろそろ間隙を突いてみることにした。
「ところで疑問でしょうけど、どうして私たちは貴方の位置がわかったと思う?」
一行の足が止まる。一番大きな反応をしたのはウスターだった。
「うむ?急にどうしたね」
「本当の案内人は私の後ろにいる人ってこと」
ハクの背後に居るナサニエルは頭を掻きながらはにかんだ。
懐から細い紐の束を一房取り出すと、次に羊皮紙を地面に放って足で踏み付けた。刻印の染みた羊皮紙だった。足で羊皮紙が覆われた瞬間に極細の紐の先端が音もなく千切れて下にころりと落ちた。紐をふらふらと揺らしながらナサニエルは無邪気に笑った。
「この羊皮紙は人に反応します。近くを通りかかったら、この紐の端がちょこっとだけ切れます」
「ありがとう裏切り者。まさか実演してくれるなんてね」
「一応これ初顔合わせだからね?信頼は得ておきたいじゃない。ああ、ちなみに自作の品で僕は適当に『結びの紐』なんて呼んでます」
「なるほど。その玩具をどこぞの童話よろしく道に並べて、我々を監視していたというわけか。賢しらな小僧にはお似合いだな」
打ち合わせにない話だったのだろう。ウスターは隠すこともなく殺意を放ち始めた。しかし、ナサニエルはどこ吹く風でその笑みは崩れない。
恐らく、たった今踏みつけた羊皮紙の刻印と道中に仕込んだ羊皮紙の刻印は形が違う。つまりナサニエルはまだ手札をいくつも隠し持っているということだ。
「そんな怖い顔しないでよ。僕と君たちは対等だろ?これは信頼の証だと思ってほしいな」
悪びれもなく語る学友にハクは眉をしかめた。
だが、収穫が合った。段々と、眼前の三人がどういう集まりなのか察しがついてきたのだ。
想像通りなら、付け入る隙は、ある。
水を向けられたレイは沈黙していた。
『レイ。私が今何を考えているか、この距離ならよく分かるわよね』
返事はない。というよりも、念話は一方通行なのだから言葉が返ってくるはずもない。
代わりに肉体が正直な反応を見せた。肩を小刻みに震わせながら、足取りがおぼつかなくなる。
強烈な悪寒が彼女の全身を巡って呼吸を見出していた。
『ああ、ごめんね?結構不機嫌だから八つ当たりしちゃってるわよね?そんなつもりないんだけど』
二の句を継げないレイを見かねたのか、ナサニエルがまた別の羊皮紙を取り出した。
「ウスター卿と……そこのお姉さんの信頼を得るためにもう一つネタバラシするよ」
ひらひらと羊皮紙を掲げた。先程見た二枚の刻印とも違う。踏みつけたりといった実演は何もなかったが、三人の中でレイの顔だけが変わった。
「面白いでしょ?僕は他人の想念を切り貼りするのが得意でね。こっちはお腹が減っているときのハクでこっちはイグナートの皮肉に気分を悪くしているときのハク」
ひらひらと何枚も見せびらかしてくる。レイはなにか悍ましいものを見ているような面持ちだった。むしろ、張本人のハクがよく分かっていない。
「要するに囮かね。レイ殿はそれに引っかかってしまったと」
「そうそう。まぁ本物だから引っかかるしかないんだけどねえ」
余裕そうなナサニエルの笑みはいつにもまして不気味だった。
「随分回る口だが、他にもまだあるのかな?」
「いやぁはてさて……」
悪意は自分に向いていない。先ほどから捕虜の自分に合わせて喋っているのはなぜか。
ナサニエルはウスターに示威行為をしているのではないか。
そう思えば合点がいく。ウスターの目的はノッカー殺しだ。ならばナサニエルもまた対象でないと誰が保障できるというのか。裏の組織でどのように繋がっているのか知らないが、ウスターという男は趣味的な動機でイグナートに拘ったでは無いか。
「でもこれで、疑問は解けたでしょ?僕なりの誠意ってやつです。仲良くしましょう」
「無論。我々は協力関係にある。頼りにしているとも」
言葉とは裏腹に両者の笑顔は剣呑そのもの。
ハクは臍を噛んだ。疑念が確信に変わった瞬間だったが、打開策がない……というよりも足りない。今の自分の手札の少なさを嘆くほかなかった。
強者に振り回される己の脆弱さ、事態に何ら介入できない無力感。
半島に来るまでに私財に物をいわせて商人の真似事をしてみたが、今も変わらず虜囚に甘んじている。その現状を憂い、一歩一歩が重くなる。山道を下る足が軋むのは疲労だけではない。
「……?」
不意に先頭を歩いていたウスターの足が止まる。
変化は木々の枝葉の揺れから、続いて体が重心ごと揺さぶられる感覚に襲われた。
地鳴りだ。
移動はおろか踏ん張ることもできない。耐えられず尻餅をついて頭に手を回した。
「止まった……?」
否、止まってなどいない。大地の鳴動が再開される。
見え上げると鳴動の正体を目の当たりにした。岩肌から、白い血飛沫が上がっている。
「土砂崩れだ!」
ナサニエルが叫ぶと紐が蛇のような蛇行を始め、ハクの全身に纏わりついてきた。
ひょいと持ち上げられると針葉樹の枝上まで運び込まれる。ハクは心配そうな眼で見下ろした。ナサニエルもウスターもレイも避難しておらず、その場で座り込んでいた。
「逃げて!」
ナサニエルはいつもの半笑いで応え、レイを紐で拘束するとハクのいる高さまで紐の手を伸ばしてきた。
「悪く思わないでウスター卿、定員オーバーだ」
目を細めるウスター。濁流は容赦なく流れ落ちて、ウスターを飲み込んでしまった。
「これで邪魔者はいなくなったね」
ナサニエルがにやっと笑って、ついハクは顔を背けてしまった。
懸命に枝にしがみついていると、幹の呻きが聞こえた。
「倒れる!ハク、こっちに飛び移れ!」
レイが叫ぶがハクは力なく頭を振った。助からない。せめて力を込めて枝葉を握り込む。
ナサニエルは紐をたくし上げてハクへ向かって投げた。
ついに土石流が大木を蹂躙し尽くし、全てを飲み込んだ。




