17話
ナサニエル達は階段のごとく張り巡らされている木の根を一歩一歩踏みしめて斜面を登っていた。目的地となる坑道は山の奥にある。
腰に下げた紐が一切寸断されていないことを確認する。追手はイグナートのいた位置から全く動けてはいない。焦りで余計に汗が落ちる。
前方を山刀で切り開きながら、ナサニエルは背後の護衛対象にも気をつけなくてはならない。
「置いてきて……良かったの?イグナートを……」
息も絶え絶えに学友を心配するハクは先程からうわ言のように同じ言葉を繰り返していた。
初めは気丈に振る舞っていたハクは戦闘の余波で地鳴りが何度も響く内に弱音を吐くようになってしまった。というよりも、イグナートに一任してしまった後悔か。
「不味いと思ったら逃げてるはずだよ。僕も可能な限り援護したし……」
連中に土地勘はないはずだ。ハクを追尾できる何者かさえ欺瞞してやれば引くも進むもできなくなるはず。ハクとの距離さえ十分に取れればイグナートは悠々と脇道へ逃げ込めば良いのだ。
「ほら、あそこ」
今にも崩れそうな木製の柱と土嚢で支えられた坑道の入り口が山の中腹に鎮座していた。
見ての通り、大本は人間が使用していた鉱山なのだ。大陸融解の以後は異常な環境変化で全てが狂ってしまい見る影もないが。
「急ごう。坑道内に入れば敵も見つけにくくなるかもしれない」
「閉所に入れば分かりにくくなるものなの?」
「囮に引っかかったということは自分により近い方に反応したということだからね。それほど精緻な測定能力は持ってないはずだよ」
湿った坑道を歩き始める。灯りは必要なかった。森に埋まっていた石と同じく、発光する石がそこら中に埋まっている。その密度は外の比ではなく、石の析出に必要な養分がこの地に堆積していることの証左だった。
坑道内にどんな異形がいるかも分からない。
行動範囲が著しく狭められた通路で遭遇すればその時点で致命的だ。
だが、そんな緊張感よりもハクを思い煩わせているものがあった。
「ごめんなさい。私がいなければイグナートの加勢にいけたのに」
「大丈夫。あいつはそんなに柔じゃないよ」
にこにこと笑いながら、穏やかにナサニエルは言った。
「信頼しているのね」
「どちらかというと信頼されちゃった……が正しいかな。ほら、僕は彼と違って目利きがそう得意じゃないんだ。目当ての品を見つけるまで時間がかかりそうでね」
目が眩むような色とりどりの灯りを一つ一つ覗き込んで識別していく。ナサニエルにとってあまり得意な作業ではなく、友人にいつも任せているツケが回ってきていた。
もっとも杞憂であり、時間はそうかからなかった。
人間が掘ったとは到底思えない広い半円状の空間がそこにあった。壁を注意深く見るとまるで蛇がのたうち回ったかのような帯状の軌跡が無数に刻み込まれている。
恐らく坑道の突き当り、その奥に輝く鈍い黄金がそこにあった。
「これが……」
ハクは感嘆の声を上げた。形状は丸い石そのものだったが、透徹した内部に美しい花弁が広がっていた。あれが花弁なのか、放射状に広がる波紋であるのか、生態調査が必要だがこれが石の花だと確信させるには十分な造形だった。
「石の花だよ。発見者はマンジューシャカなんて大袈裟に呼んでいたけれど、確かにこの美しさは天上楽土に咲く花のようだ」
どれほどの時間その場に立ち尽くしていただろう。二人はその美しさに目を奪われていた。
「石の花の所有者を警戒していたけれど、どうやら杞憂だったみたいだ」
「どういうこと?」と ハクは一瞬首を傾げるもっすぐに疑問は氷解した。
「あれを見てご覧」
ナサニエルが顎で天井近くを見るよう促すと壁面の三分の一を占めるほどの巨体を持つ大蛇のような甲虫が天井に張り付いている。
引きつった声を上げる。暗くて分からなかったがそれはずっとハクを見下ろしていた。
「石喰いワームだよ。ここまで大きい個体は見たことがない。さながら山の主ってところだね」
「ど……どうするのよ」
石の花を取れば、殺される。純粋な大きさの違いがハクに死を予感させていた。
「大丈夫。こいつは動かないよ」
「え……」
「とっくに餓死してる」
石を主食とする生物が余りの美しさに手を付けられなかったのだ。餓死するまで目を奪われるほどの魔的な美しさが黄金の花弁に宿っていた。
そして石の燐光は二人を前にして益々輝きを増しているように見えた。まるで石の牢獄に閉じ込められた花が二人にここから連れ出せと命じているように。無論、石に心などなく、人に何かを命じることなどありえない。ただ、見るものがそのように錯誤しただけ。
気付けばナサニエルは素手で石の花を掘り出していた。
「ああ、違う違う。せっかく道具を持ってきたのに」
我に返ってピッケルを取り出すと、やはり手が止まった。万が一にも傷をつけたくないという欲がナサニエルを制止したのだ。そんな手際の悪さを見て、ハクも浮足立った。
「あははっ素晴らしいわ。想像以上よ」
少女は狂的な笑みで踊るような足取りでそっと石の花に触れる。
「美しいわ。まるで黄金の麦畑が閉じ込められているかのよう……」
愛し子を撫でるように、細指で花弁の輪郭をなぞり、うっとりと枝垂れかかる。
「持ち帰るわよナサニエル。報酬はいくらでも出すわ」
「やれやれ……そんなに不老不死が欲しいのかい?」
不意に手が止まる。ハクはほんの少しだけ時が止まったように静止して、ナサニエルを振り返った。言葉を解するのに十秒ほど要した。
「欲しいけど……売ってお金にしようかとも思ったけれど……これに値は付けられないわね」
「何にでも使えるよね。君の使い道は決まってるだろうけど……」
ますます鳩が豆鉄砲を食ったような眼でハクは沈黙する。
「違うわよ。まさか私が故郷を取り戻そうとか思ってる?」
「え、違うの?……」
大きな溜め息をついて、ハクは顔を上げる。
そして堂々と宣言する。
「そう思っていた時期もある。でも気が変わったわ。今欲しいのは、この半島」
「……嘘でしょ?あの……王女様なんだよね?」
「もちろん、私の国を滅ぼした連中には誅罰を下すわよ。まずその足がかりにこの半島をもらうわ」
坑道の広間をまるで踊りながら歩いて、ハクは夢を語り始めた。
意気消沈していた頃の面影はもうない。彼女が以前まで何を考えていたのかはわからない。
宝石を見てなにかに火がついたと、ナサニエルは思った。
「まず商工会を掌握するところから始めましょうか。今回みたいな宝探しを続けて資金を得る。貴方達が財宝を持ってくる。私はそれを元手に自分の会社を大きくする。うん、完璧ね」
ナサニエルは混乱していた。酸欠のように頭がふらふらし始めたのは坑道の奥深くにいるからだけではない。心魂から脱力している。
「確かに僕らはしょっちゅう宝探しをしているけども……」
「理解した?報酬はちゃんと渡すからキリキリ働きなさいよ」
すっかり威勢の良さを取り戻した少女に命じられナサニエルは紐を取り出した。
気持ちを新たに作業を再開する。石を引き抜くためにまずは周囲を削り取る。取っ掛かりのある部分まで掘り出すと紐をまるで投網のような形状に組み直し、石の花に張り付かせる。あとは歯を糸で抜くように、正しい方向に引き抜くだけ。
紐の膂力は凄まじく、あっけなく石の花は抜けた。
「見事ね。イグナートも拾って、とっとと帰るわよ」
「……なぁ、君は自分の国に興味はないのか」
「亡くなったお父様の国は好きだったわよ?でも私は前向きだから」
ナサニエルは首肯した。やはりこの女は強欲だ。
「余計な口出しと思うかもしれないけど石の花を使って老化を防げば、君は沢山の時間を手に入れる。国を興して君だけの王朝を建てるも良し、君の国を滅ぼした新興国を討つも良し」
「バカね。そんなに甘くないわよ」
紐に持ち上げられた石の花をさすりながら、ハクは即答した。
「私の国を滅ぼしたのはノッカー。つまりサンジェルマンと同類。不老長生なんて向こうも手に入れている。条件が同じならまだ勝ち目なんて無いでしょ。それにシンにはお母様がいる」
「君のお母さん?」
意外な単語に話が読めなくなった。
「そう、欲深で生粋の毒婦。レイと私は父親が違うけど、何故だか分かる?」
ナサニエルは頭を振った。
「最初の夫が手練の兵士でね。将軍にまで上り詰めた英雄だったの。いえ、お母様が将軍まで押し上げた。レイはそのときの子供。でもすぐに最初の夫は死んだわ。次の男に乗り換えるために殺された。将軍の妻として王宮に入り込んだ母様は当時の王様も将軍も皆殺しにしてしまったの。そして新王を立てて自分は后になった」
「君は新王の娘だと?」
「ええ、お母様は今も昔もずっと綺麗。まるで他人の命を吸い取っているみたい」
「他人のお家事情に口出しする気はないが……君は逃げて正解だったんじゃないか」
「いつか殺されるのが目に見えていたものね。私はお母様が嫌いだったから」
「半島に来たのは逃げるため?」
「前向きに逃げるためよ。ここで敵をよく学べば復讐がやりやすくなると思わない」
それに、とハクは付け加える。
「私、港町が好きなの。綺麗だから。だから純粋にあの町が欲しいわ」
「はは……強欲だな」
いっそ力が抜けてしまう宣誓だった。ナサニエルは馬鹿らしくなってしまった。
「貴方の望みは?」
「実は……僕も国が欲しい」
鼻を軽く擦って照れながらナサニエルはしれっと告げた。
人相は好青年のそれだったが発言はまるで似つかわしくない。
「国を作る人間の眼じゃない。貴方のそれは国を盗る人間の眼」
「ご明察。僕は西の連合国出身でね。小さな島々の寄り合い所帯なんだけど」
「盗ってどうするのよ」
問われると、ナサニエルははにかむように笑って、傲慢に答えた。
「あの国は治め方がよくない。壊してからきちんと機能するように作り直してあげたいんだ」
教師に言い当てられて答弁する生徒の如く、真面目ながらもやはり命題には似つかわしくない内容をつらつらと述べる。その様子を嘲るでも驚くでもなく真摯に見つめていた。
「ああ、もちろんそこまで本気じゃないよ?あくまで夢だからね。叶うとは思ってないし……まぁ、出来れば成し遂げたいなぁ……ぐらいの感じ」
恥ずかしそうに、照れくさそうに取り繕った。
ハクは危険な男だと思った。青臭い青年の相と蛇の相が破綻なく混ざっている。
疑念が、確信に変わった瞬間だった。
「貴方が追手と組んでいたのはそういうことだったの」
「あらら、バレてたのか」
悪びれる様子なく、ナサニエルは態度も歩調もそのまま、ハクの言葉をあっさりと肯定した。
「悪く思わないで……いや、思ってくれて良いのだけれども。組織が君を捕らえたいそうでね。一応所属している身としては協力しないといけなくて」
「貴方は……」
隣人の正体に行き当たると、黙って追従する道を選んだ。抵抗は無意味だ。
坑道を抜けると茂みの擦れる音、そして甲冑の音が聞こえてくる。
ウスターとレイが追いついたのだ。
「ハク。無事だったか」
「姉様……」
傍らのウスターが笑みを張り付けたまま一歩前へ踏み出す。
「なるほど、これが石の花か」
感嘆の声を上げると恍惚とした表情で輪郭をなぞる。
「随分、遅かったですねぇ」
「君の友人に手古摺らされてね」
「イグナートは?」
「どうもこうも、ダダンに呑み込まれた。姫君、彼の最期の言葉は何だったと思う?」
ハクは答えない。悪意をぶつける相手と言葉をかわす必要などない。
そんな様子を面白おかしく眺めて、ウスターは切り捨てた。
「『死にたくない』などとほざいていたよ。骨のある男だと思ったのだがなぁ」




