15話
頭もうだる熱帯夜で舌なめずりしながら高揚に身を任せていた。
今からノッカーを狩る。そう思うだけで舌なめずりが止まらないのだ。腕を余計に振るって、落ち葉を踏みしめる足に過分な力が入る。
「気付いていないか?貴様はさっきからずっと歯を舐めているぞ」
「ああ失礼。淑女の前で下品だったね」
「生憎、女扱いされたことはない。だから遠慮せずともよい」
「なんだ。気にしていないのなら窘めないでくれ給え」
「一応気持ち悪いとだけ伝えたかった」
ウスターはくつくつと笑って腰の剣を何度も握り直した。
「あの男が気になるのか?ノッカー見習いと聞いたが」
「無論、もうじき会えると思うと楽しくなってしまってね」
もう何時間も同じ人間と歩いている。そして、似た問答を何度も繰り返している。
何かしら冷水をかけたような言葉のやり取りがあり、会話に詰まると白けたような視線を送りあう。そしてウスターも隣りにいる女もまた押し黙る。
「大方、私を気狂いか何かと思っているのだろうね」
「まぁな。貴様のそれは執着だよ」
「否定はしない。だが私のような人間は多いよ」
生い茂る枝葉を掻き分けて先へ先へと突き進む。
先陣を切る手段が歩む道はまさしく前人未到なのだろう。証拠に足の踏み場すらない獣道ともいえない道のりを敢行していたのだ。山刀か何かで切り開かれ、地面に落ちた枝だけが痕跡を伝えていた。
「尾行に気付いている素振りではない」
地面の足跡も乱雑に切り開かれた樹木の壁もそのまま。
ウスターは拍子抜けしたような、しかし納得はしていない顔で足跡に触れた。
「競合相手と認知されていないかな?」
「自己紹介などしていなかったからな」
イグナートに明かしたのは捜し物、という単語だけ。
だが警告なしに斬りつけたのだ。敵意をあれほど見せられて何ら危機感を持っていないとなればそれは楽観に過ぎる。イグナートは戦士ではないようだがそれほど愚鈍にも見えなかった。
「いや、我々を認知していないはずがない。となれば痕跡の放置すら餌だろう」
「尾行は気付かれていると?仮に平野ですら目視できないだろうほどに離れているのだぞ?」
ウスターは首肯する。尋常の森であれば痕跡を辿れば尾行は可能だろう。それとて、斥候がいなければ出来ない芸当だがこの森で尾けようと思えば話は別だ。それを可能とするのは神がかり的な、ノッカー的な反則が必要になってくる。それが彼女の役割だ。
口端が吊り上がる。そうとも、手がかりが一切隠蔽されていないことが何よりの証拠ではないか。敵は応戦の構えを見せているのだ。
喜ばしいことだった。興奮している自覚がある。ならば自然と足早にもなる。
そして答え合わせの瞬間はすぐに訪れた。
樹木を掻き分けると不自然に切り拓かれた空間に出た。過密な樹林が生い茂るこの森で直径百メルほどのあり得ざる空き地が突如現出する。いや、木々は切り倒され、あるいは根から抜かれて端に捨て置かれている。地面もよく見れば土が剥き出しのまま斑に整地されていた。
その先に、切り倒した木の幹に腰掛けている男がいる。
石灰色の石を素手で擦り落としている。ぱらぱらと粉が落ちるとロックハンマーの嘴で本体から粉を払い落とす。遠目で判別しにくかったが彫像に見えた。仕上がりを一目見るとこちらに気付いてなんのこともなかったように石を横に投げ捨てる。
「おや、奇遇だね」
「よくいう。随分待ったぞ」
「尾行に気付かれているとは思ったが、まさか正面から出迎えとはね」
「……馬鹿な。3キルメル先にいるはずだ」
傍らの女は不可解な状況に困惑しつつ、何故出てきたと唇を噛みしめる。
「同業者がいるはずだが、君一人かね?」
「そうだ。荒事に対応できるのは俺くらいなんでな。専門家の前で口幅ったいが」
「侮っているのかね小僧。おまけになんだね?その工具は」
細目でイグナートの得物をまじまじと見つめる。
イグナートは心外そうに白帯を巻き付けた鋳造の戦鎚を見返した。
「生憎生まれてこの方、剣なんて握ったことないからな。俺はただ交渉に来ただけだ」
「……戦う気はないと?」
ウスターは呆れながら中指を弾いた。
背後から木々を薙ぎ倒す音が聞こえてきた。枝葉が波打ち、動物たちの鳴き声が聞こえてくる。
顔を覗かせたのは浮遊する岩だった。数十ものパーツに分かれた岩の群体が宙を泳いでいる。そして岩同士がぶつかり合い亀裂を生じながら人型の像を成す。
甲虫のような勇壮な意匠で無機質な兜がイグナートを見下ろす。
あの夜に見た巨人、ダダンだった。
「一人でノコノコと出向いた能天気さは褒めてやる。潰れて死に給え」
汚物を見るような目で容赦なくダダンを駆動させる。歩行の動作にすら巨岩の質量が乗っており、腕の一振りが必殺の威力を持つことは想像に難くなかった。
だがその腕がイグナートに届くことはなかった。四方八方から無数の蛇影が伸びてきた。
全身に巻き付いた紐がダダンの巨体を絡め取った。
動かない、否、絡め取りながらも紐はダダンの巨体を持ち上げるように引き締める。
「便利だな。泉術というものは」
「拮抗していないと話し合いはできないからな」
イグナートは慎重に言葉を選ぶ。なにせ敵の情報が足りない。
少なくともウスターという男に関しては何も知らない。その上でカードを順に切っていかなければ、交渉にならない。
「実のところアンタらの事情には詳しくてね」
ウスターの口が吊り上がり、構えが解かれる。まずは喋ってみろと言わんばかりだ。
「まず険しい森林地帯でなんの道標もなく尾行できた理由だが……」
イグナートは一点を見つめる。フードを被った女戦士に。
「アンタだ。レイという名前だそうだな?」
名を言い当てられた女は初めてフードを下ろした。
後ろで短く纏められたそれはハクと同じ白髪で、ハクと同じヒビ割れた硝子のような瞳の女。
素性を全く知らない人間が見たとしても相似点に気付き悟るだろう。
二人に血の繋がりがあるということを。
「私の居場所が分かるのは世界で唯一人だけ。追手にレイがいるわ」
「誰だそいつ」
「姉よ。私の護衛だった女。生きていたとは思わなかった」
悪びれもせずにハクは云った。
全くの初耳だったがイグナートもナサニエルも意に介さない。元々この件に裏があるのは分かり切っていたし、何より秘密主義の師と付き合い続けて慣れてしまった。
「いいよ気にしない。それよりも肝心なのは、彼女は君の命を狙っているのか?それとも捕まえようとしているのかい?」
ナサニエルが諭すように言った。ハクの抱えている事情はよく分からないし、詮索もしてこなかった。だが、このタイミングで情報を開示してくれるならまだ多少は信用できる。
だが、ハクは目には逡巡があった。
「仮に家出したフーテン娘を連れ戻しに来ているだけだとしたら、こっちも対応を考えないといかんぞ。具体的にはお前を売る」
「ありえないわよ。レイも私も家を失くしたのだから。私を担いでお家再興なんてできる状態じゃないのはレイもよく分かってるでしょうし」
「じゃあ何しに来たんだ。妹を殺しにわざわざ来たのか?」
「分からない。どっちも有り得ると思う」
投げやりな回答だった。
イグナートはナサニエルを一瞥すると彼もそれに応えるように小さく首を振った。
「追手はどうして僕たちの位置がわかる?」
返事はない。
今度こそ押し黙ったハクは両足を抱いて蹲った。
「この際、君の都合はどうでもいいよ。僕たちはただ課題を終わらせたいだけだ。けど、これは教えてくれないと致命的になる。教えてくれ」とナサニエルが念を押した。
「…………泉術よ。貴方達風に言えば『命令式』?……それをレイは体に刻んでる」
「こりゃ驚いた。あいつはお前専用のペットってわけだ」
泉術は物体だけでなく生物にも刻印できる。自分で自分の肉体を意のままに操作するために自ら刻む者も多くいる。サンジェルマンの得意とする変身術などはその典型だ。しかし、他者からの干渉を前提とする刻印であればそれは刻んだが最後、肉体のあらゆる主導権を他人に明け渡すのと同義だ。
呼吸、心拍すらも、主の思うままとなる。
「命令式であっさり色石が動いたのもそれが理由か。元々こなれていたわけだ」
「刻印の形は?どういう関係性になるのかな?思ったことを相手に伝えられるってこと?」
「仕組みは分からないけど……生易しいものじゃないわ。思考を相手に押し付ける……とでもいうか」
レイは水の詰まった牛皮の水筒を手に掲げた。
「例えば私がなんとなく、喉が渇いたと思ったとするわ。レイの頭には水を持ってくるよう命令が飛ぶわ。で、レイは私と喧嘩していてそんな小間使いは絶対に嫌だと拒否しているとする。そうでなくても、妹の命令なんて聞きたくないと日常的に思っているとする。どうなると思う?」
「うーん……君の命令が上位概念だと処理されて、自分の思考なんてなかったかのように水を持ってくるとか?まぁつまり洗脳みたいな」
「いいえ、洗脳じゃないの。私に対する反感は一切消えないの。『水を持っていきたくない』と追加された『水を持っていきたい』がどっちも並列的に思考するの」
「なるほど……外的要因による絶対矛盾か」
「ここで厄介なのは私の気が変わっても刻印に送信された命令は消えないってこと。命令は永続だけど抵抗はいつか限界が来る。絶対に根負けするようにできてる。だから頭がおかしくなる前に命令を遂行しないといけないわけ」
「で、受信する側は主様の位置が逐一分かるってわけか」
「そうらしいわね……レイにしかわからない感覚だけど。少なくともレイは私がどこにいても見失ったことはない」
なるほど鬼畜の所業だ。イグナートもナサニエルも眼をひそめた。
語るハクの声は淡々としていた。恥じることも負い目もない。ただ普段の明朗快活さはなかった。
「その……恨まれてるのか?」
おずおずとイグナートは聞いた。
ハクは分からない、と頭を振った。
「レイとはいつも一緒だった。物心ついたときから私の侍女だったから」
「姉なのに侍女なのか」
「父親が違うから。侍女でもあり私直属の近衛でもあったわ。才能が認められて父上の親衛隊に混ざって剣の調練をしてたから」
羊皮紙を丸めながらイグナートは嘆息した。
ナサニエルが手元を覗き込んで、
「イグナート、さっきから何を描いているんだい?」
出来栄えを見て欲しくて、羊皮紙をナサニエルに渡す。
ハクの話を聞く傍ら、ずっと羊皮紙に黒筆で緻密な紋章を描いていた。
羊皮紙を地面に置くと人差し指をそっと添えて念波を送る。
「話を聞く限り永遠に追ってくるようだからな。ここで迎え撃つ」
言うなり、地面から水が湧いて木々は泥に埋もれていった。小規模の地震による液状化現象、そして地面そのものが隆起して羊皮紙を中心に木々を端へ端へと追いやっていった。みるみる足の踏み場が限定されていた森林は円形の踊り場と化す。即席の闘技場だ。
「一応聞くけど君、人を殺せるのかい」
「まさか、願わくば話し合いで解決したいものだ」




