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刻印のノッカー  作者: アキハル
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16話

 泥濘む大地に足を取られたダダンは徐々に徐々に土中へと引きずり込まれていった。

 これが尋常の物体であれば自重で沈んでいくところだろう。だがダダンの肉体は泉術で浮遊できるので放っておけば地中から逃れ出る。なので、そうはさせまいと巻き取った無数の紐が土中へ引っ張っている。相反する力の綱引きはナサニエルとダダンの削り合いを意味していた。

「俺たちは捜し物をしてるんだ。石の花っていうんだが」

 友人の敢闘を余所に、イグナートは努めて冷静に話を進めた。

 ウスターが剣を中段に構え、笑顔のままイグナートの方へ歩み寄ってくる。慇懃で柔和な笑みを浮かべているがその実、険のある顔つき。明確な拒絶と殺意をありありと滲ませていた。

「まぁ聞けよ。これがなんとも変わりものでな。煎じて飲めば不老長生。永遠に近い時間を生きられるって代物なんだ。どうだ。興味あるだろう?一口乗らないか」

「貴様らのそういう胡乱な話で人の気を引くところが嫌いなのだよ。恥知らずにも程がある。もし事実だとしても世の条理に反するものを受け入れる道理はない」

 何を今更とイグナートは嘲笑った。世の条理などとうに壊れているというのに。

 ウスターはなおも歩みを止めない。両手を上げて降参の姿勢を取りながら、

「まぁそう言うな。アンタ、傭われだろ?売り飛ばせば一生遊んで暮らせるぞ」

「なるほど。長寿の次は金か」

 直剣を手元で回したかと思うと切っ先がイグナートの喉元に突き付けらた。

 まるで曲芸だ。目の追い付かない回転軌道は流麗で、思わず見惚れてしまった。

「誤解を解いておこう。私は確かに傭兵だが、金目当てでも戦場を好むわけでもない」

 喉仏をゆっくりと切っ先で舐めながら、

「単にノッカーを斬ることが好きなのだよ」

 イグナートは唾液を飲み込んだ。もう二度と飲み込めないかもしれない。

 次の瞬間に首が胴と泣き別れしていない保証が何処にある。

「だったら、尚更だ。長生きしたほうがより多くのノッカーを殺せるぞ?」

 イグナートは食い下がった。命乞いに等しい文句の数々を垂れ流した。

 舐めるように切っ先が喉を撫でる。

「悪くはないがね」

 銀の一閃が走った。

 余りに速く、切り払ったのか突きなのか判別できなかった。

 首ではなく戦鎚を握る指を狙った俊敏な突き。

 咄嗟に腕を畳み、剣は空を切った。

 イグナートが躱せたのは読みでも反応でもなくウスターから漏れる殺気に恐怖した故、身を竦ませたタイミングが偶然刃から指を守っただけ。

 だが、ウスターはそのまま二撃目に繋いでくる。

 それは急所となる大動脈や筋肉の起始停止部を狙う技だった。速さに比重を置いた分、重さはなく両肩に掛けていた分厚い牛皮のハーネスが斬撃から皮膚を守ってくれた。

「案内してもらおうか。君の四肢を切り落とした後でね」

 戦鎚を構えて次の攻撃に備える。平で叩き潰すか、嘴で剣を受け止めるか。どちらでもあるかのように思わせる中段の構えでじりじりと距離を空ける。

 だが敵は正規の訓練を受けた兵士だ。まるで隙だらけといわんばかりに素っ首へエッジが突き入れられる。すんでのところで躱すもそのまま、袈裟懸けに振り下ろされる。

 肩が若干斬られてしまったが、骨までは到達していない。戦鎚の柄で受け止めた。

 ウスターの剣からは気の起こりが読めない。筋肉の力みが一切ないのだ。

 まるで剣がひとりでに動いているかのように、伸び切った無理のある態勢から一撃が振り下ろされる。

「やはり掘り出し物だな。良い勘をしている」

 矢継ぎ早にウスターは下腹部へ突きを入れてきた。的が大きく躱しにくい。

 後ろに跳ねて距離を取ろうとするが、今度もまた伸び切った体勢から掬い上げるように斬り上げてきた。まるで海鳥が水面を跳ねるが如く伸びた剣先は今度こそ胴体を捉える。

 だが剣は胴に届かなかった。

 またしてもイグナートの戦鎚が分厚い騎士剣を受け止めていた。

 (かみ)がかり的な反応だったが真実はそうではない。

「卑怯だと思うか?」

「いいや、これで対等の決闘になる」

 互いの武器に刻まれた刻印。常識外れの軌道は全て刻印に由来していた。

「三度も見れば流石に種も分かる。アンタの武器に刻まれた二つの刻印。『剣を持ち上げる』、『剣を落とす』ただそれだけの刻印だな」

「私は《上昇》《下降》と呼んでいるが。単純だと笑うかね?」

「まさか」

 握りと手首の返しでどうとでも軌道を変えられる剣なんて、冗談じゃない

 刻印が二つだと推理したのは根拠があった。恐らくウスターは泉術がそう上手くない。たった一つの刻印で自由自在に浮かすだの落とすだのできるのはナサニエルのようなほんの一握りの天才のみ。例えそれが術者に最適な刻印であっても、あるいは己だけの刻印であっても。

 故に一つの動作に特化した刻印を使い分けるほうが効率的だし、反応が良い。何より物体への強制力、言い換えれば一撃の威力も上がる。

 単純、それ故に隙のない泉術だ。初めてレイと会った夜の超跳躍からの切り下ろし。小手先だけでなく一撃の鋭さもウスターの刻印には備わっている。

「ダダンを罠に嵌めるまでは見事。だが、私を簡単に抑えられると思ったのなら甘いね」

「ウスター……もう気は済んだだろう?我々の目的を忘れるな」

 熱気を帯びるウスターに冷水をかけたのは後ろで趨勢を見守っていたレイだった。

「私が依頼したのはノッカー殺しじゃない」

「分かっているとも。だが小僧はここで仕留めておく。世のため人のためだ」

 イグナートは懐から刻印の刻まれた色石を握り込むと、踏み込んでくるウスターを迎え撃った。ウスターの斬撃は流麗ながら執拗的で息をつく間もない。

 武の心得のないイグナートは大袈裟に躱すしかない。さしものイグナートも疲労が蓄積していったが一方のウスターは涼しい顔をしていた。激しく剣を走らせているのにその気勢は衰える素振りがない。刻印を用いて剣を動かしている都合上、剣の道筋を構えで整えてやれば後は剣がひとりでに走る。

 故にイグナートはみっともなくあがき、逃げ続ける。

 人工的な沼地から、木々の生い茂った林へと飛び込む。

「君は密林ならば剣が振り回しにくいと考えているようだが、甘い。かくいう私もそうやって騎士を殺してきた人間でね。要は訓練でどうとでもなる」

 ウスターは飛蝗のような超人的跳躍をして見せて、瞬時にイグナートに追いついた。《上昇》の応用だった。そして、密林でも障害がなにもないかのように剣を走らせる。剣の軌道はまるで鞭かと空目するほどにしなやかにイグナートへと伸びる。

「もう一つ、ダダンを封じてしてやったりと思っているのだろうが、思い違いをしている」

 声がうっすら聞こえてきたが当のイグナートは怒涛の剣風を受け止めるので精一杯だった。

 ウスターのそれは子供と戯れる大人の眼差しだ。

「ダダン、もういいぞ」

 地面が揺れた。

 前のめりにたたらを踏んだイグナートは異変を前に身を伏せて彼方(かなた)を見た。

 軋む石の巨人は膝まで沼に浸かり始めていたはずだった。

 藻掻く力と縛る力、両者の膂力は拮抗に近く故に決着はまだ着かない、はずだった。

「君たちが用意した拘束具は中々優秀だったがダダンの本質を見誤ったな」

 紐の拘束は依然機能しまま。いや、友人の術式を知るイグナートは紐の力が弱まることなどありえないと理解している。しかし、現実的にダダンは動き始めている。

 力ずくで拘束を破っているわけではない。ナサニエルが張り巡らせた紐の結界そのものが揺らいでいるのだ。

「まさか……体を拡張しているのか?」

 ダダンとナサニエルの紐は全く同じカラクリだと思っていた。だが、似て非なるものであるならば。現に刻印の影響力は岩の操作に留まらず四方八方に広がっている。

 紐を張り巡らせた地形ごとダダンの手足と化しているのだ。

 砂や土そのものが肉体と化したなら縛るも何もない。

「大方、野鼠がもう一匹潜んでいるのだろ?逃げるように言ったらどうだ」

「さてな。そっちこそ長く楽しんでいたいなら精々手を抜けよ」

 初めて、ウスターは不意を突かれた顔色に変わる。そして、ほんの少し称揚の色を帯びる。

「鼠風情が私の剣を語るか」

「要するに訳が分からないまま斬り殺されてた、みたいなのがアンタの剣だろ」

 そう、真に全力だったのは指を狙った最初の一太刀のみ。あれは完全なる偶然で凌いだが、そこから先の剣戟は全て試合的で遊戯的なものだった。ウスターは豪快で派手な剣術を使って見せているが本来、技はそう何度も見せるものではない。実践的で相手の意表を突くような、それでいて迅速に無力化させる剣こそ真骨頂なのだと推測する。単純明快、刻印などなくとも白兵戦でウスターはイグナートの遥か上をいっている。

 本当を言えば一目散に逃げ出したいが、ウスターは諦めてくれそうにない。

「受け止めてみろ」

 脇構えに戦鎚を握るとそのまま力任せに振り上げた。

 戦鎚の直下にある泥と石が追従し、音速の弾丸と化してウスターに射出される。

 突風に見舞われたウスターは鈍色の砂塵に飲まれた。さながら小規模の台風だった。

「どうだ?これが俺流の居合ってやつだ」

 必殺を期した一撃だった。

 無数の石と無形の泥、いずれも人間業で防げるものではない。

「……君は世の剣術家に謝罪したほうが良いね」

 だが拡充したダダンの泥の手がウスターを保護していた。

 守りが間に合わなかった部位は甲冑を貫いて文字通り風穴が空いてしまっている。

「連発されては敵わんな。ダダン」

 背後の巨人兵に命令を下すと視界いっぱいに広がった拳が迫る。

 戦鎚を携え、息を深く吸い込むとイグナートは決死の覚悟で敵を迎え撃った。

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